中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る 作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首
interは本編外の、いわゆるおまけ要素です
読み飛ばしても問題ありません
どうして、と問いかけることも、どうして、を考えることもうずっと前にやめてしまった。
だって理由がわかったところでどうしようもないことばかりだ。
自分にも、誰にも。
じゃぽん、と水の音がした。
少女はそれをどこか他人事のように聞いている。
「──それじゃあお嬢様、一生懸命頑張ってね!」
朗々と、ひどく楽し気に語る女の瞳には化け物の証左である黄色の虹彩が煌めいている。
ルチウス、とそう名乗る魔族はその両腕に抱えた少女を愛おしそうに抱き寄せて。──そうして軽々と投げ飛ばした。
ただでさえ華奢で未発達な子どもの体は、人外の腕力でまるで羽根のようにひらりと宙へ浮き。
そのまま、あまりにもたやすく、あっけなく、眼下に広がる地底湖へと投げ込まれる。
瀟洒な青いドレスの裾がふわりと風をはらんで膨らんだ。
じゃぽん、と高く水音があがり、飛沫が跳ね、湖面に波紋が広がって。
そうして少女はゆっくりと水底へ落ちていく。
彼女は抵抗しなかった。
纏うドレスの布地が冷たい湖水を吸って重くなっても、それどころかその薄金の髪の先まで水の中に沈み込んでも、水を吸い込んでしまって呼吸が苦しくなっても。
それでもなお、少女は身じろぎひとつもしなかった。
ニアースティニア・リトグラト・レゥはただ無気力に、緩慢に遠のいていく湖面を見つめている。
全力で足掻けば、まだ今なら水面に手が届くかもしれない。
けれどニアは手を伸ばさない。
その代わりにドレスを飾る青のリボンが水面に向かって伸びて、ひらひらと揺れる。
だって、手を伸ばしたところで何にもならない。
誰かがその手を握って引き上げてくれることもなければ、自分のちからで湖面の上まで泳いで上がることもできない。
そうやって抵抗したとしても、嘲笑と共により深みへと叩き落されるだけだから。
何もかもに意味がない。そうして、それでもどうやら殺されることだけはない、とわかっているからもう抗わない。
今日もきっと死にかけのぎりぎりですくいあげられて、蘇生させられる。
自分の命でさえニアの自由にはならないのだから。
だから何もしない。
何をしても意味がないのなら、生にも死にも望みはないのなら。
それならいっそ、もう。
ニアはそっと目を伏せた。
少しずつ少しずつ、世界は暗くなっていく。
湖面はもうずいぶんと遠い。時おり口から零れるわずかな呼気が小さな泡になっては遠のいた。
その様子を少女はぼんやりと見つめる。
魔力を潤沢に含んだ湖水は重たくさえざえと冷え切っていた。体にまとわりついては骨身の芯まで凍えさせるように。
ここは暗く閉ざされている。命の気配に乏しくて、ひどく静かでさびしい場所。
まるでリトグラトの家そのものだった。
──ニア
冷えた闇を切り裂くように、誰かがニアの名前を呼んだ。
懐かしい/慕わしい/大嫌いな声。
優しくてあたたかで、──ひどい。
聞きたくなかった声を脳裏から追い出したくてニアは思わず目をぎゅっとつむった。途端に押し寄せてくる薄闇はもうすっかり慣れ親しんだ穏やかさでニアを包み込んでくれる。
なのに、たったひとつの声を呼び水にして、頭の中を思い出が駆け巡りだそうとしていた。
ニアのそれと違って色の濃い、文字通りに黄金の髪が風になびいて揺れる。
──思い出したくない。
内にふさぎこみがちだったニアをそのひとは眩しい光の中に連れ出してくれた。
──あんな日々、忘れてしまいたい。
ニアにそそがれるきらきらと輝く琥珀色の瞳はいつもあたたかくて、やさしくて。
──忘れてしまわなければ。
そうして、まるでいとおしくていとおしくてたまらないとでもいうように。
──忘れなきゃ。
その人はいつだって愛しむようにニアを呼ぶ。
──あんな、ただただ幸せだった日々のことなんて。
その記憶たちを振り切るようにニアは強く頭を振った。
これを思い出してしまったら、すがってしまったら、こんなところで生きていけない。
きつくきつく閉ざした目が熱を持ってひどく熱かった。けれどその熱さえも水の冷たさに飲み込まれていく。
瞑った瞼の隙間からこぼれた涙は湖水に溶けて名残さえも残さない。
そう、何もかもに意味はない。理由もない。
どうして、と問いかけても誰も答えてはくれなかった。
どうして、を考えても何もわからなかった。
だってニアにはわからない。
どうして自分はこんな目に遭っているんだろう。
どうして誰も助けに来てくれないんだろう。
どうして、どうしてあのひとが魔族と繋がっているんだろう。
ロゥク・ルゥ・リトグラト。
あのひとは世界を救った三英雄、魔導の叡智そのもの、エディリハリアの真なる守護者。
そのはずなのに。
どうして。
と、緩慢に落ちていくだけだった体が下から何かにぐっと突き上げられた。
呆気にとられているうちに、背中を押す奔流に持ち上げられて、ぐんぐん湖面が近づいてくる。
ぱっと世界がまばゆく開いた。
次の瞬間ニアの身体は、ぺしゃ、と地面に落とされた。
労りや優しさこそなかったが、傷つけるような意図はことさら感じない、そんな不思議な塩梅の動きだった、
「──ルチウス、おまえ、ばっっっかじゃないの?」
「…………あ、坊ちゃんだ。どうも~」
呆れたような少年の声が地下の静寂を裂く。
それはここ数ヶ月ですっかり聞きなれた声だ。
すらりと人形のように細い肢体、藍色の波打つ髪。蒼色の双眸。
秀麗な美貌に嘲りと呆れの色を浮かべた少年に、ルチウスはつまらなさそうに手を振って返す。
「おい、生きてるか?」
少年、ルクレティウスの問いかけにニアはごほりと咳で応えた。呼吸をするのもままならない。返事なんて到底無理だ。
その様子を一瞥してルクレティウスは魔族へと向き直る。
ニアの新しい家族である彼は、決して善人とは言えないかもしれないが、ニアから見ると悪人とも言い難かった。
魔族達の手前、表立って助けてくれるようなことこそないが、こうやって最悪の状況には陥らないようにしてくれる。ニアの自惚れでなければ、だが。
それは、彼が必ずしも加害者でいられるわけではないからだろう。どちらかというと、一緒にひどい目に遭わされることだって少なくない。だからか、むしろニアからすると仲間意識のようなものさえ芽生えつつあった。
「あのさぁ、人間の子どもは水の中だと息ができないんだよ。もう散々試しただろ」
「それはもちろん知ってたけど、だってほら、…………ほら、お嬢様をリトグラトの魔力に慣れさせないとでしょ? 王家のは炎が熱すぎる、坊ちゃんの身体にだってよくないよ」
「それ、今思いついた言い訳か? 僕の魔力補給はこいつに頼らなくても十分できてるんだけど。
だいたいそれならそれで、こんな非効率的な方法とることないだろ。それこそシーダでも呼べば? あれに吸い上げさせれば少しは余地もできるはずだ」
「え────」
「ハ、尽きぬ泉と乾いた海、どちらが上なのか検証するいい機会だ。なんなら僕も同席したいね」
「……アハハ! 確かに、そっちのがおもしろそうだ。じゃ、シーダ探してくるよ。坊ちゃんはお嬢様のことよろしくね」
義兄の罵倒とルチウスの笑声を聞きながらニアはこほこほと水を吐き出す。足掻かなかった分だけ変に水を飲むことはなかったが、それでもなかなか息が整わない。嘔吐くたびに胸も喉も裂けるように痛みを訴えた。
頭上で交わされる会話の意味はわからない。わかろうとも思わなかった。どうせまた死なないだけのひどい目に遭わされるだけだ。
それに、義兄が関わっているうちはさっきのように差し迫った命の危機に陥るようなことにはならない。ならない、はずだ。
ニアはただ、びっしょりと濡れそぼった体をちいさく丸めて、地面を見つめる。
そこに黄金のきらめきはない。
ただ苔むした地面だけが広がっている。
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次回は2023/03/26㈰更新予定です
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