Crosses Have Not Banished Yet 作:zoe.
「あんな馬鹿みたいな垂れ流しの霊圧が行ったり来たりしたら、そりゃァ色々な箍も緩んで不思議はないネ」とは、確か涅マユリの言だっただろうか。
三界を巻き込んだ一連の――藍染惣右介の叛逆に始まり、綱彌代家の騒動に至るまでの――騒動では、黒崎一護を始めとして「霊力の制御もままならない、剥き出しで巨大な霊圧」が現世、尸魂界、そして虚圏を幾度となく行き来する結果となった。元々これらの世界は完全に隔てられていたものであり、その間の往来にはそれなりの制限があった。しかしながら、この100年間でその障壁は実際のところ確かに緩んでおり、本来超えられないはずの壁を超える者が現れるどころか、意図せずに超えてしまう事例すら発生するようになっていた。
ここは東流魂街のはずれ、第七十六地区”逆骨”。
人里離れた山林で、虚空に突如として「穴」が開いた。
中から出てきたのは数人の死神の集団。
……いや、死神「と思しき」集団、と言った方が正確かもしれない。
確かに死覇装を纏ってはいるものの、その立ち振舞はどうも正常な任務中の死神らしくないのだ。霊圧を押さえ、人目を憚るようにして行動するその集団は、隠密機動のような風体でもない。「穴」の雰囲気も何かおかしい。本来死神が使う穿界門――つまり現世と尸魂界を行き来する通路は何層かの障子で隔てられているし、その先の現世の光が流れ込む関係で(時間による差こそあれ)それなりの明るさがある。が、この穴はどうも歪な形であり、その奥は真っ暗闇なのだ。
そして数瞬の後。
「穴」は閉じ、そして出てきた死神達はそれぞれバラバラの方向へと散っていった。
「で。」
少女は呆れた顔で嘆息する。
「久々に連絡を寄越したと思ったら思い詰めた顔で、何用だ?」
ここは清浄塔居林、本来一介の副隊長がそう気軽に来てよい場所ではない。しかしながら中央四十六室の改革を行ってきた阿万門ナユラにとって、特に目をかけている男からの呼び出しとあれば多少の融通を利かせることくらいは訳のないことである。
「いや、その……雛森くんのことで……」
「やっぱりか」
が、その内容が予想通りに面白くない話であれば、それは年相応に不機嫌さを表に出してしまうのも仕方のない話だろう。
「何か文句でもあるのか?」
そう喧嘩腰になってしまうのは、自分が評価している男がたかが馴染みの女のためにうじうじしているのが気に食わない、というだけのことなのか、それとも何か別に理由があるのかは本人にもわかっていない。
「いえ、そういう訳では……」
「言いたいことがあるならはっきりせぬか!」
つい語気を強めるナユラ。普段は四十六室の中でも上位である大霊書回廊の筆頭司書として相応しい言動を、ともすれば過剰なまでに心がけている彼女としては、このように「素」を出してしまうこと自体が珍しい。
「彼女、着任前に相当悩んでたんですよ」
「で、あろうな」
「わかってるなら、どうして……!」
一方のイヅルもまた、珍しく感情を顕にする。
「だからこそ、であろう」
一息ついて、ナユラはそう応じた。
「そもそも四十六室が指名したのは伊勢七緒だったが、総隊長が雛森を推したのだ。まあ、もちろん伊勢を手元に残したいという私情は……まあ多分にあっただろうが」
そこで一旦言葉を切り、イヅルの顔を見つめ直す。
「あの男も莫迦ではない。彼女の性格を考えて、より自身の力が正しく評価される環境を与えることがより良いと考えたのだろう」
そう言い終えると、背を向けて自らの居場所へと歩を進める。
「話は仕舞いだ」
イヅルもまた、その場を後にする。その耳に、ナユラが去り際に零した独り言が届くことはなかった。
「――想い人を支えるくらいの甲斐性はないのか、この莫迦者め――」
深淵。
あるいは虚空。
黒腔という空間はとにかく暗く、何もない空間である。
現世と虚圏を繋ぐ、と言えば聞こえは良いが、実際には黒腔という広大な空間の中に現世と虚圏への入り口がたまたま転がっている、という程度の話に過ぎない。
そして残る空間の大半は確かに何もない空虚であるが、そこには叫谷と呼ばれる小さな空間が点在している。輪廻から外れた魂魄が作り出したものとされ、以前は綱彌代時灘が特に大きな叫谷の内部に自らの野望の舞台を築いたこともあった。
そしてとある叫谷の中で、巨大な存在が意識を取り戻した。
この存在はその瞬間まで叫谷自身であったが、自意識が顕になるにつれて空間の内部に実体をも取り戻す。その姿は無数の触手にまみれた異形という他ない巨体であり、そして空中に音もなく浮かんでいる。その霊圧の影響の及ぶ空間は物事が歪んで見えているが、幸か不幸か今この空間にはその様子を知覚できる存在はなかった。
触手はみるみるその数を増やし、そのうちに植物を思わせる立体的な構造を形作っていく。特に密度の高い上半身――「半身」という言葉がこの存在に適切かどうかには多分に疑問の余地があるが――はキノコの傘のような形状となった。
そしてしばらくの後、その形状がある程度安定すると、この巨大なキノコは触手を蠢かしながら叫谷を去っていった。