地上最速の哺乳類、チーター。時速100kmを超える速さで走ることができるネコ科の肉食獣。走り出してから僅か数秒でトップスピードに達し、急減速、急カーブをものともせず獲物を仕留める。狩猟のプロフェッショナル。テレビや雑誌では、往々にしてこう語られる。
しかし、これは誇張された表現である。
トップスピードは確かに恐るべき速さだが、この速度を維持できるのはほんの一瞬。走行距離も4、500mが限界。そして、全力で走った後には数十分の長い休息が必要となる。
軽量化のため、骨は軽く脆い。ライオンのように屈強な体があるわけでもなければ、ヒョウのように強靭な顎もない。やっと獲物に噛み付けても、そこから息の根を止めるまでに逃げられることも少なくない。
そしてまた、同じ大型のネコ科であるフールファングも同じ弱点を抱えている。
〜ダクラシフ商工会
檻の中で横たわるフールファング。先のレースで一着ゴールを果たした7番ディスクメモリーは、腹部を大きく上下させて必死に呼吸をしている。
今回のコースは1200m。先程のゴールタイムは1分23秒。平均時速は約50km/h。ゴール手前の追い込みでは、80km近い速度が出ていた。ライオンのような巨躯を持つフールファングからは想像もできないような猛スピードである。幾ら走りに適した生態とはいえ、心臓や呼吸器にかかる負担は想像を絶する。
全身を覆う長い体毛は体温の冷却を妨げ、肉球は土で擦り切れる。互いに原始的な回復魔法をかけ合うも、魔力疲労が重ねて襲いかかる。
しかし、本日のレースはまだ始まったばかり。これを残り21レース。たったの15分の休息で戻らなくてはならない。
檻の中を見つめるレシャロワークの後ろで、サナヤハカウァが吐き捨てるように言う。
「素人が見たって分かんないわよ。私みたいに、普段から牧場に顔を出して心を通わせているから分かるの」
「……黙れよ」
「何? 何か言った?」
振り向かぬまま、レシャロワークは鉄格子を握る手に力を込めた。
そして始まる第2レース。サナヤハカウァは再び自信満々に宣言を叫ぶ。
「3-5-9よ!! 次は3-5-9!! 愚か者以外は私を信じなさい!!」
再び大勢の人間がサナヤハカウァと同じ猫券を買い、三連単のオッズはまたしても異例の1.1倍を示す。だが、レシャロワークは反発して別の猫券を購入した。
そして外す。第2レース着順は、サナヤハカウァの宣言通り3-5-9。
パドックに戻ってきた猫達は気を失うようにして地面に倒れ込み、衆人環視の中でも構うことなく腹を見せて激しく呼吸を繰り返す。
続く第3レース。第4レース。サナヤハカウァの宣言した数字は悉く当たり、無視し続けたレシャロワークの負債は嵩んでいく。
「11-12-4!! 11-12-4よ!! 私にはわかる!!」
第10レース。第11レース。最早ギャラリーはサナヤハカウァの操り人形と化している。
「次は6-2-1に決まりよ!! 誰が見たって分かるわ!! 6-2-1以外あり得ない!!」
第16レース。第17レース。誰もがこれが対人戦だということなど忘れ、サナヤハカウァの予想を超えた予言を楽しみにしている。オッズはとっくに元金返しの1.0倍。誰も賭けなくなったせいで、他の猫券のオッズも軒並み低下している。
「10-3-7!! 10-3-7が来るわ!!」
第20レース。第21レース。彼らは漸く思い出した。
「さて、次が最後のレースだけど……」
ソファに腰掛けたまま、孤独に沈黙しているレシャロワークの存在を。今は対人戦の真っ只中であると。
「お前程の馬鹿でも、そろそろ実感が湧いてきたんじゃない? 自分のしでかした大罪の」
「んー……」
最初の便乗以外全ての予想を外しているレシャロワークは、心ここに在らずといった様子で中空を睨んでいる。
「何よ。それとも、まだここから勝つつもり?」
「あー……」
「チッ……!! まあいいわ。どうせ後で泣いて謝るのは確定しているんだから」
勝ち猫券購入が締め切られると、サナヤハカウァはレシャロワークに自らの猫券を見せつける。
「私の予想は9-7-11よ!! 見てなさい!! この勝負、必ず私の勝ちで幕を閉じるわ!!」
「へー……」
満身創痍の猫達が出走し、必死に息を切らしながら芝を駆ける。コーナーを曲がり、直線コースへ。先頭は、9番ヒトシズクハート。
「ほら!! ほら!! 私には分かるの!! 見なさい!! お前の負けよ!! お前のーーーー」
その瞬間、勝ち誇っているサナヤハカウァの猫券を握る手を、土魔法の刃が一瞬で輪切りにした。
「ひっ――――」
「とりま、リセットで」
「素人が見たって分かんないわよ。私みたいに、普段から牧場に顔を出して心を通わせているから分かるの」
「という夢を見たんだ」
「何? 何か言った?」
サナヤハカウァに問いかけられるも、レシャロワークは振り返ってその横を擦り抜けた。
「いえ、何もぉ」
そしてモニター付きテーブルの前に腰掛けると、映し出されているオッズ表の上部に目を向け、大きく溜息をついた。
”第2レース、三連単オッズ一覧表“。
「お客様? いかがなさいましたか?」
案内人が近寄ってくると、レシャロワークはすっかりふやけた紙コップを手に取り、中の水を一気に飲み干して天を仰ぐ。
「はー、クソゲー」
「はい?」
レシャロワークの持つ
しかしその逆も然り、恣意的な要素が多ければ多いほどその影響も受けやすい。ジャンケンや格闘ゲームなどの、個々人の自由気ままな振る舞いが戦況の多くを決定するイベントでは機能しずらい。精々分かることといえば、相手がグーを出しやすい人間だとか、劣勢だと王道を外す戦法をとりがちだとか、そんな曖昧なことしか分からない。だが、それ故に分かることもある。
「あのバナナゴブリン、”ヤって“ますねぇ」
小柄なサナヤハカウァの黄色いドレスを揶揄され、案内人は察しが悪いフリで顔を背ける。しかし、レシャロワークが本物の馬鹿でないことに少し感心した。
「”ヤって“いる? まさかお客様、サナヤハカウァ様がイカサマをしてると言いたいのですか?」
「まっさかー。ただ、ヤってんじゃないかって疑うくらい不満があるだけですよぉー。ただの責任転嫁でぇす。そこまで言ってませんよぉ。」
言っている。何故なら、レシャロワークが覗き見た
「であれば言葉にはお気をつけください。ここでは、人を侮辱する行為はタブー中のタブーです。もしイカサマを疑うのであれば、パドックの裏をご覧になられますか?」
「いーえ。結構でぇす」
再びサナヤハカウァの宣言が響きわたる。
「3-11-4よ!! 3-11-4に賭けるわ!!」
皆がサナヤハカウァの方を向き、猫達までもが耳を向ける。彼女は高らかに予想を告げたのち、レシャロワークの方に歩いてくる。
「お前も私と同じ券を買ったらいいわ。そうすれば、勝てはしなくても負けないでしょう?」
「はぁ。それ、オバさんも勝てなくないですかぁ?」
オバさん呼ばわりされ、サナヤハカウァの目尻が僅かに痙攣する。しかし、すぐに余裕の嘲笑を返してみせる。
「勝てない? 何を言ってるの? お前は私の後をついてくるだけ。先頭を歩くのは私!! それを見て、誰がこの勝負を引き分けだと思うのかしら?」
「システム上は引き分けじゃないですかぁ」
「……これだから貧乏人は」
サナヤハカウァは肩をすくめて首を振り、わざとらしく呆れて見せる。
「私がいつまでも予想を教えてあげると思う?」
「はぁ」
「今私が丁寧に予想を教えてあげてるのは、ギャラリーに私の価値を見せつけるため。幾ら着順を当てたところで、こっそり全通りの猫券を買ってるんじゃないかとか、実は買ってなかったんじゃないかとか、そんな邪推をされたら堪ったもんじゃない。誰一人として私を
マスカラをずっしりとつけた
「でも、最後だけは教えてあげない。レースが始まるその瞬間まで」
「……そこでも当てたらどうするんですかぁ?」
「はっ。無理に決まってんでしょ。知恵もない、知識もない、見る目も礼儀も碌でもないボロ雑巾が、大勝負で勝てるもんですか」
「分かんないじゃぁないですかぁ。可能性はゼロじゃないしぃ」
サナヤハカウァは苛立ちを露わにテーブルを殴りつける。
「馬鹿言ってんじゃないわよ!! テレビゲームのやり過ぎで脳味噌腐っちゃったんじゃないの!?」
レシャロワークは浅く溜息をついて手元の投票用紙に印をつける。それを見ていた案内人は、あまりの奇行に眉を顰めた。
「……お客様。飽くまでもアドバイスに過ぎない、と言ったのは私では御座いますが……」
「はーい。聞いてましたよぉ」
「あれは、勝負が面白いものであるよう努めるのが我々の仕事だからで御座います。自暴自棄になって勝負を蔑ろにすると言うのであればーーーー」
「勿論」
レシャロワークは投票用紙を案内人突きつけ、サナヤハカウァを睨みつける。
「見たことないくらいおンもしれぇ勝負にしてやりますよ」
「……勝負が終わったら馬鹿猫と一緒にガス室に叩き込んでやる。死に際に何を吠えるかも、いいギャンブルになりそうね」
そして始まる第2レース。
サナヤハカウァの予想は3-11-4。オッズはまたしても異例の1.1倍。
対するレシャロワークの予想は、第1レースと全く同じ7-8-10。オッズは驚異の17239.1倍。
「さあ各ゲート収まりまして……スタートしました!!」
実況がテンション高く告げる。
「まず飛び出したのは11番クリスタルアックス!! 続いて12番ボマーエクリプスーーーー」
レースの最中、サナヤハカウァが案内人に小声で話しかける。
「……万が一」
「はい?」
「万が一あの馬鹿の予想が的中するとして」
「いやまさか。そんなはず……」
「そのまさかが起こらない保証は?」
サナヤハカウァの鋭い眼光を浴びせられ、案内人は萎縮して押し黙る。
「強者は油断しないの……。予想の宣言も19レースから辞めるわ。その時に奴から投票用紙を渡されたら、こっそり別の着順に書き直してしまいなさい。奴が予想していない猫券を渡すのよ」
「えっ!? あ、いや、それは流石に……」
「何? じゃあ万が一奴が大穴を的中させた時、貴方責任取れるの? 私を貶めておいて、どうするつもり?」
「……いえ。仰せのままに」
そのうちに、猫の群れが迫ってくる。
「トップカード先頭!! 3番トップカード先頭!! 後方に5番メイキョウシスイ!! 4番アオノホウキボシ!! 11番クリスタルアックス!! クリスタルアックス速い!! クリスタルアックス速い!!」
シャッ、シャッ、と土を撫でる音が遠方から近づいてくる。先頭は依然として3番トップカード。すぐ後ろに11番クリスタルアックス。そして三番目は――――
「アオノホウキボシ!! 4番アオノホウキボシが来ました!! 追いつくか!! 追いつくか!! いや!! クリスタルアックスには追いつかない!! そのままゴールイン!!」
電光掲示板に着順が表示される。
「一着3番トップカード!! 二着11番クリスタルアックス!! 三着はアオノホウキボシです!!」
ギャラリーが湧き、その歓声を背負ってサナヤハカウァが鼻を高くしてレシャロワークを見下す。
「はっ。どんな予想をするかと思えば……。お前の予想した7-8-10はビリからの3頭じゃない。これは最下位を当てるゲームじゃないのよ? もう一度ルールを説明しなきゃダメかしら?」
上機嫌なサナヤハカウァは、これでもかと言うくらいに嘲笑と罵詈雑言を浴びせる。それもそのはず。今後サナヤハカウァが的中を続けるとするならば、レシャロワークが幾らサナヤハカウァと同じ猫券を買っても、勝利どころか引き分けることも不可能になってしまった。
「ご安心なさい。猫以下の馬鹿でも、ちゃあんと躾けてあげるわ。まずは……目上の者への敬い方からよっ!!」
サナヤハカウァがレシャロワークにビンタをしようと腕を振り上げる。その手が頬に触れる直前、レシャロワークはサナヤハカウァに目を向けることなく少し仰け反ってビンタを躱した。盛大に空振りをした彼女はバランスを崩して倒れ、空席のソファに躓いて床に肘を強打する。
「サ、サナヤハカウァ様!! 大丈夫ですか!!」
「触るなっ!!」
心配して起こしに来た案内人を追い払い、執事の手をとって起き上がる。倒れる前に支えなかった執事の脇腹を突き、叱責の眼差しを向ける。
レシャロワークが口を開く。
「勝った気になるのは早いですよぉ」
「……何か言った?」
「まだゲームは始まったばかりじゃないですかぁ。突然オッズ10000倍大当たりとかするかも知れませんよぉ」
「はっ……お前みたいな馬鹿には、天地がひっくり返ったって無理よ。お前が普段やっている子供騙しのテレビゲームとは、訳が違うのよ!!」
レシャロワークは深く、そして盛大に溜息をつき肩を落とす。
「っはあぁぁぁぁ〜……。どうしてでしょうねぇ。普段、ゲームやマンガを見ない人間ほど、ゲームと現実の区別が付かないんですよねぇ」
今度は外すまいと、サナヤハカウァはレシャロワークの胸倉を掴み睨みつける。
「何? 負け惜しみ? お前ら貧乏人は、どうしてそう口ばっかりは達者に回るのかしら」
「訳が違うとか、碌にゲームやったことないくせによく言いますよぉ。ノーダメ全パリィとかぁ、フレーム単位のキャラコン要求とかぁ、あっちもあっちで充分クソムズいんですよぉ」
レシャロワークの胸倉を掴んだ手を、サナヤハカウァは炎魔法で燃え上がらせる。炎に包まれたレシャロワークは、悠長にゲーム機をポーチに仕舞う。
「セイコン裏面ノーノークリアと比べりゃぁ、こんなレースごっこの方が子供騙しですよぉ」
そして続く第3レース。サナヤハカウァの予想は、5-1-12。
対するレシャロワークの予想は、またしても直前の着順とさほど変わらぬ3-4-11。
第3レース最終結果。5-1-12。レシャロワークの予想した3頭は、当然のように最下位の3頭になった。