シドの国   作:×90

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254話 彼女はそれを愛と呼んだ

 ブレイドモアは、愛と正義の平和支援会の都市部で生まれた。色彩のない白肌を持って生まれた彼女は悪魔病だと罵られ迫害を受けた。更には憑依の異能が発覚したことを切っ掛けに両親にも厭われ、10歳を待たずに奴隷商に売られてしまった。

 

 彼女を購入したのは、若き将校の男だった。憑依の異能を使えば、どんなに弱い軍人でも戦える駒になる。諜報、工作、様々な戦略に応用できる。そう考えた男は、ブレイドモアを屈強な軍人に鍛え上げようと思いついた。

 

 辛い日々だった。鍛錬でいつも手足が擦り切れていた。頭の中は常に勉強のことで沸騰しているようだった。憑依の異能で他人の身体に潜るのは、まるで悪い夢を見ているように悍ましかった。けれど、逃げ出すわけにはいかなかった。逃げる場所などなかった。

 

 それから数年。将校の男は出世をした。死んだ人間は階級が上がるのだと知った。

 

 ブレイドモアは未成年ながらも一般兵の階級に就いていた。それ故に路頭に迷うことはなかったが、周囲の軍人からは腫れ物のように扱われた。憑依の異能者。元奴隷。汚らしい。気味が悪い。烏滸(おこ)がましい。血の滲む努力で力は得たが、仲間などは1人もいなかった。

 

 そんなブレイドモアを引き取りに来た夫婦がいた。老耄(おいぼれ)とまではいかずとも、まあいい年の夫婦。”オカリ・ジャージト“と言う、その地域では有名な資産家だった。夫婦は困惑と警戒に揺れるブレイドモアを優しく迎え入れ、住み込み侍女のひとりとして雇った。

 

 ジャージト家当主の男“オカリ”、その妻。息子夫婦。そして、幼い双子の孫娘の6人暮らし。悪魔病差別で白い肌が忌避される社会の中でも、異能という悍ましい能力を持っていても、ブレイドモアを睨む者はいなかった。それが彼女には不気味で、不可解で、訝らずにはいられなかった。

 

 屋敷の玄関には、見覚えのある写真が飾られていた。どうやら自分を買った将校の男は、オカリ氏の2人目の息子だったらしい。

 

 朝食に出されたトーストには、オカリの妻特製のジャムが塗られていた。ブレイドモアはその味を知っていた。ブレイドモアが今まで軍で食べていたものは、軍の配給ではなく将校の男が作ったものだったらしい。

 

 季節が過ぎて乾燥してきた。手のひび割れが酷くなってきた時は、将校の男から支給された塗り薬がよく効いた。同じ薬が屋敷の棚にあった。

 

 ある時、大きなケーキが振舞われた。世間では、自分の生まれた日を祝う文化がある。ブレイドモアはその文化を知っていた。ケーキの味も知っていた。同時に、軍ではこの文化は採用されていないと聞いた。

 

 今まで見ないようにしていた。思わないようにしていた。

 

 将校の男は軍で嫌われていた。富豪の家の出身で、若くして地位を上げ、見てくれもよく、才能もあり、面倒見も良い。ブレイドモアが疎まれたのはついででしかなかった。

 

 将校の男は良くしてくれた。奴隷商で買った何も知らない反抗的な小娘に、食事を作り、清潔な衣服を与え、武術を教え、勉強を教え、手がひび割れれば薬を塗り、誕生日がくれば祝い、褒め、励まし、叱り、慰めた。不気味な異能の訓練に、自分の体を差し出してまで協力した。

 

 幼かった頃のブレイドモアは、これを愛と呼ぶことを知らなかった。

 

 見ないようにしていたものを見た時、思い返した時。生まれて初めて、感謝の言葉を口にした。そして、生まれて初めて謝罪の言葉を口にした。

 

 彼の死因が暗殺だと知ったのは、屋敷に来て一年が経ったころだった。普段から、自分に何かあったらブレイドモアを引き取ってほしいと口にしていたらしい。

 

 

 

 ある時、屋敷に従事する侍女の数名が、そして息子夫婦が驚くべき申し出をしてきた。自分達を、憑依の異能の対象にしてほしいと言う。いざと言う時、自分達の身体を使ってでも家を、家族を守ってほしいと言う。

 

 ブレイドモアには信じられなかった。狂っていると思った。憑依の異能などと言う悍ましいものに、よもや自分から頼ろうなど。自分の体を乗っ取られることを受け入れるなんて、ましてや元奴隷の孤児にそんなことを言うなんて、どう考えても正気の沙汰じゃない。

 

 しかし、そこには将校の男から教えてもらった愛があった。彼もまた、この人達から愛を教えてもらったのだろう。ブレイドモアは、私も狂ってみようと思った。

 

 人のために狂うこと、彼女はそれを愛と呼んだ。

 

 憑依の異能は大いに役立った。ブレイドモアの目が届かぬところでも、侍女か息子夫婦のどちらかさえいれば賊を追い払えた。長距離の連絡手段としても役に立った。侍女の1人が私生活で詐欺に遭いそうになったのを助けた時は、流石に出過ぎた真似だと思った。しかし、屋敷の者は皆一様にブレイドモアを賞賛した。気恥ずかしさに耐えかねたブレイドモアはみっともなく拗ねて見せたが、誰も彼女を悪く思うことはなかった。それが余計に恥ずかしかった。

 

 どこからか噂を聞きつけて、軍の中将がブレイドモアを徴兵しに来た。ブレイドモアを育てた将校の上司だと言う。ジャージト家の者はブレイドモアに軍へ戻る気がないことが分かると、彼女に代わり中将に真っ向から対立の意を示した。中将は引き下がらず、ブレイドモアは未だ軍に帰属していると言い張った。すると、ジャージト家当主のオカリ氏は莫大な資産を支払い、軍からブレイドモアを買い取った。ブレイドモアは強く反対した。自分にそんな価値はないと。だがこの日だけは、ジャージト家の者は誰1人としてブレイドモアの声に耳を傾けることはなかった。

 

 幸せだった。勿体無いほどに。

 

 ブレイドモアは忠誠を誓った。髪の毛の一本、血潮と一滴までも、ジャージト家のために使おうと。

 

 多くの敵と戦った。ジャージト家の資産を狙う者は後を絶たず、その度にブレイドモアは槍を振るった。盗賊。テロ組織。カルト教団。果てには、自身の所属していた軍とも。決して負けるわけにはいかなかった。負けぬために全てを疑った。小細工は全て見破る。裏目は全て潰す。目的を忘れない。どんなことがあっても感情に振り回されてはいけない。すべきは殺しじゃない。排除じゃない。愛する家族を守ること。度重なる襲撃を退けたブレイドモアは、やがて“断将”の二つ名で呼ばれるようになった。

 

 

 

 

 

 それから数年後。暴動が起こった。

 

 国王の政策により、膨大な数の逮捕者が出た。突然の法改正に民衆は大規模なデモを起こし、それを軍が片っ端から逮捕していった。

 

 ジャージト家も暴徒による襲撃を受けた。示し合わせたかのように、嘗てブレイドモアに退けられた者達も襲ってきた。一騎当千のブレイドモアとは言えど、あまりに数が多すぎる。ジャージト家は家を捨て逃げることを選んだ。

 

 間違った選択ではなかった。しかし、ブレイドモア以外の侍女は肉壁となって命を落とした。感謝も、別れも言う暇などなく。

 

 最善の行動だった。しかし、オカリ氏とその妻は老体での逃亡を諦め、追手が迫る崖に身を投げた。大量の爆薬をその胸に抱いて。

 

 他に道はなかった。しかし、息子夫婦は追手を食い止めるため海岸に残った。小船には大人2人は乗れなかった。

 

 逃亡は成功した。双子の姉妹が胸の中で震えていた。ブレイドモアは何度も自分に言い聞かせた。間違っていなかった。最善だった。他に道はなかった。正しい選択をした。全ては必要な犠牲だった。

 

 信念が問いかける。本当にそうか?

 

 ブレイドモアは気付いていた。ジャージト家が自分を逃した理由を。自分達を犠牲にした理由を。双子を託した理由を。息子夫婦にとって、オカリ夫妻にとって、侍女達にとって、将校の男にとって。ブレイドモアは、可愛い我が子だったのだ。

 

 

 

 ほとぼりが冷めた頃、ブレイドモアは双子を連れてジャージト家の屋敷に戻ってきた。焼き払われた屋敷は真っ黒で、あの頃の栄華は見る影もない。数多の盗賊に漁られたであろう炭の残骸には、燭台一本残っていなかった。

 

 ブレイドモアは家を借り、双子を住まわせた。双子もじきに働ける年齢ではあったが、それでもまだまだ子供。何より、ブレイドモア自身が悪党に嫌われている。仕方なく、双子は家に閉じ込めておくしかなかった。幸いブレイドモアには軍からの依頼が多く寄せられており、収入に困ることはなかった。

 

 それが仇となった。

 

 ブレイドモアが働いている間は、双子は軍の管理する施設に預けられていた。しかし、その施設が暴徒によって襲撃を受けた。双子はそれぞれ別の誘拐犯に捉えられた。ブレイドモアは距離の近かった妹を救出するも、その間に姉の行方は分からなくなった。姉に憑依しようにも、妹を放っておくわけにはいかない。周囲には大勢の暴徒。軍隊も応戦に手一杯。

 

 侍女が犠牲になり、祖父母が犠牲になり、両親が犠牲になった。そして今、今度はブレイドモアが選ばねばならない。もしこの選択が、自分が犠牲になるかどうかであったなら、どんなに楽な決断だっただろう。

 

 最愛の双子のうち、妹を見捨てるか、姉を見捨てるか。

 

 憑依には距離の限界がある。悩んでいる間にも、姉の気配は遠く遠くに離れていく。葛藤するブレイドモアの頭上から爆弾が降ってくる。それを防げば銃弾が飛んでくる。暴徒の魔法が飛んでくる。一瞬でも気を抜けば、抱えている妹が死ぬ。きっと姉は自分の助けを待ってる。どうして来ないのかと思っている。裏切ることになる。死なせる羽目になる。親を、家族を失ったばかりの子供から、希望をも取り上げることになる。

 

 そうして、姉の気配が消えた。

 

 

 

 

 

 

〜ダクラシフ商工会 等悔山(ひとくいやま)刑務所 反抗夫(たんこうふ)の地下道〜

 

「――――その生き残った妹ってのが、この刑務所の所長。フィース・ジャージトなんだってさ」

 

 大回りで通信室まで向かう道中、ノノリカがシスターに説明をした。

 

「その後、双子のお姉さんの方は……どうなったんですか?」

「事件から10年以上経った今でも見つかってないよ。……当時からブレイドモアがひとりで探してたみたいだけどね」

「ひとりで? 軍は捜索に協力しなかったんですか?」

「逮捕者が多過ぎて機能不全になってたらしいよ。それどころか、軽犯罪のほとんどは黙認されてたらしい」

「そんな……」

「この頃は「盗まず買う奴は馬鹿」とかって言われたらしいしね……。ブレイドモアって言ったら、慈悲なき断将とかって言われたりするじゃん? ちょっとのイタズラでも殺されるって……。もしかしてさ、このイタズラで殺された奴らって、双子の誘拐事件に関与してた奴らなんじゃないのかな……」

「……そうでなくとも、その犯罪者が真面目に生きていれば、軍が混乱に陥るほどの逮捕者は出ていなかったかもしれない。ブレイドモアからしてみたら、犯罪者全員が誘拐事件の共犯者でしょう」

「ドロドから聞いたのはこんくらいかな。でも、どうして愛と正義の平和支援会じゃなくて、ダクラシフ商工会の刑務所なんかにいるんだろう。フィースが所長やってるのもよく分かんないし」

「……悩んでても分かりませんし、本人に直接聞きにいきましょう」

「シスター……無茶しないでね」

 

 

 

〜ダクラシフ商工会 等悔山(ひとくいやま)刑務所 医務室〜

 

 通路の換気口に穴を開け、ミックにゼラザンナを預けて別れた2人は、駆け足で医務室に向かった。

 

「ラデックさん、ラデックさん」

 

 医務室でシスターが呼びかけると、刑務官が寝ている備え付けのベッドから、死にかけのラデックが這い出てきた。

 

「うぅ……せ、世界が虹色だ……ずっと甘臭い……口が酸っぱい……地面が傾いてる気がする……。作戦は、上手くいったか……?」

「大失敗です。逃げましょう」

 

 シスターが手を差し出すも、ラデックは手を伸ばす気力もなく這いつくばっている。異常に疲弊しているラデックにノノリカが心配して手を貸す。

 

「何したらこんなになるんだ……?」

「ブレイドモアの襲撃に合わせて、全員刑務官の改造をやってもらいました。ブレイドモアが生身で来てしまったせいで作戦通りとはいきませんでしたが」

「全員……? 襲撃に合わせてって……ど、どうやって?」

 

 ラデックがガバッと起き上がり、ノノリカに早口で捲し立てる。

 

「憑依は恐ろしい!! 憑依の異能がアクティブな時に改造しようとすると、100人以上の情報を強制的に読まされるんだ!! ブレイドモアの魔力が大量に消費された時が襲撃の合図だから、俺は刑務官の誰かにずっと触ってなきゃいけない……!! でも!! 襲撃じゃなくとも普通に受刑者の鎮圧とかでもブレイドモアは憑依してくるんだ!! その間もずっと触ってなきゃいけないんだ!! いつ憑依が来るかわからない!! それが襲撃かもわからない!! 毒蜘蛛だらけの壺の中に手を突っ込んでる気分だったぞ!! 本当に酷い!! もう2度とやらないからな!!」

「お、おう……」

 

 一息に文句を言い終えると、ラデックは電池が切れたロボットのように力尽きた。

 

「だ、大丈夫なのか? コイツ……」

「情けなく見える時は大抵大丈夫です。覚悟が決まっちゃうと死ぬまで頑張りそうですけど」

「ああ、そういうタイプ……」

「早くミックさんのところに戻りましょう」

 

 シスターが扉に手をかけると、勢いよく扉が開かれて触腕が差し込まれた。

 

「えっ!?」

「ミック!?」

 

 ミックが3人を抱え、急いで通路の端に退く。ミックが全身を震わせて警戒する通路の先には、1人の白髪の女性が立っていた。

 

「あれは……!!」

「……“フィース・ジャージト”!?」

 

 白髪に、歪んだ双角。全てを見透かすような山吹色の瞳が、シスター達を冷たく睨む。その手には、千切れた大ダコの触腕が引きずられている。

 

「簡潔に言うと」

 

 シスター達の狼狽を気にも留めず、フィースが口を開く。

 

「私はお前達の脱獄を止めるつもりはない」

 

 すぐさま交戦する意図がないことがわかると、シスターがミックの触腕を離れてフィースと対峙する。

 

「……では、どういうおつもりでしょうか」

「お前達には、脱獄した後でブレイドモアに殺されてもらう」

 

 直球の殺害予告。全身に波導を漲らせるノノリカを制止し、シスターは怯まずに問いかける。

 

「理由をお伺いしても?」

「……その前に、お前達は何故私がここにいるか知っているか?」

「いいえ。……ですが、察しはつきます」

「ほう……。言ってみろ」

 

 油断とも取れるほどに余裕を見せるフィース。シスターは自分に言い聞かせるように深呼吸をして冷や汗を拭う。

 

「……現在の愛と正義の平和支援会の国王“バガラスタ”は、笑顔の七人衆のひとり、”黙りボルカニク“を“霊皇ボルカニク”として国刀に据えた。バガラスタにとって邪魔になったブレイドモアは祖国を失った。そこに、ダクラシフ商工会から声がかかった。祖国を失った貴方達の心傷を思い量るような素振りで、ブレイドモアを手中に収めようとした……。それに、貴方が意を唱えた。ダクラシフ商工会から提示された等悔山(ひとくいやま)刑務所所長というポストをフィースさん自身が受け、ブレイドモアを配下に据えた。ダクラシフ商工会とブレイドモアの間に自分を噛ませることで、ブレイドモアを守った」

 

 フィースは終始興味なさそうに髪をいじりながら目を背けていたが、シスターが話終えると他人事のように話し始めた。

 

「その通り。モアをこれ以上辛い目に遭わせるわけにはいかない。ダクラシフ商工会の配下など以ての外だ」

「それなら――――」

「だが」

 

 フィースは威圧してシスターの反論を封じる。

 

「モアを幸福にする方法も私には分からない。当然、お前達にも」

 

 彼女は寂しそうに、それでいて抑えきれない怒りを露わにする。

 

「お前達を殺させる理由なら山ほどある。脱獄犯が出れば、一時的に等悔山(ひとくいやま)刑務所の価値は下がる。しかし、そこでモアがすぐさま排除すれば、モアと私の価値が上がる。インシデントより、アクシデントを最小に抑えた方が見栄えがいい。ダクラシフ商工会は益々私達に口を出しづらくなる。他の受刑者への見せしめにもなる。外にいるお前の他の協力者達へのメッセージにもなる。だが……そんなことは些細なものだ」

 

 段々と、寂しさが怒りを飲み込んでいく。

 

「モアの名前が外で広まれば、姉が帰ってくるかもしれないだろう?」

 

 自国の元国刀が亡命したと知ったら、愛と正義の平和支援会はダクラシフ商工会を目の敵にするだろう。報復を恐れたダクラシフ商工会は、ブレイドモアの存在とフィースの名前を秘匿し続けた。

 

「きっとダクラシフ商工会は事件を隠蔽する。だが、人の口に戸は立てられない。偶然誰かが見てくれればいい。噂してくれればいい。なるべく広く、遠くへ」

 

 もし仮にフィースの姉が生きていたとしても、ここに辿り着く術はない。

 

「もう一度だけ、姉に会いたい。そしてもう一度だけ、モアに心の底から笑ってほしいんだ。もう一度だけ、もう一度だけでいいんだ」

 

 だがそれは、姉が生きていればの話である。姉の誘拐事件発生からは、すでに10年を超える時が経過している。

 

「だから、お前達には派手に事件を起こしてもらいたい。世界の果てまで轟くような大脱走を」

 

 フィースは道を開け、手のひらで通路の先を指し示す。

 

「さあ、どうぞお気をつけて」

 

 微笑む彼女の目に、希望の光はなかった。

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