沙天の家は古くからの因縁により呪われていた。
元は龍を信仰した巫女の一族だったが、ある時、大源山という山に住む呑天鬼という鬼の退治を任された当時の沙天の血筋の陰陽師と巫女は、鬼の調伏に失敗し鬼の封印と引き換えに呪いを受けた。
呪いは強大で沙天の血筋、その何代にも渡って受け継ぐ事になっていた。
しかし、当時の国を治めていた長と沙天の人間はこの呪いの力を利用した。
沙天の人間は鬼の呪いの力を御し、自らの寿命を犠牲にしながらも妖に対する超常の力を得た。
妖を封じ、妖を滅し、妖を繋ぐ術を。
当時の国を治めた長はその力を利用し、沙天を妖殺しの勤めを課しつつ呑天鬼の呪いが広まらぬようにと大源山に伊江寺を建て沙天を幽閉した。
そんな背景からかなりの年月が過ぎ、国の長も幾度となく移り変わった今でさえ、沙天家は妖退治以外の理由で大源山の寺から出る事は少ない。
沙天の家は毘鬼門の守りであり、妖殺しの一族。
それ故に外でも恐れられ、都でもその存在は秘匿され大衆にはその存在を認知されていない。
そんな話を涼香に説明し聞かせていた瑠璃。
禅鐘と分かれて寺の中に備わった一室で瑠璃の話を聞いていた涼香は少し聞くのに飽いたのか母の説明の合間に疑問を投げ掛ける。
「……母様。そやったらうちらのご先祖様は鬼退治するんにわやしたんやったら鬼退治へやっぴやったのけ?それとも、その〜呑天鬼?いう鬼さんが凄かったて事なん?」
「ん〜、それもあるかもしれへんねぇ。
そやけど、毘鬼門はその時の鬼さんとよおさん居った妖を封じてる言う話で、門の開け閉めをウチや涼香が出来るんはそん時封じた中に沙天の血筋の人が居たからやいう話らしいからなぁ。
やから、その鬼さんだけを退治しようとしてたんと違うかもしれへんよ」
瑠璃から返ってきた答えに涼香は少し退屈そうな顔で背の低い机に顎を乗せる。
「う〜ん……母様がうちにうちらの家の話したいんはわかったんやけど、それでそないな話するんがお勤めに関係ある事なんかわからへんのやけど」
「それ言われるとウチも説明するん難しいけど、あの門は涼香やウチ以外にも開け閉め出来る人が幾らか居てはるんよ。
そやから、そんな人らが悪さしよ思ってここ来よったりしたら危ないから話したんよ。涼香にはいつか、ウチの代わりに毘鬼門の守りして貰わなあかんやろうから」
瑠璃は涼香の退屈そうな姿を見て「面白ぅない話でごめんな」と眉を下げて仕方なさそうに微笑む。
それから、涼香の顔へ手を伸ばして軽く涼香に姿勢を整えるように注意し、涼香が姿勢を正し座り直して目を合わせれば瑠璃は再び口を開く。
「だから、涼香はウチの元で産まれてから今まで普通の子と同じようには暮らせへんかった。それはウチの元で産まれて来たからで、この沙天に伝えられた役割やね。
でも、涼香がどんな風に生きて誰の為に何がしたいか……それが決まった時、一人で決めへんとあかん時に沙天の役割とか、跡継ごうとか考えへんでええ。でもな、後ろにだけは向かへんようにせなあかんよ。後ろに向いたって……道なんかあらへんからね」
「え……う、うん、わかった」
いつになく真剣な瑠璃の表情と言葉に気圧された涼香は、その様子に少し困惑しながらも頷く。
この時の涼香は母の言う言葉と、その裏の真意まで理解する事は無かった。
「ほんなら涼香、話はこのくらいにして禅鐘はんが来はるまでお茶にしよな。法術のお勉強は今日もう教えてあげられそうに無いさかい禅鐘はんの言うことちゃんと聞いて、習って来なさいね」
しかし、それでも瑠璃は優しい笑顔で涼香の頭を撫で、それ以上は同じ話に触れる事は無かった。
正刻の鐘は昼八つ、羊の刻。
沙天涼香はそれに気付いてしまった。
沙天の家の成り立ちを母から教えられてから一刻ほど母と他愛ない会話を楽しんでいた時のこと。
涼香の買った団子を茶菓子としてあてにし、茶を飲んでいた母の手が震えていた。
その手は酒浸りの生活を送った者ように震えていて、顔色も良くなかった。
涼香を例外として沙天家の女性は代々、呪いの影響で病弱だったが、その中でも瑠璃はかなり身体が弱かった。
「…………(母様、また具合悪いのやろか?うち、そろそろ禅の爺様呼んで母様休ませたげたほうがええんと違うかな……)
母様。あんまり長いこと遊んでたら禅の爺様に怒られるから、禅の爺様呼んでくるえ」
瑠璃が体調を崩して涼香と過ごせない事はこれまでにも多々あった。
それ故に、いつものように体調を崩しているのだと思った涼香は禅鐘を呼んで母を休ませようと気を回したのだが、今日は珍しく母の方からいつもとは違う返答が返ってくる。
「気にせんでええよ涼香。今日は禅鐘はんには申の刻の頭には呼びに来る約束なんよ。それに今日は涼香と一緒に居りたいんよ。そやから、そない急いでウチの側から離れんといてや。お母さん寂しいて泣いてしまうよ」
涼香は目を丸くしながら言葉を聞くも、涼香自身母の事は大好きで話す機会も少ない為悪い気はしなかった。
瑠璃の言葉を聞いて立ち上がりかけた足を直して、再び座りなおす。
珍しく自分を引き止めた母の言葉が嬉しかった為に涼香は瑠璃の表情の中に不安と少しの恐怖心があるのを見過ごした。
「母様にそんなん言われたら何処へも行かれへんよ。……そやったら母様が寂しぃないように隣座ったげるな」
涼香は普段、母といつでも接する事ができない為に母に甘える。
瑠璃の隣に座り、身を寄せて頭を軽く瑠璃の身体に預ける。
瑠璃は黙って涼香の頭を撫でながら、愛娘の顔を見つめていた。
「母様……今日は判の爺様の道場に変な子が来よったんよ。道場入って来るなり、判の爺様の弟子やのに緩い言うてな」
「へぇ、そうけ」
「うん。ほんで、うちが入ったらえらい偉そうに道場は女の子の来る場所やない言うてな。相手にもならへんみたいなイケズな言い方しとったんよ」
「涼香はどないしやったん?」
「道場の床、服で綺麗にしてもうたで。判の爺様に止めよし言うて怒られてしもたけど」
「ふふっ、元気がええね涼香は。そやけど、それやったらそん子も判裁はんの事よぉ好いてくれてはるんやと思うえ。『僕の知ってる判裁はんはこんなもんやあらへん!』言うて道場に声かけたやろうし」
「それはそうかもやけど……そやけど、あん子は判の爺様の道場の事馬鹿にして」
「それは涼香と同じ気持ちから来よると違う?判裁はんの腕に憧れたんが、ほんの少し拗れただけ。
そやから、涼香と同じで道場でまだ腕が達者やあらへん子ら見たらついカッとなってしもたんと違う?」
「母様。見てないのに知らん子の肩よう持つなぁ」
少し拗ねた涼香は不貞腐れてそっぽを向く。
そんな娘を可愛らしく思い軽く微笑んでから、優しい声音で言葉を返す。
「ふふっ、涼香には嫌な感じしたなぁ。ウチがいけずな言い方したわ。ごめんな。そやけど、せっかく涼香と同じで判裁はんの事気に入ってはるんやから仲良ぅした方がええ思てな」
「……どうして?」
「そら、仲良しはええ事やからね。うちは涼香が皆んなと仲良ぅしてる方が嬉しいし、涼香がうちと爺様二人だけと仲良ぅしてるのちょっと嫌やからかなぁ」
「うちは別に母様と判の爺様と禅の爺様、三人居ったらそれでええよ」
「涼香はそうかもしれへんねぇ。
…………そやけどねぇ涼香。うちも爺様二人も涼香とずっとは側に居れへんよ。皆んな居れへんなった時に涼香は独りぼっちになってしもてもええの?」
「…………嫌や」
「そやろ。やから、仲良しが一番なんよ。色んな子ら、色んな妖怪、沢山居るけどね。皆んな憎むより許して手取るんが幸せ。沙天の家より、うちは一番それが大事やえ」
「でも、母様は……沙天の家は皆んな良ぅ思って無いえ」
「そや。そやから、涼香は皆んなと仲良ぅせなあかん。そやないと折角可愛い顔と宝石みたいな目々してるんに、嫌われたら損やえ」
そう言って瑠璃は涼香を抱き寄せて頭をくしゃくしゃに撫で回す。
不貞腐れていた涼香も機嫌を良くして頬を緩ませてされるがままになっていた。
その雰囲気など微塵も意に解さない襖の音が、涼香にとっての幸せな時間の終わりを告げる。
「時間だ涼香。我は少し瑠璃と話がある。先に蔵で待っていろ直ぐに向かう」
そこには先程よりも硬い仏頂面の禅鐘が立っていた。