中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る 作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首
魔族の襲撃を受けてなお生きていることは、それ自体はもうはっきり言ってしまえば、嬉しい。いくらルクレが馬鹿みたいにプライドの高いひねくれ者でもうれしくないわけじゃない。さすがに。
ただ、それを素直に喜べないのは、望んできた死という安寧がどうやらずいぶんと遠いらしいと
そうして、こうやって生き残ったその後に何が待っているか、ちゃんとわかっているからだ。
シャニを追い出してひとりきりになった医務室で、ルクレはじっとその瞬間を待っていた。
しんと静かな空気の中、ベッドの上で寝るわけでも何をするでもなく起き上がったまま、ただじっと待ち続ける。
たぶん、来るとしたら夜のうちだ。
日が昇ってしまえば、人間の時間になる。あいつらも自由に動けない。昼間は特にそうだ。
ロゥク・ルウに下った魔族はすべて、人の目があるところでは人間のようにふるまわなければならない、とそういう約定を交わしているから。
ルクレは横目で窓を見やった。
青白く光る三日月は空の天辺をやや過ぎてゆっくりと落ちていこうとしている。
気絶していたせいもあって、もう夜も半分を過ぎていた。
しばらくすれば朝が来る。
このまま、何も起こらないまま朝が来ればいいとぼんやり思った。
叶わないと知っていて、それでもなお。
「──こんばんは、坊ちゃん」
医務室を満たしていた穏やかな静寂を、楽しそうな女の声が切り裂いた。
ああ、やっぱり。
やっぱり、こいつが来た。
低く艶めいた声は足元から、いやもっと突き詰めるなら、ベッドの下から聞こえてくる。
ルクレは拳をぐっと握ってマットレスを殴りつけた。ぽす、と間の抜けた音がする。
またやった、と内心で舌を打った。偽装魔術のおかげで女の体になったのを隠すことがなまじうまくいっているばかりに、近頃自分でもたまに忘れがちになってきた。
足元をすくわれる前になんとかしなければ。
対応策を頭の片隅で練りつつ、何食わぬ顔でベッドの下に声をかける。
「遅かったな、ルチウス。わざわざおまえの尻拭いをしてやった僕に、おまえ、何か言わなきゃことがあるんじゃないか」
手厳しいね。
それはいつも通りへらへらと笑いながら、ベッドの下の暗がりからするりと月明かりの中に抜け出てくる。
「でも坊ちゃんのおっしゃる通り! 耳に痛いな、ごめんね?」
たいして大きくもない一人用の寝台の下に収まっていたとは到底想像できないような、背の高いいきものだ。
誠意の薄い謝罪の言葉を口にして、それはかわいらしく首を傾けて見せる。深い紫紺の色をした髪がさらりと流れた。
その仕草をかわいい、とは欠片も思わない。成人男性の平均よりも高い巨躯には、整ってはいるものの眠たそうな顔がついている。その容貌は垂れ気味の目といい少し厚めの唇と言い女性的ではあるのだが、鍛えられた体躯がどうにも印象を上書きしてしまうのだ。おそらくフィジカルだけで言えば生き残った魔族の中でも屈指の実力者というだけのことはある。
そんな彼女の黄色の虹彩が月光の下でサイケデリックに煌めいた。
それは祖父の狗。義妹の護衛にして監視者。魔族の生き残り、そして魔族の外れ者。
──至誠のルチウス。
「留守にして悪かったね、こんなことになるなんて思わなかったんだ……。だけど、これでも急いで帰ってきたんだよ? それこそ結界がおかしかったから、わざわざ本邸に行かなきゃならなかったんだ。ほらぁ、ミュアナは転送魔術がへたくそだから迎えがいるだろ?」
「おまえらの事情なんて知らないね。で、結界は復旧したわけ?」
「ああ、それはね」
「──ハ、お前がすやすや寝ている間にすべて済んださ」
無防備だったルクレの背中に低い嘲笑が突き刺さる。かすれてざらついた声に思わずばっと振り返った。
そこには、こんなところにいるはずのない者たちが立っている。
窓の傍、影が落ちて深まった闇の中に、燕尾服とメイド服とをそれぞれ纏ったふたりの魔族が並んで佇んでいた。
女だ、と、それの姿を見てすぐに言い当てられるものはなかなかいないかもしれない。贅肉の薄い肢体、ルクレよりも上背のある体躯にきっちりと黒い執事服をまとうその姿は、どちらかというとやや女性的ではあっても男のように見える。
薄桃色の虹彩を人ならざる者の証にぎらぎらと輝かせながら、彼女は愉快そうに笑った。
「……ノスティーク」
祖父の狗。リトグラトの仕置き人。あるいは、死にぞこないの魔族たちを率いる魔王狂信者。
──双対《そうつい》のノスティーク。
「私の名前をお前なぞが気軽に呼ぶなよ。……はん、存在がやけに揺らいでいたから何かと思って復旧のついでに寄ってみれば。それで、今度はどんな大それた術式に手を出した?」
「……何も。何もしてない」
さっと血の気が引くのがわかった。
これは、おそらくバレている。ルクレが女の姿になったことが。
こちらを冷え切った目でねめつけるノスティークの横で、メイド服姿の魔族、イウミュアナがくすくすと笑っていた。
ルクレの反応がおもしろかったのか、あるいは伴侶であるノスティークといられて機嫌がいいのか。おそらく後者だ。
魔導具の整備を行うイウミュアナはたいてい本邸にこもっていて、国中を飛び回る多忙な伴侶の傍にいることが難しい。転送魔術の才がないイウミュアナにとって自由な逢瀬は夢のまた夢、という本人としては切実な事情もあった。
「その成りでよく言う。なんだ? また禁書でも持ち出したのか、やめておけと言っただろう。お前には才がないのだから」
「僕は! 何も! していない! ……はっ、それだけのためにここまで来たの? おじいさまの狗がずいぶんと暇そうじゃないか」
これ以上深く追及されるわけにはいかない。原因究明のために、なんて理由で本邸に呼び戻されたが最後、死ねないまま研究材料の仲間入りをする羽目になる。
早く帰れという思いを隠さずにそうなじる。
ルクレの性別が変わっていたとしても大局に影響なんて出るわけもない。それに、ルチウスはともかくとしてノスティークにはこんなことに関わっている暇はないはずだ。
魔族の癖に馬鹿みたいに勤勉な彼女は、表に出てきたがらない父祖に代わり、家令としてリトグラトにおける雑事の一切を取り仕切っている。対外的なことはもちろん、内々に済ませたいような不祥事への対応も、だ。
幼いルクレが好奇心のまま、自分の手に負えない事態を引き起こしたときに文字通り飛んでくるのもまた、このノスティークという魔族だった。
今はあのとき以上にあらゆる雑事を抱え込んでいるはずだ。なにせ今のリトグラト公爵家には今までのような都合のいい当主が存在しないのだから。
「はァん? お前たちがおとなしくしていてくれれば、私ものんびり妻と愛し合えるというものなのだが?」
「──はいはい、そこまでそこまで」
ルクレの煽りにノスティークが乗ってきたところで、喧嘩はよくない、とそれまでにこにこ見守っていたルチウスがすっと割って入ってくる。
義妹の護衛は、護衛に任じられるだけあって人のまねごとがうまい。揉め事は止めなければならない、とそう覚えているのだ。
まねごとだ。こいつの気まぐれと思いつきで、ルクレは過去4回ほど死にかけている。あのときも確か、こいつは悪びれもせずに首を傾げてかわいらしく謝ってみせたのだ。
同族の静止に、それでもノスティークは止まらない。
かつり、とよく磨き抜かれた革靴が床を叩く。
その音だけで体が竦んだ。怯えを悟られたくなくて、ルクレはキッと執事服の女を睨みつける。
そんなささやかな抵抗をものともせず、ノスティークはルクレの眼前に立つと見下ろすように睥睨した。
「いいか。ルクレティウス・リトグラト・リィ。およそ何の役にも立たない観賞用の硝子人形。──お前に望む役割など何もない。お前は何も望まれない。お前が男であれ女であれ、何一つ変わることはない。それが我々と父祖たるロゥク・ルゥの意向だ」
わかっているだろう? とささやく女の声は氷点下の冷気を纏ってルクレの心を蝕もうとする。
嫌いだ。改めてしみじみとそう思う。わかりきっていることをなおも突き付けて傷をえぐろうとする、その人間じみた悪意が嫌いだ。
この魔族の”教育”がなければルクレにだってもっと、もっと何か違う道があったのではないかと思ってしまう。
そうやって責任を転嫁しようとする己の浅ましさまで突き付けられるようだから、だからルクレはノスティークが嫌いだ。
「……禁書を持ち出したのでなければ、私の仕事はもうないな。いらん手間ばかりかけさせおって」
女は呆れたように深く深く息をついた。
ふう、と空気が吐き出されると共に、その足元に黒より黒い、光を飲み込むような深い闇が零れ落ちてわだかまっていく。
意志を持つ生き物のようにひらめいた影がルクレの頬を掠めた。すっ、と何かに斬られた感覚が一瞬、体を通り過ぎて消える。
……なんだ?
なんらかの魔術行使がされた、ということだけはわかる。けれどそれが何かわからない。体をすり抜けていった感覚を追おうとしても、その名残さえ捕まえられそうになかった。
「あ、待ってよぉ! ボクも一緒、ね? ね?」
ルクレの困惑をよそに、メイド服の裾をひらひらと揺らしたイウミュアナが続くように暗がりへと飛び込んでいく。
「──ではお嬢様、よい夢を」
「ばいばぁ~い」
完璧で優雅な一礼ののち、ぶわりと巻き起こった闇に飲まれるようにして彼女たちは消えた。ルチウスも現れたときと同じようにベッドの下へと滑り込んで、おそらく義妹のもとへと、去っていく。
医務室には、また優しい静寂が立ち戻った。
──これで少なくとも、この異常事態に本邸の連中がかかわっていないことはわかった。
いらだちと恐怖を飲み込むように、ルクレは自分にそう言い聞かせる。それがわかっただけでも十分な収穫だ。
だいたいあんな言葉に傷つくほどやわじゃない。もう慣れっこだ。父祖に、彼らに、己が何も望まれていないことなんて知っている。
なにかを期待されたことなんて、これまで生きてきた中で一度だってなかった。
そんなことは最初から知っている。気づかないふりをしていただけだ。
だから、だから今更こちらを痛めつけるために振りかざされた言葉なんかで、わざわざ思惑通りに傷ついてやるものか。
はっと鼻で笑い飛ばしてルクレはごろりとベッドに横になった。
夜明けまでまだいくらもある。少しでもいいから休まなければ。布団を顔の半ばまで引き上げてそっと瞼をおろす。
そこにはいつも変わらない、やわらかで優しい漆黒がある。
ゆっくりと押し寄せてきたまどろみの中で、ただ無性に、会いたいな、と思った。
会いたい誰かは誰なのか、は今は考えないことにした。