中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る 作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首
──胸を、心臓を、燃える刃が貫いた。
そう知覚した瞬間まず感じたのは痛みではなく、熱だった。
業火に身の内から焙られて、何もかもがどろどろに溶けて、そうやって死んでいくのだと思った。
──熱い。
身体の内側から燃えていく異様な感覚に背筋はぴんと反り返り、指は助けを求めて宙を掻いた。
──あつい。
けれどここには助けどころか、すがるものさえ何もない。
ここは終わりだ。
四肢の先、臓腑の隅まで焔が焙って、一斉合切すべてが燃やされる。帰り道のない灰への旅程の、その終わり。
──いやだ。
助けを求めようとしても、焼け付いた喉では空気だってろくに揺らせない。そうしているうちにやっと、熱の後を追いかけるように痛みが体を駆け抜ける。引き裂くような激痛に、あげたかったはずの悲鳴は口の中で消えていった。はくはく、と陸に打ち上げられた魚のように唇だけがみっともなく開いては閉じて。
嫌だ。
ぽろり、と涙がひとつ。
見開かれた眼球の表面を滑って零れて落ちていった。
ただ熱かった。痛かった。苦しかった。
──たすけて。
自分を助けてくれるような誰か、なんてそんなものはいないとわかっていても、思わずそう口走りそうになる。
ああ、いっそもう一思いに死んでしまえたら、どれだけ救われることだろう。
でも。
誰にも望まれないのだとしても。
誰にも顧みられないのだとしても。
誰も助けてくれないのだと、しても。
それでも、やっぱり。
──しにたくない。
その叫びもまた、何処にも届かない。
あまりの痛みに閉じることさえできなくなった目を朝日が容赦なく突き刺していく。
「あ……」
すぐそこに、朝が来ていた。
超えられないはずの夜の、その向こう側にあるものがそこにはあった。
朝だ。
と、焦げ付いていく脳でぼんやりとそう思う。
白い陽光の痛いくらいのまぶしさに目を焼かれて、けれどそれでも、かれは瞼を閉じることができなかった。
目を閉じるのが怖かった。
そうすることで死に近づくことも、もちろん怖い。
でも、暗闇の只中に引き戻されることの方がずっと、ずっと怖かった。
だって、その深い闇の中で自分は誰にも見つけてもらえない。
誰にも見向きもされないまま、価値のないもののままひとりきりで死ぬのだ。
そんなの嫌だ。
声にならない叫びがまた、喉の奥に消えていく。
──死にたくなかった。
何物にもなれないまま、誰にも見つけてもらえないまま塵屑のように消えていくのはごめんだった。
だから、あんなにも足掻いたのだ。
垂れたまなじりをぬるい涙が次々に零れ落ちては濡らしていく。
──身を焼く焔に焙られて蒸散してしまうはずの涙が、白い枕や敷布にぽたぽたと染み込んでいく。
そこで、かれはやっと気が付いた。
焔なんて、どこにもなかった。
かれの上に、どころかその整然と片づけられた部屋のどこにも。
火の気どころか煙の一筋さえ。
そうして火傷の跡どころか大きな傷のひとつもない、けれど少し胼胝の目立つ細い指が、ようやく虚空でなく柔らかく清潔なシーツにすがった。
振り乱していた藍色の髪は汗でぴとりと額に張り付いている。
音にならない叫びを振り絞っていた喉の痛みに、かれはこほこほと何度か咽こんだ。
焔に燃やされたはずの体はここにあって。あの剣に貫かれたはずの心臓は、ばくばくとまだうるさく拍動している。
焔がもたらしていた痛みと熱は、かれが正気に立ち返った瞬間、まるで波が引くようにその体から去って行った。
──生きている。
生きていた。
また、生きなおしてしまった。
「ぅ、ふぅう゛~~~~~~~っ」
ぼたぼたと静かに涙を零しながら、かれは震える手で寝台を叩いた。
仰向けのままの姿勢のせいか、あるいは先ほどまでの幻痛のせいか。
ろくにちからの籠らない拳がやわらかな寝台を叩くたびに、ぽすぽすと間の抜けた音があがる。
かえって手のほうが痛むような、まさに八つ当たりのような打擲だった。
かまうものか。こんなもの、ちっとも痛くない。
だってまた、
今度こそ本当の本当に、最後のあの夜であってほしいとあんなにも願ったのに。
あんなにも、苦しい死だったのに!
「ち、ぅ゛しょ……」
叫び疲れてか、喉が締め付けられるように痛んだ。
それでも罵ることをやめられない。掠れ切って自分でもろくに聞き取れない声で、なお。
かれが最後に見た景色が脳裏にはっきりと蘇る。
短い赤金色の髪。橙の瞳。
自分より少しだけ、ほんの少しだけ伸びた背に、妬ましいくらい恵まれた体格。
そして、その右の手が振りかざす、焔を宿した一振りの剣。
それは、もう何度となくかれを殺した男の姿だった。
きっとまた今度の人生でもかれを殺すのだろう、男だった。
ずっと昔、一度目の人生ではまだ、友だと思っていた。
相容れないところがないわけではなかったけれど、あれのことを一番に理解しているのは己だという自負があった。
そうして相手もまた自分のことを友だと思っていてくれている、と、愚かにも思い込んでいた。
笑い話にもなりはしない。
恐らく、あれの中での自分はただの、そう、精々がただの学友程度でしかなかったのだ。
だって、あれは結局ちっともかれのことを理解してなんかいなかった。そうしてかれもまた、あの男のことをその毛の先ほどもわかってなんかいなかったのだ。
その証左に、いつだって、夜明けをそのまま移したようなあのまなざしは、かれでなくどこか遠くを見ていた。
……遠くの誰かを見ていて、結局いつも、最後の最後までかれのことなど欠片も映したりしないのだ。
「なんで、だよ……」
かれはもう何百回目かになる問いを誰にともなく吐き出して。
「──は?」
その蒼い瞳を大きく見開いた。
薄い唇から吐き出した声は、いつの間にか、はっきりと聞き取れるまでのものに回復していた。
間違いなく自分が紡ぎ、口に出した言葉。
けれどその声は、自分のものとは思えないほど甲高いものだった。
「な、に……?」
喉を酷使したせい、ではまずありえない。それくらいでこんな声になるわけがない。
澄んで高くて、どこか甘ったるい女の声。
「うそだ」
なついていた寝台からがばりと起き上がって、かれは震える手で己の体を撫でていく。
寝衣の下の二の腕も胸も太腿も、どこもかしこも馬鹿みたいにすべすべとしてやわらかい。
あまりの衝撃に、涙はいつの間にか止まっていた。
──嘘だ。
確かに自分は鍛えたものがなかなか身になりにくい体質だった。それでも貴族の男として見苦しくないようにと、日頃から食事や運動に心配ってはいたのだ。
ちょうどこのころの自分なんて、特に己のひ弱さが恥ずかしくて恥ずかしくて、必要以上に自分を痛めつけていた時期のはずだ。
そうやって余計な肉のほとんどない、しなやかな筋肉に覆われた体を作り上げた。
作り上げている、べきなのに、けれど今かれの体は、ふわふわとやわらかくて、吸い付くような脂肪に包まれている。
まるで、
困惑と動揺の中で、かれは恐る恐る白い寝衣のうちへ手を差し入れて。
──遮るものなく伝わってきた、むにゅり、という馴染みの薄いしっとりとしたやわらかさと凹凸にすぐにその手を引き抜く。
「は……?」
おかしい。
嘘だ。
こんなこと、あるわけがない。
かれは今まで、七百四十九回は同じ朝を繰り返してきた。
そうしてそのうち一度だって、こんな馬鹿げたことが起こったりはしなかった。
「──ぼく、が、おんな……?」
ぽろりとこぼれた問いかけもまた、誰に届くこともなく明け方の澄んだ空気に溶けて消える。
かれひとりを、清々しい冬の朝に置き去りにして。