シドの国   作:×90

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276話 無価値な石ころ

〜ダクラシフ商工会 給冥(きゅうめい)エージェンシー クインテット・パレス 地下フロア シーソーゲーム会場〜

 

 皮膚に焼けるような痛みが走る。汗が止まり、熱された空気が肌を焼いている。口は粘つき、吸っても吸っても酸素は足りない。指先が痺れ、リモコンを操作するのも覚束ない。ボブラは茹るような暑さの中で、辛うじてジャダックを視界に留める。

 

「オラオラどうしたおっさん!! デカいのは口と腹だけか!? あぁ!?」

 

 ジャダックが上機嫌にボブラを嘲笑い、傾いたシーソーの中央まで滑り落ちたハット紙幣を踏み(にじ)る。余裕綽々の笑み、立ち振る舞い。しかし、その心の奥底には決して揺るがない警戒が目を光らせている。

 

 傾きが最大になったシーソーの真ん中で、妨害防止のための魔法壁に足をかけて文字通り見下す。ガラス板のように透明な魔法壁越しに、ジャダックの視線がボブラを突き刺す。

 

 だが、彼が見ているのはボブラの外側。ボブラがここで何かをすることによって得をする者。または、自分に害を為す者。その脅威を見定めている。

 

 故にジャダックはボブラを生かしも殺しもしない。安全策をとるならば、コール100万刻で鶏だけを出せばいいだけの話。ボブラは豚で勝利してしまうことで100億の賭け金を下げられない。例えあいこにしコール金額を下げたところで無意味。鶏で金額差を倍に扱われるせいで今更金を落としても上昇は望めない。そのまま干涸びることは確実。

 

 だからこそジャダックは豚を選び続ける。ボブラに逃げ道を残し、内にある万策を絞り出す。蛇で逃げようとしてもいい。賭け金を下げて資金を守ってもいい。金を落として上昇を試みてもいい。迷わせ、選ばせ、希望の芽を残し続ける。

 

 勝負事に於いて肝要なのは、判断を誤らせること。最後の最後まで苦渋の決断を後回しにし続けた者は、自ら紡いできた凡策によって死に至る。

 

「またまた互いに野豚でコール100億!! 何度目だオイ!! この馬鹿ども!!」

 

 クマフグランザの元気のいい文句に、もうジャダックは反応を返さない。ただじっとボブラを睨み、次の一手を見守っている。

 

 ベルトコンベアが金を運び、既に積まれている金に阻まれそのまま落下していく。これまでに落下した金は1000億刻を優に超える。炎がごうごうと燃え盛り、椅子の上で微動だにしないボブラの姿を歪ませる。最早死体であるかのようにも思えるが、その手に握られたリモコンには再び金額が入力され続けている。

 

「……死にたいなら止めはしねー。さっき言った、金持ちを殺すのは良くねーって話。ありゃあくまで金持ちだったらの話だ。おっさん、どうせ代打ちだろ? 俺が手加減すると思ったら大間違いだぜ」

 

 そう告げると、ボブラは漸く口を開く。

 

「……そうか。…………悪かったな」

 

 全く意図していなかった謝罪に、ジャダックは面食らって首を傾げる。

 

「気にするなよ。俺は偉い。1度や2度の殺人で気に病むほど小さくねー」

「……そうじゃねぇよ」

 

 ボブラが伏せていた目をジャダックに向ける。

 

「こっちは殺す気だったって話だ」

 

 一瞬、音が消えたような錯覚に襲われる。長らく感じていなかった恐怖という感覚に、ジャダックは戸惑いを覚えた。それほどに、ボブラの目は確信に満ちていた。

 

「……殺す気? へえ。まあ、そりゃ残念だったな。いい年なんだから、自分の実力ぐらい把握しとけよ。おっさん」

「いや、今はもう、殺す気なんかねぇよ。ビビっちまってな」

 

 要領を得ないボブラの回答に、ジャダックは疑念よりも苛立ちを覚える。

 

「じゃあ土下座でもするか? 鉄板にドタマ擦り付けて泣いたって許しゃしねぇぞ。馬鹿の土下座なんか何の価値もねぇ」

「そうか……土下座じゃ許されねぇか」

 

 ボブラは朦朧とした意識の中、なんとか続けて口を開く。

 

「だが、オレの中で罪悪感が勝っちまったから、一応謝っておくぜ……。オレはお前を殺す」

 

 そう言ってボブラは、リモコンとは反対の手で握りしめていた紙を見せる。

 

「……何だそれ?」

「さっき、お前の方から飛んできた“紙幣”だ」

 

 薄い水色の“新100ハット札”は、ボブラの手の中でローストされたベーコンのようにひしゃげている。

 

「こいつは、お前らの使ってる“紙の紙幣”とは違う、“ポリマー紙幣”だ……。ポリプロピレンを主原料とする、所謂(いわゆる)プラスチック紙幣……」

 

 ジャダックが足元に散らばる紙幣に目を向ける。乱雑に踏み(にじ)られた札束は、ボブラが握っていた紙幣と同じように熱で変形している。それから後ろを振り向く。シーソーに積まれた千と数百億の紙幣塊の下部が変形変色し、黒い泡を吹いている。

 

「こいつは……お前らの発行してる刻と違って……熱に弱い……」

「熱に、弱い……」

 

 ボブラの言葉を反芻して、眉を顰めて笑う。

 

「……で? まさか燃やそうってか?」

「ああ、そうだ……」

 

 ジャダックは吹き出して腹を抱えて笑い、足元を覆うハット紙幣を蹴散らして見せる。

 

「だっはっはっは!! いい考えだなおっさん!! でも、残念だがそりゃ無理だ! 紙幣に引火するような温度なら、俺らはとっくに2人とも蒸し上がってるぜ! なにより、金に火ぃつけるっつーのは俺が下にいる前提の話だろ? 金はおっさんより6mも高い位置にある! この距離でどうやって引火させるっつーんだよ!」

「ああ、そうだな……」

 

 今度は、ボブラが笑う。それも小馬鹿にするような、鼻息を軽く漏らすような笑い。

 

「だから俺は待ったんだ。……お前が調子に乗るのを」

「……生憎だが、俺はずっと一片の油断もしてないぜ。ハッタリの脅しは通用しない」

「いいや、お前は調子に乗っていた。だから“最善択”に踏み出せなかった」

 

 ボブラの言葉が、初めてジャダックの胸の内を突く。

 

「完封したいなら……初っ端100億全ツッパするべきだった。掛け金総額をタンクの上限と勘違いしていた俺は、その時点で勝ちが無くなる……。だが……お前は調子に乗って、オレを(もてあそ)んだ……。本気を出すのが遅れて、オレを仕留めるチャンスをみすみす逃した。……これがお前の“最初の”ミスだ」

 

 決してその言葉を鵜呑みにしたわけではないが、ジャダック警戒して沈黙を貫いた。何も言わないジャダックの代わりに、司会のクマフグランザが疑問を投げかけた。

 

「その口ぶりだと、他にもミスがあるってことか? ボブラ」

「……もう一つのミスは、遅れて本気を出しちまったことだ。あのままオレを舐め腐って、そこそこ遊ばせたところで降参しとけば、最悪の結末は免れた……。ジャダックが言ったように、金持ち仲間で美味しくいただいとけば良かったんだ……。だが、お前は本気を出しちまった。オレみたいな無価値な奴の無価値な策より、見えない脅威を探すのに躍起になっちまった……見えてるオレから目を逸らした」

 

 ジャダックは思わず反論を差す。その理由が怒りによるものか、それとも恐怖だったか。彼自身にも区別がついていない。

 

「無価値だって分かってるなら大人しく死んどけよ。今のおっさんに何ができる?」

「……覚えとけよクソガキ。無価値な石ころも、磨けば高値で売れるかもしれねぇけどな。無価値な石ころのままでも、投げて当たりゃあ人を殺せるんだよ」

 

 ボブラがポリマー紙幣を握り潰し、ジャダックに言い放つ。

 

「お前が調子に乗ってオレを虐めてくれたお陰で、鉄板は超高温……!! 紙は燃えなくとも、熱に弱いこの紙幣なら燃える温度まで上がってる……!!」

 

 ジャダックはゆっくりと振り向き、そして足元に視線を落とす。どの紙幣も、変形はして発火には至っていない。

 

「……とんだ妄想だな。幾ら薄いっつったって、プラスチックはそう簡単に燃えやしねぇよ。おっさんが燃える方が早いぜ」

 

 ボブラ乾ききった口で、何とか舌を弾き笑う。

 

「何言ってんだ……。もう燃えてるじゃねぇか」

 

 そう指摘され、ジャダックはもう一度振り返る。シーソーに積まれたハット札の塊はどれも炎など上げておらず、下部から黒色の液体を吹いているのみ。

 

「オレが狙ってたのは、低温での燃焼……“不完全燃焼”だ」

 

 黒色の液体は、どろりどろりとシーソーを伝い、シーソー中央部にいるジャダックの方にゆっくりと流れ出している。そして、ジャダックが今まさに踏みつけている大量のハット紙幣。その奥からは、鼻を突くような刺激臭が立ち昇っている。

 

「こんだけ部屋で炎を燃やしても平気ってことは……しっかり換気はしてんだろうな。だが、トン超えのプラスチックが溶け出したら……換気程度じゃ……間に合わねぇ……」

 

 燃焼には低過ぎる温度で加熱されたポリマー紙幣が、大量のガスを吹き上げながらジャダックへと迫る。焦げた臭いが、僅かにジャダックの鼻腔を潜る。

 

「溶け始めたら一瞬だ……すぐに部屋中毒ガスで覆われる。悪いことは言わねぇ……。口が利ける間に降参しとけ」

 

 喉がむず痒い。目が染みる。目に見えぬ魔の手が、ジャダックの足元から這い上がる。

 

「このっ……ゲホッ」

 

 声を荒らげようと大きく息を吸った瞬間、無意識に咳が出た。

 

「ゴホッ……! くそっ……くそ貧乏人がああああああああっ!!! ゲホッ!! ゲホッ!!! なっ何しやがった!! 金がそう簡単に溶けるワケっ――――ゲホッ!!! ゲホッ!!!」

 

 ジャダックは足元のハット札を蹴飛ばし落下させる。積まれた紙幣の塊を殴りつけ、全力で押して突き落とす。しかし、どれだけ暴れても落とせるのはせいぜい数十キロ。登るのも難しいほどに傾いたシーソーの上には、まだ10トン以上もの紙幣が粘液を垂れ流している。

 

「……お前の読みも悪かなかった……。確かに、“オレ以外”の奴のがよっぽど恐ろしい……」

 

 ジャダックはボブラを充血た眼で睨みつける。

 

「お前も道連れだっ……!! 俺とお前、どっちが早く気を失うか――――」

「そりゃ無理だ……。だってよ、“ソコ”の防壁って、妨害対策の壁なんだろ……?」

 

 シーソー中央部に設けられた透明の防壁と鉄板の間に、溶けたポリマーの粘液が僅かに溜まっている。

 

「ガス発生源の真横にいるお前と違って……、こっちは今まで通りクソ暑いだけだ……。ここまでガスが来るのは……、お前が死んだ後だぜ……」

 

 ジャダックは突然狂ったように咳き込み始める。何かを言おうと必死に声を出すが、音は言葉にならない。シャツを脱いで口元に当てても、汗でずぶ濡れになった布ではマトモに呼吸はできない。

 

「おいジャダック……急いだ方がいいぜ……。オレも、“ソレ”は予想してなかった……」

 

 ボブラの忠告でジャダックは振り返る。積まれた1トンのハット紙幣が、溶けながらシーソーを滑り落ち始めている。

 

「押し潰されたらマジで窒息死だぞ……! ジャダック……!!」

「ゲホッ!!! ゴホッ!!! ゴホッ!!! ゴホッ!!!」

「ジャダック……!? おいっ!! 早く降参しろっ……!!!」

 

 そこでボブラは異変に気がついた。ジャダックが必死に魔法を発動しようとしている。だが、すぐに咳き込んで蹲ってしまう。呼吸がろくにできず、浄化魔法が発動前に霧散する。

 

「ジャダック!!! おい!!! 早く降参しろ!!! くそっ……!! おい司会の女!! もうジャダックの負けだろ!? 早く火を消せ!!」

 

 ボブラの訴えに、クマフグランザは涙を溢しながら答える。

 

「いい試合だった……!! 地獄の淵で編み出した狂気の策……!! 生への渇望……!! 命の輝き……!! 素晴らしいっ……!! 素晴らしいぞボブラっ……!!」

「おい何泣いてんだ!! いいからっ……早く火を止めろ!! 死んじまう……!!」

「残念だが……それはできない……」

「あぁ……!?」

 

 クマフグランザはハンカチで涙と鼻水を拭う。

 

「ゲームの敗北条件は、シーソーからの滑落か資金切れ。そしてギブアップのみだ」

「言ってる場合か!! もうジャダックに逆転の目はねぇ!!」

「いいや分からん!! 死の淵にいる人間は強い!! ボブラと同じく、ジャダックも追い詰められた淵で輝きを放つかもしれん!!」

「馬鹿言ってんじゃねぇ!! いいから止めろ!!」

「そして……ボブラ。まだ貴方の地獄も終わっていない」

 

 思わぬ言葉に、ボブラはカラカラの口で喉を鳴らす。

 

「ルールでは、死亡は敗北ではない。ボブラが死亡した場合は恐らく椅子から転がり落ちるが……、ジャダックは貴方の上にいる。彼がこのまま死亡したら、防壁とシーソーの隙間に死体が引っかかって、貴方も蒸し焼きか窒息死だ」

「なっ……!?」

「テコ入れの時に、死んだら敗北のルールは物騒だからと削除された。さあ頑張れボブラ!! そしてジャダック!! もう一度命の輝きを見せてくれっ!!」

 

 ボブラはジャダックの方に視線を戻す。彼は高温の鉄板の上で倒れ込み、皮膚を焼きながらも死に物狂いで咳き込んでいる。そこへ、1トンのポリマー紙幣の塊が、ジャダックを押し潰そうと連なり落ちてきている。

 

「このっ……くそっ……あーくそっ!!」

 

 ジャダックの咳に血が混じり、防壁に喀血(かっけつ)が飛び散る。

 

「クソクソクソクソっ……!!!」

 

 そして、ボブラはとうとう耐えきれずに叫んだ。

 

「ギブアップっ!!! 降参だ馬鹿野郎っ!!!」

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