中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る   作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首

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 そのときルクレはベッドの上に身を起こして、何をするでもなく晒しの下の胸をもてあそんでいた。

 もてあそぶ。

 それ以外に言い表し方がない。手のひらを押し当てて肉の塊をむにむにと揉む。そこに下心はなかったが、いくらかの興味はあった。昨夜の大立ち回りでの反省もある。

 これまで自分の現状から目をそらしてきたせいで、体の状態をちっとも把握できていなかった。走り出すまでは、あんなに体力が落ちているとはさすがに思っていなかったし、あそこまで足が遅くなって動きにくくなっているとも思っていなかったのだ。

 もっとも、突発的に生えてきた今日の余暇さえなければそのあたりの問題と向き合うのをちょっと先送りにするつもりだったのだが。

 でもまぁ、予想外とは言え暇ができたのだからいつまでも先送りにしてもいられない。

 包帯できつく押さえつけていてなお、その部位はふにふにとやわらかかった。

 他人についているときはただの脂肪の塊にしか思わなかったが、自分についてみるとこれは手慰みにちょうどいいかもしれない。こうやって揉んでいると思考が無に近づいていくような気がした。いつも勝手に回る脳みその動きが鈍くなり、余計なことを考えずに済む。

 ただしこの脂肪の塊を胸部にぶらさげているのは、日常生活においては邪魔だ。とも思った。かなり邪魔だ。

 揺れるとやっぱり痛いし、さらしは胸部を締め付けて苦しい。これを巻いたまま走り続けるのは新手の拷問にも等しいように思えた。

 世の女性はどうしているのだろう。ルクレよりもこの胸部の脂肪が豊かな人たちは、特に。

 

 そうやって徒らに虚無へと近づき始めた思考に歯止めをかけるように、こつこつとノックの音が響いた。

 

 ──シャニ、だろうか。それにしてはやけに早い。

 

 壁にかかった時計を見てみても、少なくとも朝食と着替えを済ませて戻ってくるような時間ではない。ような気がする。しかもあいつが扉から入ってくるかはかなり怪しい。ノックをするかどうかもだ。ということは教員か魔導医か。

 ルクレは手慰みでやや乱れた胸元をさっと整えて居住まいを正した。さもベッドの上でおとなしくしていました、という顔を取り繕う。

 と、もう一度ノックの音がしたかと思うと、返事を待つことなく扉が開かれた。扉の隙間から、見慣れた灰色の頭が覗く。

 ニアだ。

 ルクレはついさっき正したばかりの姿勢を少し崩して、背もたれ代わりの枕に寄り掛かった。義妹が相手ならかしこまる必要は無い。昨日の疲れはまだ色濃く残っているのだ。少しくらい楽がしたかった。

 

「兄さま? あの、入っても、かまいませんか?」

「扉を開けてから聞くやつがいるか。どうせ駄目だって言っても入ってくるつもりだろ……いいよ、さっさと入れば?」

「そ、そんなことありません。……では、失礼します。あ、ルッチ。あなたはそこに残ってください」

「ええ、ええ。畏まりました。こちらに控えております。御用がございましたらすぐお申し付けを」

 

 開いた扉の隙間から滑り込むようにニアが部屋に足を踏み入れた。朝と違って純白の制服に身を包んでいる。その背後にはルチウスの姿も見えたが、なぜかそれ以上入ってはこない。にこにこと微笑んで扉が閉まるのを見送っている。

 

「それで? おまえたちも朝礼に付き合うんじゃなかったのか?」

「それが……ルッチが飽きてしまって。朝礼が始まってすぐお話合いが紛糾し出しはしたんですが、さすがに最後の一線を越えたりはされなさそうだったので」

「へー、ざまぁないね。……で、なんで来たの。その包みの件?」

 

 朝礼についていきはしたものの、期待していたほど火種が燃え上がりそうにないからと退散を決め込んだらしい。

 さもありなんと言ったところだ。人間は魔族より自制心がある。特に教員なんて立場の人間がその場にそろっていて、そうそう簡単に血を見るようなことにはならない。ルチウスの望みが叶うわけないのだ。

 ただ、そうだとして自分に何の用だろう。

 何も用事がなければこの義妹が自分のところにわざわざ来るわけがない。そうして、彼女の手に何か、紙袋のような小包が握られているのをルクレは見逃していなかった。

 

「はい、さ、さすが兄さまですね……。あの、制服、は学院側の判断を待たなくっちゃいけませんけれど──さすがに下着はおんなのこのものをつけていただこう、と思って」

「──は?」

 

 ニアのたどたどしい言葉に思わずそう聞き返す。

 今、彼女は何と言った? 

 口から思わず飛び出した率直な疑念に、ニアは手に持った紙袋を開いて中身を取り出すことで答えて見せた。

 

「おんなのこ用の下着、です。今はまだつけてらっしゃいませんよね? 兄さま」

「……」

「付け方も、わかりませんよね?」

「…………」

 

 どう返せばいいかわからない。

 日頃はあれだけ動くルクレの口は、今に限ってまるで縫い留められたように開かない。舌だって強張って少しも回らない。

 ただかちこちと時計の針が進む音だけが部屋に響いた。

 その、短くけれど確かな沈黙が何より雄弁な答えになった。

 

「はい、ええ、そう。そうですよね。つけてる、とか、わかる、って言われた方がびっくりです。なので、その。

 ──付け方から、教えて差し上げますね……」

 

 そう言ってニアは微笑んだ。見る者の目を奪うような笑みだった。

 目線が伏せられがちな義妹の顔は、髪や影で隠れがちなだけで整っていて可憐だ。特に微笑んでいるときは、どこか少し怯えたような雰囲気も併せて、それはもう他者の庇護欲をそそる。ルクレを艶やかな薔薇にたとえるなら、彼女は楚々としたジプソフィラ(カスミソウ)だと言った貴族がいたがまさにその通りだろう。

 自分が守ってやらなければ。

 見る者にそう思わせる、雨に濡れた花のようなさびしさを纏った弱弱しい少女。

 それでもルクレは彼女が怖い。彼女のそういうところこそ、とても。

 

「──ぜったいに嫌だ!!!!」

 

 と、まぁここまではそういうあらましだった。

 現実逃避は以上で終わり。思考の時間軸を目の前の現実に戻してみると、相変わらずの光景が広がっている。

 ニアの手の中には真っ白な下着があって、それをルクレに差し出す少女は困ったように眉を寄せながらもこちらから視線を外そうとしない。

 冷汗がだらだらだらだらと背筋をつたっていくのがわかった。

 これはもしかしたら、魔族に襲われていたときよりも身の危険を感じているかもしれない。それくらいとにかく冷静ではなかった。自覚はある。思考回路も十全ではないが機能している。それでも平静を取り戻せない。混迷の渦に叩き落されたような気分だ。

 が、わかっていることも少なからずある。

 それは、時に人間には、命よりも大事なものが存在するということだ。

 ルクレにもそういうものがある。

 ──尊厳だ。

 ここでニアに屈することはルクレにとって尊厳の死を意味していた。

 

「でも、付け方はおわかりになりませんよね?」

「だから! ほ、方法さえ口で伝えてくれれば、自分でできると」

「本当にできますか? でも、つけた後に正しいかどうか確認しなくちゃいけませんよ? 私が嫌だということでしたら、ルチウスに頼みましょうか? 私か、ルチウスですよ。兄さま」

「ぐ……っ」

「──もしやお嫌なんですか!? 坊ちゃん?」

 

 扉の外からも追撃するように何か妄言が聞こえてきた。部屋の中の音が、それもたいして大きくもない声が、閉じた扉の向こうに聞こえていることはもうどうでもいい。相手は魔族だ。聞こえていないわけがない。

 ──嫌なんですか、だって? 

 ルクレは思い切り顔をしかめて深々と溜息までついた。

 逆に何を持って嫌じゃないと思っているのだろう。ルチウスがこれまで屋敷の使用人を何人だめにしてきたかわからない。義妹につきそって学院にいるようになってからだって、何人の生徒を手籠めにしてきたことか。

 自分の被害者を数えてからものを言え。

 そう言ってやりたい気持ちをなんとか抑え込む。ここでこいつに少しでも構えば、ちいさな火種が空高く燃え上がる炎になることは目に見えていた。

 

「……わかってると思いますが、ルチウスだった場合は、ついでにたのしいことを教え込まれることになると思いますよ」

 

 だってほら、あんなにはしゃいでるんですもの。

 閉ざされた扉に、おそらくはその向こうにいる護衛へと向けられたニアの視線は冷え切っている。

 義妹の細い指がするりと絹の下着を撫でた。

 冷汗で濡れた背筋を、言い表しようのない悪寒が駆け抜けていく。

 

「この下着だって、ルチウスが用意したんです、サイズはぴったりだと思うって」

「装飾も坊ちゃんに似合いかと思いますがっ! いかんせん目測ですので! ええ、ですので実測させて頂けますと幸甚の至りです!!」

 

 浮ついた妄言がその後もつらつらと続く。だが、聞こえなかったことにした。聞こえないったら聞こえない。ルクレはそっと耳に手を当てた。こんなことで外界の音を遮ることはできないけれど、気持ちは少しだけ楽になる。

 ああ、どうしてこんなことになっているのだろう。昨日からなんだかかんだと艱難辛苦が立て込みすぎているような気がする。

 

「なんであいつはこんなに機嫌がいいんだ……」

「機嫌がいいに決まってます。だって、──ルッチは兄さまみたいなおんなのこが好みでしょう?」

「はァ!?」

 

 声が裏返る。ニアはそれまで浮かべていた意味深な微笑みをやめてきょとんとした顔でこちらを見つめた。藍色の瞳が驚いたように丸く見開かれる。

 

「知らなかったんですか?」

「知ってるわけないだろ……?」

「し、知っているものだと思っていました。その、かわいらしいお姿もルッチの趣味なのかとばかり」

 

 違ったんですね。義妹の素直な問いにルクレは溜息で返した。口を開くだけの体力がなかったのだ。

 なりたくてこんな身体になったわけじゃない。だいたいかわいいってなんだ。趣味ってなんだ。

 ルクレが知っているのは、ルチウスという魔族が女を侍らせて遊ぶのが好きだ、ということだけだ。趣味嗜好なんてあんまりにもおぞましくて知ろうと思ったことさえない。

 

「……まぁそれはさておき。下着の付け方のことを棚に上げたとしても、です。たとえあらゆる建前を棚に上げても、それでも逃れられないのはおわかりでしょう?」

 

 ね? と同意を求める様にささやいて、それからニアはルクレにじりじりとにじり寄った。

 ベッドの上に腕と膝をついてゆっくりとこちらへ迫ってくる。

 ぎしりとベッドが二人分の体重を受けて軋んだ。

 灰色の髪がさらさらとルクレの肩口をかすめて流れる。互いの呼気が頬にあたるようなところまで顔を寄せて、義妹は動きを止めた。

 後ずさりたくなる気持ちを必死に抑えて、ルクレはニアに向き合った。奥底にどろりと諦念が溶けた藍色の瞳と見つめ合う。

 

「わかってらっしゃるでしょう? 私は、兄さまのお体に本当に異常がないのか、確かめないといけません。だって私たちはおじいさまの所有物で、どんなささいなことであっても報告の責があるんですから」

「それは、それはおまえに言われなくたってわかってる。わかってるけど……いい、だろ。べつに」

 

 ──別に、僕がどうなろうとおじいさまは気にしない。

 

 喉からこみあげてきた言葉にルクレは慌てて口を閉ざした。頬の内側の肉をきつく噛み締める。

 それは、絶対に言いたくない言葉のはずだった。骨身に沁みるほど理解はしていても、口に出すことだけはしたくなかった。そのはずだった。

 それも、父祖の関心を一身に受ける義妹相手に、こんなことを言うなんて絶対にありえない。

 その関心が歪んだものであることを、ひどくおぞましいものであることを重々承知の上で、それでもルクレは、ニアに嫉妬してきた。今も、妬心がまったくないと言えばうそになる。

 

 だって、ずっとほしかった。

 父祖の関心。期待。なんでもよかった。

 あの褪せた翠の瞳が自分の上に焦点を結ぶ日をずっとずっと夢に見てきた。それだけが望みだった。

 700何十回と人生を繰り返してきても、いまだにそんなばかみたいなことを心のどこかで夢見てしまう自分がいる。

 だから、ずっと認められなかった。

 自分がどうなろうと誰も、父祖も気にしないなんて。

 認めるわけにはいかなかったのだ。

 なのに今。一瞬とはいえ、迷った。

 そんな言葉を口に出すか、どうか。ニアから逃げ出したくて言ってはいけないことを口走ろうとした。

 

 落ち着け。落ち着くんだ、ルクレティウス。

 抵抗していても、いいことなんて何もない。そうだろう? 

 

 今でこそまだ扉の前でおとなしくしてくれているが、ルチウスが出張ってきたら本当におわりだ。

 ニアの言葉とルチウスの態度からして、ただ体の状態を確かめるだけ、下着の数値を測るだけ。なんて生易しいことには絶対にならない。

 しかも、おそらくこのままだとシャニがここに戻って来て鉢合わせすることになる。

 あいつはくる、なぜならタイミングが悪いことに定評があるからだ。

 ニアだけならば、シャニが来れば止まるかもしれない。

 何百回という繰り返しの中であの二人がいい仲になっていたこともあったし、何よりニアにはまだそのあたりの自制心がある。 思い人の前ではしたない真似なんてできっこない。

 できっこない、はずだ。

 

 でもルチウスなら。あの魔族ならきっと、誰がやってきたとしても止まらない。それどころか嬉々としてその場をかき回すだろう。すべては闘争の為に。

 そんな修羅場に、シャニがくる。

 それだけは、それだけは避けたかった。避けなければならない。なんとしてでもだ。

 あいつの前でこれ以上の無様はさらせない。

 

 ルクレはごくりと唾を飲み込んだ。覚悟はまだ決まらない。

 身体はこの場から逃げ出したがっていて、心は、尊厳はまだ死にたくないと叫んでいる。

 それでも、やらなければならなかった。最後の一線を死守するために。

 

「……っお、お手柔らかに、たのむ……」

 

 義兄の振る白旗に、絞りだされた声に、ニアはただ微笑んでみせる。

 

 それは、死刑を告げるような、ただひたすらに慈しみに満ちた笑みだった。

 

 





ルクレティウスが時折見せる胸部に付属した脂肪への執着は、おっぱいへの恋しさに由来している
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