Q.恋愛脳の男は決闘で恋ができますか? 作:ウェットルver.2
榊遊矢。
権現坂昇。
実家たる遊勝塾をめぐる戦いの最中、ふたりを応援した柊柚子はふと、LDSの塾生たちへと視線を向けて疑問を抱いた。
こちらの応援の声とくらべて、やけにLDS側の塾生が静かだ。
今回ばかりではない。光津真澄の時は知りようもないが、間違いなく志島北斗の時とまったく同じ静けさ。「行儀がいい」と言えば、それまでかもしれないが。
決闘者の疑問としては些細なもの。
遊勝塾の塾生としては、あまりにも大きなもの。
「ねえ、」
同性の
「あなたたちって、彼を応援しないの?」
「え?」
柊柚子の問いかけに、きょとんと光津真澄は目を開く。
不撓不屈の権現坂昇へ感心しつつも、「まあ、遊鬼には勝てないわね。」などと品定めを終えて目を細めていたが、まさか対戦相手から近寄って話しかけられるとは思わず、初めての経験ゆえに肩を強張らせる。
光津真澄は融合召喚コースの中では屈指のエリート、優等生である。
ゆえに、常に塾生からは見あげられる側だ。妬まれる側だ。他の召喚法のコースの優等生である志島北斗、刀堂刃との間にも馴れ合いはない。
ひとは普通、これを「対等な友達であるかのように」と言うのだが、少なくともプロデュエリストを目指す者全員が将来の宿敵である、制服組への出世の競争相手であるLDSにおいて、普通の交友関係が得られるかは大変疑わしい。
あと十年もしない時間をかけて「二十代の社会人」となる少年少女にとって、そのような環境が対話能力や社交性の成長を促すわけがない。
赤馬日美香の煽り口調や優越感を隠さない差別的な発言、自己判断や復讐心に囚われすぎて榊遊矢への悪影響を鑑みない赤馬零児の言動や独断専行、赤馬家への崇拝がすぎる周囲への石島の差別発言など、すでにLDSやレオ・コーポレーションの上層部が問題行動だらけで、さてLDS塾講師は倫理面での教育が塾生へ充分になされているのかを問われれば、どうにも信用されるに足りないのは言うまでもない。
ただでさえプロデュエリストを夢見る者同士なのに、さらに制服組、というLDS内部の出世コースを設けてしまったことで、LDS塾生間の人間関係がより競争を前提としたものとなり、どうしても決闘者特有の闘志や示威行為、ある程度の自意識過剰が抑制できない環境になりつつあるのだ。
LDS塾生の、LDS当校や塾講師に対する崇拝じみた狂信の原因はその環境にあるのだろう。のちに狂信に囚われずに他塾のライバルを鍛える刀堂刃であっても、LDS上層部へ猜疑心や不満を抱かないほど信用した。
親が市議会議員であるがゆえに、権力を知る沢渡シンゴを除いて。
実のところ沢渡シンゴの自尊心は、父親からの愛情ありきかつ自前のものである。そう、デュエルやLDSと関係のないところで、最も健全に自尊心を育んでいるのだ。
なんなら相手が宿敵榊遊矢であろうと気さくに話しかけ、非を感じて柊柚子の言葉を聞いてしまおうと開き直って胸を張り、あげくの果てには観衆からえげつない態度をされようとなんだかんだ己を貫けるほどのエンターテイナーへと成長しきる。
これほどの度胸と、度胸を活かすコミュニケーション能力がある。
誰が言ったか、「沢渡さん、マジ凄すぎっすよ!」
そう、あの沢渡シンゴ以外は。
つまるところ、LDS塾生のほぼ全員が。
LDSという折り紙つきの、コミュ障手前なのである。
光津真澄は意識外から話しかけてきた、自分が負けさせたはずの、悔しさを抱いているはずの柊柚子という理解しがたい同性へ、そしてデュエルと直接の関係がない「応援」についての会話へ、完全に動揺していた。
ある意味で初めて彼女は、柊柚子を敗者ではなく「柊柚子」として認識した。
「応援って。まさか。
彼が勝つに決まっているじゃない。」
「でも、志島北斗は負けたのよね?」
「それが? なによ?」
「グサッ」
女の子同士の容赦ない、聞くだけで胸を刺されるかのような会話に耐え切れず、志島北斗は冗談を交えるような独り言をぼやいて、静かにうずくまった。
「あそこの大柄な彼、さっきからアクションカードを使わないでしょう。
遊鬼を相手に『アクションカードなし』だなんて、無防備みたいなものよ?」
光津真澄は経験談を暗に語りながら、権現坂昇への評価が「遊鬼には勝てない」であることをも示し、柊柚子から信じられるに値する強さがある男とは思えないと告げる。
「まあ、遊鬼が負けそうなら、わかるけど、」
「え? 彼が負けそうなら応援するの?
それっておかしくない?」
「……なにが言いたいのよ。」
ところが、毒づきのある返事をものともせず。
ひょっとすると「気づけもせず」、ということなのか、それほどまでに疑問の答えが気になってしまうのか、柊柚子は続けて問いかける。
「なにがって。
同じ塾の仲間なのに応援しないって、なんだか変よ。
仲間なのに、ぜんぜん仲間じゃないみたい。」
「それは、」
「制服組を目指す、出世を目指すライバルを応援する?」
うずくまる北斗を避けながら、真澄の言葉を遮るように、刀堂刃が不思議がる。
「そりゃあ、オマエ、簡単には応援できねぇぜ。
あいつは真澄に気があるとはいえ、むぐっ」
「君は! もうちょっと!
黙るべきコトを黙りたまえよ……!」
再起した北斗に口をふさがれて刀堂刃は抗うも、身長差がありすぎるためか拘束をふりきれず、「まあそういうことにしてやるよ」と諦めた。
「勘違いしないでくれよ?
彼の場合、恋愛感情や色恋を理由に真澄を応援したわけじゃあない。
それ以上に、真澄の成長を期待しているからなのさ、わかるかい?」
「そうなの? でも、あなたたちが応援してないのは?」
「う˝っ。」
返す刃で質問され、北斗は硬直した。
話を逸らそうとしただけに、それ以上の会話は思いつけないのだ。
なんの話を逸らそうとしたのか? 刃がついうっかり話題に出してしまった真澄と遊鬼の間にある恋愛関係と、自分たちは応援しないが遊鬼は応援した理由についての話題である。前者は彼らの関係を余計にこじらせる外野の好奇心を招くかもしれないからで、後者は遊鬼の恋愛感情抜きに語るなど思春期の少年には厳しいためである。
恋愛沙汰の話題を回避しながら素直に「応援しない理由」を語るには、刃ほどの素直さや無遠慮さが北斗には足りていなかった。
「弱い仲間だけ応援して、強い仲間は応援しないって、なによ、それ。
それじゃあ強くなっても『さみしいだけ』で、どこが楽しいのよ!
弱いなら、なんだか弱い自分を上から見られて、馬鹿にされるみたいで……!」
志島北斗の配慮など知ったことではない、実は自分にとってそんなものどころではない動機を知る機会を逃した柊柚子は、疑問の正体が義憤であると気づいて憤慨する。
「……負けないで、権現坂!」
こんなやつらに負けるな、と。
仲間を仲間とも思わず、応援されておきながら応援しない、こんな薄情なライバルに遊勝塾のエンタメデュエルが負けたと認めたくもない、とも思いながら。
権現坂昇へ、榊遊矢を見守り続ける仲間である男友達へエールを送る。
光津真澄は知る由もないが、真澄の眼前には榊遊勝失踪後の数年間で築きあげられた少年少女たちの絆があった。勝てるかどうかを前提にしない信頼があった。
「…………ふざけないで。」
そんなものを魅せつけられても、光津真澄には。
なにがなんだか、わからない。
『生き方の異なる決闘者同士は、会話だけでは理解も共感もできない。
かといって対話を諦めれば、それは現状維持にしかならない。』
遊戯王ARC-Vの物語全体にわたる、共通した問題提起である。
焦点を、遊戯王OCGの決闘者ならではのものに変えよう。
ゲーム「遊戯王OCG」を始めたゲームプレイヤーの、そもそもの遊戯王全体への印象というものさえ、ゲームを始める契機となる媒体によって変わるものだ。
一、漫画作品から憧れた者。
二、映像作品から憧れた者。
三、上記のいずれかに影響されてから始めた者。
四、さらに上記のいずれかに影響されてから、原作を知らずに始めた者。
五、ソーシャル・ゲームから遊ぼうとする者、続けて六、動画配信サイトのVtuberに影響された者もいるとなれば、果てには七、それらに影響されてやはり原作を知らないまま始めた者もいる。
その全員が実のところ、
「デュエルとは○○のようなものである。」
という共通認識を持ってはいない。たとえば、そう。
漫画のような。
アニメのような。
どこにでもある普通のカードゲームのような。
どこかの誰かが遊んでいる時の態度や姿勢で遊べるような。
規範となる決闘者も多様であり、また規範など持たず、とりあえず自分が楽しければいいやと罵詈雑言を対戦相手に叩きつける者もいる。
それほどまでに多種多様なカードゲーマーがいる中で、
「デュエルとは、どう楽しむものですか?」
などと問いかければ、混乱待ったなしであろう。
「カードや対戦相手と絆を深めるものだ。」
「勧善懲悪の要素があり、悪役のカードを倒すとスカッとする。」
「公式大会で結果を出せる要素がすべて、他の要素は不要。」
「みんなでワイワイ楽しむもの、Vtuberもやってたし。」
こうも異論が交える中で、「さあ皆さんで非公式の交流戦をしましょう」などと言えば、漫画やアニメを意識した試合運びを魅せるプロレス・スタイルを持ち出す者も現れるし、大会環境前提のデッキで先攻制圧を意識した勝負に挑む者も現れるし、ソーシャル・ゲームの禁止制限や環境を意識した者も現れるだろう。
問題に気づいてから、「誰が間違っているのか」などと誰かが叫んだところで、参加者同士では結論は出ない。主義主張のぶつけあいで終わってしまう。現実には「非公式の交流戦」なる定義への認識をしっかりと参加者と共有できていない主催者の問題なのだが、いちど熱が入れば周囲からの冷めた視線など気づけないものである。
ここで話を戻そう。
遊勝塾が目指す決闘者像とは、すなわち榊遊勝であり。
LDSが目指す決闘者像とは、LDSの実績を保証する元塾生や赤馬零児である。
デュエルで笑顔になるための、エンタメデュエルの先駆者。
デュエルに勝つための基礎ありきの、合理ある実践経験の先駆者。
いずれも各塾生へ授ける「デュエル」の勝負論は異なり、もちろん同門の決闘者への「応援」についても、遊勝塾とLDSでは認識が変わってくる。
友情からの声援。
馴れ合いからの声援。
仲間を思いやる気持ち。
弱い塾生への発破が混じる優越感を誤魔化せない気持ち。
デュエルを楽しむ姿勢から鍛えこまれる遊勝塾と、デュエルで勝つ姿勢から鍛えこまれるLDSとでは、輩出する決闘者の精神性から別物である。
「彼は、私を、」
だからといって。
体力も夢も希望も未来さえも、日々持て余すほどの豊富な、それらが擦れたつもりでも擦り切れない、まだ現実を口実に夢物語という志を忘却できない少年少女にとって、ある意味では動物的とも言える「
侮りの姿勢は子供を、おとなが真正面から取りあわない姿勢と似ている。
そんな現実に悩んでおきながら、
光津真澄にとっては、認めた決闘者にするべき態度ではなかった。
恋愛感情であれ心から受け入れた異性への態度でもなかった。
「馬鹿になんて、していないっ……!」
していい、していけないではなく。
いちど乞い求めれば、恋求めたものへ自分から唾を吐くなどやりたくもない。
優越感による安楽を求め立ち止まって毒を吐き捨てるよりも、焦燥感に従う足が跳ね上がり前へ出るほうが早かった。認めがたい、自分の内の何かに抗う感情が確かに、光津真澄を前へ進めた。
観戦席から身を乗り出すように。
しかし、窓に遮られ、ただ平面で透明な壁を叩くように。
一枚の硝子板を隔てた憧れに任せて。
「遊鬼っ!」
ただひとりに向けて叫ぶ。
勝て? 言うまでもない。
がんばれ? 言う必要があるのか。
なにを言えばいいのか、実のところ、わかっていない。
「―――
間違いないことは、彼を信じていることだけ。
ぽろっ、と、こぼれる言葉を無理に止めず、息を吐きだすような当然さで、自然さで、素直に叫ぶ。叫ぶことへの羞恥心は無い。叫ばなければならない、むしろ叫びたい。
伝わらなければ、それは応援ではないと、頭で考える暇なくただ思った。
見つめ返す、とは思えない無言の決闘者は。
ぴたりと動きを止め、
『……へ?』
記憶にないほど、顔を赤くさせて、いて、
「え?」
さて、私は変な言葉を口にしたのだろうか。
負けるな、としか伝えていない。負けるな。うん。
負けてほしくない、それはなぜか。
「……えっ、」
負ける姿を見るのは嫌だから。
なぜ。誰が。誰に。負けたらどうなる?
この三本勝負は、どちらかと言えば「LDSの威信」とかいう、実のところ子供には納得しがたい社会的信用までも賭けられている。
LDSの
LDSの塾講師マルコに恥じない結果を出す。
形は違えども似た動機の、塾生ごとのモチベーションは無くもない。
だが、眼前の少年にとって。
もともと、「LDSなんて、どうでもいい。」
かつての冷たい瞳を忘れきれない。
どれだけの召喚法で塾生がエクストラデッキからモンスターを呼びだそうとも、あの虹彩は輝かなかった。あれらは蛇喰遊鬼にとって塾生の着飾るもの、ただの装飾品でしかなく、デュエルのうえでの脅威だと見なしていなかった。どれほど塾講師が実力者だと気取ろうとも、彼にはイミテーションの、偽物の宝石にしか見えていなかった。
あの頃の視線を
蛇喰遊鬼にとって、今に負けようが過程にすぎない。
次に勝てればよい。仲間であるカードと共に強くなればいい。
志島北斗のかつてこだわった不敗伝説など歯牙にもかけない。
常勝不敗ではなく、常戦不屈、砕けないダイヤモンドの志が彼だ。
彼女が「なぜまだLDSにいるのか」と問うた時、彼は気恥ずかしそうに頬を掻いて答えた。
『あの頃の、あの日の
それだけが理由で、LDSに在籍しているのだ。
もういちど
自意識過剰かもしれないが、彼がLDSに在籍する意義なんてほかにありえない。
ここで光津真澄は初めて、自分の中の焦燥感と向きあった。
なんだ。なんで私は叫んだ。たかが柊柚子から挑発するかのように、「彼の強さゆえに応援しないことが蛇喰遊鬼を侮辱することだ」、などと指摘されたからと言って、ここまで気を取り乱して、わざわざ大声を張り上げた理由はなんなのか。
荒野のうえに立つ、蛇喰遊鬼の瞳へと意識が吸い寄せられる。
今まで彼の瞳は私に向いている。いや、ちがう。
今だけは向いていた、というべきなのか。
遊勝塾が勝てば、蛇喰遊鬼より強ければ。また三本勝負でLDSが負ければ。
遊勝塾のほうが、「蛇喰遊鬼がより強くなれる環境」を持つとも思える。
自分たちLDSの塾生よりも、遊勝塾を選ばれてしまうかも?
選ばれたらどうなる。
『弱い仲間だけ応援して、強い仲間は応援しないって、なによ、それ。』
『それじゃあ強くなっても「さみしいだけ」で、どこが楽しいのよ!』
やけに、柊柚子の言葉が胸にひっかかる。
さみしい、という言い方が余計に気になる。
さみしい、さみしい、……誰が?
遊鬼が?
私か?
自分が置いて行かれる?
あの頃の冷たい瞳を、遊鬼から向けられた当時を思い浮かべる。
当時は私が勝った。なんとか勝てた。
がむしゃらに足掻いて勝った。
かつてアクションカードを大量に使わなければ勝てなかった私よりも、今、アクションカードを使いもしない、図体ばかり強そうでデュエルが弱そうな男なんかに。
まさか。
奪われるのか?
いいや、もしアイツが勝てば、現実になってしまうのだという確信がある。
もしもの話だと思いたい。でも、この確信がいちばん恐ろしい。
もしもの話で現実を疑うより先に、「まあ、そうなるだろうな。」という恋への諦観があった自覚さえ怖い。
そうなったら、どうなる?
彼に私が勝つことを、待ち望まれなくなる。
失望されて、「蛇喰遊鬼に勝つ女ではない」と見限られて。
蛇喰遊鬼は私から、完全に無視される、フラれる、……なんて理由とか?
「え。」
それって。
今、この状況で「負けるな」と叫ぶのは。
遊勝塾の存亡がかかった柊柚子と違い、余裕はあったはずの私が叫ぶのは。
ただ「負けないで!」と気持ちを伝える以上に、実は、はずかしいのでは?
たとえば、そう。
『私を置いて行かないで。』
『遊勝塾に負けて憧れないで。』
『私だけを見て。』
こう叫ぶのと、なにがちがうのか。
彼は、ほんのいちどでも。
一度でも「光津真澄に負けた」からLDSに留まっているのだ。
この光津真澄に見出した価値へこそ、彼のLDSに留まる動機がある。
彼が負けたら、LDS塾生の鬼門である《ヴェルズ・オピオン》を突破されたら、彼の興味関心は、……私に向かなくなるのではないか、と。
「あっ。」
彼に期待されるに足る、ような。
彼が振り向いてくれるほどの、価値ある
なくなってしまうのではないか、と。
「えっ? あっ、あぁっ……!?」
告白こそ、していないが。
こんな形で想いを伝えてよかったのか。いいや、よくない。
どうせなら雰囲気のいい時に、ちゃんと蛇喰遊鬼に勝ったうえで。なのに。
「ん? どうしたんだい、真澄?」
「北斗、おまえなあ。
女心がわかるのか、わかんねーのか、どっちかにしろよ……?」
自分の後ろで北斗と刃がなんか話しているようだが、こうも気恥ずかしいと、もはやなにが聞こえても
かといって、遊鬼から目線を離すのも正直イヤだ。
結果、光津真澄は赤らんで恥じらうまま、顔を背けられない。
羞恥で頬が強張り、恋慕や振り向いてもらえた歓喜で眉根が
そんな感情を直に受け取った蛇喰遊鬼もまた、自分がなぜLDSに留まるのか、という動機を恋愛感情まで語らずとも共有しあう仲ながらも、光津真澄の秘めた恋愛感情は悟っているという、大変ずるい男であるがゆえに。
光津真澄からの応援だけは。
権現坂昇への、小中学生に塾長あわせ計
そもそも
ただでさえ権現坂昇の熱意に焦がれかけていたのに、己の網膜へ焼きついた女決闘者から、さらなる情熱を注がれようものならば。
またしても、それほどまでのかわいらしい姿を網膜に焼きつけられたら!
ああ、
彼は、―――弾けた。
【Q,恋愛脳の男は決闘で恋ができますか?】
【A,できることはできますが、相手の決闘の強さや弱さ、戦略性、勝敗の結果が恋愛に結び付く場合、恋する当事者はデッキ相性の問題を忘れがちです。効果ダメージによる勝利や相手のデッキ枚数をゼロにする判定勝ちを狙う戦略のすべてが、かならずしも大会環境で常に優勝まで決闘者を導くわけではありません。
実力主義や美意識や理想から選んで恋をした場合、または「自分の価値」を恋愛対象により保証しようという自己愛からの選択である場合、まず現実や相手を見ていないことが多いです。
ちゃんと相手に惚れましょう。】
【Q,「さみしい」って言ってないからセーフよね……?】
【A,アウトです。ちゃんと「さみしい」と言いなさい。】
・アクションカード
遊戯王ARC-Vを象徴するカードたち。
デュエルフィールドであるステージ全体に散らばり、プレイヤーはアクション・マジックカードを拾ったうえで通常の速攻魔法カードのように発動できる。
特筆するべきは、相手ターンでも手札から発動できる通称「手札誘発」も同然の使い方ができる点と、おたがいにアクション・マジックカードを手札にくわえられるので、「手札の枚数」を重要視するカードを活用すれば凶悪なコンボが簡単に成立すること、さらに発動すれば自分の墓地に送れる点である。
欠点は、
①必ず魔法罠ゾーンを1枚ぶん空けないと発動できない。*1
②自分の墓地に送られるため、墓地に魔法・罠カードは1枚でもあると困るコンボが破綻しやすく、相手に墓地のアクションカードを奪われて利用されることがある。
③プレイヤーによるゲームプレイのうえでは手札に1枚までしか所持できず、魔法罠ゾーンへのセットができないので、なんらかのカード効果でアクションカードを複数枚所持できるようにするか、カード効果でセットするか、カード効果で手札から離して手札に戻さないかぎり、一度に複数枚のアクションカードを所持できない。よって、いらないアクションカードに対しては、先述の②を踏まえたうえで自分で発動して墓地に送るか否かの判断も必要となる。
④デュエルフィールドの設定次第では、所持したプレイヤーへ強制発動させるアクション・トラップカードが混じっており、「自分が発動した罠カードの効果」として被害を受けることがある。
⑤モンスターと共に地を蹴り宙を舞いながら取りに行く前提なので、たまに生身では届かない位置にアクションカードが置いてあるうえ、アクションカードを奪いあうための体力やモンスターカード選び、適切なモンスターカードへの攻撃指示も必要。*2
⑥そもそものアクション・マジックカードは魔法カードなので、魔法カードの発動を封じられるとアクション・マジックカードの発動もできず、魔法カードの効果を受けないモンスターには効果がなく、当然「効果を受けない」効果を持つモンスターには、たとえ自分のカードであってもサポートできないこと。
などの制限や戦略性の広さであり、何気にOCG民殺しな点である。
代表的なメタカードは永続罠カード《魔封じの芳香》*3、速攻魔法カード《禁じられた聖槍》*4、レベル4シンクロモンスターの《魔轟神獣ユニコール》*5。
原作のアクションデュエルで実際にできることは原作遊戯王DMのTPRGじみた自由度の広さに近しいものがあり、建築物や重火器類の魔法罠は実体化する、なんなら壊れるし爆発もする、普通の戦闘破壊や効果処理をなぜか花火の打ち上げへとゲーム演出を変更できる、おまけにモンスターが料理を食べられるなど多岐にわたる。
これらプレイヤーの判断次第で柔軟に
そう、実は要求される能力すべてが、完全に「自分のいる場所からは見えない
なお、リアルで再現するとアクション・カードの争奪戦により、プレイヤー同士が衝突するデュエル中の事故が多発しうる。できるだけモンスターに乗って移動するほうが衝突時の緩衝材の役割も果たしてくれて安全だろう。
これはこれで楽しめるので、デュエル構成に自信はないが戦闘描写でも読者を楽しんでほしい、ユニコールを採用した【魔轟神】デッキで読者を笑顔にしたい、と思う遊戯王二次創作者はアクションデュエルを描写することに挑戦するのもありだぞ。
副題の元ネタは漫画・アニメ・小説【私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!】から。