中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る 作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首
2023年初投稿です
今年もよろしくお願いします
──ああ! いらいらする、いらいらする、いらいらする!
その廊下には、放課後だというのに珍しく生徒の影も教員の気配もない。ただ穏やかな静けさだけが漂っている。
リオとその取り巻きが教室から立ち去って、野次馬たちもゆっくりとそれぞれの日常に戻り始めた頃。ルクレもまた、その騒ぎに乗じて教室から抜け出すことに成功していた。
ただでさえ機嫌が悪いところに、王女との関係だとか、何を話していたのかだとかをあれこれ聞かれるのはごめんだった。たとえ冗談でも不仲だというわけにはいかないし、かといって仲がいいともいいたくない。
もしも何かの間違いで自分がそういう風に吹聴している、なんて湾曲してリオの耳に入ったら。と思うとぞっとする。
そういうわけで、ルクレはなるべくどの学年の動線にもならない、人気のない道へと一目散に逃げ込んでいた。
こういうとき、学年によって生活範囲がわりと明確なのは都合がいい。さらに、広い学院内ではどうしても生徒たちの使用頻度が低い場所が生まれる。そこを加味して逃走経路を考えれば人目を避けることはたやすかった。
教室での騒ぎのおかげもあって最近つき纏っていた上級生たちも振り切れたようだったが、それでもルクレの気分は晴れない。
いらいらする。
残照が差し込む廊下を歩きながらぎゅうと拳を握りこんだ。柔らかい掌の肉に爪を無理やり突き立てる。
痛いは痛い。でも、そこそこだ。血が滲むようなことはないし、目が冴えるような刺激もない。
落ちた握力では爪の跡が僅かに残るほどの痛みしか与えられなくて、なんの慰めにもならなかった。
こんなの、逆に馬鹿みたいじゃないか。
「……くそ、くそっ!」
口に出してそう試しに罵ってみても気分はあまり上向かない。
どうしてこんなにも気が晴れないのか、どうしてイラつくのか。
その根源にあるものについて今は考えないことにする。下手に考え込んで自分で自分の藪蛇をつつきたくない。独り相撲にもほどがあるからだ。
まぁいい。こんなことしていても埒はあかない。
ルクレはひとつ息を長くついて、──そこでぱっと視線を上げた。
やめだ、やめ。気分転換をするならもっと別のことでしよう。くるりと踵を返し、打って変わって人の集まる場所を目指す。
行く先はそう、食堂だ。
人の目を振り切って一人になってみてもなお気分が晴れないのなら、このままでいても何も得にならない。自室に帰ったところでたぶん何も改善されないだろう。それどころか悪化する可能性だってある。
なら、自分の機嫌を自分で取ってやればいい。
小食さが災いして大して腹は減っていないが、──普通の人間はこういうとき食事で気を紛らわせるのだといつかに聞いたことがあった。
そんなに量は食べられないとしても、まぁたまには。
そう、それこそ甘いものでも食べてみるのがいいかもしれない。
ゆっくりと廊下を進んでいけば、そろそろ夕食時だからだろう。食堂に近づいてきた証拠に、食欲をくすぐるようないい匂いがあたりいっぱいに広がっていた。
道を行き来する生徒や職員の姿も増えてきて、喧騒が耳に心地いい。
そんな生徒たちの流れの中に、見覚えのある赤銅色の頭がひとつ。
食事はもう済ませたのだろうか。扉をくぐって現れた彼は、そこから足早に立ち去ろうとしていた。
「──シャニ」
あまり大声を出して衆目を集めたくなかったので、ルクレはその見慣れた背中に駆け寄った。
いちおう名前を呼んではみたが雑踏の中に自分の声が紛れてしまうことを考慮して、そっと制服の袖をつまむ。くい、と自分の方に引き寄せることで足止めにした。
「誰だ? ……ん? レティ?」
そのどれで気づいたのか、シャニは何かを確かめるようにこちらを振り返って。
──すぐにその顔をしかめた。
袖をつまんだルクレの腕を逆につかみ返した青年は、人の流れから外れるように壁際に引きずり込む。そのまま何かを見分するように目の下を引っ張ったり首筋に手が当てられた。
食事の後だからか、その手はやけに熱い。
いや、違うか。僕が冷えているだけだ。
そこからじわりと伝わって浸み込んでくる熱の暖かさに、ルクレは初めて自分の体温が下がっていたことを自覚した。
ほう、と小さく息をついて、いつも通りされるがままになっておくことにする。でもそれは抵抗する方が面倒だからで、この温度が心地いいからじゃない。絶対に違う。
「うーん、熱はなさそうだし貧血でもなさそうだが……どこか具合が悪いのか?」
「はぁ? なんで?」
「顔色がいやに悪い、なんともないのか?」
「ふふ。僕に向かって顔がどうだなんて言うのはおまえくらいだよ」
はぐらかすようにそう返す。
でもあながち間違いでもなかった。ルクレの顔を見た人間はたいてい美しさを褒め称えるばかりでその頬が白かろうと青かろうと気にしない。人形の顔色を窺うような人間はいないからだ。
「茶化すなよ。本当にどうもないか? 吐き気は?」
「べつに、平気……それより、おまえこそしばらく顔見せなかったけど」
「ああ、ちょっとな。これからまた二、三時間くらい手合わせする予定なんだ」
「は? 今から?」
廊下から見える窓の外にはそろそろ夜の帳が降りようとしている。確かに多少暗くなっても校庭は明るく保たれはするが、さすがに今から外で二時間以上鍛錬だなんて頭がおかしいとしか言いようがない。
「うん。先輩と、あーっと、エウリア先輩ってわかるか? ほら、茶髪の」
「エウリア・サスーシャ先輩でしょ? 二年の方だよね。まぁ顔と名前くらいは知ってるけど」
「そう、その人にちょっと頼まれててな。ここ最近、組手に付き合ってるんだ」
「ふーん、でもおまえそのわりに校庭にはいないよね」
「第四演習場に行ってるからな、周りに人がいなくてけっこう集中できるぞ」
「はぁ? 第四ん? あんな辺鄙な場所まで行ってるの?」
いちおう驚いておいてやったが、予想していた人間の名前がシャニの口から出てきたかと思ったら、知っている場所の名前も続いた。
そこはやはりいつもの繰り返しの通りらしい。
第四演習場は校舎から一番遠い演習場で、正直なところ授業でも自習でもほとんど使われることがない。森の近くの寂れた場所だ。
あそこを使っている人間はここ数年シャニとエウリア以外に存在しなかったのではないだろうか。
「実は、──エウリア先輩はちょっと前に第二校庭に穴をあけたことがあってな」
「あー……それって三週間くらい前?」
「そう。それだ。で、その件があってから、校庭で練習することがどうもその……難しいらしい」
「まぁこの時期だし……貴族の連中なんかは特に嫌がるかもね」
ルクレの言葉にシャニは辛そうな顔をして視線を落とす。
そんな顔をするなと言いたかったけれど、やめた。言ったところで無駄だ。
シャニは他人が不当に傷つけられることを何より嫌う。
ばかだから、自分の傷より誰かの傷の方が痛ましげに見えるのだ。ルクレからしたら何をもって「不当」とみなしているのか不可解だが、とにかくこいつにとって今のエウリアの状況はあまり道理に合ったものではないのだろう。
まぁ、悪意を持ってやったわけではないことで疎まれるのは確かにひどいこと、かもしれない。
少なくともエウリアは故意にそういうことをやるような生徒ではないし。どちらかというとシャニと仲がいいあたり善性の人間なのだろう。
そんな彼女が校庭で練習できない、というのはおそらく貴族階級の生徒が露骨に嫌がっているからだ。一般階級の生徒が嫌がっているだけでこんなことにはならない。
教員の目があるからだ。近々でやらかしているとはいえ、さすがに生徒から自習の機会を奪うようなことを先生方は許さない。
けれど、貴族階級の生徒なら。
彼らはルクレからすると概して排他的で陰湿だ。異物とみなせばすぐに集団から追い出そうとする。それに、教員の目を盗んで何かと画策することも得意だ。
たぶん、原因は穴を開けた件だけではない。他にもある。
だってシャニはあの事故が起きなかったときでさえ彼女との鍛錬自体には付き合っていた。場所も変わらない。
第四演習場で、ふたりきり。
まったく違う要因でもってエウリアを排除しようとしている貴族の生徒が一定数いて、彼らは第二校庭に大穴を開けたという真新しい事故で自分たちの正当性を補強した。
「また穴でも開けられたら学院祭に支障が出てしまう」とでも言ったのだろう、きっと。
「貴方の行いでどれだけの生徒に負担をかけるつもりでしょう」これも言っていそうだ。言外にお前のせいだと言うことで相手の罪悪感に付けこむ、お決まりのやり口。想像に難くない。
それで可哀そうにエウリアはさびれた演習場まで行かなければならなくなった。とまぁだいたいこういう経緯だろうと推測できる。
「俺でどれだけ助けになれるかはわからないが、助力を求められたので……」
ので。じゃない、と言い返すことはルクレにはできない。
その代わりに内心でぐぬぬと呻きながら考える。
シャニはただでさえ助けてを無視できないやつだから、傍目から見ても困りきっている彼女を放っておけなかったのだろう。
ルクレはずっとシャニのその癖を放置して来た。
シャニが誰に手を貸そうが、それはこいつの勝手だ。シャニを好き勝手利用する連中は許せなくとも、それを当の本人が是としているのならルクレには何も言えなかった。
ただの級友でしかない己にはどうすることもできない。シャニの行動に口を挟む権利がない。
たまに、本当に目に余るようなときはさすがに口出ししたが、交友関係は個人の自由だ。
シャニをこき使っていいのは自分だけだと思う一方で、あんまり心の狭いことを言いたくないとも思う。
この男は後先も周囲にどう思われるかも何も考えない。ただ祈りだけがあって、どんなときでも身体が動いてしまう。その結果、自分がどうなろうと気にしない。
そういう馬鹿みたいに愚直なところも含めてシャルナノーク・エイデンだとルクレは思っているから。
だから、何も言えなかった。
けれど今回ばかりはルクレの方も譲れない。
助けて、なんて死んでも言えないが、今のルクレには盾が必要だ。
特にリオに対しての。
あの女にこれ以上実験動物を見るような目で見られるのはごめんだった。本当に嫌だった。魔獣の呪い、なんて言い訳で誤魔化していることを根掘り葉掘り聞かれるのも避けたい。
リオのようなタイプは執拗だ。
ないとは思うが、あれこれ聞かれるうちに何かしらのぼろが出ないとも言い切れない。
一番困るのは、リオに追従するように他の生徒、たとえば上級生たちにも同様の諮問を受けるようになることだ。
彼らが今ぎりぎりで踏みとどまっているのは教員の目があるからだが、もし王女が先陣を切ってしまったら、彼らだってそうしていいことになる。
なにせ学院内では王侯貴族も市民も同じ一生徒だ。建前の話であっても、そう学院側が謳ってしまっている以上、王女サマを特別扱いするわけにはいかない。
そうなってしまえばルクレの平穏な学院生活は、今でさえ破綻しかけているのに、完全に終わりだ。
だから、どうしてもシャニのことが必要だ。唯一無二の盾として。
あの女はシャニに対してだけはまともに振舞う。この男がいる場では、ルクレを詰問することはできないはずだ。
でも、どうすればいいだろう。どうすれば、エウリアの事情より自分を優先させることができるだろう。
だってルクレはただの級友でしかなく、エウリアはシャニにとって特別な少女のひとりなのに。
ぎりりと奥歯を噛み締める。乾ききった口の中には血の味が広がっていた。
──ともかく突破口を見つけなければ。
ルクレはかさついた唇を舌先で僅かに湿した。
「……ねぇ、誰か先生とかがついててくれてるの? それ」
「いや、この時期の先生方はちょっと、な」
「おまえ、魔導のことはからきしでしょ? どうしてるの?」
「そりゃお前から見たら誰だってそうだろ。……確かに俺も、それに先輩も中途編入だ。どうにもそっちには疎くて、まあほんとに手合わせというか、組手というか……」
シャニだって、現状があまりよくない状態なのはわかっているのだろう。
たったふたりに先生の手を割かせるのも、とシャニが言葉を濁す。
ばっかじゃないの。そう言いたくなる気持ちをぎりぎりのところでこらえた。
たったふたり、だからこそ教員の補助がいるのに。
話を聞く限りでも、これまでの朧ろ気な記憶を参照しても、エウリアは魔導が得意な方には思えない。シャニは言わずもがなだ。
そんなふたりが、教員の指導もなしに手合わせを繰り返したところでどれだけの収穫があるだろう。武術の鍛錬が悪いとは言わないけれど、限度はある。
けれど、自分にとってはこれ以上ない好機だった。
ルクレはわざとらしくため息をついてみせる。
「は──────あ。おまえのことだから、そんなことだろうと思った」
これだ。これしかない。
一方的に助けを求めることは、それだけはどうあったってできやしない。
それなら、シャニの弱みに付け込んで自分の都合がいいように転がせばいい。
「いいよ。魔導のことに関しては僕が見てあげる。叡智の保管庫と名高いリトグラト公爵家の真髄を味合わせてあげよう。どうせ僕は魔導大会には出ないから、勝ち負けがどうとかそういうことはないしね」
「いいのか!?」
案の定、シャニはルクレの言葉を聞くや否やぱっと表情を明るくした。
ああ。こいつは本当に単純でお人よしで、ばかなやつだ。
きっとルクレが純粋な善意でそう言ったのだと思ったのだろう。
誰かのために見返りを求めることなく行動できる人間はそうそういない。ルクレなんか対人関係に損得勘定を持ち込む例の極みみたいなものなのに。
なのに。
なのに、シャニは勘違いしてこんなにも喜ぶのだ。
本当にばかなやつ。
けれどその単純さのおかげで、リオのことをしばらく気にしないで済むのだからルクレにとっても喜ばしいことだ。
しかもこれまた都合のいいことに、第四演習場は校舎から遠い。使用している生徒が知られていないくらいには寂れている。あんな演習場まではきっと誰もわざわざ来ないだろう。
ここでシャニに恩を売っておけるのも悪くない。
そうだ、悪くない。悪くない気分だ。
ルクレは何も知らないシャニの喜ぶ様子を見ながら、うっすらと微笑んでいた。
自分でも自覚がないほどわずかに、けれど華が綻ぶように。
胸の中にも頭の中にも立ち込めていたはずのもやつきは、気づけばどこかへ消え去っていた。
ルクレくんちゃん「べ、べつにシャニといられるのが嬉しいわけじゃないんだからね!!」