〜爆弾牧場 ??? (イチルギ・ハザクラサイド)〜
ぐらぐらと景色を揺らしながら踊り狂う大火。小さな岩山から噴火するように噴き出す炎は洞窟の内部を炙るように照らし、熱に焼かれた岩壁がギラギラと
「答えよ。正義の味方よ。君等はここに、何しに来たのかね?」
ムカデの化物が上体を
「もしかして、ワタシに、殺されに来たのかね?」
上半身は髪のない壮年の男。しかしその下半身は、女性の胴体を無数に
「違う。俺達は、お前を止めに来た」
ハザクラがそう返すと、化物は舌打ちをして背を向ける。
「ワタシが何をしているかも知らぬと言うのに、止めに来た……とは」
イチルギがハザクラを追い越して前に立ち、化物を見上げる。
「私はイチルギ。世界ギルド元総帥の使奴よ。私達はこの国の噂を聞いて――――」
「世界ギルド?」
イチルギの言葉を遮って、化物がふと言葉を漏らす。突然変わった空気の流れに、イチルギは思わず言葉を止めた。
雰囲気がさっきまでと違う。先程までどこか諦めや気怠さを含んでいた化物の
「
化物が
「この日を、この時を、どれほど待っていただろうか」
化物が手をイチルギの頬に添える。イチルギも必死に抵抗しようと身体に力を入れているが、ハザクラと同じく指一本動かすことは出来ない。
「長かった……。長かった……!!」
頬に這わされた皺だらけの
「だが、もう……手遅れだ……!!!」
化物の手が彼女の首を鷲掴みにし、ギリギリと力一杯に締め付ける。肉が裂け、指が喉にずぶずぶと埋まって行く。しかし、微動だにしないイチルギの身体では苦悶の表情を浮かべることすら許されず、彼女は気道から流れ落ちる血の感触に直立不動のまま耐えるしかない。
化物は何かを
「いや、命だけでは不満だ。この世の何よりも、誰よりも、惨たらしく苦しんで、絶望して逝かなければ……ワタシの心は癒されん……!!!」
岩山の頂上で燃えていた炎が爆発を起こし、大きな地響きを引き起こす。化物の怒りを代弁するかのように火炎が渦を巻いて昇り唸りを上げる。
「40年前、収集家ポポロが邪の道の蛇を潰して爆弾牧場を作り、恐怖政治によって国民達を支配している……。お前達はそう考えているんだろう。だが、それは違う。事の発端は40年前ではない……!! それよりももっと前、70年も前だ……!!」
彼は手についたイチルギの血を拭い、その指に刻まれた“細かい切り傷”を見せつける。
「ワタシの名は“ディンギダル・レイティリエクス”。邪の道の蛇の2番狙撃手だ。さあ聞け正義の味方よ……。お前達の過ちを思い出させてやる――――!!!」
ことの始まりは、今から70年以上も前。まだこの国が“邪の道の蛇”と言われていた頃だ。
邪の道の蛇。弱者を食い物にする強者から逃れるため、大昔に虐げる側にいた強者の小間使い達が創った集落。当時でも人口僅か数百と小さい街ではあったが、近隣国の助けもあって、蒸気機関が扱われるくらいには文明のある国だった。あの頃は沢山の家族がいた。ワタシの妻であり遊撃隊長のウィガリア。娘のカフィス。大親父の頭領。遊撃隊。狙撃隊。魔術隊。
“収集家ポポロ”。斥候隊があの男の難破船を救助したのは間違いだった。あの男は大親父の息子を人質に取り、“契約の異能”で大親父を
ワタシと妻は娘と共に家を出た。他にも大勢の家族が逃げた。大親父を、捕まった家族を、隣を走る家族を守るために。他の国へ助けを求めるために。しかし、ポポロの支配欲は猟犬のように我々を追い詰め、逃げた家族も国を出る前に
だが、そこで微かな希望が見えた。北の海辺に、“境界の門”の派遣隊の船があるのが見えた。ワタシ達は一目散に船に駆け寄り助けを求めた。狼の群れの支配者……“紅蓮の青鬼”。その右腕が、境界の門にいるとの噂を聞いたことがあった。そんな猛者であれば、ポポロから家族を助けられると思った。
だが、彼等はワタシ達を船に乗せることはなかった。
境界の門が今回邪の道の蛇を訪れた名目は“偵察”であって“援助”ではない……と。偵察時には他国の物品を事前の許可なしに持ち帰ることは禁止されている。例え人間であっても、船には乗せられないと。
彼等はワタシの血涙滲む嘆願を聞き入れはしなかった。それどころか、まるで卑しい物乞いを追い払うかのようにワタシの手を振り払った。今思えば、あの規則云々という回答も、面倒事を避けたいが故の詭弁だったのかも知れない。
ワタシも、妻も、娘も、程なくしてポポロの傀儡達に捕らえられた。そして契約を結ばされ、もう誰もポポロに逆らうことは出来なくなった。
今でも夢に見るのだ。余興と称して毒杯を飲まされ続ける後衛隊の姿を。毎日取っ替え引っ替えで夜の相手をさせられる娘達を。逃げた家族を捉えてポポロに差し出す斥候隊達の顔を。そして、それを何度目の当たりにしても、一歩とて助けに動けない愚かな自分の顔を。
ポポロはワタシ達をさんざ
そして30年後。何も知らぬ世代達で実りに実った我が邪の道の蛇を、ポポロが何食わぬ顔で支配しに帰ってきたのだ。
奴が難破船に乗っていたのも、ワタシ達に契約を結ばせたのも、一度国を去ったのも、全ては、狼の群れが定めた国際条約に触れぬ為だった。訪問禁止。戦争禁止。侵略禁止。それら弱者を守るための条約も、邪の道の蛇自らポポロを招き入れ、自ら権利を差し出すならば抵触したことにはならない。そして一度でも権利を渡してしまえば、今度は他国からの調査を侵略だと言いがかりをつけて突っぱねることが出来る。弱者を守るはずの防壁が、弱者を逃さぬための檻となるのだ。
「ワタシは忘れない。ポポロに受けた傷を、奪われた家族を、この70年に
ディンギダルがその女性の胴体で連なったムカデの体を持ち上げ、威嚇するように無数の手を広げる。
「見ろ!!! この
ディンギダルの激昂と共に岩山が噴火し、熱波がハザクラ達へと襲いかかる。2人が灼熱の暴風に押し倒されると同時に、今まで自分達を縛っていた何かが消え去った。しかし、自由の身になった今でも、イチルギは立ち上がることすら出来なかった。
「イチルギは悪くない」
そこへ、同じく自由を取り戻したハザクラが彼女を庇ってディンギダルの前に立ちはだかる。
「悪いのは収集家ポポロと、笑顔による文明保安教会だ。襲った相手を恨むなとは言えないが、助けてくれなかった相手を恨むな」
ハザクラの凛とした姿に、ディンギダルは険のある顔で歯を擦り合わせる。
「あのような時代錯誤の国際条例を敷いておいて何を言うか。訪問禁止の条約のせいで、我々の助けを呼ぶ声は全て押し殺された……!!!」
「それで助かった国も沢山ある」
「ワタシ達は滅ぶ定めにあったとでも言うのかね!!!」
「どんな英雄でも全ては救いきれない!!」
「お前達は英雄などではない!!! お前等は……アイツらは……使奴は!!! ワタシ達人間を
「違う!!!」
ハザクラが血相を変えてディンギダルに吼える。しかし、ディンギダルは僅かに残っていた理性をも
「違うものかね!!! 己の興味本位だけで人間を助け、子を作り、文明を進め、発展させ、思うように育たなかったら丸ごと見捨てた!!! そうして腐った掃き溜めの山が“狼の群れ”だろうが!!! 性善説前提のヌルい国際条約も放ったらかし……今までの大躍進が嘘だったかのような怠慢ばかりの政治ごっこに
ヴァルガンによる人間文明復興作戦。そうして、平和な世界を理念に創られた国際条約と“狼の群れ”。しかし、人間の愚かさによってそれは叶わぬ夢となった。自国の民に絶望したヴァルガンが、最後の希望を持って臨んだ“一匹狼の群れ”の建国。ヴァルガンの帰りを待って世界の維持を始めたイチルギによる境界の門の統治。そして、ヴァルガンの二度目の失敗。
育み、見捨て、また拾ってきて、また見捨て……。
ハザクラは胸の奥に針を刺されたような鋭い痛みを覚えた。バリア、ベル、イチルギ、そしてヴァルガン。今まで使奴自身の口から語られることでしか聞いてこなかったこの世界の歴史。知らぬ間に歪んでいた認知。自分の信じてきた使奴達の正義と過ちは、他者にとっては耐え難い屈辱の歴史でもあった。
「だ、だが……貴方もその使奴の尽力によって生かされてきたのだろう!?」
「愛情かけて育てた我が子ならば、熊と同じ檻に閉じ込めていいとでも思っているのかね? 確かにワタシ達は使奴がいなければ生まれてこなかっただろうが、ポポロだって使奴がいなければ生まれてはこなかったのだ!! 違うかね!!!」
「それは…………っ」
ハザクラは気付いている。使奴の過ちに。イチルギの責任に。イチルギは人間だけで成立する政治形態を守るために全力で政治に取り組んでこなかった。それどころか、ヴァルガンの復帰を待つために世界の改善を放棄してきた。
ハザクラは、ラルバがピガット遺跡でヴァルガンに言い放った言葉を思い出す。
「イチルギは善人だが、これ以上ないほどの
確かにイチルギは、今まで使奴の力を充分に発揮して政治に取り組むことはなかった。理由は山ほどある。ラプーのため。ヴァルガンのため。ハザクラのため。他の使奴達のため。だが、その“ため“の中に世界が入ったことは一度もなかった。彼女はヴァルガンと別れて以来、ずっと世界から目を背け続けていた。
ディンギダルの話はこの上ない正論である。しかし、ハザクラは信じたくなかった。親愛なるイチルギの、バリアの、使奴達の責任にしたくない。認めたくない。しかし、その全てを解決する屁理屈は未だ見つからず、降参の合図として沈黙を回答として差し出す他なかった。
「正義の味方よ。これでもまだ”お前を止めに来た“などと世迷言を
洞窟の中を、炎が燃え盛る音だけが響き渡る。ハザクラも、イチルギも、顔を伏せて微動だにしない。
ディンギダルが右腕を高く持ち上げ、その先に桃色の焔を灯し始める。焔が渦を巻き、白い閃光を纏って膨らんでいく。その焔に2人は見覚えがあった。僅かに色が違うものの、焔の揺らめき方や輝きは、ピガット遺跡でキザンが発動した“死の魔法”そのものであった。
「もうお前達の顔など見たくない。今すぐこの世から消え去れ」