中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る   作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首

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 ──からん。

 

 物思いにふけっていたルクレの意識をなにか、が転がっていく軽い音が破った。

 ころころという音と軽くなった手の感覚にルクレははっと我に返る。

 いけない。まだ授業中だ。

 ぱちぱちと数度まばたきをして、意識を思索の淵から現実へと連れ戻す。

 さっきまで万年筆をゆるく握っていたはずの手の中には、なにもない。慌てて机の上を見回すと、手から滑り落ちた真っ赤なそれはころりころりと机の角から、さらにその下へ床へと転がっていこうとしている。

 それを素知らぬ顔で捕まえてから、ルクレは横目で周囲の様子をうかがった。

 

 そうして、おや、と首を傾げる。

 教卓には先ほどまでいたはずの教師の姿はない。気持ちよさそうに机に突っ伏して眠っていた生徒たちも目を覚まして次の授業の準備を始めている。

 

 ルクレが嫌なことを思い返してしまっていた間に、どうやら授業は終わっていたらしい。

 

 ──ああ、またミネアの授業をまともに聞かずにこの日を過ごしてしまった。 

 

 背を丸めた女教師のことを思うと少しだけ後ろめたさが募った。けれど今さら授業のひとつやふたつ、とも思う。

 正直なところ、別に一回目の人生でだってまともに授業なんて受けていなかった。

 ルクレにとっては、もう知っている内容ばかりだったのだ。別にそうしていて試験に困ったこともない。学院の授業で学ぶようなことはたいていとっくに知っていて、応用だって簡単だ。

 それに、あのときのルクレは授業なんかよりもずっと、魔法の理論について考えていたかったのだ。

 けれどまあ、今回はせっかくのお休みの人生だった。

 ちょっとくらい授業というやつを真面目に受けてみてもいいかな、と自分でも珍しく、そう思っていたところだったのだ。

 実際この授業まではいちおうきちんとした態度で臨んでいたのに。

 授業の始まった時に開いてから一ページもめくられていない教科書も真っ白なノートも、なんだか見ていられなかった。

 ぱたんと閉じてそうそうに引き出しへとしまいこむ。

 まぁいつまでも引きずっているわけにもいかない。

 こんなささいなことなのだし。

 

 ルクレは視線は教卓に向けたまま、己の手の甲に人差し指の先を置いた。撫でるように、けれど一定の速度でそこに円を描いていく。 

 手遊び、兼気分転換のルーティンだった。

 ルクレは昔から何かの図具の補助がなくとも、こうして手遊びでだってきれいな正円を描けた。いくつもいくつも円を重ねても、線が歪んだり直径が変わったりすることはない。まったく同じ大きさの円を描いていられる。

 それは、一流の魔術師に必要とされる条件のひとつだった。

 むしろ、道具なしに正円が描けないなら魔術師になることは諦めた方がいい。とさえ言われることだってある。

 魔術師としての腕をいつ必要とされるかわからない。

 いつ何時でも自分の万全を発揮できないなら、それは所詮、二流三流に過ぎない、というのがここの副学長の言だった。

 ルクレもまた、そう思う。

 だから、自分は結局二流以下にもなれやしないのだ、とも。

 

 そんなことをつらつら考えながら小さな指で25個目の円を描き終えた頃には、すっかり気分も切り替わる。

 

 ──よし。

 

 うん、とひとつちいさく頷いてとりあえず、次の授業に使う教科書を取り出した。

 授業と授業の間の小休憩はそこそこに余裕がある。が、教室を出て何かすることは躊躇われた。

 この体になってからというのも体力も落ちたのか、何をするにも疲れやすくなった。気がする。

 気がするだけかもしれないが、とにかく無駄に動きたくないのだ。このまま机に突っ伏して寝てしまえたら楽だろうなと思ってしまうくらいには。

 もちろん、そんなことルクレはしない。公爵家の嫡子としての体面というものがあるのだ。

 

 仕方ない、本でも見つめて時間潰すか。こういうときのために、と自室の書棚から数冊の本を持ってきてある。それを取り出そうと引き出しに手を入れて。

 

「──レティ」

 

 廊下の方から聞きなれた声が、そいつだけがする呼び方でルクレを呼んだ。ぴたりと手を止めて声の方へ目を向ける。

 教室の扉のところに赤金色の髪をした男が立って、じっとこちらを見ていた。ふと目線が合う。かと思うと、すたすたと他人の教室の中に入ってきた。おい、おまえの教室は隣だろう。

 けれど足取りはまっすぐで迷いがない。ルクレの席まで一直線だ。

 なに? と首をかしげると、髪がさらさらと背中を流れてくすぐったい。結ったほうがいいかもしれない、とぼんやりと思う。男のときより長くてやや細いせいですぐこうして流れてしまうのだ。

 

「特になに、ってわけじゃないんだが。……レティ、()()()()()()()

 

 見下ろす朱い瞳には、こちらを気遣うような色がはっきりと浮かんでいる。

 あくまでも、()()()、色だ。

 勘違いするなよ。

 自分にそう言い聞かせてから、ルクレは問いかけに答えるために口を開いた。

 どうやらわざわざ術式の確認に来たらしい。正義の味方殿はまったく心配性なことでいらっしゃる。

 

「……まぁまぁ、かな? お前から見てどう見える?」

「いつも通り。……まあ、無理はするなよ。今日もはやく部屋に戻った方がいい」

「おまえが送ってってくれるなら、すぐにでも帰るよ」

 

 そう言ってふふ、と笑って見せる。この場合は聞き耳を立てている同級生に向けて、だ。周囲に気高くも気安い優等生だと見せかけるのは、もはやルクレにとって息を吸うくらい自然で当たり前の動作。たとえそうして点数を稼いだところで、それを利用できるような未来などないとわかっていてもやめられないほどに。

 

「そうか、わかった。じゃあ放課」

「る、ルクレティウスくん……! お話し中にごめんなさい!」

 

 震えた少女の声がふたりの間に割って入った。

 ぱっと目を上げるとクラスメイトの女子がひとり、席の近くにやってきていた。彼女の持つ薄茶色の髪色に青の瞳はエディリハリアの市井によく見る色だ。おそらく一般市民出の生徒だろう。緊張しているのか、かちこちに体が固まっている。

 

「わ、私、今日の授業でちょっとわからないところがあるんです! けど……」

「ああ、どうしたのかな? 僕でよければ、助けになれるかも」

 

 シャニを手で軽く制して、にこりと笑いかけた。花のような、とよく称されるルクレの微笑みに、強張っていた少女の頬が少し和らぐ。

 

「あの、すごい初歩的なことでごめんなさい。魔法と魔術の差異についてのことで……」

 

 ああ、今日はこれの日だったか。

()()は繰り返しの中でいつも起こる方のイベントだ。

 この彼女に放課後、ふたつの差異について教えてやる、というものだった。

 750回目ともなると死ぬまでの間によく起きることほどある種の日常になってしまって、細かいところがぼやけてしまいがちだ。

 よくないな、と自省する。

 ルクレが一般市民出の生徒からこうして頼られることは珍しいことではない。

 基本的に学院生活において、不正を許さず、立場の弱いものを庇護し、ととにかくノブレスオブリージュを体現するように励んでいたからだ。

 まさに民に望まれる貴族そのもの、というルクレの姿に学院中が騙されていたはずだ。公爵家、という貴族の中でもさらに上に立つものとして、一切の隙なく振舞っていた自信がある。

 ルクレの馬鹿みたいに高いプライドが、他人に隙を見せることを厭った、というのも多大にあったが。まぁだからといって何か評価が変わるわけではないのでいいだろう。

 しかも途中編入生であるシャニに対してもかなり気安く接していた(ように見せていた)から、面倒見がよく差別をしない、と思われているのだ。だから教員にさえ気兼ねしてしまうような生徒もこうしてルクレをよく頼る。

 そうされることが好きだったから、答えるのはいつだってやぶさかではない。

 他人にそうしてやれるだけ、余裕のある自分が好きだったのだ。単純に。

 ただ実を言うと、貴族階級の生徒の方がルクレを遠巻きにしがちだった。今だって遠くの方から、シャニと、ルクレに教えを乞う少女のことをありえないものを見るような目で見つめている。

 それもまた、無理のない話なのかもしれない。

 リトグラト公爵家の権勢は、その開祖の偉大さだけにとどまらない。なにせ4代目当主の頃に、当時の王から≪百花≫の名を賜っているのだ。それからというもの、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と古い貴族にほどそう見られている節がある。

 つまり貴族の子どもには、気高く触れてはいけないはずのものだと思われているのだ。こればかりはルクレにもどうしようもない。彼らの家がそう教えているのだから。せいぜい彼らにも同じようにやさしく振舞ってやることくらいしかしてやれない。それが素直に受け取られるか受け取られないかは別として。

 

「わ、私、高等部からの編入なんです。基本的なこととか、あんまりわかってなくって……」

 

 そんな貴族たちの視線になんて気づかないまま、申し訳なさそうに少女は言葉を続ける。

 その姿に、いつかの誰かの影が重なった。

 同じような問いに、そういえば昔も答えたことがあった。

 繰り返しの中の昔ではなく、そのさらに前。

 ルクレが中等部の二年になってしばらく経った、夏の日に。

 この学院には、中途編入の制度がある。

 魔導の素養があるすべての子供に対して広く門戸を開く、という理念によるものなのだが、そうして入学してきた編入生のほとんどが一度はこの単位で躓くのだ。

 あの日のあいつも確か、そうしてそこに躓いてひどい点数をとっていたっけ。

 

「今の主流が魔術だっていうところは大丈夫そう?」

「はい、そこはとりあえず……! あと、魔術は汎用性が高くて魔法は専門性が高いってところも、いちおうは」

「そこまでわかってるなら上々かな。外だと魔導で一括りにされてるしね」

「そうなんです! 私も入学するまで全然わかってなくて、便利だなぁとしか思ってなかったから……」

「ああ、わかる。区別するなんて思いもしないよなぁ。俺も同じところでつまずいたことがあるからよくわかる」

「ですよねぇ! ただそういうものだって思ってたから……!」

 

 蚊帳の外になりかけていたシャニがすっと話題に入ってきた。時期は違えど、同じ市民の中途編入生同士。やはり悩みは共通のものだったらしい。

 

「その単元のことなら、確かにレティはいい教師だな」

「これ以外のことでだって、僕はお前を助けてやってるけど?」

「悪い悪い! それもそうだな。っと、レティ。少しいいか」

 

 気安い応酬のさなか、疑問符のつかない問いかけが飛んでくる。

 ルクレがそれに返事を返すより先に、すっと頬に手が伸ばされてきた。

 剣ダコの目立つ親指が、目の下に軽く当てられる。

 きゃっ、と近くで黄色い声が上がった。

 

「おい、気安く触るなよ?」

「悪いな、本当に大丈夫なのか気になったんだ」

 

 口ではこう言ったが、とりあえずシャニのしたいがままにさせておく。

 男に触られてもうれしくなんかなかったが、まぁ、対外的にこういうポーズをとらなければいけないだろう。主に隣にいる女生徒に対して。

 そう、これはルクレの株をあげるためにしかたなくやっていて、つまり許してやっているだけなのだ。

 近くにクラスメイトがいる状態で、まさか無理やりシャニの手を払いのけたりするわけにはいかない。そんなのはみんなの理想のルクレティウスくん、の姿から外れてしまう。

 ひとしきり瞼の血色を確かめた手が、今度は頬を撫でる。

 なるほど。血色と、それから体温でも確認したかったのだろう。

 されるがままになりながら、ルクレはひとりそう得心した。

 まだ生徒が大勢いる教室で、声を張り上げるわけにも目立った抵抗をするわけにはいかない。

 だから、これはしかたない、というやつで、決して頬に触れた手の暖かさが心地いいから、だなんてことではない。

 まるでシャニが自分を特別に心配してくれているみたいだから、なんてことではないのだ。

 

 だってルクレはそんな勘違いをしたりしない。呪文のように心のうちで繰り返す。

 そう決めたのだ。もう二度と勘違いなんてしないと。

 絶対に。

 

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