〜ダクラシフ商工会
小鳥がつついたように弱気なノックが鳴る。
「苦しゅうないよ」
漫画とポテチで両手が塞がっているラルバの許可で、恐る恐る扉が開かれる。
「し、失礼します……」
蚊の鳴くような声で入ってきたのは、スヴァルタスフォード自治区の国刀、ヤクルゥだった。彼女は廃材を入れるような大きなガラ袋を引き摺ってきて、ラルバの前で中身を取り出す。ひっくり返されたガラ袋からは、明らかに内容量を超える札束が流れ出した。札束は山積みになるもすぐに雪崩を起こし、砂を撒くように床を覆っていく。
「こ、これで、全部……です」
「いいねいいね。ごくろーさん」
ラルバは指先で中空を掻く。整列魔法で札束はタンクの中に自ら並んで行き、余った札束は部屋の隅に積まれた。その量は膨大で、既に部屋の3分の1が札束で埋め尽くされていた。
「マナちゃん課長! お客さんにお茶出して!」
「……只今」
「あ、わた、私は、大丈夫、大丈夫、です」
クインテット・パレスの案内人が、ラルバに顎で使われてドリンクと椅子を用意する。ヤクルゥは言われるがままに椅子に腰掛け、申し訳なさそうにグラスを両手で持っている。
「ところでヤクルゥちゃん! ラデックとのデートどうだった?」
ヤクルゥは全身を震わせ目を逸らし、青ざめて固まる。
「キスは? エッチしたんだろ? 楽しかった? ありがとうは? ありがとうを言えよ」
「ぅぁ……ぁ……」
「他人の男寝取ったクセに被害者面で泣くの、タチ悪いよ」
「ぁ……ぁ……」
「まあいいや。慰謝料はヘレンケルから毟り取るもんねー。あ、コレは別よ?」
ラルバは足元に転がる札束から一枚紙幣を引き抜く。
「眩暈がする大金だねぇ。全部で幾ら持ってきたの?」
「ぁ……えっと、あ、は、はい。全部で……よ、40兆ハット……です。今は大体10ハットで1刻なので、4兆刻くらい……です。はい」
悪魔郷に存在する紙幣の製造工場は2カ所。ヘレンケルはラルバの指示を受けた直後に帰国し、この工場をフル稼働させた。製造ライン1本につき、1週間で刷れる紙幣は約500万枚。工場一つにつき4ラインの合計8ライン。計4000万枚。
それを魔袋に詰め軽量化させた後、ヘリコプターによって空輸。ラルバに勧められた廃ビルをヘリポートにすることによって多額の現金を密輸した。
「100万ハット紙幣のデノミ版ねぇ。素材もグッド! 用意がいいじゃない」
ラルバは"新100ハット札"を照明に翳し、透かしに入れられたヘレンケルの肖像を眺める。
「は、はい。その……ヘ、ヘレンケル様も、に、“似たようなこと”を考えていらしたらそうで……あっ、ただ、その、な、何年か見越してって話で、まだ……」
「はいはい、数年掛りの大仕掛けを、私が美味しいとこだけ持ってっちゃったわけだ。怒ってた?」
「い、いえ……喜んでました……」
「やっぱキモいなーあいつ。縁切ろうかな」
ヤクルゥはラルバと目を合わせぬように泳がせ、壁に嵌め込まれた大型モニターを見る。
「も、もうあんなに……」
モニターの中のシーソーの傾きはそう大きくない。しかし、シーソーの上にはもうじき2000億を超えるであろう現金が積まれている。
「全く、他人の金をなんだと思ってんのかねー」
「あ、あの、あの人、か、勝てるんですか……!?」
「え? 知らないよ?」
「……!? な、なんで……」
ラルバは椅子にふん反り返って、ジュースのストローを噛みながらモニターを眺める。
「アイツが金持ちぶん殴りたいって言ってたから舞台に上げただけ。あそこまで連れてってあげたんだから、後は自分でなんとかして欲しいよ」
「そ、それ、し、しし、死んじゃうんじゃ……!?」
「死んだらそれまでよ。身の丈に合わない願いには、願いに見合わない代償が要る。寧ろお得じゃない? ボブラとジャダックじゃあ、ガムでステーキ買うようなもんだしさ」
「そ、そんな……」
モニターから司会のクマフグランザの実況が響く。
「またまた互いに野豚100億!! これ見てて楽しい!? クマちゃんはつまんないよ!!」
タンクから金が送られると、ラルバはすぐさま整列魔法で金を補充する。
「そんなことよりさ、ヤクルゥちゃんって大学出てる?」
「え……? い、いえ……あの、が、学校へは行ってません……けど……」
「ふーん」
「え、な、なん、ですか……?」
「……現金を魔袋に出し入れするのって、多分国家資格要るんじゃないの? 貴重品運搬警備業務とか」
「え。……え、え、え」
ヤクルゥは自分が持ってきたガラ袋と札束を交互に見て、全身から脂汗を流し始める。
「例え自分の小遣いでも、現金は無許可で魔袋に入れちゃダメってハザクラが言ってたよ。まあ私は守らなかったけど」
「あ、え、えっと、あ、あの、あ」
「マナちゃん課長! こいつ犯罪者だよ! 逮捕!」
「……業務外行為ですので、お断りします」
「あう、あう、あう、あう」
〜ダクラシフ商工会
「あー! あっちー! いい加減降参しろよおっさん!」
「うっせぇ黙ってろクソガキ!!」
ジャダックとボブラは、互いに睨み合い金を積み続ける。流した汗が鉄板に滴り、一瞬で沸騰して蒸発する。
ボブラは意識も薄れるような熱気の中、それでも果敢に金額をコールする。
ボブラ、コール100億
ジャダック、コール100億
ラルバが用意した資金が底を尽きぬ限り、諦めるつもりなど毛頭ない。例えこの身が干涸びようとも、目の前にいる支配者を道連れにできれば本望。脳裏に響くのは、かつて救えなかった国民たちの恨み言。馬鹿な支配者共の起こした大戦争で、割りを食わされた無辜の人々。これは、その敵討ち。
「今際の際に思い出せよクソガキ……!! テメェの苦しみは、テメェが搾取し続けてきた貧乏人達の怒りだ……!!」
「んなわけあるか! この苦しみはお前の意地のせいでしかない! さっさと焼け死ねよっ!」
茹った頭でボブラは必死に唱える。まだ手の感覚もある。痺れもない。熱いが痛くはない。汗もまだ出る。このゲーム、金を失う焦燥感さえなくなれば、純粋な体力勝負に持ち込むことができる。僅かに自分の方が傾いているものの、ジャダックも決して楽というわけではない。この程度のハンデ、耐え忍んで見せる。
ベルトコンベアが金を運んでくる。忌々しい駆動音が、ぎゃりぎゃりと背後から近づいてくる。
そして、シーソーに金を積もうとしたその時。
「……なっ!?」
既に積まれていた金が、運ばれてきた金を押し除けた。既に積まれていた100億刻の塊はびくともせず、ベルトコンベアによって運ばれてきた金は、押し出されると共に横に逸れて丸ごと落下した。突然投下された”燃料“に気流は乱れ、熱風が真下から噴き上げる。
ジャダックはそれを見届けた後、満足そうに笑って椅子から立ち上がる。そして――――
「勝負アリ。ってな!」
積まれていた札束に足をかけ、押し込むようにして蹴落とした。札束の塊の上段が崩れ、ボトボトと炎の中に消えていく。そして、ボブラが呆気に取られている間に司会のクマフグランザが宣言をする。
「算出完了!! ド派手にいくぜ!!」
シーソーが傾く。ジャダックが蹴落とした額は、約10億刻。しかしボブラの方は既に20億分傾いている。傾きは30億刻分となり、ボブラは椅子の背もたれに体が張り付けられるような錯覚を覚える。
「ぐっ……くっ………!!」
「おっさん、いいこと教えてやるよ」
ジャダックはシーソーの上を歩き、金を蹴落としながら笑う。
「このゲーム、リリースしてすぐにテコ入れしたんだ。元々は金に火をつけてシーソー上で焼き殺したり、転げ落として嘲笑おうってシステムだったんだが……流石に金持ち殺すのは良くないってなってな」
ボブラも焦って自分の傍に積まれている金を崩そうとする。しかし、熱された鉄板は安物の靴底を一瞬で溶かし足裏を焼く。
「そんなわけで、傾きに限界値を設けることにしたんだ。椅子も重心下げて磁石でズレないようにして、落ちそうだけど落ちないっつースリル満点の安全なアトラクションに変更した。鉄板の表面もザラつかせて、金が簡単には滑り落ちないようにしたんだ。金自体もより滑りづらく、より燃えづらい素材に変えた。だから、どんだけ傾いても金が一気に滑り落ちたりはしないし、燃えて価値がなくなって、傾き逆転なんてことにはならないぜ」
必死に手を伸ばし、札束を引き抜いては投げ捨てるを繰り返す。しかし、椅子から届く範囲など高が知れている。ましてや積まれているのは一塊の総重量1トンの札束。力一杯押したところで、腕の力だけではびくともしない。
「システム上は、差額100億で最大の傾きになる」
ジャダックがコールボタンを押し、モニターに結果が表示される。
ボブラ、コール100億
ジャダック、コール100億
「暴れなきゃ落ちねーよ。しっかり踏ん張れよ?」
シーソーがゆっくりとボブラの方に傾いていく。ジャダックが自分の傍に積まれていた金を蹴落としたせいで、傾きはなかなか止まらない。
汗が、頬を横に伝う。前傾姿勢にならないと座っていられない。歩くどころか、立つことすらままならない急角度。山の斜面のような傾きになったところで、シーソーは制止した。
「ぐあっ……ひっ……」
「自転車で登れるギリギリの上り坂が20度。スキー場の上級者コースが30度……。細かい設計はエンジニアに任せてるから詳しくは知らねーけど、多分その辺じゃねーかな」
ジャダックは厚底のブーツで鉄板をコツコツと叩き、今にも吐き戻しそうな顔のボブラを見下ろす。
「どうだ? すげー怖いだろ? でもってめちゃくちゃ熱いだろ? 水平の時と比べて、3mは落っこちてるわけだからな」
ジャダックの傍に積まれていたハット紙幣はゆっくりとずり落ち、中央部に設けられた防壁に溜まる。
「本来であれば、俺がそっち側に行くはずだったんだよ。イイ感じにギッタンバッコンして、俺が下になって何ラウンドかした辺りで降参する。相手は数百億の賞金とプラチナボードに名前を刻む権利を得る。なんとなく気がついてると思うが、当然罠だ。
ゲーム終了時には野豚をコールした分互いに借金が溜まってる。相手は更に自分の国から金を引っ張ってきて返済をするが、こっちは新しく刷った金で返済をする。するとどうなるか? 相手は自国の金を大量に溶かした上で、それよかちょっと少ない額の刻を稼いだことになる。
1番大事なのは、残ってる金が全部“刻”ってとこだ。
相手は折角稼いだ数百億の刻を持って帰れない。当然だよな? そんな大金、誰が両替してくれるってんだよ。ましてや種銭が自国から勝手に引っ張ってきた金だ。これも当然清廉な金じゃない。おっさんもそうだろ?
だからダクラシフ商工会で使うしかない。但し、どうやって? 金はそう簡単にボコスカ使えない。このゲームに参加する奴は、大体が超有名人。馬鹿みたいな金の使い方をすれば、自分の国に必ずバレる。かと言って帰国しても大した金はない。こっちがさんざ毟っちまったからな。
つーわけでこの国で頑張ってもらうしかねぇわけだが、残念なことに、この試合は公開試合だ。クインテット・パレスの地下フロアに入れる太客限定だが、馬鹿金持ちの馬鹿さを皆見てる。要するに、鴨が葱背負った瞬間を全員見てるんだよ。
ここで稼いだ金は、そいつのための金じゃない。クインテット・パレスのお得意様への給付金なんだよ」
ジャダックはべらべらとゲームの枢軸を語る。まだゲームの途中だと言うのに種明かしをする理由は一つ。
「このゲームの用途は3種類ある。ひとつが、上の国への上納金や、友好国への賄賂としての接待プレイ。そしてもうひとつが、馬鹿の金持ちの資産を全部刻に変えて、仲間内でカモにして美味しくいただくためのマネロン。でもって最後が……」
ここから逆転する方法が、皆無だということ。
「おっさんみたいな何の価値もないドクズを、死ぬまでイジメ続ける処刑台だ。たった今から、俺にはギブアップの5文字が聞こえなくなった」
蔑みと怒りの込められた眼差しに、ボブラは返す言葉がない。
否、言葉を返す必要がない。
「……べらべらべらべらうっせーなぁ……」
「あ?」
ボブラは椅子からリモコンを引き剥がし、ボタンを押すとともにジャダックに突きつける。
「見栄っ張りなのは結構だが、装飾がやかましくて仕方ねぇ。要はあれだろ? お前はこの程度で勝ったと思ってるってことだろ?」
その疲労で弱った眼光には、微塵の嘘偽りもない。
「お前は負ける。絶対にな」
「まだわからねぇのかこのドクズは……!! 馬鹿も度が過ぎると罪だぜ!!」
ボブラ、コール100億
ジャダック、コール100億