「あなたは人間を愛しているはずだ」
誰かがそんなことを言っていた気がする。たしかに〝オーヴァーロード〟は、人間を愛していた。いくら蛮行に堕ちようとも、愚かであろうと、死にゆく命に慈悲を与えたからこそ、彼は人を愛していた。
「ええ、だからこそ、私は一度、彼を助けたことがあります。しかし、同時に私は、人の、人でない部分を、憎んでもいる」
人はただ人でいればいい。それこそが、オーヴァーロードが人間に下した裁定だった。人という種が、定められた限界値を超えて突き進むことはオーヴァーロードの意思に反することだ。故に彼は人が人たらしめるという意味を頑なに変えずにいる。限りない可能性というものは、創造主たるものたちにとっては予測不能で制御できない存在。
神は、制御できるものしか愛せないのだから。
故にオーヴァーロードは裏切られた。人間という、種そのものに裏切られた。だからこそ、もう一度、最初からやり直そうと決めた。
「どういう意味だ、待て!最初からやり直すだと…。まさか、人類を!」
「人間よ。私の子供達よ。滅びなさい。私はもう、あなた達を愛する事ができない。滅びなさい。滅びなさい。アギトのチカラ。その自らの手で」
やめろ!!そんな絶叫のような声が轟き、意識は遠ざかってゆく。ドボン、と何かに落ちた。深く、深く沈んでゆく水底。呼吸をする必要もない。ただ深く沈み、意識が遠ざかる。それこそが、オーヴァーロードが望んだ結末。
それこそが、〝神のみわざ〟……なのだから。
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ペンシルバニア州、フィラデルフィアで起こる猟奇殺人事件。その殺人はアメリカ全土を震撼させるに相応しい事件ではあったものの、近年続発する超人事件や、鉄の外装を纏った大企業の社長の影響力、ハーレムを緑と赤の巨人がズタズタにした事件で持ちきりで、アメリカで初めての世界遺産都市フィラデルフィアなど眼中になかったと思う。
しかしながら、ボストンから引っ越してきたミアには大変刺激の強い街であった。
歴史に革新と文化が融合するアメリカ北東部の回廊地帯。ニューヨーク市とワシントン D.C. の中間という便利なロケーション。交通の便がよく、歩きやすい町でもあったりする。まぁ治安はそこそこなので、夜に一人で出歩くと今夜のように暴漢に襲われるような危険があるのがたまに傷だ。
そんなフィラデルフィアの市街地から少し離れた位置にミア・ロンドベルが働く研究施設がある。
先も言った通り、フィラデルフィアはワシントンD.C.とニューヨーク市のちょうど中心点に位置している。ここが戦略国土調停補強配備局(S.H.I.E.L.D.)の拠点であることを知ったのは、ミアが意気揚々と自分のデスクにプライベートで買った置物を設置したあたりであった。先輩の研究員いわく、ここはS.H.I.E.L.D.にとって割と重要な拠点であり、大都市間の中継地点のような役目を負っていると同時に、近年発生している地場の捩れや、物理現象の調査員なども在籍しているのだ。
調査書などを運ぶ際に機密を漏らすなウンタラカンタラと誓約書を束になる勢いで書いたのも、ここにあるものが大体国家機密に相当するものばかりということもあり、その事実を知ったミアは「私はただ物理の研究がしたかっただけなのに」と肩を落としたという。
そんな不幸体質なミアだが、今は研究所内に常設されている医務エリアの長椅子でぐったりと項垂れていた。
「はぁ、なんでこんなことになったんだろ……」
今日はもう帰ったはずなのに職場にトンボ帰りしてくることになるとは。守衛の白髪のサングラスがよく似合いそうなお爺さんに担いでいる相手を見られて「酒は飲んでも飲まれるなよ」と注意されたのが余計に効いていたりする。
そんなことを「ハハハ」と乾いた笑みと共に思い出していると、医務室の扉が開いた。
「貧血と栄養失調だけど……すごいな、身体機能は全く衰えていないよ」
中から出てきたのは二人で、黒人の大きな男性はミアの同僚であるスイート・エディタだ。彼は元々、ネイティブ・アメリカンの医術を持つ医師で、医学の学位を獲得しようと医療支援している際にS.H.I.E.L.D.の軍医としてスカウトされた異色の経歴の持ち主だ。原住民の伝わる漢方、マッサージ医学と西洋医学を融合させた技術は素晴らしいのだが、彼の気さくな言葉はミアの慰めにはならなかった。
「はぁ、そうですか」
「それで、この人と君の関係は?名前はわかるかい?」
「いえ、この人とは本当に……」
そこまで言ってミアは冷静に今医務室のベッドに横たわっている相手との出会いを思い出した。暴漢に襲われる→怪物に襲われる→その怪物を爆発四散させて助けてくれたのが戦士であり連れてきた青年→イマココ。
「さっき路地で出会ったばかりです」
そういう事にしかミアには出来なかった。もしありのままレット・イット・ゴーな事を言えば、「大丈夫?注射打つ?ぶっといの」とスイートに診断されかねない。
ごまかす私を見て、スイートがどこか腑に落ちない様子であったが、隣にいたブロンド髪の女性が心配そうに私の頬を撫でた。
「ミアは本当にいい子なんだから……私は変な人に捕まらないか心配」
「あははは、すいません……」
妖艶で大人っぽい色気を出すのはメリッサ・ヘルガー。彼女は応用物理学の博士号を持っていて、バイオテクノロジーの研究をおこなっている。
スイートと一緒になぜいたかと言うと、単純に二人は付き合っているからである。私が男を担ぎ込んだのだが、二人のプライベートな時間を邪魔してしまったわけである。全くもって申し訳ないリア充爆発しろと、年齢=彼氏いない歴のミアが思念を送っていると、通路の奥から足早に誰かがやってきた。
「ミア・ロンドベルかな?フィル・コールソン捜査官だ。戦略国土調停補強配備局の……失礼、S.H.I.E.L.D.で伝わるね?」
にこやかに挨拶をしてくる人当たりの良さそうな人が握手を求めてきてそう言ってきた。思わずミアは固まる。ここはたしかにS.H.I.E.L.D.の施設であるが、捜査官がやってくることなんてまぁ無い。というか、自分個人に捜査官の肩書きを持つ人が挨拶に来るなんて異常事態だ。
「え゛っ、捜査官が一体何用で……」
「君が見たものについて幾つか教えてほしくてね」
思わず変な声が出そうになった。と、同時に医務室のベッドからとんでもない声が聞こえた。
「うわぁっ!?」
「うおお!?びっくりしたぁ!?」
思わず絶叫にメリッサと見えないとこでいちゃつき始めようとしていたスイートが素っ頓狂な声を上げた。コールソン捜査官はしばらく、なんとも言えない顔になった後、視線で医務室のドアに目を向けて言葉を続けた。
「……そこにいる彼にも」
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結果から言えば、コールソン捜査官はすぐに話を聞くことはできなかった。スイートに点滴を打ってもらい顔色が良くなった男性……というよりも青年は、次いで鳴ったお腹の音共に、施設内にある常備食を片っ端から食べていった。ミアが買ってきたミネラルウォーターを煽って一息つき、青年はミアやスイートに頭を下げた。
「ほんと、すいません。助かりました。まさに地獄に仏ってやつですね」
食べ終えたレトルト食品の山をコールソン捜査官は一瞥して、すぐに咳払いをしてから話を切り出す。
「まぁ君の身なりを見れば相応に地獄だったのだろうね?君の名前を聞かせてもらえないか?」
そう問うと、青年はどこか気まずそうな顔をしてからミアにかけてあるコートをとって欲しいとお願いした。ハンガーにかけられたコートは、一言で言うとボロボロ。裾は途中で破けていて、まるで戦場を歩いてきたかのような酷い状態だった。
青年はコートを受け取ると、唯一穴の空いていない内ポケットに入れていたくしゃくしゃの封筒を取り出して、コールソンに渡した。
「封筒?日本語……それも漢字だ」
「あ、俺漢字の勉強していたから読めますよ」
そう言ってスイートがコールソンから封筒を受け取る。茶封筒の真ん中には漢字で「津上翔一」とボールペンの文字で書かれているのがわかった。
「津……ツガミ……トビイチ?」
「ショウイチよ、バカ!」
隣にいたメリッサにスキンヘッドを引っ叩かれる。コールソンとミアはそのやりとりに目を向いて、スイートから返された封筒を手に取った。
「この封筒に何の意味が?」
「たぶん、それが俺の名前なんです」
「……たぶん?」
思わず聞き返すと、青年は言いづらそうな表情で話し始める。
「俺……記憶がないんです。気がついたらこの街にいて……当てもなく彷徨ってたら……お腹も減って……力も出なくなって」
そしてミアに助けられたとショウイチと名乗る青年は言葉を続けた。全員の視線を受けるミアはぎこちない笑顔で応じる。本音は「彼が言ってることは間違ってて間違ってない!」なのだが、全部を言えば彼と一緒に自分も捜査官によって連行されるような気がした。
コールソンはショウイチの目を見てしばらく考えるような素振りをしている。彼の表情からは嘘が見えない。それは当事者であるミアも同じだった。
「記憶喪失か……」
「然るべき場所に保護をしてもらうか?」
とりあえず案を出すスイートだが、その手は使えないとメリッサが遮った。
「取り合ってくれないわよ。今は警察も謎の行方不明事件で手一杯だし」
今のフィラデルフィアでは連日の猟奇殺人事件と行方不明事件が相次いでいる。誰だ、歩きやすい街だとか言って不用心に夜の路地を闊歩していたのは。あ、私かとミアは頭を抱えたくなる発作をなんとか押しとどめていた。
すると、コールソンは一層真剣な声でベッドに腰掛けるショウイチに問いかける。
「ミスター・ツガミ。君は行方不明事件について何か知っているのかな?」
その目は嘘を見抜こうと真実を探しているものだった。コールソンがわざわぞフィラデルフィアにきたのは、連日の猟奇殺人の裏にいる〝モンスター〟のことだった。人の身を溶かしたり、食べたり、分解したり。S.H.I.E.L.D.の調査員も何名か犠牲になっているのだ。そこにきて、ミア・ロンドベルが見つけ、保護した浮浪者。何事も疑ってかかるを心情にする捜査官からすれば見過ごすことのできない相手だった。
そんな一流捜査官でいるコールソンの問いかけに、ショウイチは一切表情を変えずに言葉を返した。
「……いえ、わかりません」
ミアはそこで察した。この青年はあの戦士のことを隠している。あるいはあの戦士の時は記憶がなくなっている……彼が記憶喪失なのはその後遺症なのだろうか?あるいは、そう言う演技なのかもしれない。少なくとも、彼はコールソン捜査官に真実を伝えるつもりはないように思えた。
と言っても、ミアは一部始終を見ているのだからミアがコールソンにチクれば一発なのだが、彼女も彼女で面倒ごとや自身のリスクを回避する習性があるため、ショウイチが黙っているから自分も、行き倒れていた彼を助けた善良な市民でいることを貫こうと決めたのだ。
だが、その選択をしたミアは後で盛大に後悔をする。
「わかった。今夜は遅い。ここに泊まってゆくがいい。ミア・ロンドベル」
「は、はい!」
「彼の世話を任せるよ」
「はい!……はい?」
そうにこやかに肩を叩いて医務室を去るコールソン捜査官。
ミアは何を言われたのか理解できずに、しばらくしてから壮絶に面倒なことを押し付けられたと自覚して、「ちょっ、まっ……コールソンさん!?」と変な声を上げながら廊下を走って追うことになるのだった。