中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る 作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首
初めて本編を他者視点で書きましたね、これ
魔族は闇に親しむ。
太陽が苦手なわけではないし、昼日中でも行動に特段の支障はない。
だが、ただただどこまでも暗いそこにいると、力がみなぎってなんでもできるような万能感に満たされた。そんなとき、ノスティークはいつも魔王陛下に仕えたあの懐かしい日々を思い出すのだ。
怯えているのか、顔からは血の気がひいて、指先なんて震えているくせに、なんでもないことのようにこちらを睨みつけている。
闇が閉ざすノスティークの視界に最後に映ったのは、そんな愚かな子どもの蒼いまなざしだった。
ああ、本当に愚かな子どもだ。ルクレティウスという名前を与えられた役立たずの少年は、いつだって少しも賢く生きられない。ノスティークからしたら理解のできない馬鹿ないきものだった。
──まァ、なんだっていい。
釘は刺したし、あんなところに出向かされたことへの溜飲もついでに下げられた。反応を見られないことは少しばかりもったいないが、ルチウスから何かしら報告が上がってくるだろう。
周囲で吹き荒れていた魔力のざわめきが落ち着いたことを感じて、ノスティークは目を開く。闇夜にぎらりと蛍光ピンクの虹彩がまたたいた。
そこは、つい先ほどまでいた学び舎とはうってかわって木々や植物で溢れた庭園だった。少し目を上げてみれば古びて蔓草の巻き付いた屋敷も見える。
「ほら、ついたぞ。ミュア」
ノスティークは己にしがみついて目をぎゅっと瞑っている愛しい妻の頬を指でくすぐった。長い睫毛に縁取られた白金の瞳が躊躇いがちに開かれていくのをじっと見つめる。
「……わ! ほんとにすぐだぁ!」
ぱちりと目を開いてすぐ飛び出てきた驚愕と称賛に満ちたその言葉にノスティークは満足げに微笑んだ。
いつものように単純な転送魔術を使ってもよかったが、イウミュアナの驚いた顔が見られたならわざわざ面倒な手段を選んだ甲斐があったというものだ。
なんていうことはない、転移用の魔法陣を使ったのだ。
学院とこことを直通でつないでいる陣があることを知っているものはほとんどいない。使う者はなおさらだ。
こちら側はこうして庭園に設置しているのだが、学院側の陣は見つからないよう込み入った場所に隠してあった。今回は本当にわざわざその陣のある場所まで一度転移してから作動させたのだ。
まさに二度手間、と言うほかない。効率主義者であるノスティークは特に、いつもで絶対に選ばない方法だった。
けれど、今回ばかりは特別だった。
なにせ50年以上ぶりに妻と遠出の機会を得たのだ。
仕事の一環ではあるが、だとしても少しくらい目新しいことをしてイウミュアナを喜ばせたかった。ノスティークにとってかわいいかわいいたったひとりを。
転送魔法陣での移動は、転移系の魔導を苦手とする妻にはなかなかすることのない経験だったはずだ。
期待通り頬を上気させたイウミュアナの手を取って、ノスティークはそのまま屋敷へと足を進める。
ここはリトグラト公爵家の、その本邸だ。王都にある別邸とは違い、学院からも王都からもひどく離れたこの場所に来客の訪れがあることはほとんどない。国境にほど近い森の中で、しかもあの学院と同等かそれ以上の結界に守られている。
なにせ魔王を打ち倒した英雄の住む場所だ。魔族の襲撃に備えて、なんて言っておけばたいていのことは許される。
「戻った!」
庭から真っ暗な屋敷に足を踏み入れたその瞬間にノスティークは声を張り上げた。
声に載せた魔力が空気を伝って邸宅の隅々まで広がっていく。
ついで、ぱちんと指を鳴らせば防衛機構がひとつレベルを下げた。
急なトラブルのせいで、非戦闘員と怠け者程度しか残らない事態になったため念のため屋敷の防衛機構を発動させて出たが、無事何事もなく済んだらしい。
「ミュア、悪いが私はあれに報告がある。ひとりで戻れるな?」
「うん、大丈夫。またねぇ……」
「ああ、また」
桃色の髪をかき分けて、その白い額にひとつ口づけを落とした。顔を赤らめたイウミュアナは名残惜しそうに宛がわれた研究室へ消えていく。
屋敷にこもりきりのあれにとってはかなり久々の遠出だったはずだ。本音を言えば愛しい妻ともっと出歩きたかったが、魔王の再誕が近づく今、ノスティークの肩にかかる責は重い。
万が一でも億が一でも不測の事態が起こってしまえば、ここ数百年の苦労が無に帰すのだ。だから。
──すべてが無事に済んだなら。
ノスティークは謡うようにひとり囁いた。
すべてが無事に済んだなら、その時こそ壊れていく世界でミュアと遊び歩こう。人を殺し命を磨り潰し、悲鳴と鮮血とで世界を彩るのだ。
その日を夢想しながら耐えることには、もう慣れきっている。
こつこつと小気味いい靴音をたてながら、ノスティークは磨き抜かれた廊下をひとり行く。この時間、人間の使用人は休んでいてあたりに人の気配はない。
同族たちも各地でそれぞれ己の役目を果たしているはずだ。まぁ、生き延びた魔族はおろか、ロゥク・ルウに従うもの自体が決してそう多くはないのだが。
多くの魔族はそれまで通りに命を蹂躙し、人に仇なす在り方を変えなかった。変えられなかった。そうしてその結果、殺されてはその力を擦り減らし、もはや魔物と同じ程度にまで成り下がった者さえいる。ああなってしまえばもう、誇り高き魔族とは呼べない。たとえ魔王が蘇ったとしてもだ。ノスティークはあんなものに成り下がることはごめんだった。
やや速足になりながら、地下へと繋がる石段を降りていく。
屋敷の中では転移系の魔導が使えない。そのせいで学院との相互転送魔法陣も、庭に設定するほかなかった。
外敵の侵入を防ぐためには仕方のないことだったが、まったく面倒なことばかりだ。
ふう、とため息がこぼれる。こういう迂遠なやり方は本来、魔族のやり方ではない。力でもって叩き潰すことばかりが能ではないが、この面倒さには未だにどこか慣れきれずにいる。
私もまた、魔族ということか。
そんなことをしみじみと考えつつ、階段を降り切る。
本邸の地下、そうしてちょうど中心部。
吹き抜けになって月光の差し込むその場所にそれはいる。
「戻りました、ロゥク・ルウ」
身じろぎもせずにただじっと月のひかりを浴びて、男はそこに佇んでいた。満開の花に囲まれて、男もまるで植物のようだ。
ノスティークは蒼い花々で溢れた花畑には足を踏み入れないまま、その場にすっと跪いた。それはここ数百年で得た学びだ。あの男の顔をしばらく見ているとどうにも殺してやりたくなる。
それも当然だろう。そもそもあの日、魔王を打ち倒したのはこの男を含めた三人の英雄様とやらなのだ。彼らがいなければ、ノスティークは、魔族はこんな風に隠れ住むことなどせずに世界を我が物顔で踏みにじっていられた。
それでも、これと手を組まなければ魔族に未来はない、とノスティークは誰より先に傘下に下った。プライドなど、そんな役に立たないものは持ち合わせがない。この身のすべては魔王陛下に捧げている。他に何か少しでも己に自由になるものがあったとしても、それだって自分のものではない。イウミュアナのものだ。魔王が蘇るのなら、ノスティークは靴だってなんだって喜んで嘗めるだろう。
かけた声にも男の反応はない。視線のひとつもこちらへよこさないロゥク・ルウに向かって、それでもノスティークは口を開いた。
「結界ですが、龍脈の流れが変わったことでほころんでいた。と思われます。龍脈の付近に何か大きな刺激が与えられたのではないか、と。ルチウスの所見とも一致しました」
たぶんね、とへらへら笑う同族の顔が一瞬、脳裏をよぎった。
秀でた身体能力ばかりがどうしても目につくが、ルチウスはたいていのことをうまくやるオールラウンダーだ。
今回もいち早く結界の不調を察知して本邸に駆け込んでいた。運悪くその隙に魔物の襲撃があったが、彼女がその場にいたとしても騒ぎは防げなかっただろう。
そもそも不調に気づいていなければもっと大事になっていた可能性だってあった。
今回はまだ早期に結界が割られたために小規模の穴が開いたくらいで済んだが、不調が長く続いていればもっと大きな穴が開けられていたかもしれない。
そうなれば被害はあんなものでは済まなかっただろう。少なくとも片手の指では足りないだけの死人が出ていたはずだ。
しかも、襲撃に負い目があったのか、現場に到着してからの教員への説明や煩雑な後片付けもルチウスが進んで行ってくれていた。
おかげでイウミュアナは自由に動けたし、ノスティークも魔導具を調整する妻の護衛に専念できたのだ。
今回の騒動の鎮静化に最も貢献したのは彼女だと言って過言ではない。
後で何か礼をしなければならないな、と思ってノスティークはほんの少し眉をひそめた。また人じみたことを考えてしまった。人間社会に溶け込む努力をしすぎたのか、こうしてたまに人間のようなことを思うことがある。自分は魔族だというのに、笑える話だ。
「……ともかく、詳しい原因は現状不明ですが、魔導具を調整したことで結界の修繕は完了。経過観察は必要だが当面の危機は去ったと見ていいでしょう。龍脈本体も心臓も無事でした。少なくとも計画に影響はありません」
そこまで言い切って、するりと立ち上がる。
ノスティークが報告を終えても、ロゥク・ルウから特に応えはない。いつものことだ。
この男はこうして月光を浴びている間、まるで石像のように動かない。かすかに息をして、たまにゆっくりと瞬きをするだけだ。
それでも綺麗にひとつ礼をして、ノスティークは踵を返した。
報告は済んだ。あの状態でも、周囲の音がまったく聞こえていないわけではないことはわかっている。聞こえていて、だから何も言わないのだろう。
なによりノスティークにはやらなければならないことが山積しているのだ。いつになるかもわからないロゥク・ルウの反応を待って、こんなところで時間を浪費しているわけにはいかない。
茫洋とした褪翠の瞳は、ただ、遠くを見つめている。