シドの国   作:×90

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160話 存在しない怪物

(ちぬる)神社 名もなき山麓〜

 

 (よど)んでいる。

 

 未だ太陽は頭上にあり、山々を彩る広葉樹も天を埋めてなどいない。にも拘わらず、辺りの風景は薄暗く色彩を濁らせている。木々を蹴りつけて森を駆け抜けるカガチは、この不可解な現象の正体に察しがついていた。

 

「ああああああああああああああああっ!!!」

 

 絶えず響き渡る絶叫。カガチの数十m後ろを、木々を“すり抜けて”猛追する生首の怪物の口からは、思わず耳を塞いでしまいたくなるような凄烈な雄叫びと、生木が(くすぶ)っているかのような白煙が垂れ流されている。その白煙は空気に混ざり薄まれど決して消えることはなく、怪物を中心に周囲の景色の色彩を奪っていた。

 

 怪物は、首の断面から滴らせる粘液を盛大に撒き散らし、まるで目に見えない四肢があるかのような振る舞いで上下に揺れながらカガチを追いかける。すると、怪物の前方の地面が突如真っ黒に染まり始めた。

 

 混乱魔法“(めし)いた音色“。カガチが放った黒い蛙の群れは地面に溶け込み、黒い水溜りとなって意識を混濁させる力場を形成する。しかし、怪物はその力場をものともしない。勢いは緩まず、それどころか徐々に増しているようにさえ感じる。

 

 カガチは続けて黒い球体を2つ放出する。握り拳ほどの大きさの黒いハリセンボンは、怪物の眼前で弾け、無数の弾丸の雨となって怪物を貫いた。が、文字通りただ貫いたのみで、外傷のようなものは一切見受けられない。

 

「チッ……」

 

 カガチは心底鬱陶(うっとう)しそうに舌打ちをし、跳躍のため思い切り足元を踏みつけた。直後、真っ黒なシルエットになったカガチが前方へ勢い良く走り出した。続いてもうひとり。更にもうひとり。カガチが足を踏み込んだ地点を中心に、黒い人の影が数多の分身を生み出して四方八方へと駆けて行く。生首の怪物は本物のカガチを見失い、少し戸惑った後に一番最初に逃げていったシルエットを追いかけて行った。

 

 その数秒後、混乱魔法“(めし)いた音色“によって発生した黒い水溜りからカガチが現れる。彼女は怪物が視界から外れたのを確認すると、音もなく村に向けて走り出した。

 

(ちぬる)神社 社下町〜

 

 山中を覆っていた白い(もや)も晴れ、太陽の光が燦々(さんさん)と降り注ぐ村に戻ってきたカガチは到着するやいなや、全身から環状の紐を放出した。髪の毛程まで細く引き延ばされた黒いイルカの紐は、物質の存在を無視して波紋を描いて広がって行く。それは周囲の生命体を感知し、人間から地中の虫ケラ1匹までを判別してカガチに伝える。

 

「…………?」

 

 カガチは得られた情報に違和感を覚えつつも、最も近い顔見知りの元へ向かった。

 

 

 

 

「うおっ」

 

 村の子供達と独楽(コマ)回しに興じていたラデックは、突如何者かに首根っこを引かれて引き摺られて行く。

 

「カ、カガチ? 急になんだ?」

「ゾウラ様を探せ。敵が現れた」

「敵?」

「全長6m程の浮遊する人間の頭部。首の断面からは粘性の高い液体を分泌していて、粘液含め全身が彩度の低い紫、赤、黄に覆われている」

「こ、怖い話か?」

「実体、非実体、両方の性質を持ち、それらを自在に切り替えられる。吐息は白く色づいていて、空気中に霧散しても可視化した状態で奴の周囲に留まり靄のように見える。出せる速度は恐らく時速80km程度が限界。急停止、急旋回、急加速も可能。発見場所は人形を作らされた森の中の大社。老人を捕食し「足りない」と発言したことから、人間を捕食し何かを吸収することが目的だと推測出来る」

「ホラー映画に出てきそうだな」

「ゾウラ様と別れたのはいつだ」

「え、そういえばいつの間にかいなくなっていたな。分からない」

「死ね」

「殺さないでくれ」

 

 続いて2人は、坂の上にある大きな建物を目指した。大社と同じような風格の厳かな建物ではあるが、窓ガラスや空調の室外機が備わっていることから、他よりも不自然に高い文明を有していることが分かる。建物の入り口まで空を駆けてきたカガチがラデックからパッと手を離すと、ラデックは受け身を取り損ねて花壇にダイブした。

 

「ぐあっ」

 

 カガチは倒れ込むラデックには目もくれず、ひとり建物の中へと入っていった。ラデックはふらつきながらも身を(よじ)り、ぐしゃぐしゃになった花壇の花の上でなんとか起き上がる。

 

「……怒られる」

「いつまで寝ている」

 

 カガチは無理やりラデックを立たせ、急ぐよう軽く蹴飛ばす。

 

「痛っ。も、もう見てきたのか? さっき入ったばかりじゃあ……」

「さっさと怪我を治して走れ。時間が勿体無い」

「そ、そのことなんだが、カガチ。何だか変なんだ」

「何がだ」

「異能が使えない」

「…………何だと?」

 

 カガチは眉を(ひそ)め、ラデックの腕を上に引っ張る。

 

「いででででででっ!!」

「……怪我の治療どころか、いつもの筋力強化も解けているのか?」

「さ、さっきからやろうとはしているんだが……。全て不発に終わっている。光を掴もうとしているような感じだ」

「…………クソっ」

 

 カガチは乱暴にラデックを担ぎ、森の中へと走り出した、

 

 

 

(ちぬる)神社 名もなき山麓(さんろく)

 

「ゾウラはいたのか?」

「いなかった。代わりに血溜まりがあった」

「な……! それって……」

「我々と出会った使奴2人だろうな」

「そんな……!!」

 

 森の中を目まぐるしい速度で移動しながら、カガチは珍しく焦燥を帯びた声色で説明する。

 

「家屋の中にあった血溜まりは全部で6つ。それぞれ別の人物のものだ。うち3つは使奴。うち2つは人間。残るひとつは中間。恐らく、”素体のメインギア“のものだろう。どれも致死量だ」

「に、人間2人? おいカガチ。実は、結構前だがハザクラ達が坂の上の方に――――」

「ハザクラとジャハルの血液だ」

 

 カガチが、何の躊躇(ためら)いもなく断言した。

 

「そ、そん、な」

 

 ラデックの瞳が震え、指先が痙攣(けいれん)し始める。

 

「あ、あの2人が、そんな、簡単に、やられる(はず)が……」

「最初に奴が捕食行動を見せた際、捕食された老人は”食べられた“と言うよりも”食べられに行った“ようにも見えた。相手を無防備にさせる特性も持ち合わせているのかも知れない」

「ハザクラの異能、なら」

「発動が早い方が勝つってだけだろう。諦めろ」

「そんな……そんな……!!」

「それと、私がお前を連れている理由だが、”お前以外あの村にいなかった“からだ」

「何……!?」

「今も索敵を続けているが、少なくとも周囲1km以内には確実に誰もいない」

「そんな――――!! デクスとはついさっき別れたばかりだ!! 少なくとも村を出てはいない筈――――」

「それどころか、町民も半数以上が消えている」

 

 その時、カガチはふと視界に入ったものに視線を取られ足を止める。それは、僅かに模様を伴って沈んだ地面。足跡。靴裏の模様。歩幅。凹み具合から見て取れる、重心と背格好。歩容。それら僅かな情報から、カガチは良く知る人物が頭に浮かんだ。

 

「……………………はぁ」

 

 無視しようかとも考えたが、カガチは深く溜息を吐きながらラデックを抱え、足跡の続く方へと走り始めた。

 

「この先にシスターがいる」

「ほ、本当か!?」

「気配は感じないが、足跡があった。十中八九、奴のものだろう」

「シスター……そうか。無事だったか……!!」

「まだ無事とは言っていない。何にせよ、記憶操作の異能は役に立つ。拾っておいて損は無い。ま、お前の二の舞でなければな」

 

 そこから数分もせずに、少し開けた空間に突き当たった。足元は細かい砂利に覆われ、小さな清流が緩やかに地を隔てている。その少し上流。 大きな岩の上に、1人の人影が佇んでいる。白い髪に、白いローブと、白い肌。それは(まさ)しく、誘拐され行方不明になっていたシスターの姿だった。

 

「シスター!! 良かった! 無事だ!」

「おい、緊急事態だ。さっさとこっちに……」

 

 カガチが足を踏み出した直後、シスターの頭上の“景色が歪み、巨大な人間の頭部が現れる“。

 

「……遅かったか」

 

 走り出そうとするラデックを再び抱え、カガチは稲妻のように地を駆ける。しかし、カガチよりも怪物の方が僅かに早く、カガチがシスターを抱える直前に、怪物がシスターの上半身を噛み千切った。

 

「シスター!!!」

 

 ラデックの叫びを、怪物の唸るような咆哮が掻き消す。

 

「ウウウウウウウウウウウウウウッ!!!」

 

 カガチは怪物を振り払うために、幾つもの黒い牛を召喚して後方へ放つ。牛の群れは怪物に向かって突進し、(いなな)きと共に体躯を膨張させる。実体を持たない黒い影となった牛は空間に溶け込み怪物の視界を暗闇に染める。カガチは、敵を撹乱させる性質を持った動物達を次々に生み出し、撒菱(まきびし)のように後方へと放ちつつ山の奥へと走り去った。

 

 

「ああっ……シスター……!! シスター!! カガチ、回復魔法を……早く治療を!!」

 

 逃げた先の洞穴(ほらあな)の中で、ラデックは下半身だけになったシスターを抱えてカガチに叫ぶ。しかし、カガチは洞穴の外に意識を向けたまま、2人を視界にすら入れずに否定する。

 

「無理だ」

「無理じゃ無いっ!! まだ、まだ助かるかも……!!!」

「使奴は神じゃない。上半身だけならともかく、下半身から上半身を生やせはしない」

「無駄でもいい!!! 頼むカガチ……!!! お願いだっ……!!!」

「…………はぁ」

 

 カガチは渋々シスターに近寄り、局所的に回復魔法を発動させる。しかし、剥き出しの筋肉繊維が少し痙攣(けいれん)したのみで、血管の一本すら再生する兆候は見せなかった。

 

「ほら。これで分かっただろう? そもそも、回復魔法自体が生命体を対象にした魔法だ。壊れた人形が投薬で治るものか」

「っ…………!! ああ……シスター……!!! すまない……!!! 俺が、俺が異能を使えていれば…………!!! シスター……!!!」

 

 ラデックは必死に押し殺した声で(むせ)び泣き、半分になったシスターの亡骸を抱き締める。カガチは何も言わずに顔を背け、先程から広げ続けている検索魔法の範囲を広げてゾウラを探し続ける。

 

 しかし、ゾウラはまるで見当たらない。それどころか、ナハルやイチルギ、ラルバやデクスの面々も見当たらない。そして何より、あの絶対防御の異能を持つバリアでさえ検索に引っかからない。その違和感混じる焦燥に耐えかねて、カガチは検索精度を疑って魔法の強度を強めた。すると、思いもよらぬ所から思いがけない反応が返ってきた。

 

 カガチは機械のような動作で振り返り、泣き続けているラデックの手からシスターの亡骸を奪い取る。

 

「カガチ……?」

 

 そして、シスターの無惨に噛みちぎられた断面を撫で、指先に触れた“糸”を手繰り寄せる。

 

「これは…………」

 

 カガチの手に絡まった毛髪を見て、ラデックが呼吸を止める。

 

 使奴には、抜け毛という現象は発生しない。理想の性奴隷を模して作られている仕様上、抜け毛もなければ無駄毛もなく、何かのきっかけで抜けてしまった体毛のみが数時間で再生されるのみ。更に言えば、使奴の毛根や毛髪は皮膚や筋肉と同じく強靭であり、例え人間がぶら下がったとしても抜けることはない。何者かに“凄まじい力で引き千切られ”でもしない限りは。

 

 紫と、毛先に近づくにつれて鮮やかな赤に染まる、見覚えのある長い毛髪。それは間違いなく、ラルバの毛髪であった。

 

 カガチの手から、ラデックが毛髪を引ったくる。そして、毛髪を見つめたまま呼吸を荒らげ、声も上げずその場に(うずくま)った。しかし、カガチは蹲るラデックなど気にも留めず、全く別のことで疑念を膨らませていた。

 

「ここを動くな」

 

 そう言い残して、カガチは足元に黒いアザラシを生成する。アザラシは外へと()っていき、洞穴を出たところで体を膨らませた。すると背中が風船のように弾け、中から一本の槍が天を貫く勢いで真上に伸びていった。カガチは即席の物見櫓(ものみやぐら)を駆け上がるようにして登っていき、周囲目いっぱいに強度を上げた検索魔法を放った。

 

 カガチが(いぶか)しんだのは、先程の強度を上げた検索魔法によって得られた、“仲間達の変わり果てた姿であった”。ハザクラやジャハルがそうであったように、既知の波導パターンを放つ血溜まりが複数。ハピネス、ラプー、デクス。そして、ラルバ、イチルギ、ナハル、バリア。使奴どころか、あの絶対防御の異能者であるバリアさえもが、致死量の血痕を遺して行方を(くら)ませた。

 

 振り返ってみれば、訝しむべきことはずっと起こっている。

 

 消えた大湿地。

 

 突如現れた村。

 

 大社と怪しげな人形。

 

 怪物の出現。

 

 町民の失踪。

 

 仲間の失踪。

 

 しかし、槍の先端まで登り切ったカガチの眼前に、更なる謎が突きつけられる。

 

「…………どう言うことだ」

 

 上空800m。ここからならば、間違いなく診堂クリニックまで見渡せる筈。しかし、景色は見渡す限りの山々。それどころか、地平線が異様に近い。距離にして100kmない。そのせいで、まるでここが惑星ではなく円卓のような平面世界のように感じられる。いや、そうとしか思うことができない。

 

 カガチは合理主義者であるが、感情に全く頓着しないわけではない。故に、今しがた導き出したひとつの答えに納得が出来ずにいる。カガチは地表に戻り、洞穴の中を流し目で見やる。

 

 ラデックが居ない。代わりに、シスターの死体の隣に“真新しい血溜まり”が出来ている。

 

 カガチは己を納得させるべく、森の奥へと足を進める。

 

 そこには、ずっと探し求めていたゾウラの姿があった。

 

「……狂ってる。この世界も、アイツらも」

 

 カガチは足を止める。そして、腰に下げた袋から“(いびつ)な形の白い人形”を取り出す。5方向に突起があるだけの、粘土質の人形。

 

「……そして、ゾウラ様も。狂っている」

 

 再びゾウラに目を向ける。ゾウラはカガチに気付くこともなく、ぼうっと空を見上げたまま動かない。

 

「マトモなのは、私だけ」

 

 カガチは静かに深く息を吸い込み、時間をかけて息を吐き切る。ゾウラの頭上の“景色が歪む”。

 

「と言うことは…………」

 

 生首の怪物がゾウラを噛み砕き、口から溢れた血が血溜まりを作る。

 

「狂っているのは、私の方か」

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