中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る   作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首

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「龍拍」という臓器がいきものにはある。

 心臓に寄り添うように存在し、体の中で最も重要な臓器とまで言われる器官。

 それは、いわば魔力を生み出すための炉だった。

 

 龍拍の大きさやそれが生み出す魔力の量は人によってまちまちなのだという。たいていは成人した男性の握り拳くらいの大きさだというが、歴史上に名前が残っているような偉大な魔導師の龍拍が幼子の拳ほどの大きさだった、という話は有名だ。

 ただ、そこから生み出された魔力は、基本的にまず生命の維持に使われる。

 そうして、魔術や魔法の行使に使用されるのはその余剰分だけだ。

 つまり、どれだけ魔導の才に乏しい者であっても、最低限の魔力は体を巡って彼らを生かしていて。どんな龍拍であっても、その体の持ち主を生かすだけの魔力は生み出すのだ。

 だからそもそも龍拍のない、──魔力を持たない生命は存在しえない。

 それは死んでいるのとほとんど同義だからだ。

 

 魔力は万物に宿る。

 人に、木々に、獣に、石に。

 

 大気にさえ、それは宿るのに。

 

 なのに、ルクレにはそれがなかった。

 龍拍も、魔力も。なにひとつ。

 

 ごく稀に、そういう持たざる者が生まれることもないわけではないらしい。

 ただ、ルクレは実際に自分と同じ症状のいきものを見たことはない。

 魔力を持たないものは無事に生まれることができたとしても、すぐに死ぬ。

 ルクレがこの年まで生きているのは、ただ単にリトグラト家にそういう子どもを生かしておくだけのノウハウがあった、というそれだけのことだ。

 そうでなければ、ルクレもまた、生まれることなく死んでいた。他ならない父祖の手で、生まれる前にその命の芽を摘み取られていただろう。

 だって、あのひとはわかっていたのだ。

 ルクレに龍拍がないことを。こどもがまだ、かれの母の胎にいる頃から。

 その欠損がわかっていてなお生まれてくることが許されたのは、たとえお飾りであっても、直系の嫡子というものの代替品を用意するのがめんどうだった、というだけのことだった。

 自分がそんな理由で生かされた、特別な価値などないちっぽけな命だとルクレはとうに知っている。

 けれど、だからこそ自分くらいはそれにしがみついていたかった。

 ぽとり、と顎を汗がしたたって落ちた。そうやって滴るくらい汗をかくことは貴族としてみっともない姿だ。本邸を牛耳る家令はそう言ってルクレたちを躾けた。脳裏をよぎる絶対零度のその視線を思い切り蹴飛ばす。くそったれ。滝のように汗をかいているくらいで僕のうつくしさは損なわれたりしないのだ。

 汗で濡れた首筋を、夜の気配をまとったひんやりとした風がくすぐっていく。

 それを心地よく思うより先に、まずいな、とどこか冷え始めた頭がそう言った。

 夜は魔族の時間だ。

 夜目のきかなくなる人には不利、というだけでなく、まるで世界を覆う闇からちからを得ているとでもいうように、日が沈むと魔族のちからが強くなるからだ。

 

 ──せめて、実験棟まで。

 

 ルクレの向かう先、この先にある実験棟は、その名の通り魔導にまつわる実験を行うための教室棟だ。

 実験で多少の被害が出ても問題ないように頑丈で人口密度が低く。

 そうしてなによりも。

 中等部の生徒や、自衛手段に乏しいものがまず近づいたりしない場所だった。

 そもそもあの場所は、高等部以上の、教員から許可が出た生徒以外に入室許可がおりない。ちなみに優秀かどうか、というよりはどちらかというと危険性の有無で許可がおりることが多い。ルクレは優秀さで許可をもぎとっているが。

 ともかく、あそこならば魔族を誘い込んでも他の場所ほど被害は出ないし、お目付け役に教員だって常駐していたはずだ。

 学生の頃からあんなところに入り浸っている生徒とその監視役の教員なら、魔族の1体程度であればなんとかできる。

 できる、はずだ。やや希望的観測が入っているし、他人に頼ることはあまり気乗りしない。

 が、そういうプライドを通していられるような事態ではないことは自分だってわかっている。

 ふらつきそうな足を叱咤しながら、ルクレは懸命に走った。

 背後からは大きな獣のような四つ足の何かが奔る音とそれの荒い息遣いが徐々に、けれど確実に、迫ってきている。

 ぐう、と唇を噛み締めた。

 そんなことをしなくってもとうに口の中は鉄さびの味でいっぱいだ。喉に傷でもついたのか、それとも知らない間に口のどこかを切ったのか。どちらだってかまっていられない。

 

 杭を打ち付けて足止めし、それでもこの身に届きかねない爪牙は防護壁でしのいで、また杭を打って逃げる。

 

 そうやってなんとか、本当になんとかここまで走ってきた。

 が、体力的な面はもちろん、他の意味でもそろそろ限界が近かった。

 なにせ、一発足止めするたびに、拘束できている時間は確実に短くなってきている。

 悔しいことに、与えた痛みも拘束もさほど気に留めていないのだ。

 その証拠にそれの足は、まるで床まで縫い留めた杭を無理やり振り払ったように大きく裂けている。傷口から零れた闇が廊下にてんてんと奇妙な足あとを残していた。

 もしあの杭に光の属性が付与されていなければ、足止めとしてろくに機能していなかっただろう。

 それも当たり前のことかもしれない。

 なにせ今のあれは、おそらく傷や痛みを気にかけるだけの理性がないのだ。

 

 魔族には死という概念自体が存在していない。

 けれど、一方で魔力や肉体の限界は存在するし、魔力が尽きれば再生速度は格段に遅くなる。

 生命の維持に魔力を必要とするのは魔族だって同じこと。

 

 つまり、いくら死なないとは言っても一定以上のダメージが短期間で加わればその体は急速な再生を一度やめる。

 そうして休眠に入るのだ。肉体の損傷と魔力の欠乏とが回復するまでの間、ただ眠り、満たされればまた蘇る。まったく理解したくない生態だった。

 けれどそうやって蘇ることは、メリットばかりのことではない。

 休眠から目覚めてしばらくの間は、一時的にとはいえあらゆる能力が下がるらしいのだ。時間がたてばまた元通りになってしまうものの、蘇りたてを叩き続けることができればまるっきり元の状態に戻ることはできなくなる。

 だから、各地で魔族や魔物と相対する人々は魔族と相対するとき、長期戦を行う傾向にあった。拘束した対象を休眠状態まで追い込み、蘇生した瞬間にまた最大火力を叩きこむ。そうやって相手を弱体化させるのだ。

 殺せないのなら、死んでいるような状態にまで追い込めばいい、と言うわけだった。

 けれど、その策にだってデメリットがある。

 ちらりと後ろを振り返ると、ルクレは自分に追いすがる魔族の様子を冷静に観察する。

 杭に引き裂かれた手足では、やはり満足に動くことは難しいらしい。いつもそうしているように獲物を追おうとしては、ぼろぼろの四肢のせいで自重を支えきれずつんのめったり、壁に体をぶつけたりとよろついている。

 

 たぶん、これはある程度削られた個体だ。

 ルクレを今に至るまで殺せていないのがその何よりの証左だった。

 魔族にしては明らかに知能も身体能力も低く、その上、これまで一度も魔導を行使するそぶりさえ見せていない。

 息を吸うように魔導を扱ってこその魔族だというのに! 

 だからこれはおそらく知能はほとんど下がりきっていて、だからこそ憎悪がその身の内に滾っている個体だった。理性も知性も溶け切って、たぶんその内側にあるものは憎しみだけ。

 痛みも拘束もなにもかも大した足止めにならないわけだ。

 

 泣き出したくなるような気持ちで、ルクレは空を見上げた。

 目の端に見えた窓の外では、とうとう深い藍色が世界を飲み込み始めている。

 日が、落ちる。世界を焼く橙の陽光がかげっていく。もう時間がなかった。

 

 ──なんでこんな肝心なときにおまえはいないんだよ! 

 

 忍び寄る絶望から目をそらしたくて、憎たらしい自称正義の味方のことをルクレは頭の中でやたらに殴りつけた。

 想像だけだ。今の己の身体ではあんな筋肉達磨を殴ったところでそれほどダメージが通らないばかりか、はじき返される可能性だってある。

 シャニのくせに生意気だ。気に食わない、ああ本当に気に食わない! 

 ルクレは一瞬そうやって意識を他の、馬鹿みたいなことにそらした。このまま目の前の現実と向き合っていたら、なんだかうずくまって泣きわめいてしまいそうな、そんな気がしたのだ。

 正義の味方だのなんだのという癖に、あの男はことルクレのことに関してはいつだって遅かった。

 いつだって遅くて、あと一歩どころか十歩くらい足りていなくて、手なんか伸びてさえこなかった。他の誰かのときにはいつだって間に合わせてみせるくせに。

 喉元までこみ上げてきた感情を糧に必死に足を動かしながら、ルクレは逃げようのない現実へと目を戻す。

 彼我の距離は先ほどよりやや縮みつつある。

 相手の損傷は小さくないけれど、あれくらいのダメージで休眠に入ってくれるほど魔族は軟ではない。

 一方で、自分の魔力にはほとんど余剰がなかった。杭にしろ盾にしろ、あと2,3度使えれば御の字といったところだろう。

 果たして持つだろうか。

 ルクレはぎゅっときつくきつく拳を握りしめた。馬鹿みたいに小さな手だった。馬鹿みたいにひ弱な女の体で、けれど弱音を吐いてはいられない。

 足が止まれば、思考が止まればそれだけ死が近づく。

 持つだろうか、ではなく持たせるのだ。

 

 覚悟を決めたルクレの視界が、ぱっと開けた。

 十字路だ。

 見慣れた、幾度となく通った道。

 ここを直進すれば図書館に辿り着き、右の道は実験棟につながっている。

 そう、実験棟だ。

 ようやくここまで来た、と胸をなでおろし。

 

 ──左の道から、こつこつという足音が聞こえたような気がしてルクレは目を見開いた。

 

 ──誰か、来る。

 

 左はどこに通じている道だっただろう。

 教員であってくれ、と心底から祈った。

 そうでないなら、せめて高等部の生徒であればいい。

 それこそ、正義の味方だっていうんなら、そこの曲がり角から飛び出してくれたっていいんだ。

 柄にもなく、プライドをかなぐり捨ててそう祈ったのに。

 

 ルクレは、ひゅ、と甲高い笛のような音をたてて息を呑んだ。

 なのに、己の祈りなんていうものはいつだって裏切られるのだ。

 

 小さな革靴が、曲がり角からのぞいた。

 

 まるで中等部の生徒の履くそれのような、まだ真新しいぴかぴかの靴が。

 

 背後で、魔族がにやりと嗤った。

 

 





例のあれに罹患して以来体力が全く戻らんのでちょっと更新を日曜夜に後ろ倒していきます
更新は毎週します、対戦よろしくお願いします
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