中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る 作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首
──森の氏族は臆病者。魔王から逃げて聖地にこもった。
ロゥク・ルゥ・リトグラトたったひとりを除いては。
世界を救った三英雄を讃える声と同じように、そうささやく声もまた、依然としてこの世界に蔓延っている。
森の氏族は「魔法に愛された」とされただけあって、こと魔法においては他の追随を許さなかった。人間だけではなく、魔族でさえも。
だから、聖地、と呼ばれた彼らの領域では、魔族はもちろんすべての脅威が排除された。そこは世界でも屈指の安全地帯となっていたそうだ。
そうして彼らは深い森の中で妖精と戯れ、踊りながら歌いながら、日々を謳歌していた。
彼らは調和をこよなく愛し、平穏を乱すものを決してゆるさなかったから。
そんな森の氏族は魔王の侵攻が始まってすぐ、彼らの聖地に籠ってしまったのだという。
魔王の穢れを厭ったのだとも、自分たちだけ助かろうとしたのだとも言われているが、実際のところがどうであったのかはもう誰にもわからない。
今となっては、ただうっすらとした憎悪と蔑如だけが世界に残るばかりだ。
ロゥク・ルゥ以外の森の氏族にだって、聖地にこもらず浮世に残った者たちが少なからずいたはずだったのに。
けれどそんな彼らの生涯という火は英雄の輝きにかき消されてなかったことになった。
彼らの中にも魔王と戦ったひとがいたのかもしれない。だが、そんな記録は残っていない。なにせあの時代はあまりにもたくさんの人が死にすぎた。そのせいで記憶でさえもろくに残らなかったのだから、仕方がない。
そうして空白の時代を辛くも生き残った人々の記憶に焼き付き、確固とした記録として残ったのは。
三英雄の伝説と。森の氏族が聖地にこもったという事実だけ。
そうして浮世で暮らす森の氏族の末裔たちは、聖地から未だに出てこない同族に代わって臆病者のそしりを受けている。
もう数百年の間ずっと。
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周りの目から逃れるように歩いているうちにルクレたち一行は第四演習場にたどり着いていた。
演習場は相変わらず寂れていてほの暗く、今日も今日とて人目はない。
「どう、します? 今日は、少し遅くなってしまいましたが……」
「なぁ。先輩さえよければ、ひとまず組手でもしないか? ちょっと体を動かしたい気分なんだ」
「……ああ、わたしでよければ喜んで」
「おう、頼んだ。……悪ぃ、レティ。待っててくれるか」
「僕ならかまわないよ、思う存分やってくるといい」
まだいくらかしおれたところが垣間見えるエウリアを気遣ってか、珍しくシャニがそう提案してくれた。ルクレとしても否やはない。喜んで見送る。
いつもより少し遅い時間帯だが、今日ぐらいは何も考えずただ体を動かさせた方がよさそうだ。嫌なこともあったし、日ごろ勉強のことで厳しくしがちだし。
それに、どうせ明日は休みだ。
多少遅くなったって、起きた時間によって朝食を食いはぐれることはあるかもしれないけれど、授業には差し障らない。ならまぁルクレとしても、かまわない。
朝食を食べそこなってしまったとしても、食堂だって休みの日は寛容だ。常識的な時間なら軽食くらいは提供してもらえる。
元気のないエウリアのこともだが、シャニの目が相変わらずぎらぎら燃えているのもルクレにはどうにも気にかかった。
あれは平和主義というか、そも争いを好む性質ではない。何せ己が敵対したいつかでさえ、剣を抜くのをどこかで躊躇っていたくらいだ。
そんな男があんな目をするなんて。
ルクレは知らず知らずのうちに眉根をひそめていた。もし今日の出来事が原因だというなら、発散させておいた方がいい。絶対に。
あいつは馬鹿みたいに間抜けな顔をしているのがお似合いだ。
ふたりともきっとやり場のない感情が内側にあったんだろう。準備運動の後すぐに、いつもより少し力の入った組み手が始まった。ルクレはというといつも通り、演習場の端にある丸太に座ってその様子をぼうっと見守る。
しかし今日はどうにも少し手持無沙汰だ。灯りを持ってきそびれたからやれることがない。なにか作業をするにはここはどうにも少し暗すぎる。
仕方がないのでエウリア・サスーシャ育成計画を脳内で確認しておくことにした。
計画は常に見直して修正していく必要がある。何せ目標は遥か高み、優勝だ。
だが、それは決して非現実的な夢物語ではない。
体術やらについては専門外なので言及を差し控えるが、魔導具の作成は順調だ。だいぶ余裕をもって仕上げに入れることだろう。
エウリア本人の魔法に関しての進捗も、悪くはない。いくつかの計算外のせいで当初の予定以上に”いろいろと”スパルタ式で叩き込んでいるが、大会本番にはぎりぎり間に合う。
いや、間に合わせて見せる。
ルクレはその繊手をぎゅっと握りこんだ。整えられた爪の先が掌を痛めつけるほど、きつく。
これはもう、自分のちっぽけなプライドの問題だけではなかった。
トーナメントがどう組まれるかはわからないが、絶対に勝ちたいな、と思って。
ほんの少しだけ、この世の誰が相手だって勝たせてやりたいな、とも思う。
人を捕まえて”臆病者の血族”なんて、程度の知れた台詞を吐く連中をいつまでものさばらせておくのは癪に障る。
それに、エウリアは善人だ。
どんな苦境においてもまっすぐに前を向くことのできる人種だ。
善き行いをするひとが報われますように、世界中の誰もが幸福でありますように、なんて。そんな甘ったるい理想を抱いている男はきっと、エウリアが勝つことを誰より喜ぶ。
ルクレはふと空を見上げた。
夜のとばりを切り裂くように、銀色の三日月が空のだいぶ高いところまで登っている。時計がないから月の位置で時間を計るしかないのだが、この感じだとそろそろ真夜中に程近いはずだ。
気づけば周囲はほの暗いを通り越して、とっぷりと闇に沈んでいる。もう切り上げさせたほうがいいかもしれない。
この時間ならまだぎりぎり、食堂で何か夜食をもらえる可能性もある。
……もしありつけなかったら何か軽食を提供してやってもいい。この前の勉強会からというもの、ルクレは私室にお菓子の類を用意しておくようになっていた。別に奴らが美味しそうに食べていたからとかではない。欠食児童をふたりも抱えているんだから仕方ないだろう。
ルクレは長く座っていた丸太から腰を上げた。制服のスカートの汚れをはたきながら、組手を続けていたふたりに声をかける。
「──さて、ふたりとも、そろそろ止めておきましょうか」
というか、こいつらいつまでやっているつもりだったんだろう。この体力馬鹿ども。もしかして自分が止めるまでずっと殴り合っているつもりだったのだろうか。
ルクレの制止の声を受けて、シャニがエウリアの拳を軽くさばいて止める。
あ。
その姿を見て、ルクレはふと先ほどの揉め事を思い出していた。そういえば、まだ礼のひとつも言えていなかった。
「そういえばさ、シャニ……さっきは、その、ありがと。でもあれ、僕はけっこう殴られても仕方ないようなことを言ったんだぜ?」
「そうだったのか? ああ、いやでもやっぱりよくないだろ、いきなり殴りかかるのは。──その顔は、お前の数少ない美点だしな」
ここで、ここでもし、自分が女になったことを少しでも持ち出されていたらルクレはこの男を嫌いになれたかもしれない。けれどシャニはこういうところでだけは間違わない。だからルクレは結局いつもこの男のことを嫌いになり切れずに、軽口を返すしかないのだ。
「はぁ? もう一度言ってみろよ、僕の美点なんて多すぎて数えきれないくらいにあるっての」
「なんだ、数えてみるか?」
「かまわないよ? ほら、数える準備はいいの? その靴、両方とも脱いだって指が足りないぞ」
「──ふふ、はははっ」
軽口の応酬にエウリアがこらえきれないように笑声をあげる。
ふたりのやり取りがよほど面白かったのか、それとも──張りつめていた緊張の糸でも切れたのか。眦ににじんだ涙を指先で拭って、少女は微笑ましいものを見るように目を細める。
「ふふ、すまない。その、ふたりがなんだかかわいかったから」
かわいい? と彼女の言葉に唇を尖らせようとしたその瞬間。
ゆるんだ空気を切り裂くように、木立の陰から掠れた声が響いた。
「──いい夜だねぇ、皆さまごきげんよう?」
それはひどくゆっくりとした足取りで、木々の陰から月光の下へと歩み寄ってくる。
目元を隠した桃色の髪。そこから覗く白金の目。
背丈はエウリアよりやや高いくらいだろうか。白黒のメイド服に身を包んだ、一見すると細く可憐で、非力そうな女性。
そんなものが、こんな時間に寂れた演習場になんて現れるわけがない。
今の今までまったく存在を悟らせることなく、この距離まで近づいてくることなんて、ありえない。
「っ……!」
それが纏う異様な気配にシャニとエウリアが臨戦態勢に入る。一方でルクレはこれまでの繰り返しで一度も起こらなかった事態に一瞬、その思考を止めていた。
なぜ、こいつがここにいる。
あれは、魔族。
祖父の狗。魔導具の管理者。
死にぞこないの彼らの中で唯一、今も昔も魔王に忠誠を誓わない男。
己の愛にのみ生きる嫉妬の化身。
「なんかぁ、ちょっと前ここにバッカみたいな穴ぶち開けてくれたのって、そいつだったりするぅ?」
男の節くれだった指がエウリアをまっすぐに指し示す。色濃い狂気を宿した瞳が銀の月光を受けて、ぎらりと瞬いた。
その視線を遮るように一歩前に出たシャニの姿をみとめてか、イウミュアナはうっそりと微笑む。
「あは、別にお返事はいらないんだぁ──魔力痕でわかるよ、仕事増やしてくれちゃってさ、ほんっとうに困る」
メイド服の幾重にも重なったフリルの裾をかき分けて、するすると金属の柄が取り出されていく。やがて、ごん、と鈍い音が地面を揺らした。
「……エイデン。リトグラト君を、頼めるな」
「ああ。ああ、当然だ」
僕のことはいいんだ、と言わなければならなかった。なのに、言えなかった。
夜風の冷たさだけではない理由で、その場の空気は冷えてひどく張りつめている。
ずるずる、と重厚な戦鎚が大地を削って、その細腕はそれを片手で軽々と肩に担ぎあげた。
「ね、──殺していいよねぇ?」
長い長い夜の始まりを告げるように、魔族はその紅い唇を歪めて釣りあげる。
その笑みはどこか空に浮かぶ三日月に似ていた。