「っだはぁっ!! はぁっ!! はぁっ!! 息っ!! 息だっ!! 立てるっ!! 口がっ口が開くっ!! 喋れるっ!!」
ムカラマツの姿をしたムスリナが、目が覚めるなり大きく息を切らし、苦しみと感動の涙を流しながら自分の両手を見つめている。
入れ替わりを済ませたビットは床に寝転び、一瞬でもムスリナの肉体に入ってしまった苦痛でぐったりしている。
「ムスリナさん人間復帰おめでとー! でもって……」
ラルバが肩をガシッと掴む。
「ようこそ奴隷2号。奴隷1号にご挨拶なさい」
「…………はい」
安堵と絶望でぐちゃぐちゃになったまま、ムスリナはビットの隣で小さく座り込んでしまった。するとビットは倒れ込んだまま声だけを発した。
「……奴隷1号のビットです。よろしく」
「……奴隷2号のムスリナ……じゃない、ムカラマツです。よろしくお願いします……」
餓死寸前のネズミのように大人しい2人を尻目に、ラルバはまんまるの化け物になったムカラマツを眺めて楽しそうに笑う。
「お似合いだねぇムカラマツさん! ねえどんな気持ち? ずっと軽蔑してた使奴になってみてどんな気持ち? ねえねえ。なんか言えよ」
そう言って爪の先で皮膚を切り裂くと、ムカラマツは痛みから逃れようと必死に手足をばたつかせる。しかしほぼ球体の体では、ひっくり返された亀のように身動きは取れず揺れ動くことしかできない。
「ぽぴゅあっ!! ぴぴぴっ!!」
「ははは。ぴぴぴだって。ぴぴぴぴ〜」
ちょっかいを出す小学生のように、ラルバは何度も爪で脇腹に刺突を繰り返す。その度にムカラマツは痛みに喘ぎ、音が鳴るオモチャのように鳴き声を漏らした。
「……おい、ラルバ」
「ん? なあにケイリちゃん」
ずっと沈黙を保っていたイースがラルバに尋ねる。
「結局こいつはどう殺すつもりだ?」
「あれ、
「プロに口出すのもアレだが、それでも私は心配なんだよ。中途半端な苦しみで殺されるんじゃねぇかって。私の恨みが深すぎて、
ケイリはムカラマツを睨んだまま、血が出るほどに拳を握り爪を食い込ませる。
「こいつは根っからの使奴差別主義者で、盲目の正義気取りで、責任転嫁の天才だ。今までうまく行かなかったことの全部を使奴と使奴寄りに押し付けて、自分が如何に愚かで横暴で醜悪な陰謀論者なのかを爪の先ほども理解してない」
ラルバを見るその目には、期待と憎しみが、解放と難詰を同時に堪えている。
「だから聞かせてくれ。こっからお前が、どうやってコイツを葬るのか。納得をしたい」
徹底した復讐を願う真っ直ぐな問いに、ラルバは少し間を開けてから問い返す。
「実を言うと、ここまでしか考えてないよ」
「……あぁ?」
「身動きできない不死身の肉体なんか、既に人智を超えた刑罰だろうしね。後は適当に叩いたり蹴ったりして、飽きたら放置かな。この姿じゃどう転んでも碌な最期にならないでしょ」
ケイリは思わずラルバの胸倉を掴み睨み上げる。
「テメェ……っ!!! じゃあそこ代われ!!! やっぱお前なんかに任せておけねぇ!!!」
鬼の形相で詰め寄るケイリに、ラルバはすっとぼけたように言う。
「そんな状態で復讐してもスッキリはしないよ? どうせ中途半端になるんだから静かにしててほしいな〜」
「うるせえ!!! お前にとっちゃあムカラマツは数いる悪党の1人だろうけどなぁ……!!! 私らにとっちゃ不倶戴天の仇なんだよ!!! 生半可な地獄じゃ絶対に許さねぇ!!!」
ケイリの激情の炎とは対照的に、ラルバは冷め切った声で溜息をつく。
「……なーんか変な前提入ってる。そういうの好きじゃないなー」
「お前の好みなんか知ったことかよ!!」
「多分、ムカラマツを虐めたって気は晴れないよ? 復讐は快楽しか生まないんだから。虚しくなるだけなんだから、やめといた方がいいんじゃないかなー」
「お前に何がわかる!!」
「何って……全部」
ラルバは胸倉を掴まれたまま、強引に前に進んでケイリを壁際に追い詰める。
「あのさ、復讐の本質って納得なんだよ」
「……だから、私は納得がしたいって言ってんだろ」
「うーん。分かりやすくするために、一個例えを出そうか」
ラルバはケイリを押し除け、落ちていた布切れで即席の指人形を作る。
「例えば幼稚園児のムカラマツ君が、ケイリちゃんの大事なオモチャを壊しちゃいました。ケイリちゃんはとっても悲しくなって、仕返しにムカラマツ君の大事にしていた靴を捨ててしまいました。ムカラマツ君は悲しくなって大泣きをし、それを見てケイリちゃんは満足をしました。めでたしめでたし……。とまあ、これが所謂復讐の上手くいった例だ」
「……下らねぇ芝居見せんな」
「ここでポイントなのは、被害者の視点から見て、仕返しによって被害により失った価値を上回れたかどうかってことだ。実際に失ったものの価値が釣り合ったかは無関係で、加害者や客観視点の価値も関係ない」
ラルバが指人形を増やし、ムカラマツの娘とケイリの母親の人形を作る。
「ケイリちゃんから見て、ケイリママは何物にも代え難い大事な家族だ。ムカラマツの娘も、ムカラマツからしたら同じく代え難い宝だろう。でも逆はどうだ? ケイリちゃんからしたらムカラマツの娘は仇の親族でしかないし、ムカラマツからしたらケイリママはただの敵だ。互いに、命をかけるほど殺したい相手ってもんでもないだろう」
ムカラマツ人形が、ケイリの母親の人形を弾き飛ばす。
「家族、恋人、親友。大切な人の命の価値は基本的に青天井だ。如何なる物でも支払うことはできない。そして復讐の本質とは納得であり、仕返しが被害の価値を上回ることだ。だから、ケイリちゃんがムカラマツの苦しみに無限の価値を見出さない限り、納得は訪れないんだよ。コイツにその価値があると思う?」
足元に転がって来た母親を模した指人形を、ケイリが
「……あるわけねぇだろ。コイツにそんな価値。だが、それは恨まねぇ理由にはならねぇし、復讐をやめる理由にもならねぇ……!! 分かってんだよそんなことは!!!」
「じゃあ来なきゃよかったのに」
「……頭じゃわかってる。だが、どうしても諦めきれないんだよ。だから、お前なら、史上最悪の使奴なら、この恨みも吹っ飛ぶような地獄を、用意してくれるんじゃねぇかって……。期待したんだ……」
「何それ、愛の告白? やーん照れちゃう」
ケイリは紐が切れたように地面に座り込み、壁にもたれかかって呟く。
「恨むのはもう疲れた。憎むのも疲れた。だけど、止められねぇんだ。病気なんだよ。これは、どうやったら治るんだ?」
「うーん、復讐のもう一つの手段として、不幸にされた以上に幸せになるってのがあるけど、それじゃダメなん?」
「あるわけねぇだろ、そんな幸せ。もし新しい幸せで過去が取り戻せるっつーんなら、それはあの悲劇の高を括ることになる。死んでいったみんなの苦しみを、見越すことになる……。そんなもん、できるわきゃねーし、したくもねー……」
「ふーん。じゃあシスターちゃんにお願いして記憶消してもらおうか? そしたら恨みも辛い記憶も消えてハッピー! はい、ちゃんちゃん」
「ふざけてんのかテメェ!!!」
興味なさそうに聞いていたラルバが、突然ニンマリと笑う。
「じゃ、いいじゃん!」
「あぁ!?」
「解決するもんなんか何もないよ! 生き別れの家族とも会えたし、仇も討ったし、ハッピハッピー!」
ラルバは両手でピースサインを作り、優雅に背を向け部屋を出ていく。
「行くよムスリナ! じゃなくて、ムカラマツ!」
「あ、あの、ま、待って……まだ歩けない……」
「歩けないじゃなくて歩くの! ほら! 電池飲ませちゃうよ!」
「ああ、ああ……」
残されたケイリは、呆然として部屋の出口を見つめる。それから、無様に膨れ上がった体のムカラマツの方を一瞥し俯く。
「……いいわけ、あるかよ……。こんな生き地獄……」
「……あの、ケイリ、さん?」
まだ部屋に残っていたビットが、疲労困憊の体を引きずってケイリの前に座った。
「キャンディ・ボックスのリーダーか」
「初めまして。……聞き齧りで申し訳ないんだけどさ、ラルバさんの言いたかったことって、多分そういうんじゃないと思うんだ」
「……お前はどう思うんだ」
ビットは少し言い淀みながら話し始める。
「オレは昔、友達を死なせたことがあるんだ。それも、もう1人の友達に殺させたんだ。2人とも、オレの大事な友達だったのに……」
「そりゃぁ……酷い奴だな」
「うん。……それがずっと辛かったんだ。酷いことしておいて何被害者ぶってんだって話だけど。ずっと後悔してたし、苦しかった。でも、それが罰だと思ってたし、でも同時に、ちょっと救いでもあったんだよ」
「救いだ?」
ビットは静かに頷く。
「そう。救い。……1番怖いのは、このことも風化して忘れていっちゃうことなんじゃないかって思うんだ。だから、友達を死なせた後悔とか、苦しみとか、そういうのを覚えている限り、オレはまだ人間で、同時に楽しかったことも思い出せて、誰かに優しくできる……。そんな気がするんだ」
「……そんなの、苦しみを正当化して、受け入れやすくしてるだけだろ」
「そうかも。でも、実際にそれがオレを今日まで生かしたのも事実なんだ」
「…………」
「オレはずっと、オレに復讐したかったんだ。オレの大事な友達に酷いことをしたオレに……。でも、友達に叱られたんだよ。「無責任だ」って。「俺の友達を殺すな」って。アイツは、オレと一緒に苦しんでくれた……。だから、オレだけが解放されちゃいけないんだ……。ケイリさんはさ、妹さんと、ブレイドモアさんが、まだ生きていて、一緒にいるんだよね?」
「……ああ」
「じゃあ、その人たちのためにも、無理に苦しみを捨てようとしちゃダメだよ。皆で一緒に苦しんでいけばいいんだからさ。それに何も、思い返すのは苦しい思い出だけじゃないはずだよ」
ケイリは気付いた。そう言えば、フィースやモアと会ってから、家族の話をしていない。何も辛い話をせずとも、楽しかった頃の話をしても良かったのに。家族の思い出全てに蓋をして、恰も禁忌のように扱っていた。苦しみを遠ざけるために、大切な思い出も一緒に遠ざけてしまっていた。
「ラルバさんが言いたかったのは、その辛い気持ちは捨てるべきじゃないってことだと思う。苦しんで、悲しんで、憎んで、恨んで、それでも、楽しかったことを大事にしてほしいってことなんだと思う」
帰ったら何を話そう。久しぶりに、ケーキでも焼いてみようか。モアならレシピを覚えているかも。皆の好きだった場所を言い合って、順番に巡ってみたりして。そうだ、入院してる使用人も連れて行こう。
苦しみばかりが入っていると思っていた記憶の箱を開けてみれば、そこには希望が溢れんばかりに詰まっていた。
「……アイツがそんなこと言うかよ。良いこと言いたくてちょっと盛ったろ」
「あ、バレた?」
「ま、救われたよ。ありがとうな」
「へへ」
前に踏み出そうと立ち上がったケイリを、ビットは遠慮がちに引き止める。
「あ、そうだ。良いことついでにもう一つ」
「何だ?」
「オレが言うのも何だけど、やっぱ復讐はしておいた方がいいと思う」
気配を殺していたムカラマツが、急に矛先が向いて声を漏らす。
「今はいいかもしれないけど、後々思い返して、やっぱ殴っておいた方が良かったとか思っても遅いだろうから……」
「ああ……まあ……一理あるか……」
ケイリは辺りを見回して、目についた角材を手に取る。
「納得ができなくても、やっぱ今後のメンタルに関わるからさ」
「確かにな」
角材に土魔法で金属の棘を生やし、威圧するようにコンコンと床を叩く。ムカラマツは恐怖に声を漏らすが、分厚く膨れ上がった喉と唇では言葉は発せない。
「ぷぽぽぽぺっぽぽぽっ!! ぽぺぺぺぺっぴぷぽっ!!!」
「うん、幾らか心が穏やかだ」
ケイリがフルスイングの構えをとる。
「ぺぺぺぺぺぺっ!!! ぽぷぴぴぽっぺぺぺぺぺっ!!!」
「気張れよムカラマツ。取り敢えず……100回くらいはぶん殴るか。……ぉぉおおらっ!!!」
尚、北海駐屯地の職員らは、ラルバが地下にムカラマツを幽閉したことなど知る由もない。無人であるはずの地下室から聞こえてくる衝撃音と人間のものとは思えぬ奇声は、職員のトラウマになり北海駐屯地の名物怪談として語り継がれることになる。