夜光虫の誓い
それは夏の気配が近づいたころ。
薄い月明かりの下で動くのは、大きな影と小さな影の二つ。
小さな影はあわただしく動き、大きな影はそれを見守りながら指示を出していた。
大きな影の主は、大海原玄海。小さな影の主は、彼の娘である大海原汐。
訳あって日光を浴びることができない玄海は、夜の間に汐の訓練に励んでいる。
やがて月に薄い雲がかかり始めたころ。
「今日の訓練は今日で終いだ」
へたり込む汐を見降ろしながら、玄海は口元に笑みを浮かべて言った。
「はぁ~、やっと帰って眠れるわ・・・」
その言葉を聞いた汐は、安心したような顔で見上げた。
「何間抜け面して勘違いしてやがる。眠るのはまだ先だぜ」
「はあ!?」
玄海の思わぬ言葉に、汐は表情を一変させながら叫んだ。
「たった今訓練は終わりって言ったじゃない!呆けるには早すぎるんじゃないの?」
「でけぇ声出すんじゃねえよ!それと俺は呆けてねえ!次んなこと言ったら、はっ倒すぞ。おら、さっさと立て」
玄海は呆れたように首を振ると、座り込んでいる汐に立つように促した。
「これから海で面白いもんが見られそうなんだ。うだうだしてねぇで来い」
玄海はそう言って、家とは反対方向へと歩きだした。
その後を、汐は怪訝な顔をして追う。
「ねぇおやっさん、どこいくの?」
「いいから黙ってついてこい」
玄海はそれだけを言うと、汐の方を振り返りもせずに歩き続けた。
やがて二人は、船着き場のある海岸へとたどり着いた。
「え?ここなの?こんな時間に船なんて来ないと思うんだけど・・・」
汐が疑問を投げかけるが、玄海は答えず海の方を見つめている。
月明かりがあまりないせいか、海は墨を流したような真っ黒な色をしていた。
玄海の意図がわからず、汐は眉根を寄せた。
「ねえ、ここに何があるっていうのよ。おや・・・」
だが、汐は言葉を紡ぐことができなかった。目の前の光景に、目を奪われたからだ。
真っ暗な海の中に、青白い光が見えたのだ。
それはまるで生き物のように動き、暗い海を染めて行く。
「なに・・・これ・・・」
汐の口から、絞り出すような言葉が漏れた。
「こいつは"夜光虫"って言って、大量の海ン中の小さな生き物が発光してんだ」
玄海は海を見ながら、汐にそう説明した。
「条件が揃わなきゃ見られないもんだが、その反面漁に影響が出るから、生業にしている連中からは嫌われてるがな」
玄海はそう言って薄く笑った。
汐は玄海の説明が殆ど耳に入らない程、夜光虫が織りなす海の出し物に魅入っていた。
そんな汐を見て玄海は一つため息を吐くと、空を見上げながら言葉を漏らした。
「本当は俺みてえな爺とじゃなく、惚れた野郎と見るもんなんじゃねえかな・・・」
玄海は目を閉じて、ある事を思い出していた。
それは、汐がまだ今より幼い頃。
隣の村で結婚式があり、参列した村人から話を聞いたことがあった。
何でも二人が結婚を決めたきっかけが、夜光虫の輝く海を見たからだということ。
それのせいかは定かではないが、夜光虫を見た二人は必ず結ばれるという噂が広まっていた。
最初は馬鹿馬鹿しいと思っていた玄海だが、もしも汐が成長し好きな相手を見つけたらと、考えた。
(もしも本当にそうなるなら、父親としてこれ以上嬉しいことはないんだろうな)
玄海は目を開け、未だに海から目を離せていない汐に顔を向けた。
「なあ、汐」
「ん?」
汐はようやく海から目を離し、玄海を見上げた。
「今度は俺とじゃなくて、別の奴と一緒に見ろよ」
「何それ?絹とってこと?」
きょとんとする汐に、玄海は吹き出すと大声で笑い出した。
「な、なに笑ってんのよ!」
汐が抗議をすると、玄海は笑いながら汐の頭を優しくなでた。
「いや。なんでもねえよ。お前がお前で安心したわ」
玄海の言葉の意味が分からず、汐は首を傾げた。
波の音と夜光虫の光だけが、二人を優しく見守っていた。
感想の設定がログインユーザーのみになっていました。
現在は修正済みです。
申し訳ありません