「……退学勧告かぁ」
短い学生生活だったなぁ、とため息を吐く。
トレセン学園における退学勧告は滅多な事では出ない。身体が弱いのに無理にレースに出ようとするとか、学園の一角で怪しい実験を繰り返すとか、そういう無茶をしない限りトレセン学園は学生に寛容だ。
しかし、ビハインドクラウドはその退学勧告を受け取った。理由は単純。
「座学成績不振、校則違反多数、走りでの結果無し」
見事なまでの落ちこぼれ。これでどうしてトレセン学園に居るんだと言われれば、反論の仕様が無い。かつてはそんな落ちこぼれ達をまとめ上げ、護ってくれた先輩もいたというが、今はそんな人も居ない。つまり彼女が退学を免れ、トレセン学園に残る方法はひとつ。トレーナーを見つけて結果を出すしかない。
しかし……
「トレーナーの皆さんは、あっちに夢中だしなぁ」
屋上の手すりからトレーニングコースを眺める。ちょうど『あの子』が模擬レースで走る番だ。コース周囲の見学場には、大勢のトレーナーが押し掛けている。
「…………」
スタートと同時に『あの子』は飛び出した。グングンと速度を上げ、後続との差を開いていく。その差は5バ身、6バ身……。一部のトレーナーたちがざわつく。いくら『あの子』が特別だからって、このペースは無茶じゃないか?
しかし、そんな懸念も無視して『あの子』は最終コーナーへと入る。そして……トレーナー達は驚きの声を上げる。
「……か、加速した!?」
最後の直線、後続との距離は縮まらない。むしろどんどん開いていく。『あの子』がラストスパートをかけたからだ。大逃げから最後の直線で速度を落とさずラストスパートをかける。そう、この走りは……
「ま、間違いない」
「あぁ、そうだ……」
「彼女こそ、『サイレンススズカの再来』だ!」
『あの子』……ビハインドクラウドの同級生「ナインヤード」の周囲にワッとトレーナーが集まる。次々に口説き文句をかけながら自分を売り込んでいるようだが、彼女は軽く断りながら学び舎へ引き上げていった。
「……まぁ、トレーナーは無理だよね。あの子がいる限り」
『サイレンススズカの娘』として鳴り物入りで入学してきたナインヤード。かつて沈黙の日曜日と呼ばれる悲劇で中断された異次元の逃亡者の伝説、その続きをあの子に夢見るトレーナーは多い。ただでさえ少ないトレセン学園のトレーナーは、皆揃って彼女の担当を狙っていて、他のウマ娘に見向きもしない。
「つまりまぁ、詰んだ、ってヤツよね」
トレーナーを得て結果を出すしかないが、そのトレーナーと出会える確率はほぼゼロ。行き着く先は自主退学か、学園からの退学かの違いでしかない。ビハインドクラウドは自分の未来を自嘲しながら屋上を後にした。
夜の裏山、ビハインドクラウドはテントをめくると中に入った。中は相変わらず雑然としている。潰れたシューズの残骸、予備の蹄鉄とそれを打ち付けるための金槌、水分補給用のスポーツドリンク……
「……今日はあの子、来ないかな」
呟きながらゆっくりと柔軟を終え、ビハインドクラウドは走り始める。もちろん、寮の門限はとっくに過ぎている、立派な校則違反だ。それでもビハインドクラウドはこの夜間練習を一日であろうとサボった事は無い。当然だろう、だって……
(私みたいな才能無いヤツは、人一倍練習するしかないじゃん)
かつてビハインドクラウドは、ナインヤードと同じように期待を背負って入学してきた。あの子なら、あの悲劇を乗り越えた先を、伝説の続きを見せてくれるんじゃないかと。そしてその期待はあっという間に砕かれた。最初の模擬レースで、ビハインドクラウドは1800mを走り切れずに倒れてしまったのだ。
「……これが、本当に?」
トレーナー達は揃って失望した。入学したての子が1800mを走り切れない、というのは珍しい話ではない。しかしビハインドクラウドは……
「本当に、ライスシャワーの娘なのか?」
かつて王者メジロマックイーンの天皇賞・春三連覇を阻止し、『彼女の適正距離は3400m』とすら言われたステイヤーの中のステイヤー、ライスシャワー。その娘であるからには、ライスシャワーのスタミナを受け継いでいると期待されるのも無理はない。
しかしビハインドクラウドにはそのスタミナは受け継がれなかった。それどころかスピードも平凡そのもの、全体的な能力はその年の入学生の平均か、少し下回るくらいしかなかったのだ。
「いや、まだ粗削りなのかもしれない。練習を重ねればその才能が……」
というトレーナー達の期待も虚しく、いくら練習を重ねてもビハインドクラウドの能力はその他大勢の中に埋没し、いつしか『ライスシャワーの娘』という事すら忘れられた。同学年にあの『サイレンススズカの娘』が居たのもあり、いつしかビハインドクラウドはただの落ちこぼれ、としか認識されなくなった。
だから人よりも多く、もっと多くと練習を重ねた。整備されていない山道を走り続け、スピードとスタミナを磨いた。けれど、それももう終わる。間もなく退学が通知され、メイクデビューすら走れずに競争者としての道は閉ざされる。
悔しいかと聞かれれば、そりゃ悔しい。けれど……良い区切りだとも思う。
一通りのメニューをこなしてテントに戻ると、人影が見えた。あの子来てたのかな、と思いながら近づくと
「目標を確認。ビハインドクラウドですね?」
突然名前を呼ばれたビハインドクラウドは驚いて立ち止まった。そこに居たのは、見た事もないウマ娘……いや、彼女の姿、何処かで……?
「え、あ……」
何も言えなくなるビハインドクラウドを尻目に、そのウマ娘は続ける。
「ミホノブルボンです。私は……」
「あなたのトレーナーになりに来ました」