ムカラマツ副総帥は、ゆっくりと目を開けた。焦りはなかった。
剥き出しのコンクリート床。換気扇とポンプのモーター音。僅かに汚水が混じる土埃の臭い。恐らくは、北海駐屯地の地下倉庫。手足は縛られ、無造作に床に寝転がされている。
ビットが裏切った。その疑問を解決するよりも、まずはここを無事に脱出することが先だ。そう考え、指先から微かに波導を放出し、魔力を反響させて周囲を探る。
すると、それから数分もしないうちに足音が響いて来た。恐らくは、波導を放出したことで目を覚ましたことに気付かれた。ならば、元より気付かれないままの脱出は不可能。失態の後悔を逡巡で済ませ、体を起こして誘拐犯を待つ。
「よう、久しぶりだな」
「……誰だ、お前は」
現れたのは、ガスマスクをつけた白髪の女。彼女がゆっくりとガスマスクを取ると、どこか見覚えのある山吹色の瞳が現れた。
「イース・ジャージト。お前が殺そうとした、フィースの姉だよ」
「イース……ジャージト……!? お前……!! 生きていたのか……!?」
「偉くなったもんだな、ムカラマツ。あのころはまだ中将だったお前が、今や副総帥か」
嘗て、イースとフィースは軍に預けられていた。ジャージト家襲撃事件により家族と家を失った2人は、ブレイドモアと共に軍で暮らしていたが、再び暴徒に襲われ離れ離れになった。
その時裏で糸を引いていたのが、当時の中将、ムカラマツである。
「あの暴動、主犯格はお前だな。モアがいない隙に騒ぎを起こして、私達を引き裂こうとした。モアに復讐をするために。そして、私達に復讐するために」
ことの発端は、今より30年近く遡る。イースの叔父であり、ブレイドモアの育ての親である、カルコン・ジャージトという男である。
富豪のジャージト家出身で、容姿端麗、文武両道、優しさと強さを兼ね備えた神童。彼のことを気に入ったサルファドット私軍の上層部は、彼を特別待遇で軍に迎え入れた。カルコンの活躍は凄まじく、爽やかな言動と優秀さを鼻にかけない振る舞いが軍全体の士気を向上させ、表に出れば度々ニュースでも取り上げられ、半ばアイドルのような扱いになっていた。
それと同時に、ムカラマツを含めた一部の人間の強い反感を買った。
「叔父さんはただ、真面目に働いてただけなのに」
当時の愛と正義の平和支援会は強い使奴差別思想が蔓延しており、白い肌を保つ使奴寄りの多くは迫害に遭っていた。そのうちの1人がブレイドモアである。まだ10歳にもならないうちに異能と白肌を厭われ奴隷商に売られた彼女を、カルコンが偶然見かけて買い取ったのだ。
「叔父さんは、私達姉妹が生まれたことをきっかけに、使奴差別を無くそうって頑張ってた。私もフィースも、真っ白ではないが相当肌が白いからな……。だから、異能持ちのモアは軍で活躍させるにはうってつけだったんだろう」
それからカルコンは、ブレイドモアを軍の英雄にすべく奮闘した。だが、彼は優し過ぎた。ブレイドモアを強くすることよりも、愛することに夢中になってしまった。仕事一辺倒で伴侶のいなかったカルコンは、実の娘のようにブレイドモアを可愛がった。
「あんたらは気に食わなかっただろ。叔父さんが使奴寄りに夢中で、軍を侮辱してるように見えたんだろ。だってお前は、お前らは、根っからの使奴差別主義者だからな」
サルファドット私軍は、使奴をも打ち倒す軍事力を誇りにしていたが、カルコンがブレイドモアを引き入れたことで、僅かながら使奴差別の思想が揺らぎ始めていた。カルコンへの信頼が、そのまま使奴擁護にも及び始めたのだ。
ムカラマツを始めとした反使奴派は焦り始めた。このままでは、気高きサルファドット私軍が汚される。何としてもあの男を黙らせなければ。
「モアに嫌がらせをして、叔父さんに無理な仕事ばっかり回して、しまいには……。殺した」
表向きには反政府組織らの抗争制圧だったが、実際にはムカラマツの思想に賛同する反使奴派による自作自演。争っている組織と、駆けつけた私軍人、全員がカルコンの殺害のために動いていた。
「決定的な証拠はなかった。でも、モアは知ってた。それでも、それでもモアは復讐に走らなかった。私らジャージト家に迷惑をかけないために。恨みを生まないために、ずっと黙ってた」
これでブレイドモアの管理権はサルファドット私軍のものとなる予定だった。だが、自身の死を予感していたカルコンは、管理権を実の親であるオカリ・ジャージトに託していた。それにより、ブレイドモアは私軍から脱退することとなった。
「お前は焦っただろ。お前にとっちゃ、使奴寄りなんて奴隷でしかない。自分の持ち物が意思を持って勝手にどっかに行くなんて許せなかったはずだ」
ムカラマツはブレイドモアを連れ戻しに向かった。しかし、ジャージト家がブレイドモアを返すことはなかった。有無を言わさず突きつけられた多額の賠償金は、反使奴派の軍人らの心を揺らがす額だった。これが、より強くムカラマツの神経を逆撫でした。
使奴なんて気持ち悪い種属を擁護する人間ごときが逆らうなど、到底許すことはできない。
ジャージト家を滅ぼす計画が、ムカラマツの頭に芽生えた。
「あれから何度もウチを襲おうと賊を
そしてとうとう、ムカラマツは自身の手で復讐を遂行することを決意する。ブレイドモアの大事にしている姉妹を、姉妹の大事にしているブレイドモアを、目の前で痛めつけて殺してやると。
「私らに毒薬を飲ませて、暴動騒ぎを起こし、モアを追い詰めた。計画は万事順調ってわけじゃなかったが、結局モアとフィースは私が死んだと思って絶望の底に突き落とされた」
だが、この事件をきっかけに、ジャージト家襲撃事件は国民の心に大罪として刻まれることとなった。反使奴思想の暴徒が引き起こした、世界最悪の襲撃事件。これを境に、国民の心は親使奴へと一斉に傾いた。
「叔父さんの願いは無事に達成された。今やこの国は、世界でも有数の親使奴派の国だ。お前は負けたんだよ、ムカラマツ」
ムカラマツは一言も発さない。その眼は、じっとりと湿った視線だけを返している。
「……で、これからお前に復讐をする。叔父さんを殺した罪。じいじと、ばあばと、パパと、ママと、お姉ちゃん達を、殺した罪。モアを、フィースを悲しませた罪。私を殺そうとした、モアとフィースの大事なものを奪おうとした罪……!!! 今、ここで――――」
「お前は……」
ムカラマツがやっと口を開く。
「自分の話ばっかりだな」
「……何だと?」
「まるで私が自分勝手に振る舞ったような言い方ばかりだ。所詮、自分のとこしか考えていない輩に正義のことは考えられまい……」
イースは言葉を失った。ムカラマツを侮っていた。罪を詳らかに語れば、反省はせずとも後悔はするだろうなどと、高を括っていた。憤るだろう、声を荒らげるだろう、何か無様な姿を晒すだろう。
賢く育った彼女には、真の愚者と言うものが理解できない。
「まず、
ムカラマツの言葉に嘘はない。奴は、この発言が真実であると、心から信じている。
「思考力の欠如だと……? 一体何のことを言ってる? 使奴寄りは、寧ろ優秀な人間が多いだろ……」
あまりに不出来な論には、人はつい言い返したくなってしまう。
「はぁ……そういうところだ。全く。現実が見えていない。短絡的な復讐などという理由で人を誘拐しようという奴が、一体何を思考したというんだ?」
正しさを追求せずにはいられない。
「っ……!? 自分のしたことを思い返してみろ!! 私達に何をしたかを!!」
「まるでこっちが悪者かのような言い方だな。確かにカルコンを殺したのは私だ。奴は優秀な軍人だったが、反政府思想の強い人間だったからな」
「反政府!? 差別をなくすのが反政府思想か!?」
「差別差別と馬鹿の一つ覚えのように……。我々の持ち物を奪った盗人がよく人を責められるな」
「持ち物!? モアのことを言ってるのか!? モアは私達の家族だ!! お前のでも、物でもない!!」
「犬だの猫だのを家族という文化を否定はしないが、家族である前に軍の所有物だ。お前が認めたかどうかは関係ない。世界は情ではなく法が第一なんだよ」
「モアは人間だ!!」
「ほらな、話にならない。お前のような感情論しかできん人間のために法があるというのに。これを思考力の欠如と言わずして何と呼ぶ?」
イースは思わず拳をムカラマツの顔面に叩きつけた。
「このっ――――!!!」
「がはっ……。ほらな、言い返せなくなったらすぐ暴力に訴えかける。典型的な知的障害だ!! お前らが人と会話してる気分になっているのは、私達人間がお前ら不人に話を合わせてやってるに過ぎない! ……どうせ理解できないのだから、言っても意味がないか」
「人間とモアがどう違うっていうんだ!! その辺のやつより、モアの方がよっぽど立派だ!! 軍での成績で分かってるだろ!!」
「不人の片好みというやつだ。マトモな考えはできないが、偏った分野にだけ尖った優秀さを見せる。不人の特徴の一つだ。盲人が音に敏感だったり、片輪が左手を使いこなしたりするだろう」
殺意を掻き立てる物言いに、イースの中で良からぬ推論が立った。
「……セレスタ」
「何?」
「セレスタは、目も見えず、耳も、聞こえない……。あの子に、波導糸を教えたのは……まさか……ネユシャじゃなくて……!!!」
「ああ、私だ」
思わず呼吸を止めた。
「あんな役立たず、飯だけ食わせておけばいいものを……ネユシャのバカが育てたいなどと言うから、何とか耳くらいは使い物になるように私が方法を考えたのだ」
「……あ、あんな、細い、波導糸を、こ、こど、こども、に……」
「人に迷惑をかけて生きているのだから、痛いだのなんだので我儘を言ってもらっては困る。それに、訓練のお陰で1人で歩いて話せる程度にはなっただろう」
「………………」
セレスタの味わった苦痛は、拷問などという生易しい言葉では言い表せない。鼓膜と同等に繊細な器官を四六時中体外に放出するなど、トラウマどころか、自死を選んでいないことが奇跡であるほどの地獄。
「これが教育というものだ。不人共に同じことができるか? あんなもの、手話だの点字だのまどろっこしい物を作らずとも、そこそこの人間に仕立てることくらい造作ないんだよ」
「……それが、お前の望む世界か……?」
「優れた人間が、優れた人間のために、優れた人間を育てる。社会の基本理念だ。我々は、そのために一丸となって国を作ってきた。お前のつまらん個人思想で邪魔をするな!」
「――――――――っ!!!」
「はいストーップ!」
イースがもう一度殴りかかろうとするが、強く後ろに引き倒され尻餅をつく。
「いだっ!」
「ちょっとちょっと! 勝手に傷つけないでよね!」
「ラルバ……!!」
ムカラマツは突然現れた見知らぬ使奴に再び眉を顰める。
「何だ、貴様は」
ラルバはムカラマツの声に答えることなく、突然口の中に手を突っ込んだ。
「もがっ!?」
「血色良好、波導も異常なし! 健康体! でもやっぱおじいちゃんだね。老化はしゃーないかー」
「貴様っ……何をする!」
「指の欠損とかもないよね? まあ何でもいいんだけど。さっきのパンチでほっぺた折れてない? 平気? まあいっか、折れてても。現状貸しってことで」
ラルバは手を拭きながら部屋の外に向かって合図をする。
「へいビットちゃん! カモーン!」
すると、ビットが大きな台車を押しながら恐る恐る入ってくる。
「遅い! ダッシュ!」
「走ったら“院長”落ちるよ……」
「いいよ別に」
ムカラマツは声を失った。自分を裏切ったビットに問いただしたいことが山程あったが、台車に乗せられた“荷物”を前に、思考が完全に止まった。
「はい! 院長自己紹介!」
「ぽぽ……おぺっぽぷっぺぽ……ぱぺぺ……」
「あら、最近の子って挨拶もちゃんとできないのね。200年前じゃ考えらんないよそんなの」
台車にいたのは、四肢があらぬ方向に曲がった、人の形をしていたであろう奇声を発する肉の球体。身の丈は2m近くあり、人の声を発さなければ哺乳類であるとすら思えない。
その隣でラルバが楽しそうに紹介する。
「診堂クリニック、第三診堂総合病院院長、ムスリナ・エルフロフントさん! だったものでーす! 拍手!」
「いえーい……」
ラルバ達が診堂クリニックに向かおうと羊煙村に立ち寄った時、異能による尾行がバレて不幸にもハピネスのオモチャにされてしまったムスリナ。つい先日まで保護施設で無惨な余生を送っていたが、ラルバの悪辣な思いつきにより”イタズラを施されてから“輸送されて来た。
「ビット君の入れ替わりの異能で、ムカラマツとこれを入れ替えちゃおうかなーと思います!」
「え、オレの異能は自分と誰かしか入れ替えられないよ……?」
「一回ムカラマツと入れ替わった後、ムスリナ経由して自分に戻ってくればいいじゃん」
「あ、なるほど……。一回オレこれになるの!?」
「これとか言わない! 可哀想でしょ!」
ムカラマツの全身から血の気が引く。目の前にいるのは、到底人間とは呼ぶことのできない真っ白な肉の塊。
「ムスリナさん待たせてごめんねー! もうすぐ新しい体になれるからねー!」
「ぽっぽ! ぺぺぺっ!」
「ははは。喜んでる喜んでる」
そう言いながら、ラルバはムスリナの手足と思しき部分の骨を折り始めた。パキ、ポキ、と、枯れ枝を折るような音が地下に響き渡る。
「うわ、ラルバさん何してんの!」
「え? 折角入れ替えるんだから、目一杯ぐちゃぐちゃにしておこうかなと」
「死んじゃうよ!!」
「死なない死なない。これを殺せたら大したもんよ」
ムスリナが施されたイタズラとは、非正規手法による使奴化である。
複製のメインギア、ホウゴウによる使奴細胞の移植は、本来専用の魔導ゴーレムに行われるが、これを一切の下処理を行っていない生身の人間に施した場合、強靭な使奴細胞は古い細胞を食い荒らすように修復と自己複製を続け、肉体は醜く肥大して巨大化する。
診堂クリニックから運ばれて来た後、ラデックによる更なる行動阻害の改造を施され、一切身体の自由が効かない不死身の肉体となった。
言わば、絶対に壊れない人間サンドバッグである。
「死ぬ死なないとかじゃなく!! ムスリナさん可哀想だよ! そこまでデカい悪事働いたの!?」
「大丈夫大丈夫。鎮痛剤で頭ポカポカになってるから。そこまで痛みないよ。ねームスリナさん? 痛くないよねー?」
「ぽぺぺぺ! ぽぺっぺぺー!」
「ね?」
「なにが、ね? なの!? 脂汗すごいよ!? てゆーかそれオレ後で入れ替わるんだよねぇ!?」
「あ、そっか。まあ耐えてよ」
「やめてよ!!」
眼前に漂う、コミカルな絶望。ムカラマツは震える声を必死に紡いだ。
「な、なんっ……なっ……」
ラルバはムスリナの皮を剥ぐのに夢中になっているが、ビットが憐れみの目を向ける。
「……ま、セレスタ君の苦しみに比べたら軽いもんでしょ。ムカラマツさん」
「こっここっこのっ……!! な、何故っ……何故そん――――」
何かを喋ろうとしたムカラマツの顎を、ラルバが勢いよく叩き割った。
「うるさいなぁもう。静かにしててよ」
「ラルバさん!? オレ今からそれ入るんだけど!?」
「え? うん」
「顎っパァンいったよ!?」
「ちょっとじゃん。我慢してよ」
「ヤダよ!!」
「ほら、早く入れ替わんないと、ムスリナさんの鎮痛剤切れるよ」
「あーもーっ!! 悪魔!! 鬼!!」
「うわっ、使奴に悪魔とか言いやがった。この差別主義者め! はよやれ!」
涙目のビットが、顎を割られたムカラマツの前にしゃがみ込む。
「もー……。じゃあムカラマツさん、色々お世話になりました。……仲間以外の人にも優しくなれてたらよかったっスね。じゃ、入れ替わり終わるまで寝ててください」
一度録音機に肯定的な返答をしてしまったムカラマツに、ビットの入れ替わりを拒否する術はなかった。