壱
――あるところに、二人の少女がおりました。
一人はとても美しく、気立てのよい少女でした。
もう一人はとても元気で、笑顔のよく似合う少女でした。
二人はとても仲が良く、まるで本当の姉妹の様で、周りの人々はそんな彼女たちを微笑ましく見守っておりました。
しかし、彼等は気づいていませんでした。
――二人の心の中には、怪物が潜んでいたことに
* * * * *
汐の顔に発現した痣を見て、絹の瞳が微かに揺れた。
主である無惨からの情報で、痣が発現した鬼狩りは身体能力が飛躍的に上がる事を把握していた。
しかも、汐は人ではなくワダツミの子と言う特殊な存在。ましてや戦闘能力のあるワダツミの子自体が特異点なため、情報がほぼないにも等しかった。
しかし絹の戸惑いは瞬時に消え、口元には歪んだ笑みが浮かんだ。
「裏切った、ですって?」
絹の静かな声に、汐はすっと目を閉じた。
「考えてみればおかしなことばかりだったのよ。元柱であり、大海原家の人間だったおやっさんが、何の対策もしていないはずが無い。それに、群れないはずの鬼が集団で襲ってくるのもおかしい。何か、人為的なものがない限りはね」
汐はそう言った後、ゆっくりと目を開き、殺意を孕んだ視線を絹に向けた。
「鬼を手引きしたのは、あんたね?」
汐の低い声に絹は僅かに怯んだものの、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「だったらなんなの?」
その返答を聞いた汐は、少し悲しそうに目を伏せた。
「あたしにはわからない。あたしと違ってあんたと庄吉おじさんは、正真正銘血の繋がった親子だったはず。おじさんはいつも言ってたわ。絹に寂しい想いをさせてしまって申し訳ないって。本当にあんたの事を愛してたって、あたしでも分かるわ。それなのに・・・!」
汐はこみ上がってくる熱い物を吐き出すように、絹を怒鳴りつけた。だが、そんな汐を見て、絹は口を大きく開けて笑い出した。
「あはははは!!あなたは本当に何もわかっていないのね、汐ちゃん」
絹はひとしきり笑った後、ぞっとするような"目"を汐に向けた。
「あんな気持ち悪い男、父親だなんて呼びたくもない。いつもへらへらして誰かに媚びるだけの卑しい男。あいつと同じ血が流れていると思うと吐き気がしたわ。でも、今は違う。この体にはあの御方の素晴らしい血が流れているの」
絹は恍惚とした表情で、自分の身体を抱きしめながら悶えた。
「分かる?わからないわよね?私の事を何一つわかっていなかった、鈍臭い汐ちゃんなんかにはね」
「ええ、分かりたくもないわね。そんなクソみたいな事」
汐が吐き捨てるように言うと、絹は目をキラキラさせながら「こわーい」と言った。
「でも、そんな鈍くて頭の悪い汐ちゃんに、ひとつだけ面白いことを教えてあげる。どうせあなたはここで私に殺されるんだもの。冥途の土産ってことで教えてあげるわね」
絹はそう言って両手を広げ、結界を大きくし始めた。
「私を生んだあの女、まあ私の母親と言っていいわね。あいつが死んだの、ただの病気じゃないのよ」
「!?」
汐は顔を強張らせ、絹を睨みつけた。
「私が少しずつ、あの女の食事に毒を混ぜていたの。死なない程度の弱い毒だけどね。そしてそれを看病し、元気になってきたらまた弱らせる。それを繰り返せば、病弱の母親を必死で看護する、健気な娘の舞台の出来上がり」
絹は両手を広げ、素晴らしいでしょと言わんばかりの表情を浮かべた。
「でも、あの女は男と違って多少なりとも頭がよかった。だから私がしてきたことに気づいたの。でも、その時にはもう手遅れだった。声も出ないし身体も動かせない状態だったの。その数時間後、あいつは死んだ。そして、舞台は幼くして母親を亡くした薄幸の少女へと移り変わっていった」
絹の口から飛び出す話に、汐は微かに体を震わせながら聞いていた。鬼の襲撃に関わっていただけでなく、この鬼は自分の母親を殺したのだ。
それも、とても残酷な方法で。
「あの男も村の連中も、あなたも。みんな馬鹿で助かったわ。私のしたことに気づいていないんだもの。まあ、痕跡なんて残らないようにしたんだから、当然。って思っていたんだけれど、いたのよ。一人だけ。私の事に気づいた奴が」
「気づいていたって、まさか・・・」
「そうよ。あなたの父親、あの忌々しい、元鬼狩りの男、大海原玄海よ!!」
絹はその事を思い出したのか、文字通り鬼の形相を浮かべた。
「随分後になってからだけど、あの男は私がやっていたことを突き止めていたの。でも、大事にはしない。その代わりにあなたを裏切るような真似だけはするなって脅されたのよ。馬鹿な男よね!あの時私をどうにかしていれば、あんなことにはならなかったのに!!」
だが、絹が言い切ると同時に汐は斬りかかった。その目には涙と殺意が浮かんでいた。
「馬鹿ね」
絹がそう言った途端、二人の前に巨大な珊瑚の壁が出現した。その刹那、汐の足元から硬質化した海藻が飛び出した。
「今度は歌わせないわよ」
ウタカタを使う暇を与えないためか、壁や天井、床からあらゆる海藻の刃が凄まじい速さで飛び出してきた。
しかし汐は、そのすべてを紙一重で躱し、大きく息を吸った。
痣が発現しているせいか、最初の時とは速度が比べ物にならない。
「あたしを舐め腐ってもらっちゃ、困るのよ!」
――海の呼吸・玖ノ型――
――
汐は壁や天井を縦横無尽に駆けまわりながら、襲い来る海藻を切り刻んだ。その様子を見ていた絹は、微かに顔をしかめた。
だが、汐が息を吸っているのをみて、勝ち誇ったように笑った。
「呼吸を使ったわね、汐ちゃん!!残念だけど、あなたはもう終わりよ!!」
絹は姿を見せないまま、遠距離から汐へ攻撃をし続ける。汐は新しい技で全ての攻撃を叩き落すが、本体が見えないため決定打には至らない。
それどころか、微かに身体に異変を感じていた。
(喉が、苦しい。それに身体の動きが鈍ってきた気がする・・・)
そのせいか、先ほどまで躱せていたはずの刃が汐の二の腕を滑り、微かに傷をつけた。
「ようやく気付いたようだけど、もう遅いわ!あなたはもう終わりなの。だって、この結界を覆っているのは、猛毒の珊瑚なんだから!!」
絹の血気術で生み出された珊瑚は、猛毒の分泌液を出すもの。しかもそれは気化しやすく、僅かでも吸えば間違いなく命を落とす毒霧となりうるものだった。
「ねえ汐ちゃん。私がどうして鬼になったのか、最期に教えてあげる」
絹は壁の向こうにいるであろう、汐に向かって口を開いた。
「さっきも言ったけれど、私は自分の舞台の邪魔をされるのが本当に嫌いなの。でもそれ以上に、私の事をわかってくれる人が誰もいなかったことが辛かったわ」
絹は切なそうな表情で、続けた。
「そんなときにある方に出会ったの。虹色の瞳をした、とても美しい殿方だったわ。可哀想な私の心を理解し、あの御方の存在を教えてくれたの。本当に素晴らしかった。私の心を満たしてくれるだけじゃなく、私の全てを壊したあなたに復讐する機会を与えてくれたのだから」
絹はトドメだと言わんばかりに、毒の噴射を強めた。呼吸を使えば死に至り、逆に使わなければ周りの海藻に切り刻まれて死に至る。
もう汐には何の打つ手もない。汐を殺して絹の舞台はようやく終幕に向かう。
筈だった。
――ウタカタ 伍ノ旋律・転調
――爆塵歌!!!
突然絹の目の前の壁が吹き飛び、その反動で絹自身も吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。肋骨が砕け肺に刺さり、口からは血があふれ出す。
もうもうと立ち込める粉塵の中、青い髪を揺らしながら汐が姿を現した。
「そんな・・・・!なんで・・・・!なんで生きてるの!!?なんで死なないの!!?」
絹は血をまき散らしながら立ち上がり、まくし立てた。
幻覚のはずはない。周りは毒霧で満たされ、あの攻撃の雨の中では歌う暇などないはずだった
「ううん、それどころかなんで動けるの!?あれは人間なら数秒で身体の自由が効かなくなり、数分で死に至る猛毒のはずなのに!」
「そう、人間ならそうなるのね」
汐は淡々と言葉を紡いだ後、絹を冷たい目で睨みつけた。
「でも生憎ね。今のあたしは人間じゃないのよ。鬼でも人間でもない、中途半端な存在。だから、同じく中途半端なあんたの毒なんて、これっぽっちも効かないのよ!!」
――海の呼吸・壱ノ型――
――潮飛沫
汐は瞬時に飛び掛かり、絹の頸に向かって刀を振り被った。絹は慌てて血気術で守りに入るが、汐は全ての攻撃を斬り捨て突き進む。
「なんで、なんで・・・」
絹は自分に向かってくる汐の姿が、ゆっくりとした動きに見えていた。汐の動作は勿論、髪の毛の動き、瞳の動き、筋肉や臓器の動き。
そのすべてが自分を討ち取らんと、殺意を向けていた。
「ナンデヨォオオオオオアアアアアアアア!!!」
刃が絹の頸に届きそうになった瞬間、絹の口からこの世のものとは思えない程の、悍ましい叫び声が飛び出した。
いや、それは声と言ううよりは、得体のしれない何かだった。
汐はすぐさま間合いを取り、震える身体を叱咤しながら刀を構えた。
絹の身体はボコボコと奇妙に動き、あちらこちらから骨や臓物が飛び出し、やがて周りの結界と融合し肥大化していく。
「アガアアアガアガギギゲエエアアア!!!」
もはや言葉すら失った絹は、醜悪な怪物となり部屋中を覆っていった。
村一番の美人と呼ばれた少女が、こんな姿になるなど皮肉にも程がある。
汐はそんなことを考えながら、絹だったものを見つめていた。
「絹。あたしもあんたに一つ言いたいことがあったの。あたし、あたしね。あんたがあたしをどう思っていたのか、知ってたのよ」
汐は目を閉じ、小さくため息をつきながら言った。
「あんたの"目"からは、微かだけどあたしに対する敵意があった。そこまですさまじいものを隠していたのは予想しなかったけど、それでも、あんたがあたしをよく思っていないことくらいは、気づいていたのよ」
でもね、と汐はつづけた。
「それでも、おやっさん以外であたしに話しかけてくれたのは、あんたが初めてだった。余所者だったあたしを、初めて受け入れてくれたのはあんただった。今思えば、それもあんたの点数稼ぎだったんでしょうけれど、それでも、本当にうれしかった」
汐は楽しかった出来事を思い出すように、笑みを浮かべた。そして、目を開き、怪物と化してしまった親友をじっと見据える。
「そんなあんたの心を見て見ぬふりをした、あたしには大きな罪がある。みんなを死なせてしまった事は、まごうことなきあたしの責任。だから――」
私は鬼殺隊士として、尾上絹の親友として、上弦の鬼であるお前を必ず殺す!!
汐は刀を構え、大きく息を吸った。毒霧が身体に入り込み、微かな眩暈を起こすが構わない。
「行くよ、絹。――海の呼吸・拾壱ノ型」
汐のさざ波のような呼吸音が、あたりに響き渡った。