シドの国   作:×90

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300話 愛

 幸せな家庭だった。

 

「おとうさん帰ってきた!」

「お帰りなさい」

「ただいま〜! ハピネス! お土産貰ってきたぞ〜!」

 

 面白くて愉快な父。優しい母。幼き日のハピネスは、この幸せがずっと続くと信じていた。

 

「ほ〜れハピネス、変な顔〜」

「あーはははははは! 変な顔〜!

「ほら2人とも。ご飯できましたよー」

 

 母のクァイネスは、ハピネスを溺愛した。父も同じように溺愛した。ハピネスもそれに応えた。側からみれば、それは理想の家族だった。

 

 ただ、この父。グドラという男の価値観が歪んでいた。面白いことをしたい性分の彼は、面白いこと以外にまるで興味がなかった。

 

「グ、グドラ様、それはポポロ様の大事な盃では……?」

「おう! これにションベンしてジジイに飲ませたらよぉ、めちゃめちゃ面白いと思わねーか? だはははは!」

 

 倫理、道徳、衛生、客観的視点の殆どが、碌に機能していない。

 

「ああああああああっ!!! あああああああああああああっ!!!」

「エンファ様!! おやめ下さいエンファ様!! シュ、シュガウィス様っ!! 助け――――ぎゃああああああっ!!」

「…………グドラ、何したの?」

「なはっ。エンファの奴よぉ、お前の旦那が帰ってきたぞつってナメクジ渡したら、ぐふっ、まんまと信じてよぉ。ぬふっ」

 

 妻を愛することも、子を喜ばせることも、面白いことがしたいという目的の副次的なものでしかない。何よりそこに、“相手が面白がってくれるか”という要素は存在しない。

 

 主に世論では、人を傷つけるお笑いはするべきではない、と語られることは多い。しかしそんな大衆の願望とは裏腹に、人を笑いに導く殆どの要素が人を傷つける可能性をはらんでいる。滑稽な言動、奇妙な外観、異質な思考類推。偏見。極論。一歩間違えば差別や嘲笑になるような、普通ではないものは人の笑いを誘う。

 

 グドラは、加減を知らない。

 

「ハピネス! 誕生日おめでとう!」

「おとうさんありがとう! ……おかあさんは?」

「どこ行ったんだろうな? かくれんぼだ! 探してみようか!」

「うん!」

 

 人の痛みがわからない。苦しみがわからない。ただ、慌てる様子が好きで、驚く姿が好きで、滑稽に苦しむ姿が好きで。だから、どんな残酷なことでさえ、彼の中の面白さを諦める理由にならない。

 

「おかあさーん? あ、エンファさん! おかあさん知りませんか?」

「…………」

「あっち? ありがとう!」

 

 例え苦しむのが、最愛の人間だったとしても。興味より優先することはない。彼にとって、愛は大した価値を持たない。

 

「あ! おかあさん見つけ――――」

 

 薄暗い石造りの部屋で、母を見つけた。母は木製の柱に縛り付けられ、虚に微笑んでいる。

 

「ハ、ハピネス……」

「おかあさん……? 何……してるの……?」

「お! ハピネス来たか! 見つかっちゃったー! ってな!」

「おとうさん? どうして、どうしておかあさんに酷いことしてるの? やめようよおとうさん!」

 

 ハピネスは母に駆け寄り、縄を解こうと爪を食い込ませる。

 

「このっ……んんっ……!」

「ごめんなさい……ハピネス……。怖かったわよね……」

 

 ただでさえ虚弱体質の母は、げっそりした顔のまま必死に笑顔を保っている。もう長い間薬を飲んでいないのだろう。

 

「やだ! おかあさん! 謝らないで!」

「あなたをマトモに産んであげられなくて……ごめんなさい……」

「誰か!!! シュガウィスさん!!! エンファさん!!!」

「自分の力を恨まないで……。お母さんがいなくても……幸せになってね……」

「やだ!!! シュガルバさん!!! レオライヤさん!!! 誰か来てください!!!」

「邪魔だ!!! このクソガキァ!!!」

 

 グドラがハピネスを突き飛ばした。そして炎魔法で母の足元の薪に火をつける。

 

忌面(いみづら)には罰を!!! 笑福の罰を!!! だーっはっはっはっは!!!」

 

 生まれて初めて聞いた父の怒号に、ハピネスは恐怖で腰を抜かす。燃え盛る炎が母を包んでいく。

 

「がーっはっはっはっはっは!!!」

「ふふ……はは……ははははははははは」

 

 グドラの声につられて、母が笑う。

 

 薪に混ぜられていたのは、猛毒の植物と菌類。麻薬にも使われるこの毒物は、過剰摂取により突発的な笑い発作を引き起こす。

 

「はっはっはっはっはっはっはっは!!!」

「あははははははは!! ゲホッ!! ははははははっ!!! ゲホッ!!! ははっ!!! ガッ、コッ」

 

 母は発作で大声で笑い出した。意思に反する大笑いは体力を奪い、肺の中の空気を全て吐き出させ、息を吸うことも許さず笑声を要求した。それに呼応するように、更にグドラが大笑いを被せる。

 

「がははははははははははっ!! ひー!!!」

「カッ、カッ、カッ」

 

 空になった肺から声帯に空気が供給されることはなく、笑い声は舌根が喉を叩くだけの破裂音として出力される。込み上げる笑いと延焼が、母を焼き焦がしていく。

 

 地獄の苦しみの中死んでいく母と、腹を抱えて笑うグドラ。ハピネスは察した。これも、グドラにとっては愉快な冗談なんだと。変な顔を見せて笑わせる行為の延長線上なんだと。

 

「あーっはっはっはっは……」

 

 グドラは笑い終えると、本気の威嚇でハピネスを睨みつけた。

 

「ひっ……」

「俺の邪魔しやがって……このガキァ……!!!」

 

 それからゆっくりと近づいてきてから、満面の笑みでニコッと笑った。

 

「なんつって! 冗談だよーん!!」

 

 怯えるハピネスを片手で抱き上げ、それから母の死体を換気口から外へ放り投げた。母の遺体は外の堀に落ち、排水路へと流されていった。

 

 後から知ったことだが、母は笑顔を絶やしたことはなかった。忌面の禊(いみづらのみそぎ)は、笑顔を絶やした者に課される罰。冤罪であるということを含め、グドラの冗談であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ……! ハピネス……! ハピネス……!!」

 

 もう2度と会うことは叶わないはずの、実の母親、クァイネス。ハピネスが幼い頃、彼女は死んだ。他でもない、グドラに殺されて。ほんの冗談で殺されて。

 

 ハピネスは思わず防壁に近寄る。防壁はまるで受刑者と面会者を隔てるアクリル板のように2人を分つ。

 

「お母さん……」

「ハピネス……!! 大きくなったわね……!! ああ、酷い火傷……大丈夫? 痛くない?」

「……うん、大丈夫……」

「ごめんなさいハピネス……辛かったわね……寂しかったわよね……!! あなたが辛い時にそばにいられなくて……本当にごめんなさい……!!!」

 

 防壁越しに手を合わせる。クァイネスの姿は死亡した時と変わらず、既にハピネスは年上になっていた。しかし、それでも2人は親子であった。

 

「ハピネス、お母さんとまた暮らしましょう? 今度は、ハピネスが悲しむことなんか絶対にしないからね。レオライヤちゃんがね、お家も用意してくれるって」

 

 ハピネスの頭に、ずっと夢見ていた光景が広がる。母の膝の上で、本を読んでもらう自分。母に屋台の玩具をねだる自分。

 

「今まですっごく頑張ったのよね。お母さんにも、お話聞かせて?」

 

 母と街を歩く自分。母にプレゼントを渡す自分。喜んだ母の顔。カビ臭いベッドの中で、何度も思い返した妄想。

 

「だから、ハピネス。また一緒に暮らしましょう?」

 

 ずっとずっとずっと欲しかった。返して欲しかった。世界で1番、大切な宝物。

 

「行かないよ」

 

 それはもう、1番じゃなくなった。

 

「……え?」

「お母さん。私は、貴方を心の底から愛している。今も、昔も」

「じゃ、じゃあ……」

「それと同時に、心の底から憎んでいる」

 

 子供は大人になった。盲目的に信じていた愛の歪さを知った。

 

「貴方は、本当に優しい人だ。愛を、愛するということを、この世の何よりも優先することができる。だが、ある意味で夫婦似たもの同士だ。貴方の言う“一緒に暮らす”の中には、グドラも入っているんだろう」

 

 クァイネスは困惑した顔のまま固まる。グドラと、旦那とハピネスと3人一緒に暮らすことが、どれほどのことなのかを理解していない。一般論では拒絶されそうだと言うことまでは分かっているが、まるで現実感を持っていない。

 

「グドラが冗談を何より優先するように、貴方も愛を何より優先する。あんな凄惨な死を遂げておいて、グドラをまだ愛している。まだ子供の横に置こうとしている。私は、心の底から貴方を軽蔑する」

「ハ、ハピネス……? どうして、どうしてそんな酷いこと、言うの……?」

「産んでくれた恩を感じている。あの男の子供を産んだことを軽蔑している。育ててくれたことに感謝している。あの男と笑い合った日々を恥じている。貴方を愛している。あの男を愛している貴方を呪っている」

「そんな……。確かに、お父さんは、ちょっと、ちょっと怖い人だけど――――」

「けど、愛している。だから、私は貴方を殺さない。貴方を無視しない。敬意を表し、愛を伝える。だが、憎んでいる。だから一緒には行かない。手も取らない。軽蔑を露わにし、罪を教える。そして」

 

 クァイネスは突然込み上げてきた嘔気を堪えきれず、激しく嘔吐(えず)いて膝を突く。

 

「目を逸らすことなく、その死を看取る」

 

 最愛の母が苦痛に跪く姿を、ハピネスは冷たく見下ろす。

 

「カザンの変質によって、貴方のいる場所は高濃度の負の波導と放射能に汚染されている。感じ取ることはできないだろうが、じきに貴方は命を落とす」

「ハ、ハピネス……」

「私は助けない。だが、見捨てもしない。死ぬその時まで、ここで見ている。あの時と同じように」

 

 カザン達の争う喧騒だけが聞こえてくる。クァイネスは一筋の涙を流し、再び咳き込んで顔を伏せる。

 

「……ハピネス」

「何だ」

「今……幸せ?」

「……ああ」

「そう……」

 

 気を失いそうになるような眩暈に苛まれながら、クァイネスは顔を上げた。

 

「よかった……」

 

 安堵の笑みだった。

 

「ごめんね……。お母さん、貴方を幸せにできなかった……。でも……1人で、幸せを見つけられたのね……」

「ああ」

「ごめんね……無理言って……。お母さん、向こうで待ってるね……」

「……ああ」

「なるべく、なるべく遅れて来てね……。お土産話、いっぱい持って……」

「…………ああ」

 

 防壁についていた手が離れ、地面に倒れ込む。

 

「ハピネス……愛してる……わ……」

「愛してる。お母さん」

 

 その目が閉じるのを見届けた後、ハピネスは顔を上げて前を向く。そこに、もうレオライヤの姿はない。

 

「……たかが感動の再会程度、今更目眩しになぞなるものか」

 

 

 

 

 無数の岩が連なり、猛毒の煙を噴き出して飛び交う。それを髪の毛で編み込まれた巨人の群れが薙ぎ払い、浄化魔法で無力化させる。千軍万馬の髪の兵と、降り注ぐ岩、毒、溶岩、光弾。宛ら200年前の大戦争の再現。

 

「どうしたのさカザン! 本気で来ないと、僕には勝てないよ!」

「煽らなくていいのですクソバカ」

 

 淡々と攻撃を続けるカザン。余裕綽々の様子で髪の兵の指揮をとるエグアドラ。夢の異能でサポートしているハイアは、不満を爆発させ当たり散らす。

 

「どっちでもいいから早くさっさと殺すか死ぬかするのです。どうせ相互封印でどっちが殺してもどっちか勝手に死ぬのです。乳繰り合ってないでちゃっちゃと終わらせるのですよ」

「相変わらず口悪いなハイア……。メギドに言いつけるよ」

「死人の口無し能無しなのです。ラプーちゃんもボサっとしてないで働くのですよ」

「…………」

 

 ラプーが逡巡を挟むと、エグアドラが嘲笑するように言う。

 

「あはは、別にいいよ。今ラプーに来られても邪魔だし。間違って首でも刎ねちゃったら、ハイアがカザンと一騎打ちだよ?」

「そうなったら逃げるだけなのです。メギドちゃんとのんびり余生を過ごすのです」

「君何のために来たの?」

「テメェがいつまで経っても世の役に立ちゃしねぇからケツ引っ叩きにいく途中だったのですよ。私は早くメギドちゃんとぐーたらできる平和な世になってほしいだけなのです。分かったら無駄口叩いてないで早よ殺さんかボケカスコラクソ」

「口が悪い……」

 

 2人が言い合っていると、突然カザンが明後日の方を向く。

 

「あれ、余所見なんて余裕だね。カザン」

 

 そして、目にも留まらぬ速さで飛んでいった。追いかけようにもあちこちから噴出した溶岩流が行手を阻み、追い討ちは叶わない。

 

「こりゃマズいな……。足の速さじゃ勝てない」

「四の五の言わずに走るのですよ。ダッシュ」

「無茶言うよ」

 

 

 

「行けデクス! 正義パンチ!」

「え、えいっ!」

「遅いっ!!!」

 

 少し離れたところでは、ラルバとデクスがガルーダにちょっかいを出し続けている。

 

「鬱陶しい……。いい加減諦めろ」

「じゃあさっさと逃げればいいジャン。別に追いかけようとしてないよ」

「…………」

「シシシ。やっぱ行けない理由があんだな? よーしよし」

 

 ガルーダは思わず舌打ちをする。脳裏に浮かぶ幸運の星は、ラルバを無視するなと瞬き続けている。そのせいで、決意の異能者の攻撃を避けながら第四世代の使奴の拘束を脱し続けるという無理難題から逃れることができない。

 

「私らから離れると、思いもよらぬ不意打ちをブチかまされると見た。幸運の異能が警告するんなら、結構デカめの範囲攻撃か? 不可避ってことじゃろ? なあガルダっちょさん」

「黙れ。死ね」

「殺してみろバーカ。未開封のオナホ如きがデカい口叩いてんじゃねーぞ。デクスも何か言ってやれ!」

「え、えー? えーと。えーと」

 

 そこへ、突然衝撃波と共に爆風が吹き荒ぶ。ラルバは咄嗟に防御魔法を唱えるが、おかしな質問をされて決意が揺らいでいたデクスには間に合わず、轟音の中吹き飛ばされる。

 

「何だぁ?」

 

 振り向くも、通り過ぎた何かはすでに地平線の彼方。そして、ガルーダは目の前から消え去っていた。

 

「あ、おーい!」

 

 遠くから何者かが声をかけてくる。それは、髪の毛で編まれた兵を無数に率いるエグアドラだった。

 

「うわっ! 新手来た!」

「敵じゃないよ! カザンとガルーダは? どっち行った?」

「カザン? さっきのカザンか! あっち行っちゃったよ」

「あー……逃げられたね……」

 

 少し遅れてラプーとハイアが追いつき、ハイアがエグアドラの頭に齧り付いて文句を言う。

 

「テメェが手を抜くから失敗したのです。もう私は絶対手伝わないのです。テメェら魔人組で勝手に何とかするのです」

「痛い痛い。そんなこと言わないでよ。夢の異能込みであの戦力差なんだから」

「知らねぇのです。ラルバちゃんも何か言ってやるのです」

「じゃあ言うけど、キュリオの里行く時飯食ってたのお前?」

「私には言わなくていいのです」

 

 先ほど吹き飛ばされたデクスが、小さく呻き声を上げた。ラルバは小走りで駆け寄り、腰を曲げて顔を覗き込む。

 

「お、生きてるね。ヨシヨシ」

「あ、あー……。ラルバ……か……?」

「うわっ、ハズレの方になっちゃった。まあいいか」

 

 デクスは薄目でラルバを見た後、自らの手を見る。土埃に塗れた、細かい擦り傷だらけの拳。爪の一部は剥がれ、脈に合わせて激痛を発している。

 

「くっ……くくくくく……」

 

 デクスは、思わず笑いだす。

 

「お、どうした。頭おかしくなったか? 元からか」

「なあ、聞いたかラルバ。デクスがよお、デクスがよお……!」

 

 目に涙を溜め、デクスは震えた声で笑う、

 

「僕の友達に、酷いことするなっ。だとよ……!!! へへへへっ……!!!」

 

 愛おしそうに手を眺める。ここ数年、ささくれひとつなかった、傷だらけの手。愛する者が、自分のために汚した手。

 

「あれがデクスなんだ……! 可愛いやつだろ? へへへ……やっと起きたかよ寝坊助……! へへへへ。へへへへへへ!」

 

 ラルバはデクスの手を取り、ぐいっと引っ張って起き上がらせる。

 

「自慢ならイチルギにしろ。ほれ、帰るぞ」

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