シドの国   作:×90

164 / 310
163話 虫干し

(ちぬる)神社 下層 壊滅した異世界〜

 

 辺り一面の白銀の荒野。そして漆黒の夜空。その他には、何も存在しない。木々も、家屋も、山や川でさえも、海すらも、この世界には存在しない。

 

「――――死せりとも」

 

 カガチの麗しい詠唱だけが空気を震わせ、無音の世界をどこまでも漂って行く。動いているものはカガチただ1人。衣服を失ってしまった彼女の裸体は、この異質で神秘的な景色も相まって、まるで崩壊した世界に舞い降りた女神のようであった。

 

()りとて只管(ひたすら)生けりとも」

 

 しかし、一見して世界が凍りついてしまったかのような幻想的風景ではあるが、その実態はまるで対極。空気中から物質内まで(あら)ゆる場所に存在する魔力全てが、目には見えないものの四方八方に暴走し絶え間なく駆け回っている。例えて言うならば、この荒野一帯が巨大な電子レンジ。例え使奴であっても全身の魔力が瞬く間に流出し肉体が崩壊してしまう波導風のハリケーン。

 

「かにもかくにも、待つ人もなし――――」

 

 カガチが詠唱を終えると、真っ白な大地は突如液体が滲み出るようにして隆起し、やがて巨大な1匹の白い(せみ)に姿を変える。蝉は短く背を震わせ、ボロボロと崩れるようにして消え去っていった。

 

(がい)の章、第8節。“蒼穹(そうきゅう)の寄り道”。……流石に術者もノーダメージとはいかないか。要調整だな」

 

 カガチは自分の左肘から先が紐状に崩れてしまったのを見て、小さく鼻で溜息を吐いた。そして、数歩前に進んでから足元の地面を爪先で軽く引っ掻く。

 

「おい、起きろ。まだまだ行けるだろう」

 

 殆ど細かい砂になってしまった地面の下からは、毒々しい(まだら)模様の破片が1枚掘り起こされた。それは微かに波導を纏い、何かを訴えるように微かに震える。それ以上破片が変化を見せなくなると、カガチは脅すように(おもむろ)に口を開く。

 

「――――寝覚め伏し」

 

 詠唱の冒頭を呟くと、斑模様の破片は突如として機関車のような大量の煙を噴き上げる。そして、数秒と経たない内に破片一欠片から生首の怪物が復活した。怪物は零れ落ちそうなほど目を剥き、ぜえぜえと身を震わせて呼吸を荒らげている。いじめっ子に呼び出された子供以上に怯えた顔を見て、カガチは満足そうに微笑んだ。

 

「そうかそうか。あの魔法はそんなに嫌か。じゃあ、もっと頑張らなきゃあな。まだまだ試してない魔法は山ほどある」

 

 女神のように美しい悪魔の微笑みに、ッダァ=ラャムは歯をガチガチと鳴らして後退(あとずさ)る。

 

「あ……あ……!!!」

「そう怖がるな。次のは破壊力的にはイマイチだ。死に物狂いで防げば何とかなる」

 

 その言葉を聞いたッダァ=ラャムはすぐさま防壁魔法を展開し、鬼気迫る表情で自らの身体を覆う。ガラスのような青白い六角形の防壁が、ッダァ=ラャムを閉じ込めるようにして球体を構築していく。十重二十重に重なった防壁は魔法が重複するごとに巨大化していき、やがて高層ビルをも超えるような大きさの球体になった。どの方向からでも防げるように張り巡らされた防壁は、宛ら暗闇に怯え布団にくるまる幼子のようでもあった。

 

「――――何せうぞ」

 

 カガチが詠唱を始めた次の瞬間。防壁の内部が突如真っ白に染まる。

 

「ありそかねつる、世に掻きつきて」

 

 そして数秒も立たずに、卵の殻を破るようにして1匹のヤスデが防壁から飛び出る。大河をも埋めてしまう程に巨大なヤスデは、地を裂く勢いで背中から落下した。

 

「物思わずして、死にあらましを――――」

 

 そして、そのまま暫く藻搔(もが)いた後に、錆びついた金属のようにボロボロと崩れて消滅した。

 

()の章、第11節。“(こえ)は愚より湧き出ずる”」

 

 ヤスデが巻き上げた土煙が、未だ濃い煙幕となって辺りを覆っている。カガチは若干納得行かなそうな顔で首を傾げ、ぶつぶつと独り言を零す。

 

「ほう。召喚時の肥大化は物理影響を軽減出来るのか……? あの防壁程度じゃイマイチ判断しづらいな。今度バリアでもやってみるか……」

 

 そのまま暫く唸ってから、ふと空を見上げて目を細める。

 

「…………はぁ。全く、わからん奴だな」

 

 いつまで経っても落下してこないッダァ=ラャムの肉片は、高位の隠蔽(いんぺい)魔法を乱発して四方へと飛び去っていく。カガチは呆れて首を振り、考え事を続けながら漫然と歩き始めた。

 

 

 

「っひぃ……!!! っひぃ……っひぃ……うっ……!!!」

 

 斑模様の肉片が粘土を混ぜるように合わさり、元の生首の怪物へと戻る。そして、(ようや)く辿り着いた”世界の端“で、”壁“に向かって魔法陣を描き始めた。

 

「――――わ、我が声を聞き、呼び、波紋は理を包む……。ううっ。如何にして鳥は飛び、如何にして人は生き、如何にして王は死んでいくのか……!!!」

 

 早口の詠唱と共に、魔法陣が複雑さを増して青く光り輝く。触ることも、近づくことも出来ない”壁“が、徐々に実体を伴って光を反射し始める。

 

「忘るるなかれ、災としての病、誘い、鈍色に染まる月……!!! 今、欲さんとして――――」

「残念。時間切れだ」

 

 突然の呼び掛けにッダァ=ラャムが振り向くと、そこには薄ら笑いを浮かべるカガチが立っていた。

 

「これは……元々作りかけの魔法のようだな。外へ出るための魔法か? 仕方ない、続けていいぞ。待っていてやろう」

 

 そう言ってカガチがその場に胡座(あぐら)をかいて座ると、ッダァ=ラャムは恐る恐る視線を壁に戻し、詠唱の続きを唱える。

 

「……今、欲さんとして止まぬ。朝を望む。烙印は手に。紅蓮の王冠は我が膝下に朽ち果てた。汝が辿る幾千の残光は――――」

 

 そこまで詠唱を読み上げたところで、魔法陣の端が小さく(ひび)割れ波導煙を噴く。罅割れは魔法陣の各所に伝播し、圧力のかかり過ぎた機械のように震えて激しく点滅を始める。

 

「ざっ残光は……!! ありし日の追憶へと消えるっ!!! 未だ見ぬ兆候にっ!!! 垂涎に塗れた獣たちの遠吠えが木霊し破落戸が風切り世を堕とす!!!」

 

 ッダァ=ラャムが慌てて詠唱と共に魔法陣を安定させようと支えるが、力及ばず。魔法陣全体を横断して亀裂が入り、重苦しい金属音と共に落下し、ガラス細工のように砕け散った。

 

「あ……ああ……ああああ……っ!!!」

「御愁傷様」

 

 カガチが立ち上がると、ッダァ=ラャムは恐怖に顔を歪めて後退る。しかし、背にある“触れることも近づくことも出来ない世界の果て”のせいで、カガチから離れることは敵わない。

 

「詠唱も、ただ唱えればいいってものじゃない。釘を打ち過ぎれば木は割れるし、螺子(ねじ)も締め過ぎれば折れる。第一、そんな古の魔法に現代の詠唱をあてがったところで上手く行く筈がない。丸太をアルミで溶接するようなものだぞ」

 

 カガチは(おもむろ)に手を持ち上げッダァ=ラャムに向ける。

 

「さて、お前の実験に付き合ったんだ。次は私の番だ。手本を見せてやる」

「ひっ……ひっ……!!!」

「――――遠からぬ」

「まっ、待てっ!!!」

 

 カガチの詠唱を遮って、ッダァ=ラャムが大声を上げる。

 

「も、もう、やめ、てくれ……!!! オレが、オレが悪かった……!!! だから、もう……!!!」

 

 目から粘液と同じ斑模様の液体を溢れさせ、力なく傾く生首の怪物。倒れそうになる頭部を、首から滴る粘液が辛うじて支えているが、それが返って情けなく、まるでひっくり返ったソフトクリームのようなに幼稚で哀れであった。

 

 カガチは詠唱を中断し、かと言って敵意を収めるでもなく、話だけなら聞いてやろうといった様子で腕を組む。ッダァ=ラャムは何とかカガチの同情を買おうと、涙声を必死に抑えて身の上話を始めた。

 

「全部……全部アイツが悪いんだ……!!! あの野郎が……!!!」

 

 

 

 

 

 

 もう何千年も前の話だ。オレの住んでた国に、ウァルディアカという男がいた。アイツは頭が良かった。それでいて人に好かれ、女にもモテて、力も強かった。アイツは国の英雄だった。オレだって最初は信じていたさ! アイツから家来の証を貰った時は、こんなに光栄なことはないと喜んだ! お陰で綺麗な嫁も貰えたし、子供にも恵まれて、家も、土地も、部下も、何でも貰えた! だからオレはアイツの言うことを全部聞いた! アイツが作れと言った魔法は全部作った! それなのに……アイツは、オレを処刑した……!! 

 

「我が忠実なる(しもべ)、ッダァ=ラャムは! 恩を忘れ、我に叛逆しようと”死の魔法“を作り出した!」

 

 違う! 死の魔法も! 複製魔法も! 転送魔法も! 全部オマエがオレに作らせた魔法じゃないか! それなのに、アイツはオレの叛逆を恐れて、オレに死の魔法をかけた……! 

 

 

 

 

 

「でも、アイツの使った死の魔法は不完全だった……! オレが完成させる前の不良品だったからだ! だから、オレはこんな姿でも何とか生きてる……。でも! こんなトコに閉じ込められて! 嫁も、子供も、みんな殺されて……!! 全部、全部アイツが悪いんだ……!!」

 

 ッダァ=ラャムの悲痛な叫びに、カガチは眉ひとつ動かさない。それどころか、話の途中から視線を少し斜め上に逸らしている。ッダァ=ラャムは弁明が足りないのだと思い、更に声を張り上げた。

 

「に、人間を食ってたのも、仕方なかったんだ! ここを出るために、大量の魔力がいる! オレだって、元は人間だ……! 人間なんか食いたくない……!! でも、ここを出るためには――――」

「3つ」

「えっ?」

 

 カガチが、ッダァ=ラャムの捲し立てるような弁明を遮る。

 

「3つだ」

 

 そして、指を3本突き立ててッダァ=ラャムに見せる。

 

「み、みっつ?」

「まずひとつ。お前、随分と標準語が上手いな」

 

 世界を終わらせる大戦争の後、ヴァルガン率いるウォーリアーズは、世界を復興させるにあたり幾つかの文化を廃止した。人工衛星を始めとする通信機器の数々、苗字や屋号、そして、多種多様な言語の殆どを。

 

 使奴研究所で最も話者が多かった”西方タヴィアラ語“を標準とし、訛りや方言も可能な限り標準語に統一した。そのお陰で現在は都会から田舎町を問わず世界各国どこでも言葉が通じるようになっている。

 

「確かに、お前の封印された土地“レケレエ・レッセ”は、西方タヴィアラ語を公用語とする国家だ。だが、それは200と80年前にドーアッガ・レケウェレ王国が統治してからの話。それより前、ワーディ帝国が統治していた頃はパ・キマカ語が中心だったし、何よりお前が生きていた頃の公用語は古代レウホルン語だろう。なのに、何でお前はそんなに西方タヴィアラ語が上手いんだ?」

「え、そ、それは……、こ、ここに迷い込んだ人間に習って……」

「そしてもうひとつ。お前は外に出ることが目的なのに、どうしてさっきの外に出るための魔法の詠唱が標準語なんだ?」

「えっ」

「閉じ込められてから数千年間研究をしていたなら、詠唱はお前の母語である古代レウホルン語を中心としてなければ変だ」

「それは、い、今は、こっち(西方タヴィアラ語)の方が馴染みがあって……」

「じゃあ魔法が古い技術のままなのは変だな? 何で詠唱が現代寄りなのに、魔法式は古いままなんだ」

「あ、そ、それは、新しい魔法式を、知ら、なくて」

「言葉は学べたのにか? ここへ迷い込んだ人間がそこまでしてくれたのか? そこまで流暢になるまで言葉を教えるよりも、魔法や算数を教える方がよっぽど簡単だとは思うがな。更に言えば、お前ほどの魔術師が数千年も魔術の研究をしていたなら、現代技術に匹敵する魔法式の一つや二つ、思いついていない筈がない」

「い、いや、それは、む、難し」

「数千年も生首のまま生きられる魔術は思いつけるのにか?」

「え」

「そんな魔法、私の知識にもない。現代人ですら発明出来なかった魔法を単独で編み出せるのに、小学生すら扱える魔法式を思いつかない?」

「いや、あ、それは」

「最後に、レケレエ・レッセが“平和過ぎた”ことだ」

 

 ッダァ=ラャムが、息を呑んで口を(つぐ)む。

 

「お前が封印されていた国。紛争地の真横で、かつ資源豊富な都市国家“レケレエ・レッセ”。その平穏さは異常と言ってもいい。そして、お前がこの世界に人間を引き摺り込んで食っていたならば、多少なりとも社会問題にならなければおかしい」

 

 ひとつひとつは、小さな違和感。(ほころ)び。

 

「しかし、レケレエ・レッセは怪奇現象の噂どころか、理想のメトロポリスと称されるほどに陰のない国だった。入出国は厳しく管理され、その信用から世界各国から観光客が押し寄せる。そんな国で、お前はどうやって人を(さら)っていたんだ?」

 

 それらが、線で繋がり

 

「つまりは」

 

 世にも悍ましい絵を描く。

 

「お前は外に出るつもりなんか無かった」

 

 

 

 

 

「お前が、数千年間この異世界でどう過ごしていたのかはどうでもいい。どうせその間に外へ出ようとはしていなかったのは、魔法陣と詠唱のチグハグさから見てとれる。お前はレケエレ・レッセの人間をこの世界に引き摺り込み、脅した。(さなが)御伽噺(おとぎばなし)の邪神か魔王のようにな。自分の存在を秘匿にさせ、奉仕させ続けた。それこそ、現代語を流暢に話せるようになるほどの奉仕を。食料、本、娯楽、そして人間。地図と照らし合わせれば、恐らくこの場所はレケエレ・レッセ内陸の紛争地域との国境と重なる筈だ。お前は外の世界の人間を脅し理想郷を築かせる対価として、レケエレ・レッセを戦争の飛び火から守る邪神としての役割を担っていた」

 

 カガチの推論に、ッダァ=ラャムは反論しない。それどころか、先程までの震えが嘘のように止まり、瞬き一つせずカガチを見つめている。

 

「そして、使奴研究所がお前を見つけた」

 

 ッダァ=ラャムの(まぶた)が、微かに震える。

 

「死の魔法。使奴を処分する唯一の方法。お前は使奴研究所に死の魔法を教える代わりに、使奴研究所も脅した。自分の理想郷をより盤石なものとするために。使奴研究所はレケエレ・レッセと共に、必死にお前の存在を隠蔽した。使奴の製造は全世界の金持ちの夢だ。そんな使奴研究所があるレケエレ・レッセには、どんな権力者も手出しは出来ない。結果、レケエレ・レッセは何者にも脅かされることのない“理想の国”となった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふっ」

 

 

 

 

 

 

 ほんの僅か、吐息が漏れ出す。ッダァ=ラャムの口の隙間から、続けて息が漏れ出す。

 

「ふはっ。ははっ」

 

 笑いのような。泣き声のような。

 

「ふへっへへっ。は? ははっ」

 

 そして、か細い震えた声で、カガチに尋ねる。

 

「え? な、何で、そんな”昔のこと“みたいに言うの?」

 

 カガチは、「ああ」と呟いて微笑む。

 

「外の世界は、とっくに滅んだぞ」

「……………………え?」

 

 下層に閉じ込められていたッダァ=ラャムは、外の世界を、大戦争のことを知らない。

 

「200年前に使奴研究所を支援していた金持ち共が大喧嘩をしたらしくてな。レケエレ・レッセどころか、世界人口の9割が滅ぶ大戦争があった」

「え? え?」

「水素爆弾から妖精玉まで、世界中のありとあらゆる兵器が惜しみなく投入された。宛ら最新兵器の博覧会だったそうだぞ」

「え、待ってよ。え? 戦争? え? き、聞いてない。聞いてないよ」

「そりゃそうだ。使奴研究所も漏れなく滅んだからな。(使奴)がここにいるのが良い例だ。疑問に思わなかったのか?」

「だ、だって、いや、確かに人は減ったし、え? アイツらが、逃げたんじゃなくて? え?」

「ああ、逃げた奴らを追いかける為に外に出たかったのか。それで今更古代魔法を現代詠唱で……成程成程」

「え、じゃ、じゃあ。今まで、ここに来てた奴らは?」

「さあ。多分偽物の人形か何かだろう。気付いてなかったのか?」

「え。え。え」

 

 ッダァ=ラャムの見開かれた両目から、粘液が湧き出て滴り落ちる。

 

「だ、だだ、だって、え? 嘘」

「嘘だと思うなら外に出てみるか? 手伝うぞ」

 

 今までの恐怖を上書きするほどの哀しみが、ッダァ=ラャムの脳内を埋め尽くす。その情けない様を見て、カガチは笑いを(こら)えるかのように口角を上げる。

 

「だって、だって、じゃあ、もう、もう」

「もう、オレは王様じゃないの? と言いたいのか? まあ、そうだな。もう外にお前如きに恐れる奴はいない」

 

 未だ、ッダァ=ラャムは諦めきれない。(かつ)て、捕えた人間達はッダァ=ラャムを恐れ、助けを乞い、恐れ、崇め、媚び(へつら)ってきた。機嫌を取るために上質な食事を用意し、娯楽を提供し、身を粉にして尽くしてきた。それが、ッダァ=ラャムにはこの上なく心地良かった。数千年の孤独を忘れる程、200年経った今でも忘れられぬ程。数千年という永い永い人生の中の、たった数十年に囚われてしまった。

 

「い、嫌だ……」

 

 その数十年のために、あの理想郷を取り戻すために、この200年間生きてきた。しかし、その実態はただの八つ当たりに過ぎない。捕えた人間は尋問すらせず食い殺し、外に出る努力も(ろく)にせず、ひたすらに喚き散らしてだだをこね続けた。聖書にも描かれた(かつ)ての賢者は、高々数十年ぽっちの堕落した日々程度で、凡夫以下の不精者へと成り下がってしまった。

 

「嫌、嫌っ……ぁぁ……!! そんっなの……嫌だぁぁぁ…………!!!

 

 その歪み切った性根は、もう二度と戻らない。

 

「ああ……ああああああああっ……!!!」

 

 一度手にした理想郷も、もう二度と戻らない。

 

「ククク……」

 

 あまりにもみっともなく泣きじゃくるッダァ=ラャムの姿に、カガチは思わず失笑を漏らす。

 

「趣味にするほどではないが……。確かに、意外と面白いな。悪党の破滅というのも」

 

 我儘(わがまま)を言う2歳児のように泣き叫んでいるッダァ=ラャムに向け、カガチは小声で詠唱を始める。

 

「――――()のみし泣かゆ、かくばかり」

 

 カガチの背後に、一本の大木が現れる。それは天を貫くほど高く伸び、やがて折れて角度を変え、飛行機雲のように空をなぞる。

 

「骨も残りなく掠められ」

 

 その飛行機雲の先端。白い大木が伸びた先には、入道雲をも飲み込む楕円形の球体が続いている。それが、”巨大な白い蜘蛛の胴体“だと気が付くには、少しばかりの時間を要するだろう。

 

「人に知らえず」

 

 蜘蛛はほんの少し身を揺らし、その巨躯を一瞬にして豆粒ほどの大きさに縮める。まるで消滅してしまうかのような挙動に合わせて、周囲の景色が小さくなった蜘蛛に引っ張られて歪む。風景を吸い込み、捻じ曲げ、天と地の境目を絵の具のように混ぜていく。カガチの魔法でさんざ踏み固められた大地が、焼き菓子のように(ひび)割れ崩れていく。

 

「風に知らえず」

「ひっ!! あっ――――――――」

 

 ッダァ=ラャムは、カガチを地上に残して中を舞う。白い蜘蛛を中心として発生した景色をも飲み込む渦に、稀代の魔術師が虫ケラのように呆気なく吸い込まれていく。

 

 

「助け――――――――――――――――」

「此処なるものは」

 

 微かに聞こえた断末魔の命乞いが、夜の闇と裂けた大地に挟まれ消えて行く。

 

 (がい)の章、第12節。“詠み人要らず”。

 

 対象にした空間に存在する、物体全てを纏めて一点に閉じ込める。カガチが扱う魔法の中でも、1、2を争う破壊力を持つ封印魔法。そして何より、この魔法は術者であるカガチ自身が“発動方法しか把握していない”。解くことを想定していない封印魔法は、想定解を用意していないなぞなぞに等しい。

 

「紅の」

 

 空間の歪みが解かれ、封印が完成する。その直後、ほんの少しだけ“人為的な“波導が空を揺らした。それは、ッダァ=ラャムが最期に放った魔法式の残滓(ざんし)。つまり、”封印されている最中にも意識は停止しない“ことの証明。カガチがその残り香に思わず目を向けると、突如として視界が明るくなった。

 

(ちぬる)神社 上層 社務所〜

 

「あれ? 成功しちゃった」

「おおっ。帰ってきた。……何で裸?」

「カガチ! お帰りなさい!」

 

 目の前にいるのは、見慣れない琥珀色(こはくいろ)の髪をした使奴と、ラデック、ゾウラの3人。視界の外からは、ラルバやハザクラ達の波導も感じる。カガチは、自分が元の世界へ戻ってきたと言うことを理解しつつ詠唱の残りを呟く。

 

「ただ一片(ひとひら)の、松葉菊、のみ――――……」

 

 試せなかった魔法の数々に後ろ髪を引かれるカガチ。その若干曇った表情から何かを察したバリアが、半分当てずっぽうで小さく問いかける。

 

「もしかして、助けるのちょっと早かった?」

「……………………まあ、ちょっとな」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。