トレーナーくん大丈夫?話聞こうか? 作:最低保証
輝かしい経歴。他人から尊敬の眼差しを向けられるであろうそれは、ぼくにとって生徒1人救えなかった無力さの象徴だった。
ぼくはシンボリルドルフが苦手だ。成熟した考え方、凛とした態度、臆せず自己を表現する胆力、大人びた雰囲気……そういった、年齢に反してあまりにも達観している彼女がぼくはこの上なく苦手だ。シンボリルドルフはこの学園の生徒会長だが、それ以前に1人の生徒であり、高校3年生の女の子。痛ましくて、直視できない。
進路やテストの点数、昨日のテレビ番組、彼氏彼女の浮ついた話……そういったものを、彼女から聞いた事はない。いつだって彼女は模範であり続けている。それは美しい事なのかもしれないけど、ぼくにはそう思えなかった。周りの環境、他人からの期待、様々なプレッシャーがシンボリルドルフを私人ではなく公人にしてしまった。本人はそれを望んだ事だと言うかもしれないが、望む望まざるに関わらずそんな選択肢を生んでしまったすべてを、ぼくは恨んでいる。世間の高校生が背伸びして大人びているのとは訳が違う。彼女は等身大のまま、高校生のまま大人になってしまった。
彼女の夢である『全てのウマ娘に幸福を』も、それの表れだ。そんな夢を抱かせてしまった。自分の幸せに邁進してもいい、自分の好きな事を優先してもいいのに、彼女は自分ではなく同胞に尽くすことを選んだ。恵まれない子のために、自分の幸せを捨ててしまっている。ぼくたちが不甲斐ないから。ぼくたちでは何もできないから。ぼくたちは見捨てることと切り捨てることしかしないから。ぼくたちが君たちの幸せを貪っているから。
この社会という不完全な機構が、君にそんな生き方の選択肢を与えてしまった。
「……私は君を糾弾しにきたわけではない。もちろん私も、君や君が担当した生徒達に思うところはあるが……それは私が言うべき事ではない。君が誰よりもこの学園にいる生徒たちを愛しているのは、よく知っているよ。この世界にはたくさんの選択肢があると生徒に教えている君には本当に助けられている。
真摯に生徒に向き合っている貴方という教師に聞きたい。彼女の事を、どう思っていらっしゃいますか。尊敬すべき先生の貴方は、自分の手から離れた彼女を……」
「……後悔、ばかりだよ。あぁすれば良かったとか、こうしてほしかったとか。もっと、ちゃんと向き合うべきだった。返事を待つだけだなんて、甘いにも程がある。あの子がいる場所に直接足を運べば良かった。そうすれば、こんな……いや、駄目だ」
「駄目、とは」
「あの子の選択を、ぼくは否定しちゃいけない」
「だが……」
「徹底的に天才に踏み潰されて、色んなものを失って。トレセン学園で身体を痛めつけた代償なのか、亡くなる前の彼女は体の自由があまりなかったんだ。首吊りも、痛む身体を無理やり動かして……」
滲みそうになる涙を堪えて。
「もう戻れない、生きる気力が希薄な人をこれ以上苦しませずに逝かせるのは……間違っていないと思う。無理に引き留めて、何の展望や希望、未来がない明日を死んだように生きるよりは……ずっと、良い」
それが自分が担当した生徒ならば尚更。一年という時間は、ぼくにそれだけの情を抱かせた。
「……そうか。君はそう考えるのか。だが、それで君は納得できるのか?」
「納得するわけない。だけど、理解はできるし尊重する」
それに、もうどうやったって会えないんだ。ぼくは彼女に、ココアを作ることすらしてあげれない。
「貴方は優しいな」
「本当に優しかったら、こんな事になってないよ。ぼくはいつだって、手から零れ落ちてから価値を知る。ぼくの人生は、ずっと後悔と隣人なんだ」
4人は元気だろうか。連絡は時折返ってくるけど、酷く心配だ。何処かで時間を作って会いに行かないと。
「……聞きたい事は聞けた。とても有意義な時間だった」
「そうかい。では、また教室で。今度はもう少し上等な飲み物とお茶菓子を用意しておくよ」
そう言うとシンボリルドルフは少しはにかんで、この教室を去っていった。狭い教室には、ぼくひとり。
始業までやる事はない。何となく手持ち無沙汰になって、スマホを開くとメールが届いていた。差出人は理事長と駿川たづなさんの連名。今後について話し合いたい、とのこと。
はぁ、とため息が零れる。ぼくには休む時間がないらしい。
さて、何を言われるのやら。ぼくへの糾弾か、新しい担当についての話し合いか。
あぁ、全く、憂鬱なことこの上ない。ぼくはあと何回、この学園を絶望と共に去る生徒を見れば良いんだ。まだ20にもなってない子に、こんな現実を突きつけるなんて。小さな絶望も大きな絶望も、少女たちには早すぎる。教室から、食堂からじわじわと蝕むように減っていく生徒を……。
トレーナーになってからずっと、悪い夢を見ているようだった。頭の内側を鋭利なもので引っ掻かれるような痛みを持つ悪夢を。
目を開けていたいぼくは、目を閉じても現実を希釈した夢を見ている。
教師でありたいぼくは、担当の子に絶望を教えてしまった。
こんなはずじゃなかったと、思っているのはぼくだけだ。ぼくだけが現実を正しく見ていない。ぼくの認識の甘さがみんなに辛い思いをさせてしまった。
頭痛がひどい。内側から世界を崩されるように、痛い。視界がマーブル模様のように混ざり合って、自分が立っているのか座っているのか分からない。
でも、そんな世界の中であの子だけは正常だった。あの子はぼくを無表情で見つめてくれていた。あの子は夢だ。ぼくの大脳皮質が作り出したオリジナルの転写物。本物と差異がないレプリカ。夢の中で、こうやって彼女に会えたのは嬉しいけど……。
「夢に、意味はないんだよ」
遺書の全文は、こうだった。
トレーナーさんへ。
貴方と駆け抜けた一年は、私にとって宝物です。人生で一番楽しかった時間でした。こんな私のトレーナーになったせいで、色々と大変な思いをしたと思います。勉強もそこまでできないし、足も早くない私に沢山のものを与えてくれました。レースで一着を取れた時の喜びを、今でも覚えています。
言うことを聞かなくてごめんなさい。勝手に辞めちゃってごめんなさい。お返事は書けなかったけど、手紙をくれて本当に嬉しかったです。だから、トレーナーさんは早く私の事を忘れてください。私を勝たせてくれたトレーナーさんなら、きっと凄いトレーナーになれます。
ご指導、ありがとうございました。貴方は幸せな時間を沢山くれた、自慢のトレーナーさんです。
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