中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る   作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首

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rech2-1 死ねばいいのに、ばか

 

 ──ごーん、ごーん。

 

 朝の静けさを切り裂くように、どこか遠くの方で鐘が鳴った。

 二度響いたその音にルクレは俯かせていた顔をはっ、と上げる。 

 

 ──予鈴だ。まずい。

 

 見上げた窓の外、聳え立つ山には真っ白な雪が積もっていて、朝日に照らされまばゆく輝いていた。

 冬だ、けれど本当に今朝がこれまで通りの()()()であったなら、学院はもう年始の休みを明けている。

 そしてさっき鳴り響いた予鈴の音は二回。

 つまり、あと半刻もすれば授業が始まるということで。

 ローブを纏った体を見下ろす。こんな明らかに誰が見ても女だとわかる体のまま登校するわけにはいかない。かといってすぐに打てる手もない。

 どうする。

 何か、を求めてぐるりと部屋を見渡した。

 自分の他に人のいないひとりきりの部屋はがらんとしていて殺風景だ。死に戻るたびに物への執着は薄れていたが、ルクレはもとから部屋にそこまで物を置かない性質(タチ)だったので。

 だからまぁ、部屋を見ただけでは、自分でもここが本当に自分が使っていた部屋なのかわからないのだ。

 確証がほしい。

 自分が間違いなくルクレティウスであるということの、証拠が。

 ルクレの中にはまだ疑念がある。性別が変わるようなことが本当に起こり得るのか、という、疑いだ。

 そんな信じられないことがありえるとするのなら、自分の意識がまったくの別人の体に乗り移った、という可能性だって捨てきれない、と思う。

 どちらにせよ、いつまでも打ちひしがれたままではいられないのだ。なんにしろ行動しなくてはいけないし、そのためには自分の現状をしっかりと見つめなければならない。

 ルクレは立ち上がり、壁際に置かれた机へと向かった。

 きちんと整頓された机の上にはいつも通りに何も置かれていない。こざっぱりとした栗色の板面をさらしている。

 その天板の下に備えられた引き出しをそっと開いた。

 そこには見慣れた筆記用具と手帳と、それから。

 

 ──それから、赤い万年筆の横に、小さな紅の箱がひとつ。

 その天鵞絨の箱にルクレは手をかけた。

 伸ばした指先が小さく震えている。

 怖いんじゃない。武者震いだ。こんなことちっとも怖くなんかない。

 そう誰にともなく言い聞かせながら、箱の蓋をゆっくりとひらいた。

 黒いベルベッドが張られたそこには、銀の指輪が収められている。飾り気のない指輪がひかりを受けてきらりと光った。

 それを恐る恐る持ち上げて、普段そうしていたように左の人差し指に通す。馬鹿みたいにだぶついて揺れる銀色に口づけた。

 この指輪は、定められた持ち主以外には扱えない。

 

「──揺らぐ(しるべ)よ地の底まで/紡ぐ調(しらべ)は空の果てへ

 私は(しもべ)/貴方の影に口づけた」

 

 実は、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、期待、しているのだ。

 この体はもしかして、自分の、ルクレティウス・リトグラト・リィのものではないんじゃないか、なんて。

 そんな馬鹿みたいな期待を。

 期待と不安で高鳴る胸とは裏腹に、頭の芯がじわじわと冷えていく。

 魔力が吸われていく、もはや慣れ切った感覚だった。

 

「……おいで、ティティクカ」

 

 ルクレの唇が最後の一音を紡いだその瞬間。

 人差し指で所在なく揺れていたぶかぶかの指輪が、その内側に刻まれた紋様を青くまたたかせて形を変えた。

 ぴとりと、最初からそうだったように指に吸い付く。

 たったひとりの持ち主であることの、その証左に。

 ああ、と落胆と安堵の混じった声が思わず漏れる。

 そうしているうちに、どこからともなく現れた蝶がその白い指先にとまった。

 深い藍色の蝶だった。

 まるでルクレの髪のような色をして蒼白い燐光をまとうその姿は、明らかに自然界のいきものではない。その羽根にルクレはためらいがちに唇を寄せた。鼻先を薄荷の涼しいにおいがくすぐる。その香りに少しだけ心慰められながら、ルクレは口を開いた。

 

「ルクレティウスからニアースティニアへ。運んでおくれ、ティティクカ……ニアへ。僕は体調が少し優れない。今日は部屋で休んでいる。すべて良いようにしておけ。……少しは励めよ。では。──以上、終わりだ」

 

 一息にそこまで言い切って、最後にふう、と息を吹きかける。言葉を吸い込んで、蝶の羽根がじわじわと藍から白へと色を変えた。

 かたんと窓を開けるとルクレの顔に冷えた冬の風が吹きつける。朝風の寒さにふると体が震えた。

 

「──行け」

 

 その寒さをものともしないように、真っ白に染まった蝶は飛び立った。灰色がかった空に蒼白い光が消えていく。

 その姿を見送ってから、ルクレはやっと息をついた。

詞蝶(しちょう)のティティクカ』は吹き込まれた言葉を運ぶ遣いだ。

 あらかじめ定めてある届け先へ飛んで行って、託された言葉をその羽根に文字で現す。魔術士がよく使う連絡手段のひとつだった。

 だいぶ浪漫に寄っていて実用的なものではないと言われがちだが、ルクレはこの蝶が好きだ。

 目に美しく、あまり魔力を使わないところもいい。

 ぼうっと思いを巡らせつつ、先ほどまで蝶が止まっていた左手を陽にかざした。見慣れない、小さな手。その指に嵌まった銀の指輪を眺める。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 つまりは、この体は間違いなく、ルクレティウス・リトグラト・リィのものだということだ。

 見ず知らずのよく似た誰か、あるいは、自分も知らない血縁者のものではなく。

 ほんの少しの落胆と、それ以上の安堵の中でルクレは瞳を閉じた。信じられないことを、それでも信じるしかないのだ。いつまでも動転してはいられない。それに、そう悪いことばかりでもなかった。

自分がルクレティウスであるのなら、女の姿に変わっていたとしても辿る運命にそう大きな違いはない、はずだ。

 749回も繰り返した人生のことを少しくらいは参考にできる。

 まぁとりあえず、言伝てを送ったことで今日一日くらいの時間は稼げた。一日もあればなんとか手を考えつくだろう。

 この学院の中等部に、ルクレの義妹、ニアースティニア・リトグラト・レゥも通っていた。自分が出ていけないのなら、他の誰かにそうさせればいい、というわけだ。

 義妹はルクレのことを、というよりはリトグラトという家自体を、ひどく恐れている。ティティクカに託した文面を見れば、深く理由を聞こうとはしないまま教員のもとへ向かってくれるはずだ。

 そのために高圧的な言葉を選んだのだから、そうしてくれなければ困る。そうでなくとも、ルクレがニアに対してきつい言い方をすることはもう日常茶飯事だったが。

 ルクレは義妹のことが嫌いなわけではなかったけれど、色々と憎たらしくは思っていた。語ることさえおぞましい真似だってしてきた。

 そうやってひどいことをしてばかりいたのだから、義妹からも好かれるわけがない。これまでの繰り返しの中で、彼女に殺されかけることが多いのも当然なほど。

 ともかく誰に似たのか義妹はかなり鈍い方だったが、ルクレが弱っている自身を他人に見られることを死ぬほど嫌っている、という事はよくわかっている。こんなものに対して傾ける優しさも枯れているだろう。

 なにをまかり間違っても見舞いになんて来ないはずだ。

 さぁ、とりあえずこの一日を使って立て直そう。

 そう心に硬く誓い。

 その腕に胸の脂肪の塊がたゆんと触れた瞬間、ぴしりと音を立てて体が固まった。

 そうだった、まずは()()をなんとかしないといけない。

 己の体の柔らかさにルクレはどうしたってびくついてしまう。ローブが一枚隔たりになっているにも関わらず、だ。

 

 ──女の身体ってこんなに柔らかくって頼りないものか? 

 

 髪の毛がちょっと伸びたのくらいはまだ誤差だとしても、性差はやはり大きい。こんなことにいつまでもびくついているわけにはいかないのに。

 教員にも生徒にも、周りの誰にも気づかれないような高度な偽装をなにか考えなければならないのだ。

 ルクレはぐっと下唇を咬んだ。

 ここが()()でなかったならこんな苦労はしなかった。

 ルクレ達が通うこの学校は、この国はおろか周辺諸国の中でも群を抜いた魔導教育の名門と名高い。エヌフォール魔導学院、と言えば知らない者はいないほどに。

 下手な方法を取れば教員にはすぐにばれてしまうことだろう。特に今は教職員以上の才能を持つと言われる生徒だって在籍しているのだ。油断は大敵だった。

 だからといってここを出る選択肢は選べない。

 ルクレは、それもまた運命だというのか、あの夜までは何があっても死ぬことはない。

 が、死ぬよりひどい目に遭うことはままある。八割くらいは自業自得だったが、自死も選べないというのは少し苦しい。

 今回の人生は休暇と見るとしても、ある程度はいつも通りに過ごす必要がある。学院から出る道をかつて選んだこともあったが、どの試行もろくな目に遭わなかったので進んで選びたくはない。

 大きく今までの流れから逸れなければ、そこまで苦しい思いをせずに済むはずだ。

 そうして、女になったせいでか自分の年齢にちょっと自信がなかったが、今はたぶん高等部1年の冬。そうして2年の夏の終わりには、あの夜が来る。残された時間は半年に満たないといったところだ。

 

 ──せめて中等部だったら。

 

 これまでも何度か思ったことが頭をよぎる。そのころだったならまだ取り返しがついたかもしれないのに。

 まぁ、そのあたりもちゃんといつも通りだろうな、と壁を埋め尽くす背の高い本棚の中を見つめながらルクレは思う。

『失われた500年の魔導史』『魔法とその制約』、『ナフタにおける魔術研究の傾向について』。

 整然と並べられた魔導にまつわる分厚い書籍は、だいたいそれくらいの時期に自分が好んで読んでいたものだ。

 背表紙の文字をぼうっと眺めて、そうしてひとつ大きく息を吐いた。

 落ち着こう、大丈夫だ。方法はある。

 自分はルクレティウス・リトグラト・リィ。

 叡智の保管庫と呼ばれるリトグラト家で育った頭脳は伊達ではないのだ。

 ひとまず何か飲み物でも、と思った瞬間。

 

 ──来る。

 

 うなじがぞわりと総毛だつ。

 冷たいひんやりとした風が、先ほど詞蝶を放した窓から吹き込んだ。

 しまった、窓を閉めるのを忘れていた。

 そう思ったのもつかの間。

 ひらり、と風にはためいた白いカーテンの隙間から、黒い影が飛び込んでくる。

 

「おい、レティ。体調が悪い、ってニアから聞いたんだ、が……?」

 

 ああ、僕は馬鹿だ。間抜けだ。阿呆だ。

 鼓膜を揺らす懐かしい声に、ルクレはくらりとよろめいた。

 ニアとこいつが、このくらいの時期にはもうだいぶ仲がいいということをすっかり忘れていたのだ。

 そうしてあの義妹が馬鹿みたいに心配性なことも。まだ中等部のあいつが高等部の教員に話をしようと思えば、なんらかの形でこいつに会う可能性があるに決まってるじゃないか。

 そうして馬鹿みたいに他人のことばかり気にかけるこいつが、体調の悪い級友の様子を見に来るなんてことは、もはや当然の帰結だろう。

 

「……シャニ」

 

 襟足がやや伸びた、短い赤金色の髪。

 夜明けのような瞳。

 日に焼けた肌と、よく鍛えられた体を白い制服の下に隠した男。

 ──シャルナノーク・エイデン。

 シャニ。自称正義の味方。他称、お人よしの馬鹿。

 ルクレが、たったひとりの親友だと思っていた男。

 あるいは──ともしびの勇者。

 

「レティ? おい、ふらついてるんだった、ら」

 

 駆け寄ってきた男の足がルクレの姿を見てゆっくりと止まる。

 あほ馬鹿間抜け、お前って本当にそういうやつだよな、と心の内で思い切り罵る。きょとんとした顔を張り倒したくなる気持ちを堪えて、わざとらしく微笑んでみせた。

 

「何かな?」

「あ、ああ、なんだ、その……」

 

 言い淀むあたり威嚇は通じたらしい。

 けれど、気づくのがあまりに遅い。

 というか、他人の部屋に勝手に入ってくるな、不法侵入だぞ。

 ルクレがそう牽制しようとした瞬間、シャニが迷いつつ口を開く。

 

「……レティ。お前、縮んだか?」

 

 そういえば自分は、この馬鹿の、こういう無駄に敏くて無神経なところも嫌いだったのだ。

 

 そんなことを、ふと思い出した。

 

 

 

 

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