約束の痕   作:のらゐぬ

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一章 寺内

 約束は果たされなければ呪いに変わる。

 そんな言葉が私の頭の中に浮かんで消える。

 

 (もや)が掛かったような視界で目にしたのは地面に伏した男の死体だった。

 無惨にも何かに食い荒らされた男の死体…………しかし、それを見ても不思議と何も感じなかった。

 血肉と臓器を体外へ引き摺られた、現実感の無いそれを眺めていると、死体の奥に人間より二回り程大きな三つ足の鴉が男の肉を咥えながら、こちらをじっと見つめていた。

 自分はどうしてかその鴉を見ると胸を押し潰される様な、取り返しのつかない過ちを目にした様な、そんな気分になっていた。

 そして、私は自分から鴉に向かって歩み寄り手にしていた薙刀を鴉に向かって振り下ろし

 

――首を刎ねた――

 

 布団から飛び起きる様に沙天涼香(さてんりょうか)は目を覚ました。

 相当うなされていたのか、寝汗で布団がじっとりと濡れていて、動悸も少し荒い。

 その上、寝覚めに憶えていた夢は気持ちの良い寝覚めとは程遠い、気分の悪い夢だった。

 

「……夢……なんか」

 

 涼香は、ぼんやりと憶えている悪夢を振り払う様に目元を擦る。

 すると頬に涙が流れていて、自分が夢の内容に対して何故か、悲しみを覚えて泣いていたのだと理解する。

 

「……なんや、ようわからへんなぁ。今の夢……なんやったんやろ……」

 

 涼香は困惑しながらも涙を拭い、前日から側に用意してあった着物を手に取り着替えを始めた。

 着替えを終える頃、丁度廊下を歩き涼香の居る和室へと進む足音が聞こえ彼女の部屋の前で止まる。

 涼香から(ふすま)越しに見える人影は座して、襖を開けずに声を掛けてきた。

 

「りょ、涼香様、お目覚めでしょうか?

お食事の用意が出来ております故、伺いに参りました。

お、起きておいででしたら、お召し物の準備が出来次第、居間へお越しくださいませ。」

 

 部屋の前で涼香に語りかけた人影は、涼香の居る屋敷の従者の男だった。

 その声に対して笑顔を張り付けて言葉を返す。

 

「起きとるよ。いつも朝早うにご苦労様やねぇ。

もう、戻っててええよ」

 

 言葉を返すと人影は頭を下げて、その場をそそくさと後にする。

 

「…………うちも早よいかんと……母様に怒られてしまうなぁ」

 

 怯えと畏怖混じりで逃げる様に、その場を後にした男の影を襖越しに眺めながら涼香も部屋から居間の方へと足を向けた。

 

 

 彼女の家はそれなりに大きな寺族(じぞく)の家系で幾人かの陰陽師や僧と共に暮らしており、涼香が今暮らす国、雉須(きぎす)で沙天家は五本の指に入る程の名家だった。

 先程、彼女の部屋に来た彼も沙天家に仕える僧の一人である。

 そんな環境に身を置く涼香は自室を後にし、広い寺の廊下を歩き居間の座敷へ移動する。

 居間の戸を開けた涼香は二人の老人が机の前に座り、食事を始めているのを目にする。

 見慣れた光景であるのか、特に気にする事もなく老人達の間を取る形で涼香も、用意された食事のある場所に腰を落ち着ける。

 

「おはよう、爺様。

二人とも朝早いなぁ。

今日も門の守りけ?熱心な事やねぇ」

 

「おお!涼香ちゃんか、おはようさん。

涼香ちゃんも儂等に負けず劣らずの早起きだのぅ。

生憎、毘鬼門の守りとは別に今日は用向きがある……だから、今日は涼香ちゃんと顔を合わせるのは朝のこの時間だけだろうのぅ」

 

 涼香が挨拶がてら言葉を投げ掛け最初に言葉を返したのは白髪の老人だった。

 白い髪を後ろで一本に結えた老年の男。

 千寺判裁(せんじばんさい)というその男は白い顎髭を蓄えつつも、姿勢良くしゃんとした佇まいで座っていて爽やかな笑みを浮かべながら涼香に言葉を返していた。

 

()より遥かに忙しい。

其に構っている暇など無い故にその鬱陶しい顔を見せてくれるな……と言わないのは判裁の気遣いだと知っておけ。

因みに(わえ)は言う。鬱陶しい、さっさと食って向こうへ行け」

 

和やかな会話に水を刺し、悪態を口にしたのは判裁とは別の、もう一人の老人だった。

 八月一日禅鐘(やぶみぜんしょう)

 彼も判裁と同じくらいの歳の男だが判裁の様な白髪ではなく黒髪。

後ろで髪を結えているのは同じだが禅鐘は頸の辺りで縛っており、気怠げな半目に背中を丸めていて、端正な顔立ちと皺の比較的少なく少し若く見られそうな外見も、その陰気な表情と猫背により台無しになっている。

 この老人二人も沙天家に仕える従者ではあるのだが彼等はそれなりに地位があり、この家でも少し特殊な立ち位置に居る為、家の跡取りである涼香よりも立場上は上の人物だ。

 

「嫌やえ。

うちは別に爺様二人と朝一緒に食べるん好きやし、禅の爺様が嫌がってる顔見るんはもっと好きやえ。」

 

 暗い声音で放たれる悪態を聞いても、涼香は笑顔で嫌味を返す。

 

「はぁ……禅鐘、お主がどう言おうと勝手だが、儂まで巻き込まんでくれんか。

 儂は、まだ涼香ちゃんの晴れ着やら浴衣やらを見ながら余生を楽しむつもりだのに、儂の楽しみを奪わんでくれんかのぅ?」

 

「其の楽しみなぞ知るものかよ。

我は静かな隠居生活が台風の目の様な小娘に荒らされて居るのだから、これくらいの愚痴は言わせて貰いたいものだな。」

 

 二人の老人の会話を聞きながら、涼香は用意された朝食を眺める。

 机には汁物と漬物、魚の切り身、それらに加えて米が添えられた質素な献立が並べられてた。

 昔から関わりのある爺二人に囲まれての食事。

 涼香にはこれが日常であり、この二人とのやり取りもいつもと変わらないやり取りだった。

 しかし、いつもの予定とは違う事を口にした判裁に対して用意された朝食に手を付けながら、判裁が口にしていた用向きというのが何であるのか気になり、涼香は二人の会話の流れを汲みつつ疑問を投げ掛ける。

 

「うち爺様二人は余生とか老後の話するんまだ早い思うけど。

まぁ、禅の爺様の愚痴はどうでもええけど、判の爺様は用事あるから門の番せん言うてはったのは珍しいなぁ。

どんな用事なん?都とか遊びに行くんやったら、うちも連れてって欲しいわぁ」

 

 寺での務めが面倒で、外へ遊びに行きたいという下心を全く隠そうともしない涼香に、苦笑しつつも判裁は食事を終えて箸を置き湯飲みに手を掛けながら涼香に目を向ける。

 

「ただの野暮用じゃよ。

近々知り合いがこの寺に来るのじゃが先に遣いが着くそうでのぅ。

なんでも、遣いの者に目を掛けてやって欲しいそうじゃ。

何かと借りも多い故、頼みを無下にも出来んでな」

 

 そこまで言うと判裁は涼香から湯飲みに視線を下げ、中身を飲み干すと食材に感謝の言葉を告げて、食器と湯飲みを重ねて盆に乗せ居間を後にする。

 

「ふ〜ん、判の爺様に恩を着せれるお人なんて居はるんやね。

近々来はるんやったら会ってみたいもんやえ」

 

 涼香の言葉を聞きながら、判裁の背が見えなくなるまで目で追っていた禅鐘は、判裁が居間から消えると(おもむろ)に口を開く。

 

「涼香……其の今日の勤めは何だ?」

 

「うちの予定が知りたいのけ?……う〜ん、別にいつもと変わらへんよ。

朝から里の見回りしてから、道場寄るんと、母様の家の事で勉強の約束あるくらいやけど……それがどうかしたん?」

 

「ふん……聞いただけだ。今日の門番は我がすると瑠璃に伝えておけ」

 

 禅鐘は言葉を切ると、それ以上話す事も無く食事を終わらせて居間を出る。

 何故そんな事を聞いたのかと涼香は禅鐘に尋ねようとするも素っ気ない態度で食事を終わらせさっさと居間を出て行ってしまったので、涼香は深く考える事なく朝食を済ませ居間を後にした。

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