時間は少し遡り。
善逸は鬼の気配が満ちる空間の中を、ひたすら前に進んでいた。
いつもなら怖い怖いと泣き叫び震えているはずだが、そんなものは微塵も見せず、ただ険しい表情で足を早めている。
その理由は、善逸が悲鳴嶼の下で修行をしていた時に、鎹雀のチュン太郎が運んできた手紙だった。
そこには、善逸の師である桑島慈悟郎の訃報が書いてあった。
しかもただの死ではなく、自害だったとのことだった。
驚き狼狽する善逸は、手紙を読み進めて行く中で慈悟郎の自害の理由を知った。
それは、善逸の兄弟子である獪岳という男が鬼殺隊士でありながら鬼となり、その責任を取って慈悟郎は介錯もつけずに、自分で喉も心臓もつかずに長い間苦しみ抜いてこの世を去った。
それを知った善逸は、必ず獪岳との決着をつけなけばならないと決心した。
その"音"がこの無限城の中で聞こえたのだ。
「許さない・・・、アイツを・・・。絶対に許さない」
善逸の怒りに満ちた小さな声は、鬼の耳障りな呻き声に消えていく。
それでも、善逸は足を進める。けじめをつける為に・・・
* * * * *
汐達が無限城に落とされてから、だいぶ時間が経過していた。
鬼の匂いが鼻をつき、炭治郎は僅かに吐き気を覚えながらも襲い来る鬼を蹴散らしていた。
鬼は基本的に群れないため、このような大群と戦う機会はめったにない。
だからこそ、慣れない戦いに少しばかり焦っていた。
だが、義勇の寸分狂いのない戦い方と、汐の援護のお陰で戦えていた。
(鬼の匂いが満ちていて、無惨の匂いを辿れない。無惨は一体どこにいるんだ・・・?)
産屋敷邸で無惨の姿を見た時、傍には珠世がいた。遠目で見ただけだが、何らかの方法で無惨を押さえつけていたようにも見えた。
鬼の群れを蹴散らしている時、ふと、汐が何かに気づいたように顔を上げた。
「汐?」
怪訝そうな顔をする炭治郎だが、汐からの殺意の匂いを感じて身体が震えた。
今までにない程冷たく、深く、重い殺意。まるですべてを引きずり込む、渦潮のように。
「・・・あっちよ」
「あっちって、無惨の居場所がわかるのか?」
炭治郎が尋ねると、汐は深くうなずいた。
「あたしの中の、ウタカタノ花の殺意が教えてくれているみたいなの。"奴はこの先だ。早く殺せ"って」
そう言う汐の目は血走り、顔には血管が浮き出ていた。だが、怒りに満ちているはずのその口元には歪んだ笑みが浮かび、狂気もにじみ出ていた。
「いくわよ、あんたたち」
汐はそう言って走り出し、その隣を義勇が走り、炭治郎も後から続く。
しかしこの城の脅威は鬼だけではなかった。
汐達が進もうとすると、突然足元の障子が開き身体が大きく傾く。それをぎりぎりで躱すと、今度は壁や天井がせり出し、容赦なく押しつぶそうとしてきた。
「気を抜くな!!」
「はい!!」
「ええ!!」
義勇の声が飛び、汐達は声を上げた。
建物はまるで生き物のように動き、汐達を分断させ、場合によっては始末しようとしていた。
(できるだけ他の隊士達と合流して離れず、無惨の所へ向かわなければ)
炭治郎は焦る心を抑えつつ、炭治郎は前を走る汐と義勇の背中を見つめる。
(珠世さんがいつまで耐えられるか分からない。だけど無惨の居場所は・・・)
「汐、無惨の位置は遠いのか?早く・・・」
だが、炭治郎が次の言葉を紡ぐ前に、鴉の鋭い声が響き渡った。
「カアアアーッ、死亡!!胡蝶シノブ、死亡!!上弦ノ弐ト格闘ノ末死亡―――ッ!!!」
その報せが耳と心を容赦なく突き刺し、汐と炭治郎は勿論のこと、義勇ですら目を見開いた。
それと同時に、しのぶの笑顔が蘇り、炭治郎の両目から涙があふれた。
その時だった。
突然鈍い音が響き、炭治郎と義勇は足を止めた。見れば、汐が壁に拳を打ち付けていた。
「クソがっ・・・!!」
炭治郎には見えなかったが、汐は零れそうなほど涙を溜め、歯を食いしばって背中を震わせていた。
拳からは血の雫が零れ落ち、手首を伝って流れ落ちる。
汐は思い出していた。
かつてしのぶが過労で倒れた際、その場に居合わせた汐が臨時で看病をすることになったことを。
* * * * *
『汐さんに話しておきたいことがあります』
『え、何?あたしなんかした?』
唐突に投げかけられた言葉に、汐は思わす身体を強張らせた。
汐も伊之助程ではないとはいえ、粗相を全くしていないわけではないからだ。
『いいえ、そう言うわけではありませんよ。ただ、あなたには話しておきたいと思って』
しのぶは一つ深呼吸をすると、真剣な面持ちで口を開いた。
『実は私はすでに、姉を殺した鬼の目星がついているのです。そして、その鬼の殺し方も』
『え、そうなの!?』
しのぶから告げられたことに、汐は大きく目を見開いた。
『方法は諸事情で詳しくは話せませんが、少なくとも並大抵の鬼ではない。おそらく』
『上弦、もしくはそれに匹敵する鬼ってことね』
汐が答えると、しのぶは少し困ったように笑って頷いた。
『私はこの通り体格に恵まれなかったため、鬼の頸を斬って殺すことができません。藤の花の毒も、鬼によって調合を変えなければならないし、万が一情報が共有されていたら耐性をつけられてしまうかもしれない』
しのぶは視線を下に向け、ため息をついた。こんなに弱ったしのぶを見るのは、汐も初めてだった。
何か声を掛けなければ、と思い汐が口を開こうとしたときだった。
『ですが、私は諦めるつもりはありません』
しのぶの鋭い声が、汐の意識を向けさせた。
『例え私の力が及ばずとも、必ず誰かがやり遂げてくれる。私はそう信じています』
そう言ってしのぶは汐の目を見つめた。その"目"には、強固な決意が宿っていた。
きっとその決意は誰が何と言おうと覆すことはないだろうと、汐は悟った。
『そっか・・・。流石柱ね』
汐はそう言いながらも、しのぶの事が心配になった。その決意が、誰かを悲しませることになるのではないかと思った。
『ねえ、しのぶさん』
『なんですか?』
汐は口を開いたが、言葉が出てこなかった。それは言ってはいけないような気がしたからだ。
『ううん、何でもない。ただ、もしその鬼を殺せたら、最期に何か言ってやれって思ってさ。『一昨日きやがれ!』とかさ』
『ふふっ、実はもう考えてあるんですよ。もしその時が来たら、こう言ってやりますよ』
――とっととくたばれ、糞野郎って。
『・・・・・』
汐は唖然としてしのぶをみた。しのぶはにこにこと笑みを浮かべ、汐を見つめている。
『あ、そう。でもいいんじゃない!あたしだったらもっとボロクソ言ってやるけどね。この×××野郎!とか』
『流石にそこまでは・・・、というより女の子がそんなことを言ってはいけません。流石に下品すぎますよ』
汐は頭を掻き、困ったように笑った。そんな汐を見て、しのぶは心の中でつぶやいた。
(汐さん。あなたはきっとこの先の未来に必要な人だわ。だからこそ、カナヲにも言えなかった事を言えた)
しのぶは慌てふためく汐を見て微かにほほ笑んだ。
『汐さん。あなたに一つ頼みたいことがあります』
『何?』
汐が聞き返すと、しのぶはにっこりと心の底から笑みを浮かべて言った。
――これからもカナヲと、友達でいてあげてね・・・・
* * * * *
「立ち止まるな」
義勇の静かな声が汐と炭治郎の強張った心に響いた。
「今は自分たちのするべきことだけを考えろ」
そう淡々と言葉を紡ぐ義勇に、汐は何かを言いたげに振り向いた。
義勇の表情はいつもの通りだったが、汐は気づいていた。"目"に、微かだが怒りと喪失感が宿っていたことを。
それは後方にいた炭治郎も匂いで察していた。
だが、悲しんでいる余裕などない。
二人は涙を乱暴にぬぐうと、無惨の元へ向かうべく足を進めた。
それから暫く走り続けた後、炭治郎は妙な事に気づいた。
恐らく、決戦に備えて上弦の鬼は全てこの城に集められているはずだ。
だが、しのぶが遭遇したにもかかわらず、上弦に全く遭遇する気配がないのだ。
「汐!無惨の位置はまだ遠いのか!?」
「せかさないで!!位置はわかるけど、具体的な距離までは把握しきれないのよ!!」
汐も苛立っているのか、声に棘があった。炭治郎も匂いを辿るが、他の鬼の匂いがそれを阻む。
(他の皆はまだ無事か!?)
炭治郎は焦りながらも、散っていったしのぶを想い胸のあたりを強く握った。
(しのぶさん・・・!!きっと勝ちますから。きっとみんなが、俺達が・・・)
その死を決して無駄にはしない。それは汐も同じだった。
(あなたが何もなくあっさり死ぬなんてありえない。きっと何かとんでもない罠を仕掛けていたはず)
汐は悲しみながらも、しのぶのしたたかさと決意を信じていた。
(大丈夫よ、しのぶさん。あんたの怒りと殺意は、あたし達が全部持っていくわ・・・。後は任せて)
汐は再び殺意を目に宿しながら、足に力を込めた。
その時だった。
突然、轟音が響き部屋中が揺れ出した。あまりの激しさに、汐は思わず足を止め、隣を走っていた義勇も刀に手をかけた。
「何だ、この揺れは!!」
「義勇さん!!」
「落ち着いて炭治郎。周りを警戒して!」
汐は叫ぶように言うと、精神を研ぎ澄ませて鬼の気配を探った。
(まだだれか戦っているのか!?また誰か死んでしまうのか!!)
炭治郎の心に再び焦りが生まれるが、その衝撃は段々とこちらに近づいているようだった。
その時、炭治郎の鼻が強い鬼の匂いを捕らえた。
(この匂いは・・・!)
炭治郎は匂いに覚えがあった。忘れもしない、この匂いは・・・
「上だ!!大海原、下がれ!!」
義勇の声が響くのと、天上が突き破られるのはほぼ同時だった。
「!!」
汐は間一髪で落ちてきたものをよけ、自分の前に立つその鬼を見つめた。
「お、お前は・・・!!」
汐と炭治郎はその鬼に覚えがあった。
全身に藍色の線状の文様を浮かばれた、筋肉質の青年のような鬼。
忘れもしない、あの忌まわしい記憶。
「久しいなァ」
鬼の嬉しさを隠しきれない声が、轟音と混じって耳に届く。
「良く生きていたものだ。お前等のような弱者が。竈門炭治郎!!ワダツミの子!!」
その瞬間、二人の心に怒りと殺意が沸き上がる。
「猗窩座ァァァァアア!!」
「野郎ォォォオオオ!!!」
二人の咆哮が重なり、城中に響き渡った。