トレーナーくん大丈夫?話聞こうか?   作:最低保証

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 社会は基本的に下敷きになっているものを食い潰して成り立っている。それを否定するなら、きみはまず人間を否定しなければならない。




トレーナーちょっとキモすぎね?

 

 

 午前3時、ぼくは賃貸のフローリングにゲロをぶちまけた。胃酸が喉を焼く独特な痛みに舌打ちをしながら、アルコール臭い吐瀉物を片付ける。何が悲しくてこんな夜更けに自分のゲロの後始末をしなければならないのか。

 後始末をしたことによって少し冴えた頭が、今日の光景を再生する。幼少期から見ていた映画の冒頭よりも見慣れたビデオ。壊れたオルゴールのように、リフレイン。

 頭が鈍く、ずぅっと痛む。それが悪夢の作用なのか、過剰摂取したアルコールが原因なのかはわからない。分からなくなるまで、酒を飲んだ。そのままアルコールで眠るように窒息したかったが、現実は少しばかり厳しかった。そこまで考えて頭を振り、思考を飛ばす。まだ夜明けまで数時間ある。少しだけ、現実逃避の海に溺れてもいいはずだ。

 点滅する街灯をぼうっと見ながら、安物のスコッチウィスキーをグラスに注ぐ。飲む気にはなれなかった。

 

 学生時代のぼくは、トレーナーという職業を華やかで泥臭いものだと考えていた。人体構造に基づいたトレーニングを行い、生徒たちの要望を元にプランニングする。その過程で生徒たちと試行錯誤しながら、最初の3年間を作り上げる。そんな職業だと思っていた。

 だが、やはり聞くのと実際にやるのとでは全く違った。トレーニングは勿論の事、担当者の親族やその他スポンサーとの擦り合わせ、担当者のメンタルケア、学生としての学力向上、各種作法とマナーの習得。それが担当している生徒の人数分。ぼくはそれに加えて高等部までの数学、物理、化学の教師を兼任している。更にトレセン学園の大学にあたる機関のポスドクまで。担当科目はロボティクス系と人体工学、機械設計。人手不足なのは分かるが、ここまで様々なものを兼任させられるとげんなりしてしまう。

 

 5人。それがぼくが2年間の間に担当した生徒の数。アシスタントを含めるともっと増えるが、専属で担当したのは5人だけだ。今でも覚えてる。生徒の好きな食べ物や、嫌いな科目。歳が近い異性の社会人のぼくに、色々なことを話してくれた彼女たち。みんな、この学園を去ってしまった。

『ご指導ご鞭撻のほど、ありがとうございました』、と全員一言一句同じことを言って。

 どんな場所にも化け物はいる。生まれ持った才能と、才能を発揮できる環境、そして正しい努力をした天才には逆立ちしたって勝てない。そんな天才と真っ向勝負できるのはやはり同じ天才だけだ。負けるのは誰だって辛い。『やっぱり才能には勝てない』と、呟いた生徒の絶望をよく覚えている。そして、その痛みも。

 とは言っても、天才に落ち度は全くない。むしろ手加減する方がおかしいくらいで、更に研鑽を積んでほしいと思う。問題なのはシステムだ。敗者のアフターケアが全くなってない。人手不足という建前で、メンタルケアを専門家でもなんでもないトレーナー達に一任……いや、丸投げしている。この学園に所属している生徒たちは全員思春期。とても多感な時期で、繊細だ。そんな子たちを負けっぱなしのまま放置するなんて馬鹿げている。あのふざけた格好の不審者を保健室に入れる前にカウンセラーを入れろと何度思ったことか。

 そもそも、勝負の舞台にすら上がらせてもらえない生徒達が大多数なのに。生徒に対してトレーナーが圧倒的に足りない。ブラック企業よりも真っ黒だ。レースの世界を夢見た10代の少女に、こんな残酷な現実を見せるために教師をやってるわけじゃない。

 才能がないからレースは出られないしトレーナーは付かないけど夢を叶えるために頑張ってね、と。冗談じゃない。ぼくたちは生徒の夢と世界を広げるために教師をやっている。子どもに夢の一つや二つ見せられない大人になんの価値があるのか。

 そうやって何度直談判しても、運営部は首を縦に降らなかった。才能、勝負の世界の美しさ、人手不足、輝き。どいつもこいつも同じような定型文を言って、生徒の夢を貪っている。『彼女たちの夢は貴方たちの私腹を肥やすための道具じゃない』なんて言った日には思いっきり理事長に怒鳴られた。だが、気持ちはわかると言われた。

 大多数の少女たちの夢を下敷きに発展しているレースの現状を受け入れるしかないのか。大勢の入学者の裏に、多数の退学者がいる今を。

 

 一番最初に担当した子が、自殺した。

 お世辞にも走る才能が有るとは言えなかったが、レースに勝ち負けがあって、努力だけじゃどうにもならない世界があると知っていた聡明な子だった。だから彼女は自分が楽しく、それでいて納得できる走りができれば嬉しいと笑った子だった。ぼくもそんな彼女にできる限り尽くしてあげたいと思って、トレーナーを承諾した。その後は勝って負けてを繰り返し、成長しながら3年を歩んでいける……筈だった。

 彼女はレースに大敗した。正しく努力をした天才に大差をつけられて。知っているのと実感するのとでは全く違う。彼女は目に見える形で才能の差を痛感した。それだけなら良かった。

 だが、彼女はそれを目指してしまった。あの圧倒的な強さを、目標にしてしまった。ぼくとしても努力をするのは喜ばしいことだったし、それを歓迎した。最初は練習時間の延長。その次は自主トレーニング。それは積み重なりオーバーワークになって……最後はオーバーワークですらない悪戯に身体を痛めつける拷問に成り果てた。ぼくは当然禁止にしたが、それでも彼女はやり続けた。ただ、天才になりたくて。

 その後は見るに耐えない。いつもなら必ず勝てたはずのレースで負けを繰り返し、敗北を努力不足だと断定して拷問に励んだ。そして思い知らされ、打ちのめされ、絶望し、自分の限界を嫌というほど突きつけられて。残骸のような笑顔でぼくに『ご指導ご鞭撻のほど、ありがとうございました。勝てなくてごめんなさい』と告げて──────。

 その後はこちらから何度も手紙を送っていたが、返事は全く返ってこなかった。彼女側からアクションがあったのは、すでに彼女がこの世から去った後。首吊り自殺をした、と伝えられた。遺書には両親に対する感謝と謝罪に加えて、ぼくに対する罵詈雑言……そうであれば、どれだけ良かったか。ぼくは彼女に感謝されていた。壊れていく君を止められなかったぼくに、君の将来を奪ってしまったぼくに、感謝の言葉を綴っていた。

 

 棺の中の彼女は、あの時よりもずっと安らかだった。

 






鷹の爪を大量に買ってしまいました。毎日一本齧っても全然減りません。
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