壱
いつからだろうか。私が青を疎ましく思うようになったのは。
いつからだろうか。ワダツミの子を哀れに思うようになったのは。
いつからだろうか。彼女のことを思い出さなくなったのは。
いつからだろうか。
いつからだろうか。
* * * * *
汐の刃が黒死牟の頸に届いたとき、鬼の気配が膨れ上がった。
その不穏な気配を察知した無一郎は、残った足で汐を蹴り飛ばした。
それと、黒死牟が全身から刃を飛ばしたのは同時だった。
刃は汐の二の腕をかすめ、実弥と悲鳴嶼は寸前で避け、そして。
無一郎は胴体を、玄弥は中心から身体を真っ二つにされてしまった。
「無一郎ーーっ!!玄弥ーーっ!!」
汐の悲鳴に近い声は、二人の名を呼んだ瞬間に飲み込まれた。
黒死牟の全身から、刀と同じ刃がいくつも突き出ていた。
汐はすぐに体制を建て直し、今一度ウタカタを放ち全員を強化する。
実弥と悲鳴嶋も躍りかかるが、黒死牟はふたたびあの技を放つ気配を感じた。
(また技が来る・・・俺が何とかしなくちゃ。まだ無惨が残っているんだ。汐、悲鳴嶋さん、不死川さんを守らなければ・・・)
俺が、死ぬ、前に
無一郎は最後の力を振り絞って、全ての命を燃やし尽くすように、刀の柄を強く、強く握った。
その瞬間、黒死牟を貫いていた刀身が真っ赤に染まった。
(何だこれは・・・!!体が強張る・・・!!内蔵を灼かれるような激痛・・・!!)
痛みで一瞬怯んだ隙に、実弥、汐の刃が頸に当たる。しかし鋼のような頸は簡単には斬れない。
一方、真っ二つにされてしまった玄弥は、鬼化の影響で命と意識を繋ぎ止めていた。
兄と師範と友が命を燃やしながら刃を振るい、激しい戦いを繰り広げている姿を見ながらも、玄弥は冷静に場を分析していた。
(まだ、残ってる。俺の肉弾、あいつの体の中に・・・。みんなの猛攻で、構ってられないんだ)
なら、好機は今しかない。玄弥も最後の力を振り絞って口を開いた。
「血鬼・・・術・・・」
すると黒死牟の背中に先程の木が生え、身体を固定した。
(また固定か、目障りな。両断して奴にも止めを)
黒死牟は玄弥を確実に葬ろうと構えたが、その手が止まった。
(技が、出ぬ!!!)
そのとき、
――ウタカタ 伍ノ旋律
――爆砕歌!!!
汐の歌が黒死牟の左半分を吹き飛ばし、実弥が離れた瞬間悲鳴嶋の鉄球が頸を捉えた。
肉が焼ける音と、焦げ臭い臭いが辺りに充満する。
「ぐぅアアア、ぬァアアアア!!!」
黒死牟の獣のような咆哮が響き渡った。
(体制を崩しても尚耐える、何という強靭な頸!まだ攻撃が足りない!!)
汐の歌の効果が切れる前にと、悲鳴嶋は下から頸を挟み込むように斧を投げつけた。
(技が出ない!!背中の木か!?大量に私の血を吸って幹を伸ばしている。さらにはこの激痛による・・・体の強張!!赤く染まった刀のせいだ!!)
赤い刀。それに彼は見覚えがあった。
忌々しい、憎らしい、弟の縁壱。
遠い過去のあの日。巌勝は縁壱に技の継承をどうするか尋ねた。
『我らに匹敵する実力者がいない。呼吸術の継承が絶望的だ。極めた技が途絶えてしまうぞ』
すると縁壱は穏やかに答えた。
『兄上、私たちはそれ程大そうなものではない。長い長い人の歴史のほんの一欠片。私たちの才覚を凌ぐ者が、今この瞬間にも産声を上げている。彼らがまた、同じ場所までたどり着くだろう。』
縁壱はさも当然と言った様子で空を見上げた。
『何の心配もいらぬ。私たちは、いつでも安心して人生の幕を引けばよい』
その言葉が、巌勝にとってこれ以上ない程の侮蔑の言葉になろうとは露知らず。
『浮き立つような気持ちになりませぬか、兄上』
「オォラァアアア!!」
実弥が飛び出し悲鳴嶋の鉄球の上から刀を振り下ろし
「ダァアアア!!!」
汐が下から斧ごと刀を振り上げた。
その時、鉄同士がぶつかり合ったせいか、二人の刀と鉄球が赤く染まった。
「ぐあああ!」
「ああああ!」
二人は渾身の力で刀を振り、そしてついには黒死牟の頸を斬り落とすことに成功した。
頸が落ちた場所から血が滝のように流れ落ち、切断した頸は潰されて跡形もない。
普通の鬼ならこれで終わりだが、相手は上弦の鬼。簡単にはやられない可能性があることを皆は知っていた。
案の定、流れ落ちていた血は止まり、残った身体は力を取り戻すかのように拳を握った。
(出血を止めた!!)
「不死川、大海原ー!!攻撃の手を緩めるな!!畳み掛けろ!!時透と玄弥の命を、決して無駄にするな!!」
その声を聞いた瞬間、汐と実弥の目から涙があふれでた。
言葉の意味を理解してしまったから。
「上等だゴラ゛ア゛ア゛ア゛!!消えてなくなるまで刻んでやら゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
――風の呼吸 捌ノ型
――初烈風斬り
実弥の斬撃が竜巻のように黒死牟の回りを渦巻き、刃を削ぎ落とす。
――岩の呼吸 伍ノ型
――瓦輪刑部
悲鳴嶋の鉄球が縦横無尽に飛び回り、周辺ごと黒死牟を吹き飛ばす。
――海の呼吸 拾ノ型
――海神舞
汐の舞うような斬撃が黒死牟の下半身を切り刻む。
しかしそれでも、黒死牟は膝をつかなかった。
無一郎の残りの腕を切断し、刺された刀と木を抜こうと力を込めた。
(俺はもう、二度と敗北しない。たとえ頸を斬られようとも。体は崩れていない。まだ再生できる。これを抜き去れば、まだ死なぬ。奴らは死んだ。歌も聞こえない。刀の効力も術の効力も、まもなく消える)
そして私は、頸の切断からの死を克服する
悲鳴嶋の鉄球が黒死牟の顔面を捉えようとした瞬間、一撃は空を斬った。
目を見開く悲鳴嶋の背後に気配が回り、汐と実弥がみたその姿は。
背中からは触手のようなものが生え、斬り落とした筈の頭は鬼の象徴とも言える角が生え、六つの目はそのままに歯がいくつも突き出た異形の姿。
最早、人の姿は影も形もなかった。
「なんなのよ、こいつ・・・!!」
「頭を再生しやがった、あの野郎!糞が!!畜生がアア!!」
汐と実弥が苛立ちのあまり声を上げ、悲鳴嶋が直ぐにいさめた。
「攻撃し続けろ!!頸を落とされた直後で体が脆いはずだ!!無惨ほどの速度では再生していない!!頸を狙え!!何度でも!!」
三人が一斉に躍りかかり、刀を振り上げた。
――ウタカタ 参ノ旋律・転調
――繋縛歌!!!
汐の歌が黒死牟を拘束するが、直ぐに振り払われ背中の触手が周りを薙ぎはらった。
――岩の呼吸 参ノ型
――岩軀の膚
悲鳴嶋の鉄球と鎖が汐を守るように飛び交い、触手を防ぐ。
(克服した。これでどんな攻撃も無意味。太陽の光意外は。これで私は、誰にも負けることは・・・)
黒死牟は、振り上げられた実弥の刀に映ったものを見て、思考が停止した。
そこには、背中から触手を生やし、六つの目でこちらを見ている異形があった。
(何だこの、醜い姿は)
その瞬間、黒死牟の脳裏に二つの声が聞こえた。
『兄上の夢は、この国で一番強い侍になることですか?俺も兄上のようになりたいです。俺は、この国で二番目に強い侍になります』
『巌勝様のような、ご立派なお侍様と生涯を共に過ごせる方は、幸せだと思います。わたくしも、そんな方とお会いしたかったです』
それは、彼がもっとも疎ましく、憎いと思っていた二人の言葉。
(侍の姿か?これが・・・これが本当に、俺の望みだったのか?)
黒死牟が自分の姿に、存在に疑問をもったその時。
無一郎に刺された場所が突然崩れ落ちた。
そして間髪いれずに、悲鳴嶋の鉄球、実弥の刀が次々と穿たれる。
(技を出せ、技を・・・、血鬼術が使えぬ・・・!!)
身体がどんどん崩れ、ついには刀すら握れなくなっていく。
(まだだ、まだ再生できるはず?まだ、負けではない。私は、まだ)
黒死牟が顔を上げた瞬間、光のような物が真っ直ぐに彼の眉間に突き刺さった。
目をうごかしてみれば、それは銀色に輝く一本の懐剣。
その先には、投げた姿勢のまま、青い髪を靡かせて立つ汐。
(その懐剣を、何故お前が・・・)
しかし黒死牟がその問いを口にする前に、頸が汐によって切断された。
(頸を落とされ、体を刻まれ潰され、負けを認めぬ醜さ)
生き恥
こんなことのために私は、何百年も生きてきたのか?
負けたくなかったのか?醜い化け物になっても
強くなりたかったのか?人を喰らっても
死にたくなかったのか?こんな惨めな生き物に成り下がってまで
(違う、私は、私は、ただ)
縁壱、お前になりたかった。
(そして・・・)
汐の姿が、長い髪のワダツミの子、みおに変わる。
みお、お前に感謝と想いを、伝えたかったのだ。