中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る   作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首

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chapter.22 ひとりぼっちで死んでいくんだって、知ってたんだ

 ■学院(夕暮れ)

 

 ゆっくりと空を落ちてゆく陽が、その火で世界を焼いていた。

 

 あたり一面が夕焼けに包まれて、まるで世界のすべてが燃えて落ちるようだった。

 白い大理石でつくられた廊下もまたその例外ではなく、残火の橙色に染め上げられていく。

 その路をひとりの青年が駆けていた。

 ほんの数日前まで学生や教員がせわしなく行きかい、賑やかな声で溢れていたはずの学び舎には、けれど今、人どころか生き物の気配さえない。

 ただ、革靴がかつかつと大理石を蹴る音だけが響いていた。

 四年だ。

今日までの四年間を、青年はこの場所で過ごしてきた。今ではもうすっかり見慣れた場所だというのに、人がいないということだけでこんなにも違って見える。

 

 と、前方に異様な気配を感じて、青年は足を少し緩めた。

 本来なら夕陽か、あるいは壁に刻まれた照明魔法に照らされているべき眼前の道は、しかし、光の一切を飲み込むかのような深い闇に遮られている。

 のっぺりとした黒に塗りつぶされた闇は、その表層を緩慢に波打たせながらじわりじわりとあたりを侵していた。

 ──瘴気だ。

 周囲の生命をことごとく脅かす、魔族の結界。命を蝕む毒素と悪意に満ちた泥が、青年の行く手を阻んで世界を飲み込もうとしていた。

 中で待ち受けているのは上位の魔族か、あるいは彼らの使役する眷属か。

 ──それとも。

 いや、どちらにせよ、立ちはだかるのなら同じことだ。

 青年は腰に携えていた剣にそっと触れる。

 考えることなどもう何もないだろう。

 覚悟はとうに決めてきたはずだ。

 何があっても、自分は、己が為すべき責を成し遂げなければならない。必ず。

 だから。

 

 青年は大きく口を開いた闇へと向かってゆっくりと歩みを進めながら、耳朶で揺れるピアスを爪先で弾く。流した魔力に反応して青い石がちかちか煌めいた。

 かと思うとそのまろい表面に瞬くほどの間、精緻な陣が浮かんで消え、涼し気な薄荷のにおいを連れた風がふわりとあたりを吹き抜ける。

 これで、浄化の性質を与えられた風が、瘴気の毒から身を守ってくれるはずだ。製作者は子供だましのお守り程度と言ってはいたが、そもそも魔族の毒に耐性がある自分には十全なものだろう。

 薄荷の風を大きく一度吸い込んで、青年は迷うことなく闇の中へと足を踏み入れた。

 その瞬間、ぞわりと背筋が粟立つ。

 ──魔族の領域に入り込んだのだ、と理性が警鐘を鳴らしていた。

 今すぐ引き返せ、とも囁くそれを抑え込んで、青年は周囲をぐるりと見渡す。

 瘴気の作り出す結界は、どうやら完全な闇をもたらすほど厚いものではないらしい。その隙間からちらちらと差し込む残照のおかげで視界はなんとか保たれている。ただ、夜が来ればどうなることかわからない。光源は用意できないこともないが、急ぐに越したことはないだろう。自然と青年の歩みは早まる。

 

 

 罠はなかった。

 

 

 尖兵の襲撃も、およそ想定できるだけの奇襲も、何も。

 

 短くも長くも感じる時間の中、永遠に続くようなぬばたまの世界を青年は駆け続け。

 そうしてようやくひとつの気配を探り当てて、歩みを止めた。

 行く手を阻むように広がっていた闇が、やがて緩やかに後退し始める。《何か》のもとへとするすると収束されていく。

 そこにいるのが誰なのか、なんてそんなことは始めから知っていた。

 そうでなければいい、と、──彼でなければいい、と思っていたかっただけだ。

 

 渦を巻く瘴気のその中心に、彼はいた。

 

 人間の男が一人、こちらに背を向けて、何もない天井を─―あるいは夕焼けの空を、見上げるように立ち尽くしていた。

 逃げ遅れた学生か、とそう思えれば、どれだけ幸福なことだっただろう。

 

 魔族であることを示す角は持たずとも、彼のその足元には、瘴気の闇が揺蕩っていた。ただびとであれば、毒に飲まれてとうに命を落としているはずだ。そうではない、ということが彼がどんな存在であるのか、如実に語っていた。

 そうして彼もまた、青年の気配に気が付いたのか、緩慢な動作でこちらへ首を回す。

 気だるげに細められた目も、すっと通った鼻梁もよく見知ったものだった。美姫もかくやというほどに整った顔立ちは、間違いなく青年の知己のものだ。

 

 ──ルクレティウス・リトグラト・リィ。

 

 かつて、ただ道端に佇む姿でさえもまるで絵画のようだ、と国中から誉めそやされていた男は、けれど今は見る影もなくやつれはてていた。

 皴一つなかった筈の純白の制服は、元の色さえもわからないほど血や泥や煤にまみれている。櫛が丁寧に通されて艶めいていた長い藍色の髪も、ばらんに切り刻まれて不揃いな毛先が肩口で揺れるばかり。

 ただ、憎悪と諦念の暗いひかりの宿った蒼だけが、ひたと青年を見据えていた。

「──ははっ、やっぱりおまえが来るんだな」

 聞きなれた嘲笑の声が、ふたりの他に誰もいない廊下に響いた。

 あはは、と乾いた笑いをあげながら、彼はやや大げさな身振りでもってこちらに向き直る。

 そうしたことで、それまで闇に半ば隠されていた男の全身が露わになって。その瞬間、あまりのいたましさに思わず青年は息を飲んだ。

 ──差し込む残火の日差しに照らされた彼の体には、蠢く無数の異形が纏わりついている。

 口が、目が、関節が、羽が、牙が、手足が多すぎる/少なすぎる魔族の群れが、細い肢体を這いまわってはぎぃぎぃと嫌な威嚇音をあげる。下位の魔族だろう。自我はなく、ただ壊し奪い侵すことしか知らない瘴気の塊。

 けれど低級と侮ってかかるには、あまりにも相手の数が多すぎる。

「気持ち悪いだろ? 僕の美意識には反するんだけど……でも、これくらいしないとお前のことを殺せないだろうからってさぁ」

 男の肩口に乗った無貌の鳥が、ただでさえ汚れた彼の制服に黒い体液をぼたぼたとこぼしていた。その様に深いため息をひとつついて、そうして男はまるで華が咲くようににっこりと笑って見せる。

 ぞっとするほど美しい笑みだった。

 けれど、そこには隠し切れない敵意があった。言葉以上に雄弁で明らかな、殺意があった。

 そのことがどれだけでも悲しい。

 けれど。

 

 ──これは己が為すべきことだ。何があっても成し遂げなければならないことだ。

 

 青年は剣の柄に手をかける。

 鞘の下に隠されたその刃を、本当なら抜きたくはないのだ。

 目の前にいる男が青年にとってかけがえのない友だから。それだけが理由ではない。

 いつだって青年はそう思っていた。

 誰かに刃を向けて、傷つけたりしたくなかった。誰かの命を奪いたくなどなかった。

 世界中の誰もが、不当に傷つけられることも損なわれることもなく、穏やかに笑っていられたらどれだけ幸福なことだろう。

 けれど、そんな甘さを押し通せるだけの強さを、自分はついに手に入れられなかった。それは己の怠慢が故だ。

 だから、ほんの数か月前まで何度となく軽口を叩きあっていた相手を前にしても、言葉を交わすという選択肢は選べない。

 選んではいけない。為すべきことを成し遂げるために。

 己の愚かさがもたらした因果を応報するために、自分はここにいるのだから。

 話し合いで解決できるような、そんな優しい余地はもはや彼らの間から失われている。

 この懐かしい学舎において、なお。

 ふたりの間に数瞬の沈黙が流れた。

「……それで、()()()()おまえが僕を殺すんだ?」

 沈黙を破るのは、どんな形であれ、いつだって青年ではなく男の方だった。首を少しかしげてそう問いかけた彼は、纏わりつくそれらの重さに耐えかねたようにふらふらとよろめく。

 はは、と掠れた哄笑が人のいない校舎にさびしく響いた。

 その姿はまるで、道化師のようにも見えて。

「はは、知ってたさ。わかってたさ。そうだ、おまえはそういう奴だもんな? ……ああ、知ってた。知ってるよ。『正義の味方』殿」

 耳障りなわざとらしい笑い声が、ふっと止んだ。

 最後に吐き捨てられた言葉はやけに穏やかで、眩しいものを見るようにすがめられたあおい瞳に一瞬、憎悪でも諦念でもない感情のひかりが掠める。

 ただ、その目に浮かんだ色の意味を確かめるような余裕は青年にはなかった。

「くそ、わかってる、わかってるよ。五月蠅いなぁ……っ」

 何かを振り払おうとするように、藍色の頭が伏せられて、数度、力なく揺れた。

 ぽたり、と鮮やかな濃い紅がその白い頬を滴り落ちる。

 ぞわり、と総毛だつ感覚に青年は身構えた。

「──死ねよ、勇者」

 男の叫びに呼応するように、獣の群れが沸き立った。次いで、彼の背後に幾つもの魔術陣が展開されていく。

 青年もまた、剣の鞘を振り払う。

 露わになった銀の刃の内側で、蔓草めいた紋様が朱く輝いた。

 

 

 

 

 

 ──そうして男は、いつだってその夜を超えられない。

 

 

 

 

 

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