白銀が閃く。
だが、その白銀はいつものように敵を切り裂いてはくれなかった。
「あらぁ、どうしたの?」
剣はイリアの薄皮に食い込みはしたが、それ以上進むことができなかった。
全力で剣を首へと叩き込んだのに、サキュバスは顔色一つ変えずに首を傾げている。
自分の剣に不満を持ったことなんてない。
この剣はいつも私の思いに答えてくれた。
白銀の光を以って敵を屠ってきた。
でも、その輝きが今回に限っては頼りなく感じる。
全然足りない、この剣じゃ、イリアに届かない。
「あああっっ!」
首に突き立てた剣を力任せに押し込む。
まるで鋼鉄のような感触だ。
刃が肉を押し分ける感覚がない。
皮膚を貫いたのは確かだけど、そこから先に進めない。
貫けない。
「うるさいわねぇ」
蹴りが炸裂し、私は後方に吹っ飛ばされた。
「ミリアッ!」
リエル先輩の悲鳴のような叫びが聞こえた。
大丈夫です、と言おうとしたけど、うまく口が動かない。
息が、苦しい。
身体に奇妙な震えが走った。
蹴りのダメージだけじゃない……これは…………
体が……熱い?
よく見ると、イリアの翼から、ピンク色の霧が立ち込めている。
何……?この霧!?
「あれ?ようやく気がついたの、遅いなぁ」
イリアが妖艶に微笑む。
「こんなの使わなくても勝てるんだけどさぁ、女の子が可愛く悶える姿が見たいじゃん?だからちょっと遊んであげてたの♪」
……まさか……魅了の淫気?
気づいた時にはもう遅かった、その甘い香りは私の思考を蝕み始めていた。
ダメッ……しっかりしないと……
意識を強く保つんだ。
抵抗しろ、抗え、屈するな。
そう思っても、徐々に力が抜けていく。
膝が折れ、地面にへたり込んでしまった。
戦うどころじゃない。
まずい、このままだと本当に……
「下がりなさい、ミリア」
リエル先輩が、私を庇うように前にでる。
先輩なら、この霧を気にせず戦える。
でも、だめ……先輩が前に出て勝てる相手じゃ……ない。
リエル先輩の放つ光弾がイリアを撃つ。
先輩の全力の攻撃、なのにサキュバスはまるで蚊でも払うみたい光弾を弾き飛ばすと先輩に肉薄した。
「体内浄化ってやつ?すごいわねぇ」
イリアはリエル先輩の肩を乱暴に掴むと、地面に押し倒す。
「でもそれってどのくらい耐えられるのかしらぁ?」
先輩に覆いかぶさったイリアから濃密な霧が放出される。
少し離れた場所にいる私ですらどうにかなっていまいそうな程の淫気、それを浴びた先輩は苦しそうに咳き込む。
苦しそうに喘ぐ口を、イリアの口が塞いだ。
「んん〜〜っっ!」
いきなりの口づけにリエル先輩の目が見開かれる。
口から直接淫気を流し込まれているのか、先輩の体がビクビクと痙攣する。
まずい…………
先輩の体内浄化でどのくらい抵抗できるのか分からないけど、流石にこのままだと負ける。
先輩を助けなきゃ…………でも、体が、動かない。
霧を吸い込むと、全身が熱くなって力が入らない。
何も考えられない……
負け…………る?
絶望が、心を侵食していく。
その瞬間、
絶叫が、あたりに響き渡った。
それは、悲鳴のような、怒号のような、悲しみと怒りが同居した悲痛な叫びだった。
異様な気配を感じて振り返ると…………ノーラちゃんが立っていた。
イリアによって傷つけられた天使をかき抱きながら、ノーラちゃんは天に向かって吠えていた。
「私を……1人にしないでよ…………」
ノーラちゃんの瞳から涙が流れ落ちる。
そうしてこちらを向いた顔には、紅く爛々と光る目が輝いていた。
「あれぇ?目は潰されたはずなんだけど?」
先輩を責め立てていたはずのイリアが、予想外の事態に茫然と上体を起こした。
目だけじゃない……
ノーラちゃんの身体が大きく軋んだ。
肉が蠢き、傷口を塞いでいく。
一歩一歩踏み出すたびに、彼女の肉体が音を立てて形を変える。
髪が伸び、骨格が変化していく。
そうして、イリアの前に立った彼女は、小さな女の子から、少女へと変化を遂げていた。
「あなた、何?本当に私たちと同じ……魔族?」
「傷つけたのは、オマエ?」
殺気。
それをイリアも感じ取ったのだろう。
イリアが瞬時に目を閉じ、耳を塞ぐのが見えた。
「シネ」
血が、吹き出した。
イリアの美しい肢体が裂け、鮮血が飛び散った。
「アァァァアッッ!なんで!?目も、耳も塞いだのにィッッ!」
穴という穴から、サキュバスの命を絞り取ろうと血が吹き出す。
「がぁぁあああ!!」
イリアは、自分の命が尽きる前に、攻撃を仕掛けた。
狙いは目と、喉、彼女を無力化するつもりだ。
鋭利な爪が、彼女に襲いかかった。
「あ…………な、んで?」
ゴポリとイリアの口から血が溢れ出た。
イリアの攻撃をノーラちゃんは避けなかった。
避ける必要がなかった。
私の剣がイリアの肉を断てなかったのと同じように、イリアの爪はノーラちゃんを傷つけることはできなかった。
圧倒的な格の違い。
勝負は、ひどく一方的なものだった。
血を失い、痩せこけたイリアが膝をつく。
萎びたその姿はまるでミイラみたいだった。
「……ぃ…………ぁ…………」
でも、まだ息があった。
かろうじて、イリアはノーラちゃんの攻撃を耐え切ったみたいだった。
でもそうやって守った命も、もはや空前の灯火のように思えた。
トドメを刺そうと、ノーラちゃんの口が開かれる。
命令が、紡がれようとした時。
「だめ」
唇が、唇を塞いだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――
「……………………?」
あれ?
大切な人の顔が、目の前にあった。
唇に、とても柔らかい何かが当たる感触。
………………………………?
ん?
もしかして…………
私…………
キス………………されてる?アルマさんに?
くぁwせdrftgyふじこlp!!
あばばばばば!キッス!?キッスナンデ!?
一瞬にして頭が沸騰する。
あまりの出来事に、私の脳内は大混乱に陥った。
なにこれ?どういうこと?
どうしてこんなことになってる?
ていうかファースト・キスなんですけどぉおおお!!??
「落ち着いた?」
アルマさんが、潤んだ瞳で私を覗きこむ。
落ち着くも何も、絶賛大混乱中なのですが……
「怒りに任せて力を振るわないで……あたしは、ノーラに戦って欲しくない」
「あ………………」
その一言で、我に返る。
そうだ、私は血塗れのアルマさんを見て、怒りを抑えきれなかった。
イリアに、アルマさんを殺されたと思った、許せなかった。
「アルマさんが、死、んだかと……思って」
その時の絶望を思い出して、私は顔を伏せる。
全部壊してしまおうかと思っていた。
こんな世界…………
「あたしが死ぬわけないじゃない。ちゃんと聞こえてたよ、ノーラのお願い」
「え?」
私の…………お願い?
「『私を1人にしないで』って、だから私はあなたを残して死んだりなんてしない。絶対にね」
そう言って、アルマさんは優しく微笑む。
いつもの、優しい笑顔で。
その言葉が、涙が出るほど嬉しかった。
ずっと一人ぼっちだった。
愛をもらえず虚しく死んだ。
そんな私が…………ようやく見つけた宝物…………
パチパチパチ……
場違いな拍手があたりに響いた。
あん?
顔を上げると瓦礫の上に1人の男が座っていた。
全身を黒いマントが包み、フードから覗く顔には複眼の仮面。
マントの端からは無数の触手が垂れ下がっている。
「堕……落王……様」
イリアが助けを求めるように、男に手を伸ばした。
王は笑い声を上げると……
イリアの顔を踏みつぶした。
頭蓋が砕け、脳髄が撒き散らされる。
イリアの身体は痙攣を繰り返しながら、やがて動かなくなった。
「堕落王っ!」
アルマさんが私を守るように前に出る。
父親は私たちを見ると、また楽しげに手を叩き始めた。
「よかったな、ノーラ。愛しいものと結ばれて」
堕落王フェリナスは、私たちの元へと歩み寄ってくる。
「お前の成長を嬉しく思うよ、愛しき娘」
じっとりとした粘つく視線。
なんだ?
父親がいつも私に向ける視線とは違う。
なぜ今になって出てきた?
何の用だ?
「ようやく私の子を孕めるまでに成長したんだねノーラ。愛しき我が花嫁よ」
は……い?
次回百合の間に挟まる無粋な父親(偏向報道)