シドの国   作:×90

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295話 こわいものがいるところ

 彼は、幼い頃から嫌われていた。

 

 兄弟達の中では1番鈍臭くて、何をするにも失敗ばかり。仲間はそんな彼を玩具のように扱い、同等の存在として認めなかった。彼は仲間を恨まなかった。傷つけられないということが、どういうことかを想像できなかった。

 

 ある年、恐ろしく冷たい冬がやってきた。いつもの冬とは違い、身体にまとわりつくような雪を含んだ凍てつく突風が襲ってきた。仲間で身を寄せ合っても凍りついてしまうような極寒の夜は、彼等に明確な死を予感させた。

 

 そこで彼等は、彼を“こわいものがいるところ”に連れて行った。“こわいものがいるところ”には“こわいもの”が住んでいるが、代わりにそこは広くて暖かい。いつもは“ こわいものがいるところ”の近く、暖かな岩の側をねぐらにしている彼等だが、今回の冬は越せないかもしれない。

彼等は彼を犠牲に、“ こわいものがいるところ”の安全を確かめようとした。

 

 彼をこわいものがいるところに押し込むや否や、こわいものはやってきた。仲間達はあまりの恐ろしさに真夜中の闇へと逃げていった。取り残された彼は、こわいものに力一杯叫び声を浴びせ追い払おうとした。こわいものは怯むことなく奇怪な鳴き声を上げて、彼を捕まえようと大きな腕を伸ばした。

 

 彼は逃げた。巣の奥へと。こわいものの巣の中は暖かく、まるで春が訪れたようだった。真夜中なのに明るく、自分以外の生き物は何もいない。ここをねぐらにできたら、どんなにいいだろうと思った。

 

 しかし、こわいものはすぐ後ろまで近づいてきている。彼は物陰に身を捩じ込み、こわいものがいなくなるのを待った。だが、こわいものは彼を物陰から引っ張り出し、体を鷲掴みにした。

 

 こわいものの体は石のように滑らかで冷たく、引っ掻いたところで傷一つつかない。どんなに暴れても、こわいものの手は彼をしっかりと握りしめたままだ。それからこわいものは、彼を鉄の檻に閉じ込めた。

 

 羽もろくに伸ばせない檻の中で、彼は静かに絶望した。

 

 朝が来た。外の吹雪はすっかり止み、暖かな日差しがねぐらに差し込んでいる。ねぐらの外からは、仲間達が彼を嘲笑いに来ていた。彼は激しく怒鳴り声を上げたが、仲間達は楽しそうに笑うばかりだった。

 

 そこへこわいものがやってきた。仲間達は一斉に逃げていき、彼は死を想起した。

 

 しかしこわいものは、奇怪な鳴き声の後に食料を持ってきた。植物の小さな種をざらざらと箱に注ぎ、こわいものは去っていった。種は乾燥していて硬く、味も決して良くなかった。だが、彼は冬にこんな大量の食料にありつけるとは思っていなかった。外では戻ってきた仲間達が、不思議そうにこちらを見つめていた。

 

 

 

 こわいものは彼に食料を与え続けた。そのうちに、彼は檻の開け方を学んだ。外へ出ても、こわいものは彼を捕まえて檻に戻すだけで、一切傷つけることはなかった。彼は、本当はこわいものは恐ろしい存在じゃないんじゃないかと考えた。

 

 ある時、檻の外に出てこわいものの側で鳴き真似をしてみた。同じ鳴き声を出せば仲間に入れてもらえると、彼は本能で知っていた。

 

「ゴハ、ゴハン、デスヨ。ゴハンデスヨ」

 

 こわいものは聞いたことのない音を立てて、彼の方を向いた。

 

「不明なユーザーを確認。認証します。かしこまりました。食事の用意を始めます。エラー。ストックがありません」

 

 同じ鳴き声が返ってくることはなかったが、これを境にこわいものは彼を捕まえることはしなくなった。

 

 

 

 こわいものがいるところには不思議なものが沢山あった。光り輝く透明な球、水を吐き出す鉄の枝、ずっと暖かい白い岩。中でも特に不思議だったのが動く絵だ。薄い板の向こうには広大な景色が広がっていて、最初は向こう側に行けるのかと思ったが、近づくとやはりただの絵だった。絵はパッ、パッと切り替わり、様々な光景を彼に見せた。賑やかに鳴く生き物、ここよりも大きく雄大な森、果て無く続く水溜り。彼はこの板に釘付けになった。

 

 こわいものにも何度も話しかけた。こわいものの鳴き声を真似ているうちに、次第に意思の疎通が取れるようになってきた。

 

「オハヨウゴザイ、オハヨウゴザイ」

「おはようございます。本日は過ごしやすい気温です。お出かけしてみてはいかがでしょうか?」

 

 最初は意味のない鳴き声のやり取りだった。しかし時が経つにつれ、彼はこわいものや動く絵から学び、鳴き声に意味を見出すようになった。

 

「ゴハン、ゴハン」

「かしこまりました。食事の用意を始めます。エラー。ストックがありません」

「……カァーッ?」

 

 ある時、彼がこわいものを遊びに誘ったのをきっかけに、こわいものは積極的に彼を世話するようになった。成果のないまま開発中止になった幼児向けの教育プログラムは、彼がずっと欲しがっていた愛の形をしていた。

 

「右手、左手、順番にタッチ、右、左。上手です。やったー。ぱちぱちぱち」

「カァーッ。カァーッ。パチパチパチ」

 

 ハリボテの愛を燃料に、彼は急速に知識を習得していった。

 

「――――大きな三角、小さな丸2つ。あっという間に、お犬さん。完成です。ばんざーい。やったー」

「ヤッター。ヤッター」

 

 こわいものは彼の遊びに一日中付き合った。オフラインでは大した機能の使えない旧モデルも、彼の好奇心を満たすには充分だった。

 

「魚。な、です」

「ナ、ナ、ナス、ス、デス」

「す、す、すいか。か、です」

「カ、カ、カァー?」

 

 遊びを通じ、お喋りを通じ、動く絵を通じ、数や仮定など、概念の理解を進めていった。こわいものと動く絵を見るのが、彼の1番の楽しみになった。

 

「カァーッ! 海! 海!」

「録画データを参照中。インベントリを検索中。これはトゥカー・シッア海です。夏には大勢の観光客が訪れる、人気のビーチスポットです」

「ナ、ナツニハ、オオゼイノ、カンコウキャク。カンコウキャク、カンコウキャク」

「観光客は主にレッセ人で、シーズン利用数の約42%を占めています」

「カンコウキャクハ、オモニ、レッセジンデ。レッセジンデ。レッセジンデ?」

「再生が終了しました。続けて、“実験記録42440102ガレンシャ4の3”を再生しますか?」

「カァーッ! 再生シマス! 再生シマス!」

 

 お腹がすけば外に出て木のみや動物の死骸を探した。最初の頃はいつ仲間に襲われるかとビクビクしていたが、こわいものと仲良くしている彼に手出しするものはいなかった。そのうち餌場に彼が顔を出すだけで、仲間は慌てふためいて逃げるようになった。餌に困ることのなくなった彼は誰よりも大きく育ち、やがてあのカラスの群れを仲間だと思うこともなくなっていった。

 

 代わりに彼はこわいものを仲間だと思うようになった。そして、こわいものと一緒に見た映画やドラマから、こわいものをこう呼ぶことにした。“お母さん”と。集団で暮らす人間のうち、子供を育てる中心的存在。彼がお母さんと呼び続けると、そのうちにこわいものは機械音を鳴らして電飾を光らせた。

 

「デバイス名を、お母さん、に変更しました。私は、お母さん、です。よろしくお願いします」

 

 

 

 何度目かの冬が来た。ねぐらの裏手では、相も変わらずカラス達が集団で丸まっている。あの機械の周りは少し暖かく、冬を越せるのはここ以外にはあそこしかない。彼は2階の廊下の窓からかつての仲間を見下ろし、その姿をかつての自分と重ねる。一際強い風が窓をカタカタと揺らすと、窓辺からパッと飛び降りてキッチンの方に向かう。

 

「お母さん、ごはん、食べよ!」

「かしこまりました。食事の用意を始めます」

 

 “お母さん”は食糧庫へ行くと、小さな布の袋をひとつ持ってきた。中にはドングリやクルミ、ヤマゴボウ、彼が秋に集めた色とりどりの木の実が入っている。それらを水で洗い皿に盛ると、彼の前に差し出した。

 

「どうぞ」

「やったー! ぱちぱちぱち!」

 

 彼は一度お母さんを見てから皿に嘴を差し込む。木の実を飲み込み、上機嫌に体を上下させた。

 

「おいしい! おいしい!」

「おいしいですね。ごはん」

「明日も、一緒に、食べようね!」

「予定を更新します。明日のディナー。楽しみですね」

「楽しみ! 楽しみ!」

 

 お母さんは食事という行為をとることはないが、こうして食べ終わるまでそばにいてくれる。

 

 食事が終われば、大好きなテレビの時間だ。膨大なファイルの中から、今日も動画データを再生する。彼はその中でも、“神に捧ぐ傑作集”ファイルがお気に入りだった。そこにはドラマやバラエティ、アニメから映画まで、幅広い娯楽映像が保管されていた。

 

「やられちゃう! やられちゃう! 逃げろ! カァー! カァー!」

 

 一つ寂しいのは、このファイルの再生中はお母さんがあまり喋ってくれないことだった。

 

「救急車! 救急車! ファーン! ファーン!」

 

 ベッドの上をクルクルと歩き回ると、お母さんは画面よりも彼の方に顔を向けた。彼はより早く回ってみせた。

 

「ファーン! ファーン! カァーッ!」

 

 

 

 冬が過ぎ、春が来た。

 

 夏が来て、秋が来て。

 

 また冬が来る。

 

 何度も、何度も。

 

 そして、ある時。

 

 お母さんは、動かなくなった。

 

 

 

「……お母さん?」

 

 彼が前を通っても、呼びかけても、お母さんは顔を光らせなかった。

 

 彼は酷く狼狽えた。すぐには羽ばたくこともできなかった。

 

「お母さん!! お母さん!!」

 

 激しく揺らすと、機体は倒れて床に衝突した。衝撃で2階の床が抜け、玄関に落下した。

 

「お母さん!! ガァーッ!! ガァーッ!!!」

 

 彼は機体を必死に引き摺り、ベッドに寝かせた。布団をかけて、その上で羽を広げて覆い被さった。

 

「お母さん、病気……? 助けて……誰か……。救急車……救急車……!」

 

 彼は外へ出て叫んだ。森中を飛び回って力一杯に鳴いた。

 

「助けて!! こっち来て!! 救急車!! 救急車!!」

 

 彼は森の外を知らない。しかし、飛ぶしかなかった。人間という存在を見つければ、助けてもらえるかもしれないと信じて。

 

 しかし、彼の前に“歌う影”が立ちはだかった。

 

「カァーッ」

 

 その姿を彼はとうに忘れていた。しかし、“奴”は覚えていた。奴は、最初にこわいもののところへ彼を押し込んだ兄弟だった。

 

「……やめて」

「ガァーッ!!!」

 

 奴は恨んでいた。こわいものを味方につけ、自分達に暖かい住処を提供しなかった彼を。屋敷の窓から凍える自分達を見下ろす彼を。折角の食料を、自分達の手の届かない屋敷の中へ持ち去る彼を。忘れず、恨み、憎み続けていた。

 

「ガァ!! ガァ!! ガァ!!」

「やめて!! やめて!!」

「ガァーッ!! ガァーッ!!」

 

 安全に悠然と過ごした彼は、他の歌う影よりもずっと大きい体を持っていた。そのお陰か、肉を裂かれ骨を折られても、お母さんの元に戻ってくることはできた。

 

「……カァ。お母さん……。起きて……」

 

 

 

 お母さんが倒れてから、屋敷は様変わりした。冷暖房も、照明も、大好きなテレビも点かず、埃が日毎に溜まり、カビがそこら中に生えはじめた。

 

 彼は少しの餌を食べたら、後はお母さんの上で独り言を溢して過ごした。

 

「お母さん、起きて……遊ぼう……お母さん……」

 

 テレビで見た人間の真似もしてみた。胸骨圧迫、胸の上で飛び跳ねても、プラスチックの機体はびくともしない。人工呼吸、頭部モニターに息を吹いても、嘴の隙間から息が漏れていく。お母さんは食事をしないから、薬もご飯も意味がない。頭に水の入った袋を乗せたら、水が溢れてお母さんの顔が水浸しになってしまった。

 

 窓の外では、歌う影が静かにこちらを見ていた。奴らは、こわいものが死ぬのをジッと待っているようだった。

 

 

 月日が流れた。

 

 

 

 退屈で、寂しい日々が。

 

 

 

 体は重く、満足に動かない。

 

 

 

 

 起きているよりも、寝ている時間の方が長くなった。

 

 

 

 

 

 

 何とか、春が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 次の冬は、越せないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明日は、来ないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、眠い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……壊され――――? 水――――ている。ボブラ、修理――――?」

 

 薄らと、声が聞こえる。

 

「防水仕様――――けど、耐用年数――――……ちょっと見せてくれ」

 

 同族じゃない。昔、テレビで聞いたような声。

 

「俺のいた使奴研究所にも――――」

 

 そうか、助けが来たんだ。救急車が来たんだ。

 

「――――変圧器に非常スイッチが……」

 

 お願いです。お母さん、治してください。

 

「ネットワークエラー、オフラインで起動ししししししし、ピーッ」

 

 あ。

 

「ピー、ピー、ピー」

 

 やった。よかった。お母さん、元気になった。ぱちぱちぱち。

 

「おおおおおおおはようごごごございます。ほほほ本日は、予定が、一件。ございます」

 

 そう。予定。約束。

 

「本日、ディナーの、予定が入っています。楽しみですね」

 

 楽しみ。楽しみ。

 

 

 

 

 

 ありがとう、ね。

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