中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る 作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首
interは本編外の、いわゆるおまけ要素です
読み飛ばしても問題ありません
■学院、教室(放課後)、中等部2年、夏
「──そもそもだけどシャニ、おまえさぁ……魔術と魔法の違いってよくわかってないでしょ」
「ああ、さっぱりわからん」
「言い切るな! はぁ……。だと思ったんだ、そうじゃなきゃこんな初歩的な間違いするもんか」
対面の席に陣取った男が、はぁ、とわざとらしいため息をつく。
そこ、他のやつの席だろ、と言いたくなったがやめた。
放課後の教室には、俺とこいつの他にほとんど生徒の姿はない。
席の持ち主はとっくに寮に帰ってしまっているだろうし、何よりこの男がそんな些細なことを気にするとは思えなかった。
華のようだと称えられる繊細な美貌のわりに、こいつ、ルクレティウス・リトグラト・リィの精神は図太い。きっと荒縄よりも頑丈だ。
「おまえが馬鹿だと僕の品位まで落ちるんだ、しっかりしてもらわないと困るんだけど」
はぁ~、とまたひとつ。
今度は先ほどより少し長めのため息が落とされる。
特に深く気にしたりはしない。ルクレはこういう風に何かと大げさにポーズを取りたがる男だ。ここ数か月の付き合いで、それを身に染みてわからされた。
というか、途中編入生である俺には初め別の教育係がついてくれていたのだ。それをわざわざ自分が押しのけて代わった癖によく言ったものだとさえ思う。
思うだけで言い返せはしない。ここまで言われるような点数をとってしまったのもまた俺なのだ。
机に置かれた答案用紙には、情けないことに平均点をやや下回る点数が記されている。俺としては努力した方だったのだが、まぁ努力が必ず実を結ぶわけではない。そういう意味ではいい教訓になった。のかもしれない。
「主席の僕が何かと教えてあげてるんだからさぁ、もうちょっと座学にも身を入れてくれないかな? 魔導基礎くらい、せめて平均点はとってくれないと」
「あ、ああ。すまん……」
「ふん。ま、いいか。僕が教えてやるようになる前の単元だしね。でも、魔術と魔法の差異は本当に基本的な知識扱いされてるんだ。今後他の教科にも響くから覚えておけよ」
こほん、と咳払いをしてルクレは姿勢を正した。その仕草に合わせてさらりと長い藍色の髪が揺れる。そういう動作のひとつひとつがやけに様になる男だ。薔薇のようだ、とかしましく囁く生徒の気持ちが少しわかった。確かに目を引く華やかさがある。
けれど、艶やかなその髪はいったいどれだけの手入れの成果なのだろう。俺には皆目見当もつかない。
そんな風にまったく別のことを考えている俺をおいて、ルクレのありがたい講座は始まる。
「魔術も魔法も、どちらも魔導に属するものだ。だから優秀な魔術士や魔法使は魔導師の称号を冠する。ここの学長とかもそうだね。まぁあの人はどちらかというと研究畑の人で、教育にはそんなに向いてないんだけど……。で、その上にいるのが大魔導師で、これは一国にひとりもいればいいほうなんだ。そして! このエディリハリアにおける大魔導師は」
「──おまえのおじいさま、だろ?」
「それは覚えてたの」
「誰かさんに、それこそ耳にタコができるほど聞かされたからな」
だいたいこいつの言うおじいさま、ロゥク・ルゥ・リトグラトはそもそも名前と功績くらいは子供に聞いても知っているくらいの有名人だ。
百花の賢者。
それはかつて、世界に魔王が現れ滅びの災厄に襲われた日々の中、ともしびの勇者と翼の聖女と共に立ち上がり、人を救った三人の英雄のひとり。
俺にとってはある種あこがれの人だと言ってもいい。
「ま、いいや。それはそうとして、魔術も魔法もどちらも陣や式によって発動するものってわけ。でも、決定的に違うことがある」
はらり。二枚の紙が目の前に広げて置かれた。
そこに藍色のインクで描かれたふたつの陣は、どちらも俺の目には緻密で高度なものに見える。
「これ見てさ、おまえ、どっちが魔術の陣だと思った?」
「わからん」
「ちょっとは考えろ、馬鹿。はぁ……。魔術はきちんと規則が決められててその通りに組み立てられる──陣で言うなら、ふたつの円で構成されること、円は正円であること、とかだね。どの円に何を記述するかも決まってるんだけど、まぁそれは今回はいいか」
すらりとした白い指が紙に描かれた正円をなぞっていく。
俺のそれみたいに傷だったり剣ダコだったりのない綺麗な指だ。
ただ俺はその代わり、そのうつくしく見える指にうっすらとペンだこがあることを知っている。もう癖になってしまって魔術で癒しても治りきらないのだろう。こいつもまた勉強という分野で、それだけ努力を重ねているのだ。
本人はみっともないと思っているのか、しきりに隠したがっているが、そういうところは尊敬できなくもない。と思う。山麓より高いプライドと高慢さの滲むその性格は、素直に擁護できたものではないとしても。
「逆にね、魔法の陣はそのあたりの規則性はない、皆無。幾つもの詞を組み合わせて最終的に円形になったら上々、みたいな感じかな。実際、円形じゃない陣も多いってわけ。……ま、そうやって見ればわかりやすいだろ」
「ああ、じゃあこっちが魔術陣か」
俺が綺麗な正円がふたつ重なっている方を指さすと、ルクレは満足げに頷いた。
「そう。まぁ、例外として魔術に近い記述をしてるように見える魔法陣もあるんだけど。でもそんな引っ掛け問題に出るようなのは決まってるから、基本を覚えた後についでで頭に入れとけばいいんじゃない? ……言っとくけど、こんなこと中等部の一年でさえわかってるんだからな」
「仕方ないだろ、途中編入生なんだぞ」
「はいはい。──で、もっと基本的なこと。簡単に言うなら、魔術は新しいもので魔法は旧いものなんだ。魔術は人の手によって近年発展した技術で、魔法は世界を動かす祈り、なんだけど……言ってしまえば、魔法は使える人や状況が限られる。制約が何かと多いんだよね」
「制約?」
「そう。ま、これもいったん見せた方が早いか」
訝しげな俺の前で2枚の紙がくるくるとしまわれて、代わりに新しい紙が広げられる。
先ほどまでより大きな紙いっぱいに描かれていたのは、先ほどの話からすると魔法陣。それは随分と古い詞が書き連ねられた陣だった。
それくらいは俺にもわかったが、そうしたって見たこともない記述法だ。
指先で陣を縁取る言葉を1文字ずつなぞっていく。
「み、とぐ、ら、ミトグラスの……ミトグラスの剣!? おいまさかこれ、ともしびの勇者の!?」
それはまさしくお伽噺の中のもの。勇者が魔王に突き立てたという焔の剣。
驚きで思わず声が震えた。
そもそも存在していることでさえ、ろくに信じられないような代物だった。他の誰かが見せたものならきっと疑っていたことだろう。
けれど、この男はその剣を勇者に与えたという英雄の子孫なのだ。
もしかしたら。
俺はごくりと唾を飲み込んでいた。
「そうさ、これは僕がおじいさまの持ってる文献をもとに再現したものでね。理論上はこの陣の記述法で発動するんだ。──≪勇者の剣≫が、ね」
それは、蔓草が絡み合ったような不思議な陣だった。緻密な文字で編まれて、それこそ織物のようだ。これだけみっちりと書き込むのにどれほどの時間を要するのだろう。俺には想像さえ出来ない世界だ。
「まぁ見てなよ」
おほん、ともったいつけたような咳払いがひとつ。
ルクレは、集中力を研ぎ澄ますようにその青い目を伏せて、陣にそっと掌をあてる。俺はその様子を固唾をのんで見守っていた。
「──みあかしあかし、世界に灯し/
かくして世界は燃え尽きる
──ミトグラスの剣」
歌うような詠唱に合わせてふわりと陣が蒼白くひかって
──瞬いて、消えた。
は? 思わず首をかしげる。
確かに一瞬、陣に大きな魔力が流れこんで、逆巻いて。
けれど、何も起こらなかった。文字通り灯火のひとつさえも灯らない。
「ははっ、発動すると思ったのかよ。馬鹿だなぁ、あのともしびの勇者の剣なんだから、術者の魔力にともしびの性質がなかったら発動しないに決まってるだろ? ──つまりはそういうことなんだよ」
虚を突かれた顔をしている俺をルクレがわらう。心底面白そうな笑い声だった。そうしてひとしきり笑い転げて、ルクレはやっと説明を続ける。
「魔法は魔術ほど自由には使えない。魔力の量もそうだけどその性質だったり、ものによっては術者の種族や性別にまで左右されることもある。どれだけ緻密に理論を構築しても、精緻な陣を描いても、その制約が満たされなければなんにも起こらない。逆に陣も理論もぼろぼろでも、素養がある者が念じて詠えば世界は動くのさ。だから、魔法は奇蹟で魔術は技術なんだ」
──世界には、魔術と魔法。
失われつつあるかつての奇蹟と、生み出されていく新たな技術。
総じて魔導と呼ばれてはいるものの、それらは決して同じものではない。
授業で何度か耳にした言葉がすっと頭に染み込んだ。
どうして魔術と魔法とが分かたれているのか、ずっとよくわからないでいた。正直に言えば、どちらも大して変わらないんじゃないかとさえ思っていた。
けれど。
俺はそのとき始めてやっと、魔導というものをやっと少しだけ理解したような気がした。
シャニがルクレのことをレティと呼び始めたのはこの年の冬のことです