それは貫志がまだ7歳の頃。
彼の住んでいた村は妖によって襲撃され滅んだ。
その時に村を助ける為に駆けつけた判裁と、共に命を受けやって来ていた陰陽師、
優しく働き者の母と厳しくも子煩悩な父、一つ歳下の仲の良い弟。
それ程裕福では無かったが、貫志は幸せな生活を送っていた。
しかし、貫志が母と村の畑仕事を終えて村へ戻ると村は既に手遅れだった。
火車を引き走る妖鬼は火を撒き散らして家を焼き、車輪に顔の付いた鬼は回る火の車輪と共に人々を轢殺、肉に噛み付き数で襲い命の上で踊る餓鬼、飢えた旧鼠は空腹を満たす為に駆け回る。
正にこの世の生地獄。
そんな光景の中、貫志の両親は貫志を遠くに逃がす為に村の裏道へ貫志と弟を連れて来たが、裏口からも来ていた妖に襲われ、貫志は目の前で両親を食い殺される。
「次は自分が殺される」そんな考えが頭を過った貫志は、恐怖に怯えて動けない弟を見捨てて逃げてしまった。
そうして、平穏に暮らしていた筈の少年は一夜にして全てを失った。
家も、家族も、居場所も優しい村の隣人達も。
妖から村が襲撃され妖退治のために訪れた判裁と明月が辿り着いた頃、既に生き残って居たのは貫心ただ一人だった。
村を守れなかった罪の意識と、幸か不幸か生き残ってしまった少年。
その二つが判裁と明月に後悔として重くのしかかり、二人は貫志を引き取る事となった。
引き取ったのは明月だったが、その後も度々貫志を気にかけて様子を見に来ては剣術や、道徳等を親代わりの様に判裁は教えていた。
自分の窮地を救い、生きる為の知識や戦う術を教えてくれた判裁を貫志が英雄視して憧れを抱く様になり、常識や仕事、帰るべき居場所を与え、決して同情を見せる事なく貫志を養った明月の元で貫志は成長し、今は齢十九を数える頃だった。
海に面し広く広大な土地を納めた海に囲まれた島国。
その都である
彼の命により
「判裁様。
その……先程は鍛錬不足で見苦しい所を見せてしまって、すいませんでした」
「んん?…………あぁ、先の涼香ちゃんとの喧嘩かぁ。
かははっ!あんなものは気にしなくていいんじゃよ。
あの子は儂と居る時間が一君より長いからなぁ。
その分、儂から手解きも受けておるし、なによりあの子は普通の女子とは訳が違うでな。負けたからと言って鍛錬不足と言うことも無かろうよ」
尊敬する師の前で失態を見せたと気負う貫志に判裁は笑いながら話し、のんびりとした足取りで里を練り歩く。
「涼香ちゃんは熊ですら拳で殴り倒すのだからのぅ!
女子と侮っては手痛いしっぺ返しが来る事も、まぁあるわなぁ」
「く、熊を素手で?判裁様……冗談ですよね?」
「かかっ!さてな。気になるなら仲直りがてら本人に聞いてみてはどうじゃ?あの子は儂と違って嘘なぞつかぬからのぅ。
案外ちゃんと教えてくれるかも知れんぞ?」
「…………遠慮しておきます」
貫志は少し意地悪な返しをする判裁の言葉に対して、苦い顔をしながら顔を背ける。
間違いなく先の様な揉め事になる事が予想できた貫志は涼香の事を意識の隅に追いやって、違う話題を判裁に振ってみる。
「そういえば判裁様。
明月様からの文には何と書いてあったのですか?
ここまで運ぶのに中は絶対に開けるなと言われていたので、少し気になってしまって」
少し子供っぽい事を言ってしまったかと思って、判裁の顔を伺った貫志は、珍しく眉間に皺を寄せ難しい表情をしている判裁を見て目を丸くする。
それに対して判裁は平坦な口調で中身の無い言葉を口にする。
「手紙の内容か……なんだったか忘れてしまったよ」
明らかに嘘とわかる言葉を聞いても貫志は食い下がる事は出来なかった。
それは酷く冷たい目をした判裁が貫志を真っ直ぐ睨んでいたからだった。
「よ、余計な差し出で口をお聞きして、すいません」
貫志が謝ると判裁はしばらくそれを眺めた後、貫志に背を向けて歩き出す。
「…………気にするな。それより、久しぶりに稽古を付けてやろう。
明月にも頼まれておったからのぅ」
話を変えた判裁の声音は普段どうりの穏やかな声に変わっていた。
今までに見たこともない表情をした判裁に少し怯んだ貫志だったが、判裁からの稽古を受けられると聞けば、貫志の中で先程の事は気にならなくなっていた。
「本当ですか!?ぜ、是非お受けしたいです。判裁様っ!」
そうして、貫志は判裁に連れられるまま里から離れた森の方へと案内する。
千寺判裁から一貫志が武術を教わり、判裁を師と仰ぎながら交わす穏やかな会話はこれが最後だった。
大源山の隠れ里、
森に面して、草木の覆い繁る獣道を歩いた先の少し開けた場所で貫志の方へと振り返る。
「まぁ、此処でいいじゃろう。
一君、刀は持ってきおるかのぅ?
儂の刀は儂が持たせた故持っておるじゃろうが……君の刀は言うのを忘れておった」
「はい!大丈夫です!
明月様より、いつ何時床の間で有ろうが手放すなと仰せつかっております故。忘れたりなどはしません。」
「ほほぅ、それは良い心掛けじゃ。明月の教えも悪くないものだのぅ。
本来自分の命を乗せる刀を人に預けるなどあってはならぬが、儂の持たせた物は模造刀じゃしのぅ。ま、ええじゃろ」
判裁は軽く笑いながら、貫志から刀を取り上げて貫志と距離を取る。
「さて、一君。君には先ず構えて貰おうかのぅ。
刀を抜く手間までで良いぞ」
「わかりました。で、では……」
貫志は真剣な面持ちで左足を下げ、腰を少し落とし、鞘を持って刀に手を掛ける。
その姿勢と真っ直ぐに見据えられた目と、構え方を眺めた後に判裁は口を開く。
「ふむ……よし!抜いて儂を斬れい。
本気で抜いて、殺す気で刀を振ってみよ」
「はい!…………えっ?ば、判裁様を斬るのですかっ!?
実刀でそんな事……でき」
「やってみよ。
なに、一君程度の腕では儂は殺せんよ。
じゃから全力で打ち込んでみれば良い、後先は考えるな。
自分の目の前におるのは仇敵じゃと思うて斬ってみせい」
判裁は貫志の言葉を遮って、二の口を塞ぐ。
絶対に殺せないと言い切る判裁に戸惑いつつも、貫志は言葉を信じて刀を握る。
命の恩人であり、尊敬してやまない恩師からの初めての実刀の稽古で斬り殺せと指示された事に、迷いながらも貫志は気を落ち着かせて判裁を見据える。
「(判裁様は構えてもいない……刀に手を掛けてはいるけれど、とても抜けるとは思えない。
…………本当に殺すなら間合いは一歩。
判裁様に教えて頂いた下からの居合い……これでやるしか無い)」
本気で行かなければ稽古にならない、それ程の実力差と考え殺してしまうかもという思考を捨てて貫志はいよいよ心を決める。
そして、強く速く、自らの全力を出して踏み込み居合いを放った。
しかし、その刀は鞘を抜け切る事すら無かった。