〜ダクラシフ商工会
そよ風が頬を撫でる。それは心地よく、今し方取り戻した意識を手放せと囁く。疲労困憊の体は容易く微睡に呑まれかける。だが、その安らぎがボブラの違和感に引っかかった。
「――――試合はっ!?」
「お前の負けだよバカちん」
土埃に塗れた廃ビルのワンフロアで、布団がわりのブルーシートを剝いでボブラは飛び起きた。隣にいたラルバがムスッとした顔で巨大なケバブを頬張っており、口元をソースでぐちゃぐちゃにしている。
「……負けた、のか。そうか。そうだったな。……ジャダックは?」
「さあね。向こうが特に騒いでないから生きてんじゃないの?」
「そうか……」
「お前を直すの苦労したんだぞ? アンドロイドなんだから、あんくらいの暑さ耐えろよ。返品しちゃうぞ」
「直すのに苦労したのは俺達だラルバ」
ボブラの視界の外からハザクラとバリアがやってくる。ハザクラはコップ一杯の水をボブラに手渡し顔を覗き込む。
「気分はどうだ? 変な治療はしていないはずだが、本人の所感も聞いておきたい。どこかに違和感はあるか?」
「……いや、無い」
「そうか、ならよかった。俺も先生も初めて見る機構だったからな……完璧な修復とは言い難い」
「何言ってんだ?」
「ああ、いや、何はともあれ無事でよかった」
バリアが軽く溜息をつき、ラルバの方に目を向ける。
「”こっちは上々“。で、後どうするの?」
「へっへっへっへ。どうしよっか? 台本はできちゃったしなぁ」
「やる事ないなら寝てていい? 流石にちょっと疲れた」
2人のやりとりを見て、ボブラは顔を伏せたまま呟く。
「……あの”策“は、お前が考えたのか? ラルバ」
「んー?」
ラルバがあざとく首を捻ると、ボブラは恨めしげに続ける。
「ポリマー紙幣を使った策だ……! お陰でオレもジャダックも死にかけた……!」
ボブラがポリマー紙幣を用いた毒殺戦法に切り替えたのは、ジャダックが金を落とし始めた後。たまたま自分の手元に飛んできた、熱変形したポリマー紙幣を見て思いついた策である。
しかし、同時に戦慄もした。もしジャダックがボブラを完封しなければ、死んでいたのは自分だったかも知れないのだから。
「シーソーが水平のまま温まっちまった場合、毒ガスは同じ高さにいるオレ達2人を平等に殺す! 危うく死にかけた! 何で最初っから言わねーんだ!」
「いや私も知らなかったし」
「はぁ!?」
ラルバはケバブを食べ切ると、切り分けられていないローストチキンに齧り付く。
「あのポリマー紙幣、本来は刻紙幣に混ぜて騙し討ちに使うんだろうね」
「ちょ、ちょっと待てオイ! あ、あのポリマー紙幣は今回のために用意されたモンじゃねーのか!?」
「うんにゃ。ヘレンケルがいつかやるかもって取っておいた試作だよ。相当熱に弱く作ってあったし。でも多分毒殺は想定外。普通に火点けて火達磨にして殺すの想定してたと思うよ」
「じゃ、じゃあ、お前の策は!? お前はどうオレを勝たせるつもりだったんだ!?」
「だぁから無いって言ってるでしょうよ」
ボブラの顔から血の気が引いていく。
「なぁによ、今更怖気付いたの? 殺すだの何だの大口叩いておいて、自分は死にたくないってんじゃワガママが過ぎるんじゃないの?」
「……ああ、怖気付いた。いざ死ぬだの殺すだのってなったら、踏ん切りつかねぇもんだな」
「あっさい復讐心だな。お前は悪者退治より、ネット掲示板で誹謗中傷書き込んでるのがお似合いだよ」
「だろうよ」
「うわ、聞き分けがいい」
ダン!! と、ボブラが拳で自分の足を殴りつける。悔し涙が溢れ、ブルーシートを伝っていく。
「真面目に頑張ることもできねぇ……!! ケツに火がついたって走らねぇ……!! 見下されても、頼りにされても動けねぇ……!! 挙げ句の果てに、テメーで大見得切った癖して、いざ敵が目の前で苦しめば怖気付く!! オレはっ……何の役にも立たないゴミカスだ……!!」
「知ってるけど」
「悪かった、ラルバ……。無理言っちまって。もうオレは、お前らについていく資格がねぇ……。置いていってくれ」
俯くボブラの肩にハピネスがポンと手を置く。
「ハピネス……お前にも、謝らなきゃならないな。オレに何を期待してたのかは知らんが、その期待が何であろうと、期待外れだっただろ」
「ああ。全くの期待外れだ。全くもって、”期待通りに期待外れ“だったよ」
奇妙な言い回しに、ボブラは眉を顰める。それをハピネスは面白そうに眺め、酒の缶を開ける。
「ボブラ。貴方が思っている以上に、我々には見る目がある。貴方の頑張りも、不甲斐なさも、勘違いも空回りも不器用さも情けなさも、全て我々は分かっている」
「……オレが負けるって、分かってたのか?」
「いいや?」
「じゃあ、やっぱり勝つと思ってたのか?」
「いいや?」
「……何が言いてぇんだ」
ハピネスは爽やかな笑顔で、まるで慰めるかのように優しく語りかける。
「我々は、そもそも貴方の勝ち負けに興味がない。だが、貴方が不器用に情けなく勘違いして頑張って不甲斐なく空回りした結果、我々が望んだ通りの結果が得られた」
「勝ち負けじゃない……? じゃ、じゃあ、何のためにあんな……」
「無駄だとは思うが、考えてみるといい。折角ネタバレなしでここまで来ているんだ」
それからボブラは暫く唸り声を上げて考え込むが、ハピネスの言っていることは理解出来ない。すると、そこへジャハルが靴音を響かせてやってくる。
「分かるわけないだろう。バレないようにやっているのだから」
「おや、ホイップフラペチーノ指揮官。随分早かったね」
ジャハルはわざと深く溜息をつき、ハピネスの手から酒を奪い取る。
「大体はゾウラに引き継いだ。子供にやらせることではないが、適任だろう。私は後処理だ」
「それはご苦労。まあ君達で考えたことなんだから、好きなようにやりなよ」
まるで分からぬ会話に、ボブラは怪訝そうにする。ジャハルは申し訳なさそうに目を伏せてから、ボブラに説明を始める。
「巻き込んですまないな、ボブラ。貴方の役割は”陽動“だったんだ」
これまでの出来事は全て、ハザクラの考案した策であり、それをラルバが自分好みに手を加えた台本である。
クインテット・パレスに、ラルバ、レシャロワークを送り込み、内部の歪みを暴く。案の定サナヤハカウァの考案したキャットレースは粗末な紛い物で、それを口火に攻略を開始することにした。
シーソーゲームの参加権を得るとともに、ダクラシフ商工会に大量の金を用意させる。その間に、ハザクラ、ジャハル、バリアの3名が”シーソーゲーム会場に潜伏する“。ボブラとジャダックが戦う最中は、炎の海に覆われるシーソーの真下に。
そしてゲームが進行するにつれ落下してくる大量の紙幣を、バリアの異能で保護、ハザクラとジャハルが回収。これにより、”財貨統制会すら預かり知らぬ多額の現金“を手に入れる。
「あのゲームで下に落下した現金は1800億刻。そのうちの殆どは、今ゾウラが貧困層を中心にばら撒いて回っている。政府の関知しない所でばら撒かれる大量の紙幣……急速なインフレが発生する。ダクラシフ商工会は混乱に陥るだろう」
ボブラは口をあんぐりと開けたままジャハルを見つめる。
「このシーソーゲームで私達が狙っていたのは、ダクラシフ商工会の市場を麻痺させることだ。故に、試合が早期に決するであろうレシャロワークやハピネスを参加させるわけには行かなかった。……言い方が悪いのは承知で言うが、ボブラは相手をつけ上がらせるのに適任だった。ラルバの人選とは言え、すまないことをした。謹んでお詫びを申し上げる」
深々と頭を下げるジャハル。ボブラは暫く俯いていたが、やがて小さく口を開いた。
「……これから、どうなる?」
「どうなる……とは?」
「この国だ。ハザクラが世界征服を企んでるっつーのは聞いたが……。まさか、滅ぼすのか?」
「いや……」
ジャハルは難しい顔をしつつも、目を逸らさずに答える。
「その予定はないが、そうなるのかも知れない。正直に言うと、私もそこまでは知らないんだ」
「……ラルバの領分か?」
「いや、ハザクラの描いた筋書きだ」
「……!? じゃあ、知らないっつーのはどう言うことだ? 気に入らねぇ国はどうでもいいってのか!? 国民はどうなる!!」
「そうじゃない」
興奮し始めるボブラの両肩を掴み、ジャハルは真剣な眼差しで答える。
「征服の方法にも、色々あるということだ」
「色々って……」
「我々は人道主義自己防衛軍。決して人道に背くことはしないと誓おう」
「……信じていいんだろうな」
「勿論だ。“腐敗した権力者”以外は、必ずや救済してみせる。世界を征服する者の、当然の覚悟だ」
〜ダクラシフ商工会 大統領官邸 執務室〜
「今、何と言った? カーガラーラ」
ダクラシフ商工会大統領“ガナタアワシャ”は、信じられないものを見るように目を見開く。
「ですから、暫くの間休暇を頂こうと思っているのです」
造幣局長のカーガラーラは、淡々と言い切る。
「馬鹿を言うな!! 今の状況が分かっているのか!? 獄帥イチルギに、ヘレンケル・ディコマイトと、闇妃ヤクルゥまで来ている!! 人道主義自己防衛軍の侵略も!! 笑顔の国からの返事もない!! この緊急事態に休暇だと!?」
「私が抜けて、困ることでも? シャマニ専務ではダメなのか?」
「いざって時に責任者がいなくてどうする!! 今や、今日明日で何が起こるのか分からんのだぞ!! 第一、上の国への訪問は誰が行くんだ!? 代理でも立てるというのか!? 許されるわけがないだろう!!」
「許される許されないではないのです。ガナタアワシャ大統領。休暇を、取ると、言っているのです」
「カーガラーラ……!! 何が気に入らない……!? 我々為政者にプライベートがあるとでも思っているのか!? この期に及んで!?」
ガナタアワシャは鷲鼻を真っ赤に充血させて凄むが、カーガラーラは子供を諭すように冷たく言い放つ。
「家族と――――」
「家族……?」
「家族と、ヒトシズク・レストランにでも行こうかと思いまして。ここのところ、家内も働き詰めですから。息子達がまだ小さかった頃、いつか連れて行ってやると約束したっきりだったのを思い出しまして」
「きっ、きさ、貴様っ……!!」
「それでは、荷造りがありますので」
そう言ってカーガラーラはジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めて背を向ける。怒り心頭に発したガナタアワシャが激昂する寸前、カーガラーラは思い出したかのように立ち止まる。
「あ、そうそう。“ガナタ君”」
振り向いたカーガラーラの目が、どこか寂しげに澱む。
「幼馴染のよしみだ。君もどうかな? 宿にはあと1人分は余裕がある」
「……馬鹿にするのも、大概に、しろ……!!! カーガラーラァ!!!」
廊下まで響く怒声を真正面から受け、カーガラーラは諦めた様子で深く息を吸う。
「失礼しました。では」
足早に執務室を出て行くカーガラーラ。その去り際、聞こえぬよう小さく呟いた。
「じゃあな。ガナタ君」