中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る 作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首
最近どうにも胸の奥底が熱かった。まるで、そこで何かがごうごうと燃えているように。
シャルナノーク・エイデンは、周囲の目から友人と先輩の姿を隠すように歩きながらそっと胸元を押さえた。
剣胼胝だらけの掌の下で心臓は普段通り鼓動を鳴らし、龍拍もまた、変わらずに魔力を生み出している。
体温は、それはまぁ平均的にいつも高い方だ。
冬になると暖を求めたルクレティウスがそばを離れないくらいには。
けれど、最近のこれはそういう、ただ体が熱を持っているような単純なものではないような気がしていた。なんとなく、けれどどこか確信めいて。
「──そういえば、2年生は今日は実践魔術の講義じゃありませんでした?」
「……あぁ、うん。火炎系の講義だった。ほら、前に校庭に穴をあけた……今回は、わりにうまくいったと思う。周りも無事だったし、ちゃんと火球が出せたから」
「それは何よりでした。練習の成果が出てきてますね」
「そう、だな……。うん、先生にも褒められたよ。しっかり復習したね、と」
よかった、と返すルクレティウスの声のトーンは静かで決して高くはない。だが、その代わりに柔らかい。
釣られたように、エウリアの横顔から緊張が解けて和らいだ。
ふたりの間で訥々と交わされる会話があんまり穏やかだったから、聞いているだけのシャルナノークの心も自然と静まっていく。
鎮まる? と数瞬、思考が止まった。
──ああ、そうか。怒っていたのか、俺は。
先ほどの上級生とのもめ事が頭をよぎって、シャルナノークはひとり得心した。
怒っていた。だから、ああいう相手のメンツを考えないような割り込み方をした。冷静になって考えれば、他にもっとやりようがあったはずなのに。
あれでは相手側からすれば、侮辱されたのと大して変わらなかっただろう。
自らの未熟さを突き付けられたような気持になって、シャルナノークは思わず漏れかけたため息を嚙み殺す。
でも。
まだ熱を帯びた心のどこかで、幼い自分が拗ねたように石を蹴った。
あんな、諦めたみたいな目をされるのが嫌だったんだから、しょうがないじゃないか。
目の前には確かに理不尽があるのに、それをどうしようもないことだと飲み込んで。なんでもないことだと笑ってみせる。
そんなかなしい諦めがシャルナノークにはどうにも歯痒くて、嫌だった。
しかも、そんな色濃い諦念に囚われているのはエウリアだけではない。
ルクレティウスもまた、なんだかここ最近ずっと思い悩んでいるように見える。
その頭を悩ませていることはきっと、学院祭のこと、ではない。
だってそれより前からあいつは様子がおかしかった。たぶん、女性に変わってしまったあの冬の朝からだ。
あの日からルクレティウスは、ふとした瞬間にどこかここではない遠いところを見ては、疲れ切ったような目をすることが増えた。
そういうとき、あの藍色の目は光を失って、その奥底まで諦めが染みついたようなひどく暗い色を覗かせる。
それはほんの一瞬のことだ。だから、きっと他の誰も気が付いてはいないだろう。
あれは取り繕うのがうまいから。
そうしてシャルナノークは、たとえ他の誰一人として気が付いていないのだとしても、友人としてその愁いをぬぐってやれたら、と思う。
だって、単純に似合わない。
こいつは温室で大事に育てられた華みたいな繊細な見た目のくせに荒縄よりも頑丈で図太い精神をした、ひねくれ者だ。
他人をからかうのが好きで、偉そうで、口が悪くて、皮肉っぽくて。
でも素直じゃないだけで、他人を見捨てられない性質だし、周りに悟らせないだけで努力家で勤勉だ。
口ではぐちぐち言うくせに、出来の悪い生徒であるシャルナノークにいつも根気よく付き合ってくれる。
かわいい後輩ともついこの間、そういう話をした。
あの日、魔物に襲われて眠るルクレティウスの傍らで。
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「先輩、あの。私が言うのは差し出がましいことだとは思うんですけれど……」
ことり、とサイドテーブルに置かれた陶器からは湯気が立ち上っている。
白いマグカップに薬湯をつくった後輩は、己の作品にも関わらず立ち上る刺激的な臭いにぎゅっと顔をしかめてみせた。
なみなみと注がれた薬は緑を通り越して真っ黒く見える。
はっきり言おう。まずそうだ。
おそらくそれを飲むことになるのだろうルクレティウスのことを考えるとぞっとしない。
だって薬湯だと聞かされていなかったら毒を疑うレベルだ。色も臭いも人が飲んでいい代物とは到底思えなかった。
そんな夜の医務室にはニアースティニアとシャルナノーク以外に人影はない。
日頃ここに常駐している魔術医は、患者の無事を確認してすぐ他の教員の応援に出て行ってしまっている。
「……あの、兄さまのことをよろしくおねがいします、ね」
「なんだよ、いきなり」
「私、のろまだから……だから、兄さまには他に頼れる方がいないんだってことにやっと気が付いたんです。……先輩もご存じだと思いますけど、この人って性格よくないでしょう?」
「そう、だな……まぁ」
困った。擁護ができない。
友人として反論するか、否定しなければならない場面だ。
とは思うのだが、ルクレティウスはお世辞にも性格がいいとは言えない。どれだけ言葉を選んでも、かわいくない性格をした男、いや今は女か、だからだ。
歯切れの悪い返事に、三日月を背にした少女はふふ、と微笑んだ。艶やかな灰色の髪の上を青白い月のひかりが滑ってきらめく。
「兄さまは、かわいそうな人なんです。……でも悪い人じゃないんですよ、ほんとですよ?」
ニアースティニアの可憐な指先がルクレティウスのうねる藍色の髪をそっとくすぐってもてあそんだ。眠る義兄をまなざす水色の瞳には複雑な感情が絡み合っていて、けれど確かに慈しむような色をたたえている。
「……ああ、知ってる。素直じゃないだけだよ、こいつは」
そういう話をしたことを、シャルナノークはなぜか今この刹那に思い出していた。
あの夜と違って、夜空に浮かぶ三日月を背に立つのは桃色の髪をした魔族だ。
人間のようにメイド服に身を包んでこそいるものの、その濃厚な殺気と人で瘴気は到底及ばない狂気は隠しきれていない。
重たさすら感じる魔力の気配にびりびりと大気が揺れた。
「ほーらほらぁ!
短縮詠唱を
そう、距離をとればこうして光の雨が、近づけば戦鎚そのものが襲い来るのだ。
弾速がそう早くないことだけが救いだが、その分、物量が半端ではない。
しかも、魔術で障壁を貼っているルクレティウスや手甲を盾代わりに使っているエウリアと違ってシャルナノークは無手だ。
気を抜けば、体のどこかに風穴が開くことは間違いなかった。
勝算の薄い戦いを三人がそれでも続けているのはひとえに他に道がなかったからだった。
交戦が始まってすぐ、誰かひとりが離脱して助けを呼びに行くことも考えはした。
だが、その案は机上の空論として消え去った。
なにせ第四演習場から校舎まではだいぶ距離がある。
たとえ誰かがこの場を逃れて救援を呼びに行けたとしても、戻ってくる頃には残ったふたりは死んでいるだろう。この場は今、それくらいぎりぎりの拮抗状態を保っている。
訪れる結末があまりに明白だったから、残る誰かが死ぬことを自分もエウリアも、ルクレティウスもきっと呑み込めないから。
だから、戦い続けるほかに選べる道はなかった。
激しさを増す赤い光の雨をシャルナノークは間一髪で避ける。
魔導具を手放させようとしたのか、ひとり距離を詰めていたエウリアが逆に戦鎚に吹き飛ばされた。
「──がっ!!」
「先輩……!」
態勢を崩した少女を当然のように光弾が追撃した。が、紙一重のところでルクレティウスがその体を滑り込ませ障壁で庇う。
「アハハハ! ずいぶん健気じゃん!!」
「やらせるかよ……!」
そこをさらに襲った戦鎚を、今度はシャルナノークが横から飛び込んで殴り飛ばした。
体を魔力で強化しているからといって、金属と生身が衝突した衝撃までは殺せない。ごん、と骨の髄まで鈍い痛みが走る。
その痛みを無視して本体めがけて蹴りを放った。単純な蹴撃だ。それ自体は、あんな金属塊を振り回しているとは到底思えない軽快な動きで避けられる。
メイド服の裾が場違いにふわふわと可憐に揺れた。
「──無事か!?」
「すまない、助かった!」
だが、態勢を立て直すだけの時間を掠め取ることには成功した。
手元に武器がないことが歯痒くてたまらない。
徒手空拳は不得手ではないというだけで、シャルナノークの本来の獲物は剣だ。拳ではどうにもあと数歩、リーチが足りない。
だが、装備が十全でなく、今が夜、つまり魔族の時間であることを加味するなら、自分たちはよく耐えている。
いや、なぜか相手があの魔導具以外使ってこないから、こらえられているのだ。
──遊ばれている。
シャルナノークはぎちり、と奥歯を噛み締めた。それでもこのままここで交戦を続けて、時間を稼ぐしかない。
教員が異常に気付くか、朝が来るまで。
勝つ、と言えないのは己の未熟だった。
ふたりを逃がせないのも、自分の怠慢が故だ。
自分がもっと強ければ、ちからがあれば。
脳裏を駆け抜けた後悔をシャルナノークは一蹴する。
たとえ剣がなくとも、心まで折れるわけにはいかない。今この瞬間、己がなすべきことはひとつだ。
指の先まで魔力を通して拳を握り直す。
第四演習場での鍛錬をエウリアに提案したのは自分だ。
何の関係もなかったルクレティウスを付き合わせたのも自分だ。
無辜のふたりをこんなところで死なせるわけにはいかなかった。たとえ、己の命と引き換えたとしても。
「──ふたりとも! 僕に策があります」
戦闘の喧噪の中、ルクレティウスがそう囁いた。動きこそ止めなかったが、三人とも魔族と少し距離を取る。
「シャニ。お前、まだ魔力は残ってるな?」
「おう、余裕だ」
「先輩、」
「大丈夫。わかっている。わたしに任せてくれ」
続く言葉をすぐさま引き取って、エウリアはその若緑の目を不敵に輝かせた。
「稼いでみせるさ、きみが策を成せるだけの時間を」
「5分、いや3分! 3分でかまいません」
「ああ! ──エイデン、死ぬ気で走れよ」
「了解!」
「余所見ぃ? いい度胸だねぇ!!
「下がって、っ!」
三人に向かってまとめて放たれた光弾をルクレティウスの薄青の障壁が受け止めて、砕け散る。
蒼い破片の隙間を縫って、手甲に包まれた手が伸びた。
「爆ぜろ/焦熱の花弁」
それはごくごく単純な火球の魔術だ。短縮された詠唱に一切の迷いはなく、魔力で描かれた陣は正確で、ひずんでもゆがんでもいない。
「
けれど、その魔術陣は火球を放たない。代わりに、周囲のすべてを巻き込むように魔力の奔流が爆発する。
大地が抉れ、木々が吹き飛ぶその間断の隙をついて、シャルナノークはルクレティウスの華奢な体躯を担ぎ上げた。
瞬間的に身体能力を強化し、爆風と土煙にまぎれてその場を離脱する。
「もう一度だ! ──
駆ける背中を押すように、もう一度爆風が吹き荒れた。
エウリアを信じたから、後ろは振り返らない。疑うことは彼女への侮辱になる。
シャルナノークは戦場から少し外れた木立の陰に体を滑り込ませた。
「腕、出せ!」
言われるがまま利き腕を差し出す。
いったい策とはなんなのか、自分は何をすればいいのか。
そんなことは少しだって知らされていなかったが、焦りはなかった。
こいつがああ言ったのだから、それを信じるだけだ。
ペン胼胝のある細い人差し指が執拗にシャルナノークの腕をなぞって、触れられたそこから何かがじわりと体の中に浸みこんでくる。
胸の中で燃える何かが、今や尋常ではない熱を発しているのがはっきりとわかった。
いや、それどころか、爪の先、髪の先までじりじりと熱を帯び始めている。
それが自分の錯覚でない証左に、ルクレティウスの青白い指先が、己の腕をつかむその指先が火傷でもしたかのように赤く腫れあがっていた。
「ぼく、を、……っ」
ルクレティウスが何かを言いかけて、その震える唇を嚙み締めた。
けれど、逡巡は一瞬だった。
ためらいを振り払うように勢いよく顔をあげた友はきっ、と鋭い目つきでこちらを見つめる。
「シャルナノーク・エイデンの正義を、僕に信じさせてくれ」
その言葉は少しも震えてはいなかった。
だが、深い深い蒼色の目がすがるように揺れたのを、シャルナノークはそのとき、確かに見た。
「──ああ」