貴方は中央トレセン学園から追放されることを希望しています。 作:はめるん用
(いよいよ菊花賞が始まる……。シービーが三冠を
最も強いウマ娘が勝つと言われている菊花賞。誰もがミスターシービーの三冠の夢について語る中、ナリタブライアンは強敵と競い合う未来に想いを馳せていた。
不確定要素は多ければ多いほどいい。レースの最中に勝ちが見えてしまうことほど興醒めする瞬間はない。その点、ミスターシービーの世代のウマ娘たちは本当に心からワクワクさせてくれる曲者ばかりで羨ましい。
もちろん十中八九、あの規格外トレーナーであれば自分の世代どころか上も下も見境なく強化してくれるだろうとナリタブライアンは確信していた。
だがそれはそれ、である。三冠ウマ娘に挑めるチャンスがあると言われれば迷いなく「是非も無しッ!!」と答えるのがナリタブライアンというウマ娘なのだ。
「っと、いかんな。今日は素直に
「カッカッカ。場の空気にあてられて滾ったか、ブライアン。若いのぉ~、若いってのは素晴らしいのぉ~。いや、マジで羨ましいわ」
「……ようやく来たか。じいさん、アンタにとって菊花賞が特別なのは知っているが、わざわざそんな洒落た格好をする必要はあるのか?」
「えぇ~? 似合わんかねコレ。儂けっこうお気になんだけど。まぁええじゃないかたまには。まさかいつものように作務衣やら甚平やらで彷徨くワケにもイカンだろ? 一緒に歩くお前だって恥ずかしいだろうと思って気遣いをだな──」
中央トレセン学園の制服を着たウマ娘と、老齢ながらしっかり背筋を伸ばして歩くスーツ姿の男性。親しげに話している姿は菊花賞を観戦に来た祖父を案内する孫娘にでも見えるかもしれない。
ナリタブライアンを相手に心底楽しそうにはしゃいでいるその姿からは、かつてクラシック三冠ウマ娘という夢物語を実現可能な称号へと引きずり落とした育成評価『S』トレーナーだとは誰も想像できないだろう。
「それで? なにやら話し込んでいたようだが、なにか学園で問題でもあったのか?」
「ん? なに、大したことではないぞ。坊主のヤツめがこっちに来れんようにされとったというだけの話だ。どうやら堪え性のない莫迦が何人かやらかしたようだな。カッカッカ!」
なにが楽しいのか朗らかに笑う老トレーナーとは対照的に、ナリタブライアンの表情はまさに苦虫を噛み潰したようなものに変わっていた。
確かにあのトレーナーが好き勝手に振る舞っているのは事実だが、結果として素晴らしい走りを身に付けているウマ娘は何人もいる。魂が震えるような勝負を渇望しているナリタブライアンにしてみれば、せっかく楽しくなってきたトレセン学園での生活を邪魔されているような気分になるのも当然だろう。
ちなみに、何らかの嫌がらせを受けたであろうことも察しているが、そちらは全く気にしていない。バカなことをしたとは思うし、そんな連中がトレーナーを名乗っていることは不快だが、そんなものはあのトレーナーには柳に風の如く無意味だと知っているからだ。
「充分大したことだろう、それは。いや、たしかに書類上ではシービーとアイツは無関係かもしれないが、あの理事長がそんなふざけたマネを許すとは思えん」
「動かんよ、やよいちゃんは。動く必要がないからな」
「……なに?」
「自分で自分の首を絞めとる阿呆など放置で構わんということだ。──まて、説明するからそう睨むな。ちびったらどうしてくれるんだ、まったく。……で、だ。坊主を嫌っているトレーナーなんぞいくらでもいる。それでも、名門としてのプライドやら育成評価の自負やらで越えてはならない一線をしっかり弁えておった。鼻っ柱をへし折るにしても、坊主よりも強いウマ娘を育ててレースで叩きのめすというトレーナーとしてのやり方で、とな。だからこそウマ娘たちも素直に従っていた。だが今回のようにケチな嫌がらせをしたのではもう手遅れというものだ。雀の涙ほどの自己満足と引き換えに今後はスカウトも難航するだろうし、下手すれば担当契約中のウマ娘たちも離れていくかもしれん」
老トレーナー曰く、嫉妬と向上心は表裏一体。故に誰かを羨むことは悪いことではない。だが己を高めるのではなく他者を貶めることで自尊心を保とうとするようでは、トレーナーとしても人間性の部分でもウマ娘たちから見限られるかもしれないとのことだ。
もっとも、中には優秀ならばそれでいいと割り切ることができるウマ娘もいるだろう。利害の一致だけで成り立つ関係など世の中にはいくらでも実例がある。信頼関係を必要としていない、トレーナーを利用するつもりでしかないウマ娘たちの受け皿として機能するならばそれで良し。経営者としての秋川やよいであればそう判断するというのが老トレーナーの見立てであった。
もちろん、これは様々な幸運が偶然重なってくれたからこそ選べた手段である。特に、本来であれば被害者であるはずの男が色んな意味で剛毅である影響が大き過ぎるのだ。
「おいおい、そっちから聞いておいてそんな嫌そうな顔するこたぁないだろうに。チビッ子でも理事長だからな、やよいちゃんは。清濁併せ呑むだけの器量があるからこそ儂らもトップとして認めとるんだ、そこんトコは立場が違うんだからしょうがないと諦めてくれ」
「チッ……。まぁ、じいさんの言い分もわからないワケじゃない。私も偉そうなことを言えるほど優等生やってるワケじゃないが、ウマ娘にだって性格に問題のあるヤツはいるからな」
「問題っちゅーても、ゆうてお前さんたちはまだまだ子どもで学生だからな。多少の跳ねっ返り程度なんざ可愛らしいもんだ。本格化もまだまだ途中で選抜レースも走れんクセに急にルームに乗り込んできて『三冠が欲しいから手伝え』なーんて言ってくるヤツとかな。カッカッカ!」
「……頼んだ私が言うのもなんだが、よく引き受ける気になったな。アンタ、引退も考えていたんだろう?」
「まぁな。儂みてぇなジジイがしぶとく居座っても若手の邪魔にしかならんからな、バカ弟子とルドルフちゃんの活躍を見届けたらトレセンから去るつもりだったよ。今後は部屋でビールでもヤりながらテレビでのんびり観戦すんべと思っていたんだが、おもしれぇヤツが現れちまったもんだからさぁ。──オレも血ィ騒いじまって仕方ねェんだわ」
ダイタクヘリオスと並んで「ウェーイ☆」とはしゃいだりしている普段の好好爺としての姿とはあまりにも乖離した気迫。それを正面から受けてしまったナリタブライアンは意思とは無関係に後退るしかなかった。
その瞬間、あり得ない光景が視えた。初代三冠、冒険者の末脚、流星の貴公子、美学の桜、世代の破壊者──そのほか日本のレースの歴史に名を残すウマ娘たちが挑発的な笑みを自分に向けている幻影が。そんな彼女たちを率いる、勝負に餓え野心に満ちた光をその眼に宿す男の姿が確かに視えたのだ。
旧時代の怪物と新世代の化物。そんな神話の戦いのような世界に割り込むことが出来た己は間違いなく幸福に満たされたウマ娘だ。
素晴らしい出会いを恵んでくれた三女神に柄にもなく感謝しながら、ナリタブライアンは観客席に向か「おー、見てみぃブライアン。でっかい牛串の屋台が出とるぞ」う前に腹ごしらえを済ませるのであった。
◇◇◇
「ねぇ、アンタたちはこれからどうするワケ? アタシはいまさら熱血すんのとか面倒だから残るつもりだけど」
「ここまで育ててもらった恩もあるし、私も現状維持でもいいかなって。別にGⅠに勝ちたいとか、天才と競いたいなんて思ってないし」
「あっはっは~。まぁウチらもうシニア級だし、ケガなきゃそれでイイって感じだよね。ただメイクデビュー前の子たちはそこそこ離れるだろうね~ 」
せっかくだから友人たちと合流して観戦したい。そう言って担当トレーナーたちと自然な流れで別れたウマ娘たちは、ジュースを片手になるべく人気の無い場所に移動して今後について相談していた。
自分の担当トレーナーが湿っぽい嫌がらせ行為をしたことについては別に気にしていない。アレはあのトレーナーがちゃんとミスターシービーと担当契約をしていればよかっただけの話であるし、おそらく本人もその辺りは承知しているはずだ。
だからといって、他人の失敗を願う姿を見てなにも思わないほど淡白でもない。現地入りを邪魔したことについては下らないことしたものだと呆れる程度で済んでいたが、わざわざ京都レース場まで来て
「ま……いままで絶対に正しいと思ってた常識が覆されそうってな状況だもんね。トレーナーだって普通のヒトなんだからストレスだって溜まるでしょーよ」
「天才に後ろを張り付かれる怖さと苛立ちならよぉ~く知ってるからね。でも、さ」
「うん。トレーナーたちには悪いけど、ウチはいまのトレセンのほうが好きかな。ウチらはもうキビシーけどさ、これから始まる子たちがユメいっぱい見れるってのはイイコトじゃん?」
「本音言えば羨ましいけどな。なんでアタシらのときに来てくれなかったんだろうって──いや、止めとこう。これ以上はアタシらまでシービーたちを素直に応援できなくなっちまう」
◇◇◇
菊花賞に挑むミスターシービーに対する評価は概ね好意的である。ファンを中心に、新しい伝説が誕生する瞬間を見ることができるかもしれないという期待に胸を膨らませているのだろう。
しかし、好意的ではない評価をしている者たち──主に知識人や有識者を名乗る者たち、あるいは“必要以上に”仕事熱心なメディア関係者の一部は、二冠を獲得しても尚、ミスターシービーというウマ娘の実力を“トレーナー不在”という1点のみで疑問視していた。
ただ、どちらにせよミスターシービーを主役として菊花賞を観戦していることに違いはない。
そして、才能に溢れたひとりのウマ娘の持つ輝きが人々の関心を独占することは珍しくはない。
大勢の観客の関心が自分に向いていないことを知りながら走るレースというものは、恐ろしいほどにウマ娘たちの精神を削り取る。
あるいは、勝負に負けたことよりも、同じレースで走っているにも関わらず背景のように扱われたことを認識してしまったが故に……自分が走る意味など無いのだとトレセン学園を去っていった者もいるかもしれない。
もっとも。
少なくとも今回の菊花賞に関しては、どのような結末になろうとも心折れるウマ娘は現れないだろう。絶対に。
(……ふぅ~む? シービーめ、想像以上にリラックスしてるじゃないの。らしいっちゃらしいけど……厄介だな~、こんなときぐらい緊張しとけっつ~の)
運が良いのか悪いのか。偶然にも今日の主役であるミスターシービーの隣にゲートインしたウマ娘は、普段とあまり変わらない様子の天才に感心しつつも呆れていた。
いくら名誉に興味が無くても、三冠ウマ娘の称号にどれだけの価値があるのか知らないワケがない。ならば日本中のファンが、そしてウマ娘たちが自分の走りに注目していることぐらい理解しているはずだ。
(この程度のプレッシャーぐらい平気で……というよりも、そもそも気にもしていないって感じかな? これは。やっぱスゲェわ、天才とか言われるヤツは。ま、それならそれで結構なコトだけどね。この様子なら──
◇◇◇
(よし! スタートは完璧だ! どうやら雰囲気にのまれてはいないようだな……。逃げは3人……いや、ふたりか? 3人目の子は前のふたりに釣られたか。第9スカウト組のスタートダッシュは慣れないと追いかけたくなるって言ってたもんな……。さて、ウチのウマ娘は──6番手。うん、悪くない。練習よりペースが遅めだが、余計な消耗は必ずどこかのタイミングで起きるだろうからな。そうだ、焦るな……それでいい……ッ! )
最初のコーナーまで約200メートル、それも上り坂ということもあるのだろう。先頭を走るふたりの逃げウマ娘たちは、第9夜間組からスカウトされたにしてはかなり慎重にコースの具合を確かめているように見える。
いや、冷静に考えればアレが普通なのだ。まだ脚が暖まっていない状態で挑む高低差4メートルの坂、それをコースを一周してもう一度攻略しなければならないのだから静かな立ち上がりになるのは当たり前だ。
自分の考え方、あるいは価値観が常識から外れてしまっていることを自覚したトレーナーは、己の愛バの晴れ舞台だというのに苦笑いを隠せなかった。逃げウマ娘のイメージがすっかりマルゼンスキーのような鋭い走りに上書きされている自分に驚いてしまったのだ。
もしかしたら、最近スタート直後に全力疾走する逃げウマ娘が増えたことも原因かもしれない。序盤で距離を稼ぎ、後半戦でそれを切り崩しながら粘る戦法は、緊張と期待で呼吸を忘れてしまうほどの魅力がある。
なんとも厄介な走り方を編み出してくれたものだと、教官たちが心底嬉しそうに話している姿を見たのはいつ頃だったろうか。勝負の結末に一喜一憂しながらも「次こそは逃げ切ってやる!」と奮起する教え子の姿を見せられているのだ、楽しくないワケがないだろう。
先頭からシンガリまで、全てのウマ娘が正面の直線に入る。位置取り争いなどが始まる様子も見られず、実況もレースが淀みなく進んでいると表現している。
だが静かな立ち上がりを素直に楽しむ観客たちとは違い、出走しているウマ娘たちのトレーナーは喉が張り付くほどの緊張感に襲われていた。最後方に控えているミスターシービーがどのタイミングで仕掛けてくるのか、全く予想が出来ないまま担当ウマ娘たちを送り出してしまったことが心残りなのだ。
普通に考えるのであれば、中盤から徐々に位置取りを前に押し上げ、京都レース場の名物“淀の坂”の手前までに好位置を確保したいと考えるはず。ミスターシービーの末脚であれば、定石通り減速して坂を下ったとしても最終直線の400メートルで充分勝ちを狙えるだろう。
彼女が定石に従うのであれば、だが。
◇◇◇
(そろそろ淀の坂のRetryか。ゆっくり上ってゆっくり下がるってのがstandardな走り方なんだが……)
先頭を走るウマ娘は考える。坂道を全力で走ることが危険な行為であることなどレースに関係なく誰もが知っている。
脚にかかる負担、バランスの制御、それらが悪い意味で噛み合ってしまった場合の結末。そもそもコーナーで下手に加速などすれば、遠心力で膨らんで不利にしかならない。
位置取り的にペースメーカーのような形になっている自分が速度を落とせば自然と後続のウマ娘たちもそれに従う形になるだろう。それは京都レース場に限らずコーナーでは当たり前のように見慣れた光景であるし、淀の坂の高低差も加味して安全を考えるのであれば妥当な判断なのだろう。
だが。
(きっと──いや、確実にシービーのヤツはくる。ここまで2000、追い込むためのpowerはすでにchargeが終わっているはずだ。ゴールまで
先頭を走るウマ娘は考える。ミスターシービーの脚は、いつでもフルパワーで走れる状態まで完成しているのは確実だ。ならば、坂道攻略のセオリーに大人しく従いゆっくりと走るなどという選択を彼女がするなどありえないだろう、と。
そう判断した理由は単純明快である。彼女がミスターシービーだからだ。日本ダービーでゴール板ギリギリまで追い詰められても尚、心底楽しそうに──嬉しそうに走っていた彼女ならば、本気を出せる状況にあるにも関わらず出し惜しみをするなど面白くないと思うに決まっている。
ならばやるべきことは、ひとつしかない。おそらくこの菊花賞が終わったあとに、有識者だの専門家だのを名乗る連中は好き勝手に今日の勝負に難癖を付けることだろう。
その火付け役となる自分などは確実にピンポイントで非難されるに違いない。ウマッターなどのSNSでファンから素人までがお祭り騒ぎをする未来が簡単に想像できてしまう。
トレーナーにはかなりの苦労をかけることになってしまうが、そこは運が悪かったと諦めてもらおう。こちとら元を辿れば選抜レースの落ちこぼれ、本来ならばメイクデビューすら可能だったかも怪しいウマ娘。そんな自分をスカウトしてしまったトレーナーの自業自得というものだ。
怪我のリスクについてはまぁ、たぶんなんとかなるだろう。古巣にある秘蔵のオタカラスペース……と呼ぶには誰でもウェルカムな状態だが、そこに並んでいた『京都レース場◎』というファイルはしっかりと読み込ませてもらっている。今後はほかのレース場で全力を出せるかどうかも怪しくなるかもしれないが、底辺からGⅠレースの舞台までのしあがった代償としては充分安い。
(ここから先を走るのに必要なのはspeedでもStaminaでもpowerでもない。覚悟が足りないヤツから順番に脱落していくだけ。──さぁ、ここからがpartyってヤツだッ!!)
◇◇◇
「バカな……ありえねぇ……あっちゃならねぇ、こんな光景は……ッ! 淀の坂だぞッ!? バランスを崩したら最後、命に関わるほど危険なんだぞッ!! なんでどいつもこいつもスパートかけてやがるんだッ!?」
中堅トレーナーのそれは声援などではない、もはや悲鳴に近い叫びであった。ある程度レースの知識を持つ者はもちろん、ウマ娘たちの
まさか菊花賞を勝つために担当トレーナーたちはこんな指示を出したのか、憤りにも似たものを理性で抑え込みつつ関係者席に視線を向ければ──大慌てで頭を抱えて騒いでいる。少なくとも彼ら彼女らがウマ娘たちに危険な賭けを命令したワケではないことは理解できた。だからといってなんの慰めにもならないのだが。
先頭を走るウマ娘が、まるで最終直線の始まりのように速度を上げたときは「まさか」と思った。
続くウマ娘たちまでそれに倣うように全速力で淀の坂を登り始めたときは自分の目を疑った。
彼女たちがそんな無謀な賭けに出た理由はすぐに察することができた。ミスターシービーだ。同じコースの上を走っているたったひとりの天才の存在が、ウマ娘たちにあんな安全性を度外視した走りを選ばせてしまったのだ。
遠心力に逆らうこと無く外側から追い抜くつもりなのだろう、ミスターシービーの走りに一切の迷いは見られない。
大惨事を引き起こすリスクを抱えてまで勝負を仕掛けたウマ娘たちがひとり、またひとりと置いていかれる。
なんと痛ましい光景なのだろう。どれだけ華やかに見えても勝負の世界だ、努力が才能に潰される場面に立ち会ったことは何度もある。その度に胸が締め付けられるような思いを繰り返してきた中堅トレーナーだったが、今日のコレもなかなか酷い有り様だ。
レースの開始前から三冠ウマ娘の誕生を期待する声ばかりが聞こえてくる中、それでも必死に走っているウマ娘たちに突き付けられる無慈悲な現実。ミスターシービーがなにも悪くないことは百も承知だが、自分を敗北者側だと信じている中堅トレーナーはどうしても勝てないウマ娘側の気持ちを考えてしまう。いまこの瞬間も、追い抜かされたウマ娘たちの表情が次々と暗いものに変化させられて────。
「なんでだ……ありえねぇ……」
たかが評価Cのトレーナーとはいえ、レース中のウマ娘たちの表情を見間違えるほど落ちぶれてはいない。だからこそ中堅トレーナーには理解できなかった。追い抜かされたウマ娘たちが、努力を才能で否定されたはずのウマ娘たちがそれでも輝きを失っていないことに。
気力が途切れてしまったのは走りの変化でわかる。彼女たちがこれからミスターシービーを差し返すことは不可能だ。それは単純に脚が限界を迎えてしまったこともあるし、たとえ一瞬でも薄れてしまった緊張感はレース中に二度と取り戻すことはできないだろう。なのに。
ありえない、何故だ。自分の信じていた常識では考えられない光景に混乱していた中堅トレーナーだったが、ウマ娘たちの表情を見ているうちにあることに気が付いた。
それは例えば、中等部のウマ娘たちが高等部のウマ娘の活躍を、親しい先輩たちの活躍について楽しそうに語り合っているとき。
それは例えば、日本ダービーや有マ記念の開催前に、街頭で大々的に行われる宣伝を見て盛り上がるファンたちのように。
彼女たちは“期待”している。ミスターシービーの走りに希望を見出しているのだ。それは先ほどまでとは真逆の意味で信じられない光景だった。ありえない、自分を追い抜いていったウマ娘をそんな目で見送るなんて普通じゃない。
初めから勝つことを諦めていた? それなら坂の手前でスパートをかけるなんて非常識なマネをする必要などなかったはずだ。本気で勝つつもりだったからセオリーを無視した走り方を選んだはずだ。なのに、どうして。普通に考えれば選手生命を引き換えにするほどの覚悟で走っても届かなかったのだ、心が折れてしまっても仕方ない場面なのに。普通じゃない。常識的にありえない。
ふと、再び関係者席のほうに視線が引き寄せられた。自分の驚きはトレーナーとして当たり前のことであると、中堅トレーナーは確信が欲しかったのだろう。
しかし、望んだ答えが得られることはなかった。そこにはもう混乱して慌てている担当トレーナーなど誰もおらず、全員が拳を振り上げるほど興奮しながらウマ娘たちを応援している。
なんでだ。もう菊花賞の勝者なんて決まっただろう。先頭を走るウマ娘よりもミスターシービーの末脚のほうが圧倒的に速い。彼女は本物の天才なのだから仕方がない、諦めたって許されるのに。いまさら声援を張り上げたぐらいでは意味など無いと、普通に考えれば────。
(……あぁ、そうか。だから俺は勝てないのか。いや、この考えがもう間違ってんだな。そんなんだから俺はウマ娘たちを大舞台で勝たせてやれなかったんだよ)
トレーナーとしてのスキルが未熟なのは否定しない。才能のあるウマ娘をスカウトする機会に恵まれなかったのも事実かもしれない。だが、自分の欠点はもっと根本的なところにあったのだ。
安全を第一に考えて、先輩たちの話を参考にして、様々なデータを集めてトレーニングプランを作っていた。だが、それが担当しているウマ娘に本当に適しているのか、自分はちゃんと
得手不得手の見極めは何度もしてきたが、そのあとの対処はいつも同じことの繰り返しばかりだった。誰もがやっていることだからそれが普通なのだと疑いもせず、有名な本に書いてあることだからそれが正解なのだと悩むことすらせず、ただウマ娘に指示を与えていただけだったのだ。
「シービー先輩がんばれーッ! ……うん? どしたのトレーナー、私の顔になんか付いてる?」
「そういやさっきもなんか叫んでたな。興奮しすぎたか? ま、三冠ウマ娘が出るかもしんねぇって瀬戸際だもんな」
「いや……大丈夫だ……」
あぁそうだ、俺は停滞している現状を変えたくてこの子たちをスカウトしたんだ。なのに俺自身がなにも変わらないんじゃ意味がない。
安全最優先の考え方はいまさら捨てることなどできないだろう。そしてあの後輩のような奇抜なトレーニングがポンポン浮かんでくるほどの柔軟性も持ち合わせていない。
だが、そんな自分でもできることはきっとある。担当ウマ娘のために、自分の愛バのために世界でひとつだけのトレーニングプランを組むなどということは“常識”のあるトレーナーであれば誰もが行っている“普通”のことなのだから。大丈夫、いまの俺なら普通のことぐらいできるはずだ。なにせ担当ウマ娘たちがレースを楽しむ姿を見たくて見たくて仕方がないのだから。
とはいえ、冒険心が無さすぎるのも考えものだ。
「──逃げきれぇぇぇぇッ!!」
「うひゃッ!?」
「うぉッ!?」
「逃げろ逃げろォッ!! 二冠がどうした、三冠がなんだッ!! 遠慮なんかいらねぇ、そのまま逃げ切っちまえぇぇぇぇッ!!」
「ちょぉ、トレーナー? 周り、みんな! メッチャ見てるよコッチ!?」
「アンタそんなキャラだったか? つーかシービー先輩じゃねぇのかよ、応援すんの」
「そんなん知らんッ!!」
「知らん、って」
「俺は別にシービーだけを見に来たんじゃねぇ。菊花賞というレースを見に来てんだ。シービーの三冠達成にも興味はあるが、いまは前を走るウマ娘を応援したい気分なんだよ。──粘れ粘れェッ!! ダービーウマ娘にステイヤーの意地ってヤツを思い知らせてやれぇぇぇぇッ!!」
トレーナーとして冷静な部分はミスターシービーの勝ちは揺るがないものだと理解していた。
だがそんなものは関係ない。過去の先人たちが残した記録も、偉い学者先生たちの研究も、結局は部外者が勝手に定めた限界でしかないのだ。そんなものばかりに気を取られて、トレーナーがウマ娘の可能性を見逃すなんて勿体ないにもほどがある。
そんな中堅トレーナーの熱量は、次第に周囲に伝わり拡がっていった。最初は呆れたような、しかしどこか嬉しそうな担当ウマ娘たちから始まり、やがて周囲のファンたちも“ひとりの主役”から“菊花賞を走るウマ娘たち”を応援するようになり──。
◇◇◇
京都レース場を満たす大歓声は、相変わらずミスターシービーに向けられたものがほとんどだ。しかし、それでも前を走るウマ娘たちへと届く声は確かに存在する。
もしかしたら空耳かもしれない、そうあって欲しいという願望かもしれない。そんなものを都合良く聞き取れるワケがないと、なにも知らない者たちは嗤うかもしれない。
こればかりは実際にコースの上で戦った者たちにしか理解できない世界だろう。それに、正直なところどちらであっても構わないというのが本音であった。ウマ娘たちにとって大事なのは、自分を応援してくれる誰かがいることを信じることができるかどうかだ。
それだけでいい。それだけでまだまだ走ることができる。
ただ、それは前を走るウマ娘だけに限定されたものではない。当然ミスターシービーにも聴こえている。ただでさえ恐ろしい勢いで追い上げてきているというのに、ここにきて更なる推進力を得ようというのだから規格外にもほどがある。
この状況は純粋に一緒に走っているウマ娘たちの運が悪かったとしか言い様がない。何故ならミスターシービーに聴こえている音は、とある変わり者のトレーナーと出会うまで“ほかとは違う、彼女は天才だから”と
「これだから天才ってヤツはメンドくせぇ。まぁいい、この場は譲ってやるよ」
「アンタ、ぜったい春天出なさいよ。今度こそステイヤーの恐ろしさを思い知らせてあげる」
「やっぱ淀の坂を全力疾走は厳しいわ、さすがに。シービー、お前さんゴール前でコケたりすんなよ」
「あとで一緒に写真撮ろうね! トレちゃんを優勝レイでグルグル巻きにするのも手伝ってあげる!」
「思ってたよりも遠いな、菊花賞のGoalってのは。キッチリ決めろよ? 最高のrivalさんよ」
すれ違いざまに祝福の言葉を受け取りながら、ついにミスターシービーが先頭を奪う。それと同時に周囲からのプレッシャーが一気に反転して彼女の背中を押し始めた。
認めようミスターシービー。お前こそが私たちの世代の代表だ。新しい三冠ウマ娘の誕生を心から祝おう。その上で、最強の称号を得たお前をいつか必ずブッ倒す。
だからいまは、いまだけは。最高の夢を私たちに見せてくれ。
「──あはッ♪ いいよ、いつでも挑戦は大歓迎さ。何度でも、何度でも……最高のレースをしよう」
その日、7万を超える大歓声の中。URAの歴史に新たな伝説が刻まれた。
私の作品は趣味で書いている二次創作なのでいくらでも開き直ることができますが、アプリのシービーのシナリオを考えるライターさんはプレッシャーすごいだろうなーと思ってます。
続きはヤドカリ案件のお詫び投稿を済ませてから、オマケの登場ウマ娘のヒントは『肉』『肉』『妹』『肉』『シャドーロール』となります。
本編のほうは菊花賞~年明けのダイジェスト、大食い最強アイドルウマ娘、やたらとメジロライアンのことを聞きたがる高貴オーラMAX貴婦人との邂逅、の3択あたりでどうしようかと考えてます。