「どうして……」
絞り出すように、シスターがフィースに問いかける。
「どうしてそんな、嘘をつくんですか……?」
フィースの瞼がほんの少し痙攣する。
「嘘? 私が?」
ノノリカがシスターに顔を寄せ咎める。
「たりめーだろ……! そんな都合よく逃してくれるかよ……!」
「違います、ノノリカさん。そっちではありません」
思わぬ否定がシスターの口から放たれる。
「フィースさんのついた嘘は、“脱獄した後に殺す”と言った方です」
「は……!?」
フィースの目が、あからさまに揺れる。
「…………何故、そう思う?」
「だって、チグハグなんですよ。貴方の作戦は」
シスターが一歩前に足を踏み出す。
「今夜のブレイドモアの襲撃は、あまりにも早かった。何せ、私が策を看破されていると気付いた直後ですから。私は思いました。フィースさんは、なんて鋭い観察眼を持っているんだろうと。でも、違いました。折角ブレイドモアが単騎で鎮圧に動いているのに、明らかに戦力の劣った重役の貴方まで最前線に立ってしまうなんて。これではブレイドモアの奇襲の意味がありません」
「生憎だが、私にも武の心得はある。何せ、モアは私の師でもあるからな。私程度になら快勝できると思ったら大間違いだ」
「だろうとは思います。実際、ミックさんの腕を無傷で切り落とすなんて、相当な手練れでしょう。でも、問題はそこじゃありません。貴方がここにきてしまえば、私達にとって最も厄介な奥の手を封じることができてしまうんです」
「奥の手?」
「この刑務所の換気システムを停止することです」
シスターが頭上の換気ダクトを指差す。
「ここは地下深い大規模刑務所。どんなに叛乱を起こされようと、空調を止めてしまえば脱獄は防げる。そのために多くの受刑者や刑務官が命を落とすでしょうが、どうせここは刑務官含め全員無期懲役の死の国。どんな犠牲も許容範囲でしょう。だから私はブレイドモアが生身で来ることを予想しなかったんです。でも貴方は、奥の手を封じてまで直々に参上することを選んだ」
シスターはそのまま前に歩き続け、フィースの目の前まで来る。ノノリカが止めようかと狼狽えるが、シスターの意志の強さに言葉は出ない。
「……それと、貴方が私達に”ブレイドモアに殺されてもらう“と言った時、明らかに違和感を覚えたんです。ブレイドモアが殺しにくる……、刑務所の外まで、ダクラシフ商工会が存在を隠蔽しているのに?」
ノノリカが「あっ」と声を漏らす。
「そ、そりゃ確かに変だ。脱獄犯なんて、普通は軍とか警察に追わせるだろ。何でわざわざ刑務官に……。あ? でも逃したら脱獄犯が外でブレイドモアのことを漏らすから、ダクラシフ商工会的には早急に捕えたいわけで……あれ? それでもやっぱりブレイドモアより、先に
シスターが振り返らず頷く。
「脱獄程度では、ブレイドモアが外へ出ることはないんです。寧ろ、脱獄だからこそ出られない。脱獄犯によるダクラシフ商工会の最大のデメリットは、ブレイドモアの存在が露呈して愛と正義の平和支援会の恨みを買うこと。それだけはどうしても避けなければならない。刑務所の悪評だの信用だのは二の次なんです。だからきっと、私達がブレイドモアに殺されると言うのは嘘なんです」
「で、でもそれじゃ尚更おかしいじゃねぇか! フィースはブレイドモアの存在を外に知らせたいんだろ!? だったら脱獄だの何だの待たずに、ブレイドモア自身を外に出しゃいいじゃねぇか! 憑依の異能なんざ、1番脱獄に向いてるだろ!」
「それは……」
シスターが目を泳がせてから、申し訳なさそうにフィースを見る。フィースの首に悪寒が走り、声に出さず「やめろ」と口を動かす。
「これは、完全な憶測です。フィースさん。私個人の不躾な勘です」
「……やめろ」
「昔に起きた、双子の誘拐事件が起こった時、最後にお姉さんの姿を見たのは……貴方です」
「やめろ」
「ひょっとして、お姉さんは、もう……」
「“私じゃない”!!!」
フィースが大声で吼える。
「私じゃない!!! 私“は”殺してない!!!」
あの日、私達は軍の施設でモアの帰りを待っていた。待ち時間はいつも勉強をしていた。早くモアの役に立ちたくて。
「フィース、そこは先にこっちを計算するんだよ。そうすれば……ほら」
「あ、本当だ」
姉さんは私なんかよりよっぽど理解が早くて、いつも私が足を引っ張っていた。それどころか、隙を見ては休みたくなる怠惰な人間だった。でも、姉さんはいつも私の我儘を笑って聞いてくれた。
「ねえイース姉さん、ちょっと休憩にしない?」
「もう少しやったらね。もうちょっとで軍曹さんがこっちのフロア来るはずだから、そしたら給湯室貸してもらおう」
「どうして知ってるの?」
「何となく。そんな気がしただけだよ」
姉さんは私と違って優秀だった。特に交渉事にはめっぽう強かった。邪魔者扱いされていた私達は、軍の施設ではいつも肩身が狭かったけど、姉さんが上手く立ち回って過ごしやすくしてくれた。
「軍曹さん、お疲れ様です」
「お前は……姉の方か。……兵長はどうした?」
「用事があるとのことで少し離れています」
「あいつは……全く……。すまなかったな、後で厳しく言っておく」
「とんでもない! 私とフィースに気を遣ってくれたんです。ところで、お茶を淹れたいのですが給湯室をお借りしても……」
「ああ、私が淹れよう。少し待っていなさい」
軍曹さんを待っていると、中将がやってきた。前にモアを奪いに来た、叔父さんの上司。
「イース、フィース。ブレイドモアのことで話がある。来なさい」
「……今、軍曹さんがーーーー」
姉さんの顔色が変わった。中将が姉の言葉を遮って魔法を撃った。
「早く」
気を失った姉さんを抱えて、中将は私達を別室に連れて行った。
中将は、まだモアを諦めていなかった。とっくに階級は逆転しているって言うのに、モアのことをまだ自分の所有物だと思っているようだった。だから、私達ジャージト家のことを心底恨んでいたらしい。モアを育てたのは叔父さんなのに。
「ここに、2つの薬がある。両方同じ毒薬だ。これを君たちに飲んでもらう」
その時分かった。パパとママを、お爺ちゃんを殺したのは、あの日暴徒をけしかけたのは、こいつだって。
「ただ、この毒は臆病でね。死にたくない、あいつが死ねばいいって思うほどに、もう片方の薬に毒が移ってしまうんだ。頑張って念じれば、君達のうちどちらかは助かるぞ」
中将の言葉の途中で、姉さんは薬の片方を引ったくって飲み込んだ。信じられなかった。中将の言葉も、姉さんの行動も。
「姉さん……?」
「ほら、フィース。君も早く飲んだほうがいい。毒が全部移ってしまうぞ?」
私も慌てて飲み込んだ。自分でも訳が分からなかった。飲まなければ、姉さんは助かったかもしれなかったのに。
「いい子だ。ほら、苦しくなってきただろう? 毒が効いてるんだ」
喉が灼けるようだった。地面が揺れて、吐き気が込み上げた。
「頑張れ、頑張れ! 助かりたいって! 死にたくないって! あいつが死ねばいいって願え! その苦しみは、お前の家族の願いだぞ! 殺される前に殺せ!」
姉さんを恨んだことなんかなかった。信頼していた。大好きだった。でも、少しだけ、少しだけ疑った。だって、どうして私がこんなにも苦しいのか。優しい姉さんが、もしかしたら、私を憎んでいるんじゃないかと、疑った。どうしてこんなに毒が流れ込んでくるのかと。苦痛に、私は勝てなかった。
「いいぞイース! 毒は殆ど妹の方に行った! 君は助かるぞ!」
姉さんの方を見た。黙ったまま、口を押さえて下を向いている。私の口からは大量の血が溢れた。
「フィース! 頑張れ! 姉に殺されてしまうぞ!」
別に、姉さんのことを嫌っていたわけじゃない。恨んだわけじゃない。姉さんを殺して私だけ助かりたいって思ったわけじゃない。ただ、ただ死にたくないって思っただけなんだ。
だけど、本当に少し、本当に少しだけ、疑った。
こんなにも死にたくないって思っているのに、どうして姉さんより私が苦しんでいるの? もしかして、ずっと、不出来な妹だって思ってたの?
恨んでしまったかもしれない。今となっては、確かめようがない。
「目が、目が覚めたら、モアがいた。姉さんはいなかった。私は、私は助かったんだ」
フィースが両手で顔を押さえ、全身を震わせながら懺悔のように話す。先程までシスター達を圧倒していた威厳は見る影もない。
「私が助かったってことは、姉さんは死んだのかも、もし、毒が効かなくても、連れ去った誰かが殺してる。でも、でも、でも、もし、もしも、もしも」
フィースが倒れるように膝をつく。
「姉さんが生きていたら、私は、殺されるかもしれない」
姉に会いたい。でも、恨まれたくない。姉に生きていてほしい。でも、姉が生きていたら自分の罪が露呈する。
「だ、だって、あんなに苦しんだんだ。あんなに願ったんだ。あの後きっと、それ以上に、姉さんは苦しんだんだ。それ以上に願ったんだ。助かりたいって」
モアに幸せになってほしい。でも、モアの幸せを奪ったのは自分だ。モアを幸せにしたい。モアを幸せにできない。
「モアには知られたくない。知られちゃいけない。こんなこと」
救われたい。救われてはいけない。
フィースの懇願するような眼差しが、シスターを見る。
「言わないでくれ」
シスターは何も言えずに立ち尽くす。
フィースは恐れていた。この事実が露呈することを。モアに真実を知られることを。しかしだとすると、フィースの行動には食い違いが起こる。
食い違った事実に、ノノリカが思わず庇うように言った。
「なんで、なんで言っちまうんだ、んなこと……!」
一歩踏み出し、声を張り上げる。
「んなこと……! 言われなきゃオレらにゃ分かんなかっただろーが! アンタの昔のトラウマだの、姉貴がどーの、中将がどーのって……!」
シスターがノノリカの腕を引く。
「ノノリカさん」
「だってそうだろ!? オレらはモアに言いようがねーんだ! こんなこと! 今、黙ってりゃ、言わなけりゃ、フィースはオレらをどーとでもできた! なんで自分から弱点晒すような真似すんだよ!? オレらなんか恐る相手じゃないだろ!」
「ノノリカさん、それは違います」
「違うって、何がだよ!」
シスターは蹲るフィースに目を向ける。
「フィースさんが恐れたのは、私達ではなく、ブレイドモアです」
ブレイドモアは、フィースの姉、イースの末路を知らない。今でも、どこかで生きていると信じて疑わない。家族を愛してやまない。フィースを信じて疑わない。しかし、自分のことは疑う。とことん、どこまでも、これ以上ないほどに。しかし、同じようにフィースも信じている。モアの優秀さを。
「ブレイドモアは、きっとフィースさんの矛盾に気づく。何故脱獄を止めないのか。何故自分に姉を探しに行かせないのか。その答えに気付いた時、フィースさんはきっと隠し通せない。今でさえ、こんなにも狼狽えているのですから。……家族の前では、尚更のことでしょう」
「で、でも、それじゃあオレらを逃す理由にはならねぇだろ……。こんなこと言っちゃあなんだが、さっさとシスター達を処刑しとけばよかったんじゃあ……」
言っている途中で、ノノリカは「あ」と声を出す。振り向けば、ミックが気を失った”ラデック“を触腕で抱えている。
「そう。フィースさんは気付いていた。ブレイドモアでは、ラデックさんに勝てないことに」
ラデックはブレイドモアには勝てない。しかし同時に、ブレイドモアもラデックには勝てない。憑依と改造。互いに決定打のない異能者。争いの場が膠着すれば、解決策は自ずと対話に導かれる。
「どこで気付いたのかは分かりませんが、恐らくプレス機処刑の後でしょう。手遅れになった後のはず。ラデックさんの居場所が分からなくなってから。フィースさんは焦ったはずです。ブレイドモアは意識的にフィースさんを疑わないようにしているはずですが、私達第三者が話を聞けば、フィースさんを疑ってしまうから。それをブレイドモアに話してしまうから」
フィースは膝を折って地に伏し、縋るように声を絞り出す。
「頼むから、出て行ってくれ。ここから、何も言わずに」
「すみませんが、それはできません」
シスターが冷たく言い放つ。
「……何故だ。お前だって、外に出たいんだろう? 今ならエレベーターのロックは開いてる」
「そうじゃないんです。もう、私に権利はないんですよ」
「権利……?」
地面が小さく揺れる。地響きに似た、ごく僅かな縦揺れ。
「脱獄を言い出したのはゼラザンナさんです。それを引き受け、作戦を立てたのは私……。でも、今はもう脱獄は諦めているんです。あの襲撃は、
「何……? じゃあ、誰の……」
「傀君ドロド。全ては彼女の策です」
通路の壁が爆発し、土煙が吹き荒れる。
「私は、この策に一切関わっていないんです。どうなるかは、私にも分からない」
土煙から1台のバイクが現れ、運転手がシスターとノノリカに合図を出す。
「おしゃべりしてんな!! さっさと逃げろ!!」
そう叫んだバイクの運転手、ガスマスクをつけたあまちゅ屋所属のケイリが、フィースに向かって電撃を放つ。
「がっ……」
フィースは防ぐことなく電撃を喰らい倒れ込む。ミックがシスターとノノリカを抱え、バイクと並走して走り出す。
「ケイリさん! やっぱり、あまちゅ屋にも声がかかってたんですね」
「よーケイリ! お前戦えたっけ?」
「馬鹿言うなよノノリカ。私が武闘派に見えるか?」
「あー、無理そう」
「それよりシスター! さっさとラデック叩き起こせ! ヤバいことになった!」
声を荒らげるケイリに、シスターが怪訝そうに尋ねる。
「ラデックさんを? 何かあったんですか?」
「あのヤロー、偉そうに啖呵切っといてやらかしやがった……!」
ケイリがガスマスクの奥で舌打ちをする。
「ドロドがブレイドモアを逃した!! 今あんたらを探してる!!」