中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る 作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首
やや橙が滲み始めた夕方の陽光が、真っ白な廊下へと差し込んでくる。
それがまるで、──そうまるであの最期の日の景色のように見えて、ルクレは思わず顔をしかめた。
馬鹿馬鹿しい、終わりの日はまだまだ遠い。
だいたい、あの日の夕焼けはもっと色濃くて、それこそ燃え盛る焔のようだった。
そうしてルクレはひとりきり、深い深い闇の中であいつを待つ。瘴気と憎悪にじりじり、じりじりと蝕まれながら。
そこまで考えたところで、ふるりと小さく頭を振った。こみ上げてきた何かに蓋をするように数度、瞬きをして、視線をぐっと前に引き戻す。
静けさに包まれた廊下に、かつかつ、こつこつと二人分の足音が響いている。
クラスメイトからの頼み事を快諾した後、思いのほか話に花が咲いてしまったこともあってか、シャニはぎりぎりまでこちらの教室に居座っていた。結局、かんこんと鳴り響いた予鈴に急き立てられるようにして自分のクラスへと戻っていく羽目になったのだから笑わせる。
ばかめ、時計を見て行動しないからだ。
ただ、慌てて駆けていくシャニの後ろ姿は本当に見ものだった。おかげでルクレは、比較的愉快な気分で次からの授業を受けることができたのだ。
そうしてその愉快な気分はたっぷり放課後の約束までは持続した。そう、魔導と魔術の違いについてきちんと教えてやったのだ。なにせもう何度も何度も繰り返していることで、少女の飲み込みが早かったこともあり、要所要所をしっかり抑えつつもかなりスムーズに教えることができた。と、我ながら思う。
繊細なルクレにしては珍しく、あまりストレスを感じないひとときだった。
ただ、様子を見ていた他の生徒まで質問してきて、ちょっとした勉強会じみたものになったのは予想外だったが……それもまぁいい。かまうまい。
教員がちょうど何人か外出しているとかで、彼らも聞く宛に困っていたのだろう。春の大会に向けて各々準備をしているところだからか、この時期はどの生徒も質問ばかり抱えている。教師の前に休み時間や放課後、長蛇の列ができることも珍しくない。
授業の内容について、しかも初歩的なことなんかを聞くにはかなり肩身の狭い時期だ。
しかもこの学院にはそんなに教職員が多くない。というか、魔術師の教師がそう多くないと聞く。ルクレが思うに、魔術師はあんまり教職者に向かないのだろう。
言ってしまえば、やや社会不適合、というかなんというか。
ただ。
本当の予想外は、自室に戻ろうとしたルクレを迎えに来た人間だった。
彼女のおかげでせっかくの上機嫌が台無しだ。
少し後ろを歩く少女を横目に捉えて、ルクレは無意識のうちにひとさし指を擦る。そこにある、うっすらとした胼胝の凹凸を執拗に、何度も何度も。
そんなルクレの癖など知らぬように、少女はおどおどと後をついてくる。
艶やかな灰色に鮮やかな青の差し色が入った、真っ直ぐな髪。
ついこの前切ったばかりだからか、肩に届くくらいの長さで揺れている。
伏せられてばかりいる、水色と藍色が混じった大きな瞳。
整ってはいるものの、どこか気弱そうな顔。
そして何より目を引く、白い制服の下でたゆたゆと揺れる豊かな胸。
──ニアースティニア・リトグラト・レゥ。
ニア。他称、リトグラト公爵家の気弱な方。
ルクレの不肖の、義理の妹。
あるいは──王太子の元娘。
しかしいつ見ても本当に大きな胸だった。あそこまで豊満だといっそ神聖ささえ感じる、とのたまっていたのは誰だったか。
さらしの下の己のそれと一瞬比べて、ルクレは思わず苦虫を噛み潰したかのような顔になってしまった。あんな凶器、よくぶらさげて歩けるものだ。以前にもまして、しみじみとそう思う。己のあのサイズでさえ、さらしで潰していないと揺れるのが痛くて不快だったのに。
──義妹。
そういう関係を10年ほどやっている少女は、今も自分の1歩ほど後ろを、少し視線を伏せびくびくと何かに怯えるように歩いている。少女のことを見ていると、いつだって沸々と湧き上がるものがあった。
ルクレはこの義妹が嫌いだった。本当にだいっきらいだった。
そしてニアもまた、おそらくルクレのことを嫌っている。
嫌われて厭われて、憎まれたって当然のことばかりしてきたから。
そんな彼女が今ここで何をしているかというと、ちょっと目を離したすきにまた何やら面倒事に巻き込まれたシャニの代わりに、ルクレを寮に送り届けに来た。らしい。
何を言われたのかは知らないがこいつも詳細をよくわからないまま、嫌いな相手の前によくもまあのこのこ出てくるものだ。
いくら大好きな男に言われたからといって否やと言えないのだろうか。
いや、言えないのかもしれない。
恋は盲目だと誰もかれもが話している。恋だ愛だと、そんな不確定で馬鹿馬鹿しいもの、ルクレにはよくわからない。わからないけれど、その素晴らしさを語る人間の宗教染みた熱っぽさを思うと確かに盲目にもなるのだろう。
理解はできなくとも納得はできる。加えて言えばニアはちょうど『お年頃』なのだ。恋に恋する年頃の熱意をもってすれば、嫌いな相手であっても苦にならない。のかも、しれない。
と、ルクレは足を止めた。
1歩2歩とはいえ先を行っていた義兄が止まったのに合わせて、ニアの歩みも止まる。
──うん、このあたりがちょうどいいだろう。
男子寮まではあと5分も歩けば着く。今更だが、どちらの寮も校内にあるのだ。送り届けるも何もない。
「おい、ここまででいいぞ」
「え、でも男子寮まではまだありますよね……?」
「はぁ? お前、まさか寮の中までついてくるつもりなの? ばっかじゃない?」
このか弱そうな少女をまかり間違っても、獣のはびこる男子寮まで連れていくわけにもいかない。かといって男子である自分が、今の体は女のそれだが一度考えないとして、女子寮にあまり近づくわけにはいかない。常識的に考えておかしいだろう。
つまり、彼女の「ルクレを寮まで送り届ける」という使命は最初から破綻しているのだ。
「中までなんて言いません……! でも、せめて寮の入り口までは……」
ルクレの言うことには基本的に是と返すニアが、今日ばかりは珍しく食い下がる。
そんなにシャニが好きなの、おまえ。
嫌味たっぷりにそう返そうとした瞬間。
がしゃん、と後ろの方で何かが割れる音がした。
音につられたように、ふたりして先ほど来た道を振り返る。
割れるようなものがなにかあっただろうか。
橙に染まった廊下に、ガラスが飛び散っている。
その真ん中に黒い影がうずくまっていた。
小さな犬くらいの大きさの。
──は?
思考がぴしりと硬直した。犬だというには、足が多すぎる。9本以上ある足をまるででたらめに動かしながら体勢を立て直そうとしているその姿は、まるで。
「……っ、
じわりと空気を侵す毒の気配に、ルクレは短い詠唱を吐き捨てる。
指輪が白いきらめきをまとい、同色の光をそれに向かって撃ち放った。白く光る杭が突き刺さった瞬間、聞き苦しい絶叫があたりに響き渡った。
「なんで、魔物が学院内に……!?」
思わずあげた疑問の声にこたえなんてあるわけもなく。
とりあえず、力尽きた魔物を燃やしておく。この程度のサイズで、学院内ならルクレにだって対処ができる。ついでに浄化の魔術で瘴気ごと燃えカスをそそいで、魔物がこの場に蘇らないようとりあえず、の処理をしておいた。
ニアは、と横を見ればへなへなと座り込んでいる。攻撃魔術が使えないのだからいっそ逃げてくれればいいのだが、それも高望みかもしれない。悲しいことにそんな逞しい精神構造をしていないのだ、この女は。
「おい、怪我は? おまえに何かあったら僕がノストに仕置かれるんだけど」
「あ、ありません。兄さまは」
「ない。おまえが僕を心配するな。というか、そうだ! ルチウス、ルチウスはどうした? 腐ってもあいつ、おまえの護衛だろうが」
「ルチウスは、今朝あの、本邸に。夜には帰ると聞いてるんですが」
「はん。使えない護衛だな、まったく」
本来であれば、義妹に日頃影に日向にとついている護衛の女に任せておけた事故だ。それをこの後、自分が教員に事案発生の報告をして、原因調査を手伝って、と思うと頭も痛くなるというものだった。
どうして今回はこうも今までにないようなことばかり起こるのだろう。
人の目が他にないのをいいことに音高く舌打ちをして、思い切り顔をしかめる。ストレス発散だ。ニアの前で外面を取り繕うような必要はない。彼女にはもっと酷いところだって見られてきたし、ルクレもまたニアの醜態なんてもう数えきれないほど見ている。あまりにも今さらにすぎた。
こんなところに長居する気にもなれなかったが、とにかくニアが立ち上がるのを待ってやった。手を貸すまでのやさしさをくれてやろうとは思わない。ひとりで立ち上がれなければいずれ死ぬ。というのがリトグラト公爵家で生き抜くふたりにとっての不文律だ。
「──先輩! 何かあったんですか!? 大きな音がしたので……」
と、ぱたぱたと、何人かの人が駆けてくる音がした。ぱっと目を向けると生徒が数人、こちらへと向かってくるのが見える。体格からして中等部の生徒だろう。よくよく見れば先だって食堂で出会ったマトスとかいう少年もいる。
音がしたので、じゃない。馬鹿!
とは、さすがに言わなかった。
というより、言っている暇などなかったという方が正しいかもしれない。
魔物が割ったガラス窓から、さらに何かが飛び込んでくる。
黒々とした、先ほどのそれよりもずっとずっと大きな影。背筋を震わせるようなおぞましい気配をまとったそれが、人型である、とかろうじて認識して。
「──
その瞬間、ルクレは反射的にそう叫んでいた。
短縮言語で紡いだ詠唱に、左手の指輪が呼応して白く瞬く。
こめかみが一瞬つきりと痛んだのほぼ同時。
廊下に着地した黒い塊に、真っ白に発光する魔力の杭が突き刺さる。
「────────!!!!!!!!!!」
空気を震わす絶叫は、人の耳では理解不能な言葉だった。地に伏せたそれの傷口からは血の一滴も流れ出てはいない。ただ黒々とした闇だけがあたりにあふれていく。
人によく似たかたちをしているようで、けれどそれはどこからどう見てものっぺりとした深い闇の塊にしか見えなかった。ついで、頭頂部からはねじくれた2本の角が生えている。
──間違いない。高位のものではないにしろ、魔族だ。
念のために、とあらかじめ指輪に攻勢魔術を仕込んでおいてよかった。本当に!
過去の自分の慧眼をほめたたえたい気持ちでいっぱいになりながら、下級生に向きなおる。結界に守られたはずの学院内にどうして魔族がいるのか、なんて考えている暇はない。今はこれをなんとかしなければならない。
廊下に縫い付けられた魔族は低い唸り声をあげながらじたばたともがいている。
「り、リトグラト先輩……?」
「少し黙っててくれ。──
念には念を入れてもう一本拘束代わりの杭を増やしておく。
といってもルクレだって魔族との交戦経験なんてものはろくにない。これでどれだけ動きを止めていられるかはわからなかった。が、ともかく数分は稼げただろう。ほんのわずかな時間だが。
「……ニア。彼らを連れて、退きなさい」
「兄さま!? ま、待ってくださ」
「早く。時間がありません」
それでも、この足手まといたちを逃がすくらいの時間はできたはずだ。
彼らを庇いながらではろくに戦えない。
魔族相手に下級生を戦わせてもけがをするか、下手をすれば死ぬだけだ。高等部の生徒ならまだしも、中等部の彼らはまだあまりにも幼く未熟すぎる。
この中で唯一まだ魔導に長けていると言えるニアは、戦力に数えられない。攻撃魔術が使えないということももちろん一因だが、なにより万が一、億が一でも彼女の体に傷でもつければ父祖の不興を買うことになるからだ。
そうなれば最悪の人生が始まることになる。
それだけは何としても、本当になんとしても避けたい。
だから、逃がした方がずっと心置きなく戦える。
どのみち、自分がここで死ぬなんてことは起こり得ないのだ。
「ほら、はやく。君たちがここにいても怪我をするだけですよ」
なるべくゆっくりとした口調でそう告げる。もちろん、余裕があるように見せかけるために、だ。
本当は余裕なんてもの欠片もない。けれど、そんな気配を滲ませれば、この子たちも退けないだろう。
「っ、せんせい! どなたか先生を、人を呼んできます!」
こちらの意図を察してくれたのか、マトスがそう叫んだ。
行こう! と声をあげた黒髪の少年に背を叩かれたように、生徒たちが散っていく。ニアは、と見ればなんとか立ち上がって、マトスともうひとり、中等部の女子生徒に支えられるようにして逃げていくところだった。
「……感謝する!」
不肖の義妹まで気にかけてくれた少年に謝辞を述べてから、魔族の方へと向き直る。
橙色に燃え上がった廊下に、ルクレはひとりだった。
マトスはああ言ってくれたが、自分は悪党だから、きっと助けは来ない。
ぴしり、と杭が軋む音がする。
頼れるのは自分だけ。
いつだって、そうだった。