祈龍たちが家に着いた時には既に日が沈んでいた。
祈龍は部屋に戻ると、床の上に倒れこむように寝転ぶ。
──マジで疲れた。今日だけで色んなことが起こりすぎだっての……。
祈龍は天井を見つめながら今日の出来事を思い出す。異世界人を名乗る少女と出会い、怪物と戦った。さらに、その戦いの最中に祈龍は異能の力に目覚めてしまった。
今思えば、とても一日の出来事とは思えない濃密さだ。
「さてと、疲れたけど、流石にいろいろ聞いとかねぇとまずいよな」
祈龍は体を起こすと、ベッドに座っているマナに目を向けた。視線を向けられた彼女は、心做しか姿勢を正して応える。
「えぇ、そうね。説明しないといけないことだらけだもの。とりあえず、何から話すべきかしら?」
「そうだな……差し当たり、お前の最終目的と、あとはあの変身についてだな」
「わかった。それなら順番に説明するわ。まず私の最終目的だけど……そうね、元いた世界に帰りたいと思っているわ」
マナは真剣な顔つきで言う。祈龍はその言葉を聞いて少し驚く。
「なるほどね……帰る方法に目処はついてるのか?」
「帰るだけならいつでも帰れるわ。そのためにも追手をどうにかしたいの」
「追手って言うと、俺らを襲った連中か」
祈龍の言葉を聞いたマナはゆっくりと首を縦に振る。
「えぇ。まだまだいるでしょうね」
「そもそも、あいつらは一体なんだ?」
祈龍の疑問に対して、マナは淡々と答えた。
「あれはファルノイドという種族の人たちよ。私たちの世界では人間……ヒューマノイドに混じって暮らしているわ。私もそうだった」
「ふーん、つまり俺たちと近いってわけか。じゃあ、なんで襲ってきたんだろうな? 理由があるはずだろ」
「それは……その……分からない」
マナは言い淀む。露骨に言えないという雰囲気を醸し出しているが、祈龍は黙っていることにした。
「じゃあ次だ。あの力は何だ?」
祈龍の質問に、マナは困ったような表情を浮かべる。そして、しばらく沈黙した後、意を決したように口を開いた。
「アレはファルノイドとヒューマノイドの契約の力よ。その……事後承諾になって、重ね重ね申し訳ないのだけど……」
「契約ぅ? そんなのいつしたよ」
「その……き、キスしたでしょう? あのとき、血を交換して……」
マナの一言で祈龍は思い出す。確かにあの時、血の味がしたし、唇を噛み切られた。
「契約のとき、副次効果として一度だけお互いに完全な状態になるの。あのとき死にそうだったから、最後の手段で……」
言いながら、マナの顔がみるみると青ざめていく。そして、祈龍に向かって土下座した。
「ごめんなさい! 本当はすぐに謝るべきだったのに、ずっと言えなかった!」
「気にしないでいいぜ。別に怒ってねえし。なるほど、そういうことだったんだなぁ。で、もちっと詳しく」
祈龍はあっけらかんとした様子で言う。気を遣ったとかではなく、本当に彼は気にしていなかった。マナはそれを見て驚いた表情を見せたが、本当に気にしていないとわかったのか、やがて笑顔になった。
「ありがとう……」
マナは祈龍に向き直ると、再び力について説明を始めた。
「まずはあのベルトについて……。あれは私たちファルノイドと契約したヒューマノイドに現れるもので、魔力を持たないヒューマノイドに力を与えると言われているわ。あの変身のことね。魔法も使えるはずよ」
祈龍は変身時のことを思い返す。あの時は無我夢中で気付かなかったが、言われてみれば、何かが自分の体に流れ込んでくる感覚があったように思う。
「でも、どうやってそんなの使うんだ?」
祈龍は純粋な地球人だ。少なくとも祈龍自身はそう思っている。ゆえに魔法の使い方など知らない。だが、マナはそれを見越していたかのように答える。
「私と契約した以上、ベルトの力を使って変身しなくても、簡単な魔法なら使えると思うわ。例えば」
(声、聞こえる? 今、テレパシーの魔法を使っているのだけど)
頭の中に直接語りかけるような声が響く。祈龍が驚いていると、マナが話を続けた。
「念じるだけで発動するわ。やってみて」
「あぁ……っと」
(こう……か? 出来てる?)
(聞こえてるわ。またそのうち何ができるか調べておきましょう)
「なんかできたな」
祈龍は驚きながらもそう言った。すると、マナは少し嬉しそうな顔を見せる。
「次は……そうね。変身したあとのことについて。変身した姿は人それぞれなのだけど、方法や機能は同じみたい。ファルノイドの力を込めたメダルを使い、身体能力が上昇して、本来は使えない魔法も使えるようになる。召喚や強力な技のような」
「へぇ……便利なもんなんだな」
「えぇ、とても。それで、次の能力だけど……これはまだ分からないわ、試してみないと」
祈龍は腕を組んで情報を整理する。つまり、さっき戦ったのみたいな奴がまだたくさんいて、そいつらを全員ブチのめさなければならないわけだ。その中に、あの騎士がいるかもしれない。少し考える素振りをしてから、マナに尋ねる。
「なるほどな……。ちなみに、あの剣の名前とかわかるか?」
「あれはおそらく『魔剣カイム』ね。私の家に代々伝わる名剣よ」
「ふーん、魔剣ねぇ……何にせよ、もっと強くならねぇとな」
祈龍はそう言うと、密かにニヤリと笑った。祈龍とマナはその後、しばらく雑談をした。お互いの話をしたり、今後の予
定を話し合ったり。
「さてと、そろそろ風呂入って寝ようぜ。風呂沸かしてくるわ」
「……? わかったわ」
祈龍は部屋を出て行く。マナは首を傾げていたが、特に気にしなかった。
「んー、良い湯加減だ」
祈龍は湯船に手をつっこみながら呟く。そして、今日一日のことを振り返った。
「しかしまあ……とんでもない一日だったなぁ……」
異世界からやって来た少女と出会い、その直後には怪物に襲われ、命の危機に晒された。
祈龍にとってそれは初めての経験ではなかったが、不思議と悪い気分ではなかった。むしろ、どこかワクワクしている自分がいるのに気付く。
マナの手前復讐は二の次と言ったが、やはり心の底ではそれを強く望んでいたらしい。仇の手がかりが見つかって、高揚しているのだろうか。
祈龍はふと自分の右手を見る。その手を固く握り締め、誓った。
必ずこの手で奴を葬ってやる。そして、マナを守りきる。
「おい、風呂沸かしてきたぜ。先入っちまえよ」
「ありがとう……」
祈龍が戻って来たとき、マナはすでに入浴の準備をしていた。マナにタオルを渡し、彼女はそれに着替えを持って脱衣所に向かう。しかしマナは着替える前に入り口から顔だけを覗かせて、一言言い添えた。
「覗かないでよね」
「覗かねえよ」
祈龍が呆れたようにため息をつく。マナは祈龍の反応を見てクスッと笑うと、服を脱ぎ始めた。
しばらくして、マナの鼻歌とシャワーの音が聞こえてきた。祈龍は静かに目を閉じ、ベッドにもたれかかってこれからどうするかを考えることにした。
マナにはああ言ったものの、正直に言えば今の自分はまだ弱い。ただ人間相手の喧嘩なら負け知らずというだけなのだ。もっと強くなる必要がある。まずは体力作りだ。筋トレでもしようか。それとも、何か格闘技でも習うか。実戦経験はおそらく嫌と言っても積まされるだろうし……。
一方その頃、マナは浴槽に浸かりながら考えていた。
祈龍は一体どういう人なのだろうか。
人柄の話ではない。初めて会ったときは怖そうな人だと思ったが、話していくうちに優しい人だと分かった。
彼は今まで出会った男性とは違うタイプだ。マナが知る限り、男性はマナの容姿や立場に惹かれて近付いてくる者が大半だった。しかし、彼はそうではない。彼自身の目的もあるようだが、それでもマナを守ろうとしている。
彼が何故命をかけてそこまでするのか、マナにはわからなかった。本当に、目の前の犠牲を見逃せないだけ?
マナはこれまで、母以外の誰かに守られたことなどなかった。いや、気づいていないだけでついでに守られていたのかもしれないが……。
物心ついたときにはもう、父は既にいなかった。正確にはいるにはいたが、父としての役割を果たしていたようには見えなかった。母はあまり身体が強くなかったが、マナは母のことが大好きだった。
そんな母はいつも疲れていて、あまり笑わなかった。きっと辛い思いをたくさんしたのだろうと幼いマナでも察することができたほどに。
だから、せめてマナが大人になったら幸せにしてあげようと決めたのだ。それが、マナの夢であり、生きる目的を定める一つのきっかけになった。
マナはお風呂から上がり、丁寧に身体を拭いてから脱衣所でパジャマを着た。鏡を見ると、少し濡れた髪の隙間から緑色の瞳が見える。
「ふぅ……」
マナは髪を乾かすと、部屋へと戻った。祈龍はベッドにもたれてなにか考え事をしている様子。しかしマナが戻ると、彼は笑顔を浮かべて話しかけてくる。
「おう、上がったか」
「ええ。待たせてごめんなさい」
「いいさ」
祈龍はそう言って立ち上がると、マナの方へ歩いてきた。そして手を伸ばして、マナの頭を撫でる。その手付きはとても優しく、まるでマナを慈しむかのような……。
「な、何よ……」
突然のことにマナはやや赤面した。それは身体が暖まって血色が良くなったというだけではないだろう。祈龍は少し照れくさそうに頬を掻くと、準備していた着替えなど諸々を持って、脱衣所に消えていった。
特に何もなく寝間着に着替えて就寝したその翌朝。祈龍は窓から差し込む朝日で目が覚めた。昨日は色々なことがあったからか、まだ眠気が残っていたが、なんとか起き上がることができた。
祈龍は伸びをして、軽くストレッチしたあと顔を洗って、身支度を整える。
朝食はどうしようかと考えていると、マナがベッドから起き上がる。
「おはよう……」
「ああ、起きたか」
「うん……ふわぁぁ」
マナは目元をこすりながら答えたあと、大きな欠伸を一つ。祈龍はマナに顔を洗ってくるよう伝えると、階下のキッチンに降りる。今日の喫茶店の開店準備は彼の当番だった。そのついでに彼自身とマナの分の朝食を用意しておく祈龍の手つきは、意外なほど手慣れていた。
それからしばらくして、祈龍はテーブルに二人分用意した朝食を置く。すると、ちょうどマナが降りてきた。あれからしばらくうとうとしていたらしい。
祈龍は自分の席に着くと、マナも向かい側に座った。祈龍が両手を合わせる。
「いただきます」
「……それは?」
「俺の国での食事前の挨拶だよ。お前もやってみろ」
「……」
マナは無言のまま祈るように手を合わせた。そして、小さく呟く。
「いただきます」
祈龍は思わず苦笑いして、マナに言った。
「それは食べ物に感謝を込めて言う言葉なんだ。今みたいに手を合わせてな」
「へぇ……。面白いのね」
マナは感心したように呟く。祈龍はその反応を見て、改めて異世界の人間なのだと思い知らされた。
つまり、祈龍にとっての当たり前は、彼女の普通ではないのだ。
祈龍はふと考える。いま、自分以外に異世界について知っている人はいるのだろうか。マナがどうやってこっちに来たのかは知らないが、逃亡してきた彼女でも可能なのだから、他にもこっちに来た、あるいは向こうに行った人はいてもおかしくないが……。
祈龍はとりあえず考えるのをやめた。今はそれよりも先にやるべきことがある。
祈龍はコーヒーを飲みながら、マナに問いかけた。
「今日は何をするんだ? 俺は店があるけど」
「私は暇よ。でも、あまり外に出るのはちょっと……。あ、そうね」
マナは何か思い出したらしく、手をポンと叩いた。祈龍は首を傾げる。
「どうした?」
「いや、昨日の件で気になることがあって……。あの、私を襲ってきた人達のことだけど」
マナの脳裏には昨夜の襲撃者たちの顔が浮かぶ。彼らはマナの暗殺を依頼され、実行しようとしたものの返り討ちにされた。おそらくは依頼主に報告するためだろうが、このまま黙っているとは思えない、という旨を告げる。
「なら、しばらくは外出しない方がいいか。俺が一緒に居られればいいけどな……」
「ありがとう。でも、それじゃ意味がないのよ。だって……」
マナは一度言葉を区切ると、真剣な表情を浮かべた。祈龍も釣られて真面目になる。
「私の目的は向こうに帰ること。追手から逃げ続けていてはどうしようもないわ。意味がないと思わせなければいけないの」
「なるほどな……」
祈龍は腕を組むと、目を閉じた。マナの言っていることは理解できる。しかし、そう簡単に上手くいくものなのかと疑問に思ったのだ。しかし、すぐに祈龍はあることを思いついた。
祈龍は目を開けると、マナに告げる。
「いい考えがあるぜ」
「本当!?」
「ああ」
マナは嬉しそうに身を乗り出す。祈龍は自信満々に答えた。
「俺に任せとけ」
「で、結局どういう作戦なのよ」
「あいつらはこのあたりにお前がいることまでは把握しているだろうな。すると、この街周辺でお前を探すだろう。そこで、俺の情報網を使って嗅ぎ回ってる怪しいやつを調べてもらう」
「それで?」
「そいつらが見つかれば、こっちから仕掛ける。あるいは襲ってきたところを返り討ちにする」
「そんなうまく行くかしら……。まぁ、任せるしかないんだけど」
マナはやや不安げだったが、祈龍の提案に従うことにした。祈龍としてもパッと思いついたのはこのくらいだったのだが。
祈龍はコーヒーを飲んでから、時計を見た。喫茶店の開店時間が迫っている。そろそろ店主である樹も店にやってくるだろう。祈龍は立ち上がると、椅子に掛けてあったエプロンを手に取った。
「さて、俺は片付けて開店の準備をしてくるわ。お前は好きにしててくれ」
「分かった。……ねぇ、祈龍」
「ん?」
祈龍はマナに呼ばれて振り向く。彼女は何とも言えないような顔で祈龍を見つめていた。祈龍が首を傾げる。
「どうかしたか?」
「いえ、その……。頑張ってね」
「ん? ……おう」
祈龍は笑って答えると、喫茶店の開店準備を始める。マナは食器を祈龍に渡すと、部屋に戻って行った。
その頃、どこかの世界。
豪奢な装飾だがやや暗い雰囲気の部屋で、二人の男が密談をしていた。片方は部屋に相応しいきらびやかな装飾を身に着けた男、もう片方は生真面目そうな雰囲気の男だ。どちらも年若いが、しかし常人ならば平伏してしまうような「格」があった。
「そうか。あいつは契約までしていたか……」
「はい。その上、契約者は小隊長をも撃破するほどの実力者だとのことです」
「ふむ……。おおよその居場所は掴めたのだな?」
「はっ」
「それならば、単独でもより強力な戦力を投入せよ。ただし、理性ある者に限定する」
それだけ聞くと、生真面目そうな方の男は部屋を退去していく。残った豪奢な装飾の男は一人、ただ不敵な笑みを浮かべていた。