中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る   作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首

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そうだ。

そうだった。あの腕だ。

それは、まさに死そのものだった。

あれこそが、一切の抵抗は無駄なのだと、これまでの自分に教え込んできたものだった。

 

ぬるく重たい真っ暗な闇の中を揺蕩いながら、ルクレは記憶をたぐっていた。あの真っ白な腕の姿を求めて。

 

 

一番最初にその腕が現れたのがいつだったか、はもう思い出せない。

どうしてだったのか、もだ。

けれどたぶんそのときの自分は、定められた運命から逃げ出そうとしていたのだと思う。

そうでなければあれが現れるわけがない。

あれはルクレに、この身に定められているらしいたったひとつの運命を果たさせるために現れる。

 

 

たとえば繰り返す人生から逃れようと衝動的に窓から飛び降りたとき。これで終わってくれという祈りを裏切るように、あの腕は落ちていくルクレのくるぶしをつかんで部屋の中へと引きずり戻した。

遠慮も容赦も何もない手つきのせいで頭を壁に強かに打ち付けてしばらくのたうち回る羽目になったが、毒をあおったときよりはマシだったと思う。

少し時間はかかるものの、痛みを感じずに死んでいくというちょうどいい毒を本邸から拝借して、その杯を飲み干したまさにその瞬間。鎖を掻き分けて現れた腕が口へと突きこまれて。

そこまではまぁ予想ができたのだが。

あれは、何を思ったのか。それとも何も思わなかったのか。

突き込んだ拳でルクレを、その体の内側からともしびの焔で焼いたのだ。

火が灯された瞬間に己の命が尽きなかったことが今でも信じられない。あんな暴挙でとっておきの毒を解毒されたこともだ。さすが浄化の焔というかなんというか。

だってルクレは、臓腑が焔に巻かれ焼かれていく感触を生きたまま味あわされたのに。

なのにあれは、今のおまえの身体はまだ魔に落ち切ってはいないから、とでもいうように命を奪ってはいかなかった。

鮮やかで耐えがたい痛みだけを瞬く間に残して。

 

 

そもそも、ともしびの魔力を持つものは、同じ時代を生きないものだ。

あの焔は継がれていくものであって、並んで燃えるものでは無い。

だから、シャニがそれを持つ以上、その焔を宿すものはこの時代には他にいない。

いない、はずなのに。

 

まるで燃え尽きた灰のように真っ白なその腕は、いつだって二つとないはずの魔を祓う橙を纏って現れる。

今回のように、ルクレを救うために。

あるいは、ルクレを殺すために。

 

腕の持ち主は何も語らない。そもそも腕以外の部位を見た事自体がないということもある。鎖をかき分けて虚空から生えてくる腕が、肩より向こうの身体を見せたことは一度だってない。

話しかけても何をしても対話することはおろか、意思疎通を図ることさえできなかった。

だから、思惑なんてわからない。

けれど、それの目的は明らかだった。

 

 

――死なせない。

あの夏の夜が訪れるその日まで、ルクレティウス・リトグラト・リィは死ぬことを許されない。

だから、生かす。

 

――逃がさない。

あの夏の夜を越えてからの日を、ルクレティウス・リトグラト・リィは生きることが許されない。

だから、殺す。

 

 

それがおまえに定められた運命なのだと、それは死神のように、ルクレの生殺与奪の権を文字通り掌に握っていて。

 

 

 

だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そよそよとどこかから吹いてきた風が頬をくすぐった。

さわやかな薄荷の香りを運んできたその風は、身体に纏わりついたぬるい闇を払うように吹き抜けていく。

気持ちがいいな、と素直に思った。

そうしてルクレはその風に誘われるようにどこか清々しい気持ちでゆっくりと目を開き。

 

「――お。目、覚めたのか」

 

見たくない現実から目をそらそすために、開きかけた瞼をまたきつくきつく閉ざした。

再び訪れた闇はいつも通りにやさしく凪いでいる。

居心地のいい薄闇の中で、ほう、と一息つこうとして。

 

「こら、レティ。起きたんだろ?」

 

ぺしり。と額をはたかれた。反射で思わず目を見開く。

寝起きの視界に映る、知らない天井に見知った顔。橙色の瞳がこちらを覗き込んでいる。シャニだ。どこか夢心地でその瞳と目を合わせる。

たぶん本人としてはそんなに力を込めたつもりはないのだろうが、この筋肉ダルマは力の加減が絶望的にへたくそだ。はたかれたところがじんじんと痺れるように痛い。

その痛みで意識が少しずつはっきりと輪郭を取り戻す。

目が覚めたばかりでしかも疲れ切っていて、声を出すことさえ億劫だった。文句で詰る代わりにぎろりと睨みつける。

 

「悪い悪い、痛かったか?でもおまえが目を覚ましたら薬を飲ませてくれって言われてるんだ。起きてくれ、頼む。な?」

 

ほら。

差し出された白いマグカップにはなみなみと深緑の薬湯が注がれている。その緑の馬鹿みたいな濃さだけでなんとなく味の想像がついて、ルクレは顔をしかめた。

本邸でよく出されていたものに似ている。嫌なことを思いだしそうだ。あの場所にいい思い出なんてほとんどないだけともいうが。

ともかく薬だというなら飲まなければならない。

眠っている間に魔力を補給してもらえたのか、魔力枯れ特有の頭痛や倦怠感は消えていたが油断は禁物だった。ルクレの身体は欠陥品なのだから。

とりあえず身体を起こそうとすると、そっと背中に掌が添えられて助け起こされる。

その手に身を任せて起き上がり、あたりをぐるりと見回した。

薬草のにおいが鼻先をくすぐる。白を基調とした部屋の中には、清潔そうなシーツのかけられたベッドがいくつか並んでいた。

保健室に併設されているとうわさの病室だろう。利用したことはなかったが、流行り病に備えてこの手の部屋がいくつか用意してあると聞いたことがある。

 

「ほら、飲めそうか?」

「飲まないといけないんだろ?よこせよ」

 

白いマグを受け取って、一瞬。そこから立ち昇るあまりにも刺激的な臭いに口に入れることをためらった。

苔のような濃い緑に嗅いだことのある臭い。効能もだいたいわかる。魔力枯れによって一時的に低下した身体機能を回復させるものだろう。

飲んでおけば身体が楽になることは間違いない。そうわかっていても、やっぱりためらってしまう。

これは、本当に、まずいのだ。

たらりと首筋を冷汗が垂れた。しかし、いつまでもためらってもいられなかった。なにせシャニが見ているのだ。この自分が、まさか苦い薬が飲みたくないなんてそんな無様をさらすわけにはいかない。

ぐっと覚悟を決めて一気にあおる。呼吸を止めてマグの中身が空になるまで耐えた。

舌の上と喉をどろりとした渋みと苦みとえぐみと酸っぱさが通り過ぎていって臓腑に落ちていく。後をひくまずさにじわりと涙が浮かんだ。

 

良薬は口に苦し、とはいえ、物には限度があって然るべきじゃないか。僕が調薬すれば少なくともこのえぐみはなんとかできるのに。酸っぱさなんて出る方がおかしい。こんなのいつかに飲んだ毒杯の方がマシな味だった気がする。

 

意識と血の気がひくような思いをしながらもなんとか飲み干して、ルクレは自分を見つめている正義馬鹿に微笑んで見せる。

こんなことなんでもないことだというように。

そんなルクレの強がりを知ってか知らずか、シャニはうんうん、とうなずいている。

まるで幼子を見るような生暖かい視線に背筋がぞっと逆立った。

 

「えらいな、さすがレティだ。あんなすごそうな薬も平気なんだなぁ。よし、これでニアも安心だな」

 

当然だろ、とそう返そうとしてルクレは、言葉尻に現れた義妹の名前にぐっと眉間に皺を寄せた。

なるほど、あの薬を用意したのは愚妹だったのか。破滅的な味にも納得がいった。あれは舌まで馬鹿なのか、味には頓着しない性質なのだ。

 

「さっきまでニアもいたんだ、さすがにもうだいぶ遅い時間だったから帰したんだけどな」

「……それが、なに」

 

絞り出した声はかすれて我ながらひどく聞き苦しい。これは絶対にあんなに苦くてまずい薬湯を飲まされたせいだった。

義妹が、少なくとも他人の心配が出来て薬湯をつくれる程度には、無事だったらしいこと自体は喜ぶべきことだ。これで本邸からの折檻を恐れずに済むのだから。

でも、それだけだ。それ以上の感情はない。ないったらないのだ。

所在なく見あげた窓の外は真っ暗で、浮かぶ三日月が投げかける白い光と星の瞬きだけが密やかに輝いている。

いったいどれくらい気を失っていたのだろう。

 

「そ、んなこと、より僕の治療は誰が……」

「ああ。おまえを運んだのは俺だし、怪我の確認も俺の方でさせてもらった。先生方も結界のことでてんやわんやだったからな。その後もいちおうずっと着いて見てたから、大丈夫だ。感づかれてないと思う」

「そう……」

 

返ってきたその言葉にほっと息をつく。ともすれば忘れてしまいがちだが、女の身体になったことを教員に知られるわけには行かないのだ。告げられた話の中になんだか聞き捨てならない言葉があったような気がしたが、その違和感は続いたもっと大きな衝撃で塗り替えられる。

 

「……瓦礫の中におまえを見つけたときはぞっとしたよ。倒れたままでちっとも動かなかったんだ。ああ、クソ。怪我がなくて、本っ当によかった……」

 

は?と首を傾げかけてぎりぎりのところでやめた。

怪我がない?

シャニの言葉にルクレは今さら身体が自由に動かせることに気がついた。骨の一本や二本は折れていないとおかしいはずなのに、あれだけ痛い思いをしたのが嘘みたいだった。どこも痛くない。

十中八九あの腕の仕業だろう。

思えば以前にもそんなことがあったような気がする。

つまり死にかけていたから、万が一にでもこんなところで死なない様に保険をかけていったのだろう。

余計なお世話だ。くそったれ。

口の中で小さく呟く。

死ねなかったことはこの際、置いておこう。別に生きていることが嬉しくないわけではない。

 

嬉しくないわけではないのだ。

 

 

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