中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る   作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首

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 今の自分が女の身であることを、今日ほど呪った日はないかもしれない。

 

 そんなことを酸欠気味の頭でぼんやりと思う。

 魔族をあの場から引き離すため、ルクレは人気のなさそうな方へ人気のなさそうな方へと必死に駆けていた。

 魔力の杭で二度も貫いてやったのが効いたのか、敵はうまい具合に他の生徒には目もくれず、ルクレを追ってきてくれている。

 ……きてくれている、はずだ。

 ちらと背後に目を向けた。やや引き離した後方に、黒い影がひとつ。

 そのことに少しだけ安堵した。化け物に追われていることに安心するなんて、きっと後にも先にも今日限りだ。

 真っ黒な人型が四つん這いに近い体勢で追いかけてくるのは、はっきり言っておぞましいの一言に尽きる。

 頭部にあたるだろう部位にぎょろぎょろと動く一つ目の、品のないオレンジに光る瞳孔が己の姿を捉えているのを確認してから視線を前方へと戻した。ヘイトはまだ十分稼げているようで何よりだ。

 

 ──もう少し引き離さなければならない、かな。

 

 なにせこのままでは寮に、特に女子寮に近すぎる。この時間帯に寮に戻ってきている生徒の大半は自衛手段に乏しい中等部の生徒だ。万が一にも彼らを巻き込むわけにはいかなかった。

 

 強いものは弱いものを守ってやらなければならない。

 持てるものは、持たざるものを助けてやらなければならない。

 助けられ守られるのは、持たざるものだ。

 

 なら、ルクレはいつだって持てるものでありたかった。誰かに助けられるなんて見下されることとほとんど同義だ。少なくともルクレにとってはそうだった。

 そんなこと、山よりも高いプライドがゆるせない。

 だから、いつだって誰より貴族らしい貴族としてふるまいたかった。持てるものとして、社会に対しての義務と責任を果たし、持たざるものに手を差し伸べる。

 そうでない自分を、きっとルクレはゆるせない。

 たとえ、そのせいで今、自分が死にかけているのだとしても。

 先ほどからみっともなく開いたままの口から、せいせいと荒い喘鳴が漏れる。

 それでも足を止めない。

 一度でも完全に立ち止まれば、たぶん再び走り出すことは難しい。酸欠気味の脳がそう叫んでいる。

 全力で走って初めて知った。

 自分がこんなにも足が遅くなっていて、体力もなくなっていることを。

 ルクレはもともと決して肉体派ではなかった。

 外で遊びまわったり汗をかくよりはずっと部屋の中で大人しく本でも読んでいるほうがずっと好きだ。たぶん、貴族に生まれていなくてもそうだっただろう。

 それでも、運動は他人よりできる方だという自負があった。

 それほど努力しなくとも、走れば学年で十位以内には入ったし、乗馬だってなんだってすぐにできるようになった。

 だからルクレは運動神経にも自信があったのだ。魔導研究には体力があった方がいい、と教員から聞いてからは体力作りだってこっそりやっていた。

 それが、今ではこのざまだ。

 少し走っただけでぜいぜいとみっともなく息が切れる。酷使されて悲鳴を上げる足の裏はだんだんと感覚が薄くなり、まっすぐ走ることさえ難しい。

 しかも、包帯で胸を押さえつけているせいか、ひどく呼吸が苦しかった。

 

 ──クソ! 

 

 心の中で悪態をつく。言葉に出す余裕はない。そんなことに酸素を回したら最悪その場で倒れかねない。

 けれど、足を止めるわけにはいかなかった。弱いものを守るという、貴族としての勤めを果たさなければならないから。

 

 そして、それ以上に。

 ……死にたくなかったから。

 あんなにも死にたいと、もう終わりにしたいとそう思っていたはずなのに、こうやって実際にそれが近づくと必死で生にしがみつく。

 生きる理由なんてほとんど持っていなくて、死ぬ理由ならいくらだってあるのに。

 なのに。

 思索を切り裂くように、びゅう、と風を切る何かの音がした。

 それも、すぐ近くで。ついで、つい今さっき通り過ぎた床が、がりがりと音を立てて化け物の爪にえぐられるのが目の端に見えた。

 まずい。

 こんなにも必死に走っているのに、彼我の距離は詰まるばかりだ。四つん這いの魔族の動きは緩慢なようにさえ見えるのに。

 迫りくる死の匂いを間近に感じながら、それでも足を止めなかったのは意地だった。

 それから、それこそプライドか。

 あるいは、自分の魔術に対しての自負だった。

 今度こそルクレの矮躯を引き裂くために振るわれたその爪牙は、けれど目に見えない壁に阻まれて獲物にまで届かない。ぎちり、と硬度の高い何かが軋む音がする。

 窓から差し込む落ちかけの陽光が、振りかざされた爪とルクレとの間に透けるような薄青の障壁を照らした。

 自動発動の防御魔術だ。薄っぺらな見た目とは裏腹に、一度や二度ならだいたいの攻撃を防ぐことができる。文字通りの虎の子だった。

 予想だにしていなかった障害に、戸惑うように魔族がその巨躯を揺らす。

 一瞬。

 ほんの僅か、けれど確かに生まれた隙に「RiTEdっ!」振り返りながら叫ぶ。

 生み出された魔術の杭がそれの足を貫いて、またぼろぼろの床に繋ぎとめた。

 

 咆哮。

 

 大きく開かれた魔族の顎からだらりと闇色の体液が零れ落ちる。その場に崩れ落ちうずくまるようにして、それの動きが止まった。

 ぜぇぜぇと肩で息をつく。ただでさえ疲労困憊だというのに立て続けに2回魔術を行使したのだ。もちろん魔力は枯渇しかけているが、体力だって限界に近い。

 それでも、休みたくなる気持ちをなんとか抑えてひとつ大きく息を吸い、ルクレはまた駆けだす。

 本当に我ながら生き汚い。

 こんなんだから本邸の使用人たちに小物だと馬鹿にされるのだ。

 自分を見下ろす3対の、瞳孔だけが色違いにぎらぎらと光る視線がありありと脳裏に蘇る。その視線の冷たさを思い出すことで、ルクレはなんとか自分を奮い立たせた。

 今はとにかく逃げるしかない。

 立ち止まって迎撃しようにも、手段がないのだ。

 なにせ今の自分の手札は2つの魔術と2つの魔法。

 それ以上はさすがに用意がない。

 しかも魔法に関しては、この女の姿をごまかすための偽装魔法ともうひとつ、おまもりのようなくだらないものだけだ。

 だから、実質今この場で使用可能な札は2つの魔術きり。

 先ほどから繰り返し足止めに使っている光の杭と、つい今さっきもルクレを魔族の爪牙から守ってくれた自動障壁と。この2つだけ。

 いくら汎用性の高いものだといっても、相手が相手だ。あまりにもちゃちが過ぎる。

 偽装の要であり唯一の頼みの綱となったこの指輪のように、あらかじめ陣を刻んだ装飾具がなければ、ルクレは魔導が使えない。

 逆に言えば、だからこそ汎用性の高いこの2種類だけはたとえ学院にいるときであっても、いつでも使えるように用意してあった。

 しかもどちらの魔術も自分の手で文字通り魔改造している。陣の一部に魔法の式を使ったり妖精語を織り交ぜたりしてあるのだ。そのおかげで杭の威力は魔族を貫けるだけのものになり、ただの防御障壁が自動展開するものに変わった。学院の教師たちが見れば邪道だと顔をしかめそうだが、あいにく己は手段なんて選んでいられない身だ。

 よろめきながら曲がり角に駆け込む。実験棟に通じる廊下にはありがたいことに人の気配はない。来た道も行く先もただただ静かで、自分の呼吸の音と張り裂けそうな心拍だけがうるさかった。獣の唸る声も足音もまだ聞こえてこない。少しだけ走りを緩める。あまり距離を開けすぎるわけにもいかない。他の獲物に目移りされる可能性がある。

 なんてセンスのない、と吐き捨てられたことがあった。誰に言われたのかも、いつの記憶だったかも定かではないけれど。

 

 ──でも、しかたないじゃないか。

 

 速度を落としたおかげで余裕が生じた頭でそうつぶやく。センスだなんだとかかずっていられるか。

 だってルクレの腕では、教本通りの正攻法を使ったところでたいした威力なんて出せやしない。魔族に対抗するなんてそれこそ夢のまた夢だ。

 

 ルクレには魔術師としても魔法士としても、およそ魔導を扱うものとして重大な欠陥がある。

 

 

 ──己には、魔力がない。

 

 正確には、それを生み出すための器官が。

 

 さらしをきつく巻き付けた胸もとをそっと抑えた。その下で、心臓がばくばくと音を立てて脈打っている。

 ルクレのそこには空洞がある。人であれば、いきものであれば確かにあるはずのものがそこに収まっていない。

 からっぽのそこを、昔どれだけでも憎んだ。

 昔の話だ。

 

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