「悪くないのぅ!ちゃんと全力で来た。怖気付いて、腰を引かなかったのはとても良いぞ」
判裁は軽い口調で貫志を褒めるが、貫志は何が起こったのかのかが判らず、判裁の言葉など耳に届いていなかった。
貫志の眼前には判裁映っており、判裁はいつ抜いたのかも判らない模造刀の刃をぴたりと貫志の首元に付けて、貫志の抜き手の腕は刀を持たない判裁の左手で止められていた。
「(??判裁様の刀が俺の首に? 未だ構えても居なかった筈だ)……な、何故……俺は負けたのですか?」
「くははははっ!何を言うておる。気の上では君には遠く及んでおらぬよ。刀を鞘から抜いて、間が有ったから当ててみたんじゃ。儂のは初めから斬ろうという意志のない軟弱な刀じゃからのぅ」
判裁は楽しそうに笑いながら刀を納めて、貫志の横へ立つ。
「一君。君は刀を抜く時どの様な抜き方をしたのか覚えておるかのぅ?」
「……抜き方……ですか? 左手を鞘の小柄へ添えて、右手で柄を握って振り抜きました」
貫志は自分の覚えていた刀の抜き方を、そのまま居合の型へと持ってきた事を判裁に伝える。
「それではダメじゃな。それならば、君の構えは半端じゃ。攻めたいのか、誘い出したいのか判らなかったわい」
判裁が切り出したのは刀を抜いて斬れと口にする前、構えた段階から説明を始める。
「ど、どこが半端だったのですか?」
「そうじゃな、君は左足を下げ、腰を落とした。
前屈み気味になった状態で、自分の利き手から刀を抜こうとしたのに左を引くと鞘が遠くなるじゃろ?
その場合、儂が斬る前に抜くのでは無く儂に抜かせて誘い、躱す方がまだ良いじゃろう。誘ったと思ったのは先ずそこじゃな。」
「(か、構えからダメだったのか。判裁様……先に言ってくだされば良かったのに……)え、ええっと他には〜」
「そうじゃな。あの構えのまま攻めるのならもう少し、背を低くして、右足も少し出しておく事じゃな。
もしくは、そもそも足元を下げずにどっしりと構えて抜けば良い。君ならば攻めの気を強く、構えはほんの少し前のめりなくらいがいいのかも知れんな」
「そ、そうですか。……判裁様。とても失礼な事を口にするのですが、明月様は刀も考えも柔の心得が良いと仰っておられました。しかし、実際は剣の道は推して進めるべきなのでしょうか?」
「それは違うな。一君……君はさっきどんな形でも入れる状況で態々、基本形の面打ちを選んだのは何故かのぅ?」
「…………それは一番好きな形だからです」
貫志の答えを聞けば判裁は一瞬呆気に取られ、その後、少しの間を置いて豪快に笑ってみせる。
しかし、それは嘲笑から来た笑いでは無く心の底から愉快そうに笑っていた。
「…………くっ、くく、かははははっ、いや良い!良いぞ! 好きであるなら、その型を極めれば良いのだからのぅ。その心意気は実にいい精進し励めよ!」
判裁は貫志の肩を軽く叩き模造刀を一度鞘にしまってから、再び貫志に語りかける。
「確かに明月の言う様に様々な思考や、柔軟な太刀筋や考えを扱えるのならそれが理想じゃろう。しかしなぁ、人には得手不得手がある。儂も、君も、明月ものぅ。
意地も通せば立派な信念。
好みや拘りも貫き通せばいずれ並ぶ者のいない頂も見えるのではないかのぅ」
「並ぶ者のいない頂……ですか」
「うむ、儂はな一君。一君には不退転の才が有っていると思ったのじゃよ。恐ろしいモノから目を逸らさず、冷静に実を取りに行ける。そういった才は君の様な歳ではまず芽生えない。死地でのみ輝く才じゃ。
だからこそ……」
判裁は、そこまで言うと何故か言葉を止める。
「判裁様? どうかされましたか?」
貫志が判裁の様子を伺うと判裁はハッとして、直ぐに言葉を続ける。
「だからこそ君が刀を手にするなら前へ前へと出る方が向いてると言ったのじゃよ。
まぁ、そうじゃな。もう一つ付け加えるなら、一君は技を止めぬ事じゃな。1度斬った。
あるいは止められたのだとしても、そこで止まれば先は無い。先程の居合抜きでも、止められたのならば足を使い距離を取る。
頭突きで押し出す。右手を犠牲にしてでも、転び左手で刀を抜く。怯まず推し通すなら、無茶と無謀でも心のままやってみせよ。
死地で活路を見出すには、不退転の心と決して止まらぬ身体がいる。
それが無ければ、お主は本来――
――あの村で死んでいるであろうよ。」
「…………」
判裁は貫志に重い呪詛の様にのしかかる言葉を口にしながら刀をゆっくりと抜いて貫志に向き直る。
それに対して、貫志は無言で唇を噛み締める。
「肝に……銘じておきます。判裁様」
「……ふむ。一君、今日は日暮れ近く迄は稽古を付けてやれる。今まで教えて来た復習も兼ねて、遠慮なく好きなだけ打ち込んで来なされ!」
「はい、わかりましたっ!」
貫志は判裁の言葉を聞き、自分の未熟さを振り払うように何度も何度も刀を振るい判裁と稽古を続けた。
そして、日も落ち暮れ始めた頃に判裁は息も絶え絶えな貫志に稽古の終わりを口にする。
「よ〜し!今日は終わりじゃ一君。
お主に教えられる事は今日はもう何も無い!十分じゃ。儂も疲れたし、そろそろ里へ帰ろう。」
「はぁ、はぁ……は、はいぃ、わかりましたっ。(なんで、あれだけ動いてた判裁様は、あの歳で息も切らして無いんだ?)」
貫志は肩で息をしながら、驚異的な体力の判裁を見て驚愕しつつも後を追って歩いて行く。
森の中で暫く歩いたところで判裁は立ち止まって貫志に向き直る。
「あぁ、そうじゃ! ようやく明月の手紙の内容を思い出したわい。丁度、先の稽古の場所の先の
唐突に判裁はそう切り出して、貫志の頭を軽くポンポンと叩く。
「貫志。今日の稽古は良かった。儂が居ない間鍛錬を怠っておらなかった様で安心したわ。明日から儂はここを離れる故。涼香ちゃんと仲良くして、此処を頼んだぞ。」
判裁はようやく貫志の名を呼び、父親の様な表情で貫志を眺める。
心から慕い尊敬する判裁に珍しく名前で呼ばれた事を嬉しく思った貫志は胸を張り、力強い言葉を返す。
「っ!はい!判裁様の留守の間。あの娘も負かして、あの里も守ってみせます」
「くかっ!かはははははっ!
そうかそうか。まぁ、精々頑張ってのぅ」
判裁は楽しげに高笑いをしつつ、貫志に背を向けて森の方へと歩いて行く。
貫志は判裁の背が見えなくなるまで見送って、里へと戻って行った。
貫志と別れた判裁は歩きながら先の稽古での会話を反芻する。
「『死地でこそ輝く才…………だからこそ』儂は、君には刀など教えたくは無かったのだがなぁ。まぁ、過ぎた馴れ合いじゃな。儂も人間なんぞと長くつるみすぎたのぅ」
千寺判裁はそう言って、独り暗い森の中で般若の様な醜い笑みを浮かべていた。