テャヤ湖と言えば、旧文明では知らぬものはいない屈指のリゾート地である。閉鎖湖にも拘らず透き通ったマリンブルー。水域の6割が足の届く浅瀬であり、遊泳に適した穏やかな地形と気候。しかし、深いところは水深1000m近くもあり、淡い青にぽっかりと空いた紺色のブルーホールは“偉大なる墓場”と呼ばれ、数多くのダイバーを魅了するテャヤ湖の名物景色とされている。固有種である“オノベラチョウザメ”のキャビアは世界的に有名な最高級品とされ、同じく固有種の“ハナサキモクズショイ”という蟹も人気のご当地名物とされている。
しかし、200年後のテャヤ湖はまるで真逆の光景。美しかった湖は暗いダークブルーに染まり、戦禍の残骸が流入したことによって多くの生物が死滅。次第に悪臭を放つようになり、大戦争終結後もこの湖に近寄る者は多くなかった。それどころか文明レベルが低下したせいで、広いこの湖をゴミ捨て場として利用する者が急増。隣国の診堂クリニックと三本腕連合軍を始め、ダクラシフ商工会や偉大で崇高なるブランハット帝国、通りすがりの者が次々にゴミを投げ入れ水質は著しく悪化。挙げ句の果てには幽霊を見たと言う者まで現れ、“冥界の淵”などと噂されるようになった。最も距離が近かった三本腕連合軍は湖の管理から逃れるため、この巨大な湖を“海”と定義し、何者にも属さぬ公海だと言い張ることで整備を放棄した。その結果、旧文明では言わずと知れた大人気リゾート地が、今では破落戸の棲み着く腐った水溜まりとなってしまっている。
〜氷精地方中部
「まずその辺にいた臆病者を攫ってきます! 人質なり何なりで脅して、そいつらに盗賊の真似事をさせる! もし標的に追いかけられたら今みたいに誘き寄せて、湖の水を抜いてど真ん中まで誘導! 逃げられなくなったところを、臆病者ごとざぶーん! 水を戻して纏めて溺死! 憐れ!」
ラルバは小芝居を交えて歌うように語る。それを聞いた野盗3人組は、互いに身を抱き合って震え啜り泣いた。
「私が来てよかったねぇ。じゃなきゃ、お前ら今頃湖の底だぞ」
「ひっ……」
「あんまり脅かすなラルバ」
ハザクラがラルバの肩を掴み野盗から引き剥がす。
「それで、どう攻めるつもりだ?」
「え? 普通に入り口壊して水責めしようと思ってたけど」
「中に人質がいるかもしれないんだろう?」
「うん。で?」
「………………」
「うそうそ。私が悪党を溺死程度で済ますはずないじゃん! やだなぁもー」
「………………」
〜冥淵の海 水深10m付近 (ラデック・ジャハル・ハザクラ・デクスサイド)〜
見渡す限りのコバルトブルー。遊泳魔法をかけていても靄がかかったように視界は悪く、大きな
先陣を切って湖を泳ぐハザクラは、ジャハルに向けて手話で話しかける。
「ラルバが言っていた入り口らしきものは、あの辺りだ。何か見えるか?」
「いいや、もう少し近づこう」
「わかった」
すると、ついてきていたデクスが2人の肩を叩き、同じく手話を使って話しかける。
「そんなことよりよ、アレ。ほっといていいのか?」
「アレ?」
デクスが示す方を見ると、そこにはラデックがオノベラチョウザメの群れに襲われ、正確には“弄ばれ”ていた。両手足をジタバタと暴れさせて藻掻くラデックを、チョウザメの群れは揶揄うように長い吻で突っついて雷魔法を浴びせている。
「……ああ。言われてみれば、ラデックに遊泳経験は無さそうだな。嫌がってなかったから気にしていなかった」
「で、あれそのまんまでいいのか? 生命改造の異能があるなら溺れはしなそーだけどよ」
「オノベラチョウザメに自分より大きな生き物を襲う攻撃性はない。ほっといていいだろう」
2人がラデックの滑稽な醜態を眺めていると、ジャハルが何かに気付いてハザクラとデクスの身体を叩く。
「2人ともアレを見ろ。入り口じゃないか?」
ジャハルが示す先、湖の底にある大岩に、ジャハルが検索魔法の光線を翳す。すると、大岩は蜃気楼のようにぐにゃりと変形し、その隙間から金属製の板らしき物体がチラと見えた。
ハザクラとジャハルは互いに頷き、侵入のために掘削しやすい地面を探してデクスを連れてその場を離れた。
「
〜冥淵の海 湖底の洞穴〜
至極不満そうなラデックと共に、4人は湖底を繰り抜いて入り口らしき部分に辿り着いた。中は広い空洞になっており緩やかな下り坂になっているが、緩やかなカーブを描いているため奥を見通すことはできない。デクスは辺りを見回してから侵入し、ハザクラ達に手招きをする。
「デクスの異能にゃ引っ掛からねー。少なくとも死角には誰もいねーはずだ」
「助かる。ジャハル、蓋はちゃんと出来ているか?」
「ああ、問題ない。おいラデック、いつまで不貞腐れているんだ」
いつまで経っても膨れっ面をやめないラデックに、ジャハルが痺れを切らして指摘する。
「誰も、誰も助けてくれなかった……」
「お前ならあの程度どうとでもできるだろう」
「そうじゃない。助けてくれなかったということが問題なんだ」
「……ラデック、ちょっとラルバに似てきたな」
「かもしれない」
迷路のように曲がりくねった洞穴を進みながら、ハザクラは周囲を警戒しつつジャハルに問いかける。
「俺達を襲った3人組が言うには、配達の仕事中に個々の盗賊達に幼い弟を誘拐されて服従を強いられた。それが3日前のこと……。どう思う? ジャハル」
「……タイミングが良すぎる、と思えなくもない。冥淵の海は治安がいい場所ではないが、忌避されるほどでもない。三本腕連合軍での児童労働は少なくないが、国を跨ぐ配達員は少し無理がある……。私達の動向を観察していてぶつけたと言うには察しが良すぎる。だが、過剰な心配かと言われればそうでもないような……。すまない、曖昧な見解になった」
「いや、概ね俺も同意見だ。警戒するに越したことはないが、その辺はラルバ達に任せよう」
「そうだな。ひとまずは人質の救出を最優先にしよう」
帰り道も分からなくなるほどの分岐を抜けた奥には、鋼鉄のフェンスに遮られた避難口のような扉が岩壁に埋め込まれていた。しかし、無骨な機械式の扉はカラースプレーで悪戯書きをされており、掠れているものの辛うじて“天邪終”という文字のみが読み取れた。ラデックが指先で文字をなぞり首を傾げると、デクスが疑問を読み取って口を開いた。
「“
「でんじゃ……何だって?」
「
「……地獄の特急列車といい勝負じゃないか?」
「あぁ!?
「違いがよく分からない……」
「ったく。これだから美学に理解のねー奴は……」
「美学が悲しむぞ……」
デクス不機嫌ながらも魔法で扉をこじ開け、隠れる素振りもなく中へと侵入する。ラデック達は警戒して互いに顔を見合わせるも、足早に突き進むデクスの後を追いかけて施設に侵入した。
〜
扉の向こうは一面真っ白なセラミックの広い廊下で、天井には直管LEDが規則正しく並んでいる。とても湖の地下に造られたとは思えない文明的な施設の中を、デクスを先頭に4人は進んで行く。
「ぶっちゃけ、
話を振られたジャハルは、余り気乗りしない様子で頷いた。
「……良く知ってるな。確かに、私は5年前の氷精地方遠征時にコイツらと対峙している。戦闘にこそなっていないものの、かなりしつこく追い回された覚えがある」
「コイツら、結局なんなんだ? 盗賊紛いのことをしちゃーいるが、少なくとも世界ギルドの要警戒団体一覧にゃ名前がねーぜ」
「何者でもないさ。ただの大人を毛嫌いした子供の成れの果て。縄張りを小型の車両で走り回り、気紛れに窃盗や暴行を繰り返す……所謂、暴走族というやつだ」
「ぼーそーぞくぅ? ただのガキ畜生がこんなトコ根城にするかよ」
「うぅ〜ん……。冥淵の海付近に活動拠点を持つ組織は聞いたことないが……。確かに5年前私が奴らと出会ったのもこの辺りではあるし……。その頃からここに住んでいたのか……?」
「失礼だな。君達」
突如聞こえてきた若い男の声。しかし、その声は4人の正面ではなく、真後ろから聞こえてきた。一本道を真っ直ぐ進んできた4人の、背後から。
デクスが声の方に振り向くと、そこには薄布一枚を纏った黒髪の若い女が立っていた。更には、女の背後は行き止まり。それどころか、床の色味や天井の照明の種類まで違う。明らかな別空間。
「悪く思わないでよね。弱肉強食って奴よ」
視線を正面に戻せば銃火器や長物を手にした者たちが。転送魔法を疑うような分断方法と、一瞬で敵に囲まれたこと。余りにも突飛で余りにも無謀という、二つの意味で受け入れ難い状況に、デクスは苛ついて舌打ちをし女を睨む。すると女は、鉄の小槌を2つ取り出し両手に構えた。
「なーんでテメーら雑魚共は群れるのが好きなんだ? ひとりだと寂しくて死ぬのか?」
「良く知ってるね。そうさ、寂しくて死ぬんだよ。今のお前みたいにね」
〜
十字路中心で、武装した若者が四方の通路を封鎖しハザクラを囲んでいる。ハザクラの正面に伸びている通路の奥では、ガタイのいい仮面の男がメガホン片手に威勢よく吼え、武装した若者たちが呼応して雄叫びを上げる。
「いいかぁお前ら!!! 徹底的に痛めつけろ!!!」
「「「応っ!!!」」」
「復讐心も無くなるような地獄を見せろ!!!
「「「応っ!!!」」」
「腕を圧し折れ!!! 歯を砕け!!!
「「「応っ!!!」」」
「命乞いしか出なくなるまで!!! 殴って殴って殴りまくれ!!!」
「「「うぉぉぉぉおおお!!!」」」
「……はぁ。ゾウラを置いてきて正解だったな。教育に悪すぎる」
〜
果ての見えぬ一本道の真ん中、前後を金網で封鎖され閉じ込められたラデック。その憐れな姿を、目の前に立つ若い青髪の少女はマシンガンを向けて嘲笑う。
「うひひっ。お兄さん、アタシと当たるなんてかわいそ〜! 一生世間で笑い物にされるくらい惨めに虐めてあげるねっ!」
「まずい。帰り道がわからなくなった……」
〜
「……ここは」
全方位を急な坂に囲まれた半円状の窪み。その深い窪み中心にジャハルは立っている。そして、坂の上には銃火器を構えた若者達と、リーダー格らしき黒いコート姿の金髪の青年がジャハルを見下ろしている。
「初めまして、嵐帝ジャハル。どうやら5年前にウチの者が世話になったようで」
「……世話した覚えはないが。あと、その呼び方はやめてくれ。むず痒くなる」
「強さに相応しい謙虚さだね」
「謙虚じゃなくて恥ずかしいんだ」
金髪の青年は優しそうに微笑むが、その眼差しには明らかな蔑みの意が込められている。
「僕の名前は“ズィーヴラティ”。
「そうか。深淵のズィーヴラティ君、取り敢えず犯罪教唆と誘拐で逮捕だ」
「いいよ。この迷宮から生きて帰れるならね」
天邪終《デンジャラス》・
ズィーヴラティは指をパチンと鳴らしてどこかへ立ち去ってしまう。そして、それを合図に若者達が各々手にした銃火器をジャハルに向け、下卑た笑みを浮かべてトリガーに指をかける。
ジャハルは呆れて溜息を吐きつつも、どこか安心したようにほんの少し口角を上げて独り言を漏らした。
「……よかった。私もまだ比較的強い側ではあるんだな。やっぱ使奴がおかしいだけか」