約束の痕   作:のらゐぬ

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一章 来客

 沙天涼香の棲まう寺、伊江寺(いのえでら)

 かつて人の(ことわり)から外れた存在を封じたとされる大門……毘鬼門(びきもん)守り(もり)として古くから、その役目を負ってきた沙天家が建てた寺である。

 周りの集落や都から離れ、堅牢な岩山と深い森に囲まれた伊江寺は鉄の御所とすら呼ばれていた。

 現在、沙天家の当主である沙天瑠璃は涼香の母にあたり本来であれば毘鬼門の守りとして勤めを果たさなければならないのだが、彼女は生まれつき病弱であるが故に、彼女の旧友であり沙天の先代に恩がある判裁と禅鐘が代わる代わる門の守りをしている。

 伊江寺で毘鬼門の門番を続ける沙天の家系は、国で起こった妖に携わる事柄を裏で諌める役割も担っていた。

 妖の被害に遭い日陰者になった人々の為の拠り所として、伊江寺の山の麓に隠れ里を作った。

 そうして、今日もその里の寺子屋で齢十六を数える沙天涼香は、同じ年頃の子供等と勉学に励み沙天家の娘としていつも通りの平穏な一日を過ごしていた。

 

 沙天の娘としての勤めである里の見回りに出て昼を済ませてから涼香は道場へ立ち寄る。

 武道の習わしを教える場で涼香は、沙天の娘として将来的に妖へ対抗する力を得る為に判裁から稽古を受けていた。

 ある事件をきっかけに涼香は判裁から教わる事が無くなったのだが、それでも腕が鈍らない様にと涼香は度々この場所に立ち寄っていた。

 

「う〜ん、見回り言うても面白い事一つもあれへんなぁ。

判の爺様居らへんし、今日は道場も軽く顔出しだけでええね」

 

 いつもの調子で道場の戸を開けて中に入った涼香は、いつもよりも熱気があり、活気付いた空気に異変を感じて中の様子を伺う。

 

「温い温い!まるでぬるま湯じゃないか。

これが判裁様に常日頃から、稽古を付けていただいている者の腕か?

話にならん」

 

 道場内には見知った顔触れの中に一人だけ見覚えの無い人物が居た。

 その人物は竹刀を手に道場用の防具を付けて堂々と立っている。

 涼香からは声から恐らく男だと判るが面により顔は見えない。

 立ち姿を見る限り、背丈は目測五尺六寸程度で涼香よりもかなり恰幅のいい体付きをした男だった。

 それに対して床に尻餅をついて同じく道場用の防具を着ていながら、持っていたであろう竹刀を床に転がされている道場の人間。

 状況を見るに軽く試合でもして、道場の人間を負かしたのだろうと涼香は推察する。

 

(……なんや面白そうな子が来てはるみたいやねぇ。

試合、他の子とやりはるんやったら見てから行こかなぁ)

 

 そんな事を考えながら次は誰とやるのかと観察していた涼香の存在に、倒れている男が気付き声をかける。

 

「!りょ、涼香様っ!?」

 

 その声に反応し、次いで立っている男も涼香の方へ振り返る。

「ん?なんだ?……女?ここは道場だ。

小さな子供や女がくる場所じゃ無い、怪我をするから出ていて貰えるか」

 男には悪気は無かった。

 実際、涼香の見た目はとてもでは無いが道場通いのそれでは無かったし、背も低く痩せ型で、しかも女性である。

 そんな者が道場で何をするのかと少なくとも涼香を知らない者なら誰もがそう思う……そんな状況だった。

 しかし、それは沙天涼香に向けては決して言ってはならない一言だった。

 

「そうなんや。そらうち初めて知ったわぁ。

女の子がここに来ると怪我するんやねぇ。

うちは稽古やって怪我なんて殆どした事あれへんけど、どんな風にしよったら怪我するんか……教えて貰えますやろか?」

 

 静かな口調で言葉を返し、道場の敷居を跨いだ涼香は、道場の隅に置かれた竹製の薙刀を手にする。

 その様子を見ていた男は、最初ぼんやりと見ていたが、涼香が薙刀を手にしたのを見て眉を顰める。

 

「……なにを言ってる?ここの道場は女子供も稽古場に立たせるのか?

…………やらんぞ。

例え竹刀と言えど女に向ける剣などなど、俺は持ち合わせていない。

だから、それを置け強がりでも其の方が持つ物じゃ無い」

 

 そこまで言い切った男は涼香が薙刀を元の場所に戻してくれる……もし、戻さなくても少しの間相手をするだけで諦めるだろうと考えていた。

 対する涼香は、薙刀をしっかりと握り込んで目を細めて、目の前の男を睨む。

 

「そうけ……そこまで言い張るんやったら、手加減とかせんでもええんやね」

 

「何を言ってる?早くその薙刀を元の場所にか――」

 

 言葉を言い終わる前に男は道場の床に叩き付けられた。

 男はその衝撃から何が起こったか判らず、平衡感覚を若干失っていたが、男が喋っていた間に起こった事は単純だった。

 涼香が棒幅跳びの要領で薙刀を起点に女性脚力とは思えない威力の蹴りで男のこめかみを蹴り飛ばしたのだった。

 木製の薙刀を本来の薙刀を仮定するなら、薙刀の刀身を手に取り、石突を道場の床に付け支点にするなど凡そ武道から外れ切った所業だったが、涼香は全く意に介していなかった。

 

「どうしたんかなぁ?怪我でもしはったん?

それやったら道場から出てた方がええんと違う?

危ないえ」

 

 幼少期から彼女の相手をしてくれる大人はいつも判裁と禅鐘だった。

 その判裁が受け持つ道場で鍛錬を積んでいる者を馬鹿にされ、女だからと初めから爪弾きにしようとした男の態度を思い返しながら、涼香は薙刀を手に男を見下ろして嘲る。

 

「な、何を……した?」

 

 男は何とか身体をよろけさせながら、立ち上がり構えを取る。

 すると涼香は驚いた表情で男を見返す。

 

「へぇ、まだ立てはるんやね。

でも、寝とった方が痛い思いせんで済んだんやけどなぁ!」

 

 涼香は言葉を言い終わるや否や男の方へと飛び上がり、空中で身体を2回転させて薙刀を振るう。

正面から行った為、今度は男も薙刀の軌道を弾き凌ごうとする。

 しかし、尋常ではない腕力から振われた攻撃を弾いた彼は体勢を大きく崩される。

 

「ぐっ!?しまったっ!!」

 

 追い討ちを掛けられまいと咄嗟に後方へ飛んだ男を狩る様に、涼香は着地から狙い澄ませ突きを構える。

 構えを戻そうとする男が動くより、速く鋭い一撃を涼香が入れようとした瞬間――薙刀は道場の床へと沈み込む。

 

「涼香……勝負は着いとる。

これ以上は試合の域を出る事になるぞ?」

 

 涼香は突然、自分の薙刀が重くなり、攻撃を阻止され聞こえた声に動揺する。

 見れば、いつの間にか目の前に現れた判裁が薙刀の柄を踏み付けて、男と涼香の間に割って入っていた。

 

「…………判の爺様……今日は用事ある言うたの嘘やったのけ?」

 

「嘘ではないのぅ……今、現にこうしておるのも用事の為じゃからなぁ。それより手を離して貰えるか?涼香ちゃん」

 

 判裁から咎められた涼香はあっさりと折れて薙刀から手を離す。

 判裁はそれを見て穏やかな表情を浮かべると、涼香の持っていた薙刀を手に取り振り返って男に声をかける。

 

「よく、ここまで来てくれたのぅ一(でかた)君。

話は明月(めいげつ)から聞いておる。

何があったかは知らぬが……立てるかのぅ?」

 

 男に気さくに話しかける判裁を涼香は少し睨んでいたが、それと同時に先の発言から涼香は自分が襲った男こそが判裁の話していた遣いだと悟る。

 

「ば、判裁様!お久しぶりです!

明月様から判裁様に文を渡す事と、どうせ顔を合わせるなら判裁様にまた稽古をつけて貰いなさいと仰せつかっております。」

 

 一と呼ばれた男は判裁を目にすると、ふらふらとしながらも礼儀正しい言葉を返し、先程までとは別人の様に佇まいを直しつつ懐から手紙を取り出して判裁に手渡す。

 

「稽古かぁ〜、儂様な老いぼれに教えられる様な事が残っておれば良いがのぅ。どれ」

 

 判裁が手紙を手に取り軽く目を通すのを尻目に、涼香は一と呼ばれた男を睨んでから判裁が足元に置いた薙刀を手に取り、それを元の位置へと戻して道場の外へ出る。

 

「外れやなぁ、今日は道場に顔出さんかったらよかった」

 

 道場の外の石を軽く蹴ってから、涼香は少し目を細めてつまらなそうに呟いてその場を後にした。

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