シドの国   作:×90

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331話 刹那の逃亡劇

〜愛と正義の平和支援会 北海地方 サルファドット私軍山中倉庫〜

 

 愛と正義の平和支援会とベアブロウ陵墓の国境である山脈、その麓にあるサルファドット私軍の倉庫。普段は数人の軍人が管理のために宿直しているだけで、辺りには民家どころか道すら碌にない。

 

 倉庫の脇に建てられた宿舎で、ネユシャ王妃が奇声を上げる。

 

「え〜っ!? ここから出国(で)るのぉ!?」

「も、申し訳ありません……それしか手はなく……」

 

 彼女の前で深々と頭を下げるのは、北海駐屯地から運転手を務めてきた運送班の副長。

 

「だ、だって、こっここから行くってことは……」

 

 ネユシャが壁に貼られている地図の方に恐る恐る目を向ける。

 

 隣国のベアブロウ陵墓と愛と正義の平和支援会を隔てるのは、不法入国者を皆殺しにする 峻峰(しゅんぽう)、“ 者除山(もののけやま)”。嘗て愛と正義の平和支援会に密入国しようとした数多の罪人を飲み込み、ただの一人として返すことのなかった魔境。ひだのように繰り返される断崖絶壁と脆い足場、魔法を狂わせる特殊な動植物群、皮膚を削ぐような極寒の暴風が吹き荒れる、天然の牢獄。

 

「ご、ご安心ください! 空路で向かいますので、直接山には入りません!」

「真上通るんでしょ!?  者除山(もののけやま)上空って墜落率高いんでしょ!?」

「都市伝説です!! 誰も撃ち落としたりしませんし!! 防衛魔法も完備されています!!」

 

 バガラスタが退位した今、愛と正義の平和支援会の法に基づき、王位は自動的にネユシャ王妃へと引き継がれる。だが、それは今のネユシャにとっては決して喜ばしいことなどではない。使奴の隷属によって完璧な国家運営を行なってきたバガラスタの後釜を、使奴の労働力と国民の信頼を失った状態で引き継がなければならない。崩れることが分かりきっているボロボロの王座に、転落するためだけに腰をかけなくてはならない。

 

 こんなもの、今まさに国内にいるイチルギやハザクラに助けを求めれば済む話なのだが、バガラスタの側で甘い汁だけを啜ってきた彼女の目には全てが敵に見えている。それは宛ら、大社長の座に座らざるを得ないボンクラ息子のよう。尊厳と見栄ばかりが一人前の彼女には、はなから責任を取るという選択肢がない。

 

「ヤダヤダヤダヤダ!! もし何かの間違いで不時着なんてことになったら……!! ぜ〜ったいヤダ!!」

 

 思いついた姑息な手段が、熱(ほとぼ)りが冷めるまでの国外逃亡。姉のクラウンがなんやかんや事態を纏めた後に悠々と戻ってくる算段。責任を取るべきは横暴を働いた姉であって、真面目に王妃を務め上げていた自分ではない。正論と極論が融合し、数多の不都合が思考の外へ追いやられた。

 

「セレスタ行くわよ!!」

「えっ、あ、はい」

 

 ネユシャは荷物をまとめて足早に部屋を出て行ってしまう。残された運送班副長は呆然と立ち尽くし、深い溜息をついた。

 

「あ〜もう最悪最悪最悪っ! お姉ちゃんは何やってるのよもぉ〜!」

 

 通信室の扉を乱暴に開き、通信兵を押し除けて無理やり席を奪い取る。

 

「あっ、ちょっ!」

「どいて! 副総帥命令!」

「ダメですっ! 今通信なんかしたら敵にここがバレてっ……!」

「うるさいっ!」

 

 ネユシャ王妃は、サルファドット私軍の副総帥でもある。だが、彼女に指揮の才能も知識もあるはずはなく、普段はバガラスタの言うことだけを右から左に伝えるだけの伝書鳩。バガラスタ本人が総帥にはならず、且つ軍を私物化するためのリモコンにすぎない。

 

「お辞めください、王妃」

 

 そのために、クラウンは苦肉の策として副総帥を二人体制にした。

 

「ムカラマツ! どこ行ってたのよ!」

「機器の点検に……。通信はおやめください。副総帥命令です」

「……っ!」

 

 ムカラマツ副総帥。サルファドット私軍の古株であり、事実上の支配者。

 

 バガラスタ王が即位し、サルファドット家の信用は一度地に落ちた。私軍人達の王家への忠誠は行き場を失い、やがて軍内部で最も信用を集めていたこの男に注がれることとなった。

 

「準備はできています。さ、お早く」

「無理無理無理無理っ!! なんでそんな危ないルート通るの!?」

「安全です。未だ軍での事故は発生していません」

「まず軍が飛ばした記録が少ないじゃない! 訓練でだって飛んでないくせに!」

「遭難者捜索活動では飛んでいます」

「上からちょっと見て終わりのやつでしょ!? その遭難者も結局見つからなかったじゃない!」

「あれはそも入山したかも不確かでしたから……」

「そうだ! 北から行けばいいじゃない! 漁港から出ましょ!」

「かがやき町から? ……あそこは反政府思想が強い町です。今は危険です」

「流石に王妃には手出さないでしょ! それに、お姉ちゃんが馬鹿やったお陰で私の印象は良いはずよ! 何なら反政府思想にだって乗ってやるわよ!」

「お待ち下さいネユシャ様――――」

「じゃーねムカラマツ! 後よろしく! セレスタ行くわよ!」

「あっ、は、はい。あ、あの、失礼します……」

 

 2人が部屋を出ていくと、ムカラマツ副総帥は深く溜息をついて頭を抱えた。残された通信兵が恐る恐る声をかける。

 

「ふ、副総帥……」

「……気にするな。万が一何かあっても、お前の責任にはならない。何もしなくて良い」

「あ、いや、あの……はい。その……どうか、ご無理なさらぬよう……」

「ああ、ありがとう。……私は本部に戻る。北海駐屯地までヘリを出してくれ」

「はっ!」

 

 通信兵に軽く手を振り、自らも部屋を出ていく。通信兵から見えたその頼もしい背中からは、彼がどんな顔をしているかは窺えなかった。

 

 

 

〜愛と正義の平和支援会 北海地方 かがやき町〜

 

 寂れた国道を走る一台の軍用車。運転員の男は、今日何度目か分からない溜息を噛み殺してルームミラーに目を向ける。

 

「ほら見てセレスタ! すっごい綺麗な夕日! あ、見えないのか」

「すみません……母様……」

 

 逃亡の身でありながらもネユシャ王妃は何故か上機嫌で、この先に待っているであろう苦難を少しも気にしていない。為政者としては冒涜的なまでの楽観。そも逃亡などしなくとも、真面目に国政と向き合えばいいだけの話。我儘に我儘を重ねて全ての責任から逃れている彼女を、運転員は軽蔑せずにはいられなかった。

 

「王妃……。もうすぐ日が落ちますので、一度モーテルに寄って夜を明かします」

「えぇ!? 何でよ! このまま行きなさい!」

「走り続けても漁港まではあと4時間かかります。そんな夜更けに着いても船は出せません」

「夜だって漁には出てるでしょ? 何とかなるわ! 行って!」

「……船乗りとの交渉もあります。万が一うまく行かなければ、港町で宿を探さなくてはなりません。この先のモーテルであれば軍の人間がいます。どうかご理解ください」

「えぇ〜……」

 

 ネユシャは続けて言い返そうとするが、これ以上は平行線になると察して不貞腐れた。運転員は込み上げてきた溜息を、今度は隠しもせずに吐き出すことにした。

 

 

 

 それから暫くして。すっかり陽も落ちた頃、モーテルの駐車場に到着した。普段であれば運送トラックしか停まっていないモーテルには、ネユシャたちの他にも数台の軍用車が停まっている。

 

「やっと着いたの〜? あーもう身体ばっきばき! 腰いった〜い! セレスタ荷物! これ持って!」

「あ、はい」

 

 ネユシャは車から降りるや否や大きく背伸びをし、逃亡中だというのに息子の名前を大声で呼びつける。

 

「で、部屋はどこ? 早くお風呂入りた〜い」

 

 運転員の案内を待たずにモーテルへ歩き出したネユシャ。すると、建物の方から数人の軍人が現れる。モーテルからの逆光で見えづらいが、皆警杖を手にしている。

 

 そして、それをネユシャ王妃に向けた。

 

「……ちょっと、何?」

「動かないで下さい」

 

 背後から、運転員が同じく警杖を構えてネユシャの背に突きつける。

 

「え? え?」

「国家叛逆の容疑で、あなたを拘束します」

 

 

 

〜愛と正義の平和支援会 北海地方 サルファドット私軍北海駐屯地 執務室〜

 

「ネユシャ王妃を拘束しました」

「ご苦労。そのまま待機していてくれ」

 

 通信機を切り、ムカラマツ副総帥は執務室の椅子に背を預ける。

 

「漸(ようや)く……か」

 

 バガラスタ王は退位し、ネユシャ王妃は亡命前に拘束。クラウン総帥は国民の支持率こそ高いものの恐らくは一時的なもの。セレスタ王子は盲聾(もうろう)者で、クラウンとネユシャの母親であるヒューコー元国王は気を病み床に伏している。

 

 とあれば、王の座を、総帥の座を、手にするのは容易い。

 

「長かった……。まさか、こんなに長くかかるとは」

 

 口元に笑みが浮かぶ。呼吸が震え、拳に力が入る。そして、発作のように机を蹴り飛ばした。

 

「全く!! 全くだ!! どうしてこんなに長くっ……!! クソっ!!」

 

 喜びでは覆い尽くせない怒り。苛立ち。得たものよりも、失った時間と機会への後悔。憎しみの発露としての笑みが歯を軋ませる。

 

「アイツさえいなければ……!! いや、元はと言えばあの姉妹が……違う!! アイツらのせいで……!! アイツもだ……!! ああクソったれ!!」

 

 開きかけの引き出しを蹴り上げ、飾ってあった陶器を力任せに壁に投げつける。

 

「はぁっ……はぁっ……だが、だが漸くだ……! 漸く、漸く俺の番だ……!! 漸く!! 俺の番だ!!!」

 

 乱暴に扉を開けて部屋を出る。廊下の先では、こっそり様子を伺っていた軍人達が慌てて階段の下に身を隠した。ムカラマツはそれを一瞥し、襟を正して一度深呼吸を挟む。

 

「……すまない、取り乱した。忘れてくれ」

 

 隠れているであろう軍人達にそう呼びかけつつ、ムカラマツは彼らの前を通らぬよう反対側に向かって歩き出す。

 

「全く。歳をとると感情的になっていけないな……。これからは国を統べる者として、より一層気を引き締めていかんとな」

 

 自分に言い聞かせるように呟きながら階段を降りる。すると下から、見覚えのある顔がやって来た。

 

「あ、どもっス」

「ビットか。こんな夜中までご苦労」

「なんか奇声が聞こえたんですけど、何かありました?」

「いや、問題ない……。ああ、執務室が少し散らかっているが、気にしないでくれ。後で掃除する」

「そうですか」

「君の方はどうだ? 何度かここに来ていたようだが……」

「あー、もう大体平気です。できればあと一個だけ手伝って欲しいことがあるんですけど、いいすか?」

「ああ。何だ?」

 

 ビットは申し訳なさそうに頭を掻くと、ポケットから録音機を見せる。

 

「すんません」

「それは……――――!!」

「とりま……寝てもらえます?」

 

 そこでムカラマツの意識は途切た。

 

「……ラルバさーん」

「上出来上出来! 演技上手いねぇビット君!」

 

 死角にいたラルバが上機嫌で姿を現す。

 

「別に演技してた部分はないんですけど……。で、この後オレって――――」

「副総帥担いでこっちおいで!」

「ですよねー……。あーしんど」

 

 ビットがムカラマツ副総帥を担ぎ上げる。ラルバは眠っているムカラマツに顔を近づけ楽しそうに笑う。

 

「こいつは大物だねぇ。痛みでサックリは勿体ないし……恥でジワジワと……いや、絶望でズドンか? ……うーん迷っちゃうなぁ!」

「すげぇ。カスのグルメ漫画だ」

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