中ボス悪役令息くん、度重なるループの末に悪役『令嬢ちゃん』に至る 作:TS幼馴染は必ず勝つ党第809代党首
すみません
rech2-3話が6月17日更新分です
──世界には、魔術と魔法。
失われつつあるかつての奇蹟と、生み出されていく新たな技術。
総じて魔導と呼ばれてはいるものの、それらは決して同じものではない。
「……よし!」
寝台から引きはがしたシーツに最後の一文字を書き終えて、ルクレはふうと息をついた。長いこと床に膝をついてそれを描いていたせいで、体の節々が鈍く痛んだ。きしむ体にどこか達成感じみたものを覚えながら、ルクレはゆっくりと立ち上がる。
深紅の絨毯をシャニに引きはがさせて露わになった床の上。
そこに広げられた真っ白なシーツいっぱいに、藍色のインクで大小さまざまな陣が描かれている。
理論上はこれで不足はない。はずだ。
ただ、あの時のルクレにはたいていある種のブーストがかかった状態だったので、念のため今回は少し補助用の魔法陣を足してある。
かつて見た父祖の魔法陣はひとつきりで、魔力によって即席で描かれた簡易的なものだった。が、ルクレが同じことをしようと思うとこれくらいはしなければならないだろう。
ロゥク・ルゥは国どころか世界を見ても歴史上類を見ない天才だ。あのひとと自分とを比べることもおこがましい。
それでも、その天才の魔法を自分なりの方法で再現することくらいは、ルクレにだってできるのだ。
図形や文字と文字の連なりが複雑に絡まりあった紋様は我ながら緻密で繊細でうつくしい。描いた陣をひとつひとつ検分しつつ、ルクレは脳内でその効果を再度組み立てる。
いちばん大きな中央の陣が幻影の魔法。
右上の陣はその幻に実体を与え、右下に描いた惑乱魔法が、解析魔術の類を攪乱して魔法を使っていないように見せかけてくれる。陣のところどころに強化の文言を差し込んであるから、より強固なものに仕上がってくれるだろう。
試行装置があれば確実なのに、と本邸にある魔導具に一瞬思いを寄せて、ないものねだりはよくないか、と思い直す。
ぐうっとひとつ伸びをすると、持ち上がったシャツの裾が裸の太ももをくすぐる。背後でぶんと勢いよく首を振るような音が聞こえたが、振り返らないまま机の方にゆっくりと歩いた。シーツを踏まないように、少しだけ注意を払いながら。
今の自分が着れるものはあまりにも少ない、けれど寝衣のままでいるのはなんとなく嫌。そんな心の赴くままに行動した結果、ルクレは制服の白シャツを羽織って、下着を履くという服装に落ち着いた。シャツは膝のちょうど上まで隠してくれるし、下着以外に履けるものがなかったのだ。
まるでシャツ一枚しか羽織っていないようにも見えるが、どんなみっともない恰好だろうと構うものか。どうせシャニしか見ていやしない。
そのシャニの動揺も素知らぬ顔で、ルクレは陣を描くのに使ったペンとインク瓶とをそっと引き出しへと戻した。この藍色のインクは本当にとっておきのものなのだ。材料の一部に手ずから育てた植物を使っているおかげで、ルクレの魔力によくなじむ。
しかも今日はそこに自分の血も、少しばかりだが、混ぜてみた。魔術師の体液には、人にもよるが幾らかは魔力が含まれる。魔法の触媒として不足はないだろう。
そして、左手に嵌めた銀の指輪。これは幾つか普段使いの魔術を仕込まれているだけではなく、魔力の増幅器としての機能も持ち合わせている。ルクレの文字通り隠し玉だ。この指輪ひとつで一般市民の30年分の収入に匹敵するほどの値打ちがあったりする、といえばその希少性が伝わるだろうか。
これが今のルクレにできる精一杯だった。とりあえずは万全の態勢だと言っていい。
時間をかければもっときちんとした道具も揃えられるのだが、背に腹は代えられない。遅くとも明日の朝までには、何食わぬ顔をして登校できるようにしておかなければならないのだ。とりあえず、で羽織ったぶかぶかのシャツも腰骨のあたりに引っ掛かってしまってとうとう履くのを諦めたズボンも、ルクレの姿が大きく変わってしまったことを明らかに示していた。魔導の助けがなければ、安穏とした死への日々は送れそうもない。
だから、この魔法は絶対に成功させる必要があった。絶対に。
カーテンの隙間からは眩しいくらいの陽光が差し込んできている。壁掛けの時計に目をやれば、今まで通りだと諦めつつ迎えた朝からだいぶ時間が経って、もう昼時を過ぎていた。
思えば朝から何も食べていないのに、不思議と空腹は感じない。
まだ混乱しているのだろうか。
それとも、不安なのか。
──不安? この僕が?
そういう風に高慢に振舞っていられた日々は、今となってはもうずいぶんと遠かった。
不安はあった。何度も使ったことのある魔法ではあるが、だとしても半永久的に作用するように、なんて使い方を実はルクレはしたことがない。あくまでも一時しのぎの手に過ぎなかったのだ。そうしてその一時しのぎだっていつもうまくいったわけではなく、失敗すれば思い出したくもないような目に遭って──。
ふう、とルクレはひとつ息をついた。
笑ってしまうくらいに自業自得だとわかっていて、それでもなお世界を恨み憎み呪ったことが数えきれないくらいに遭った。そうなりたくないのなら、今しなければならないことは明白だろう。
「さて、質問だけど……この一番大きな陣、魔術陣と魔法陣、どっちだと思う?」
付きまとう不安を振り切るように、ルクレはくるりと振り返る。
は? と間の抜けた声が上がった。まさか今、自分がそんなことを聞かれるだなんて思ってもいなかったのだろう。部屋の主の了承もろくに得ないまま、椅子に座ってぼんやりとこちらを眺めていた男に、ルクレはそう問いかける。
魔導の初歩も初歩といっていい問題だ。答えられないわけがないだろう? と。煽るように付け加えると、シャニの眉間に皺が寄った。
集中している証拠だ。こいつは考え事をするときによくこういう顔をする。
「っと、あー、これはそうだな……うん、魔法陣だろ?」
果たして、シャニはルクレの期待に応えてくれた。
「
「そそ、だから線じゃなくて文字列が円を描くこれは魔法陣ってこと。……ちゃんと覚えてたんだ?」
ちいさく首をかしげてからかうように微笑むと、苦笑いが返ってきた。
「誰かさんに昔みっちり叩き込まれただろ? ……それにしても、書いてるとこから見てたが俺にはさっぱりわからん。凄いな、これ」
「ふふん。詠唱式が妖精語だから、魔法陣もそれに合わせてるんだ。学院では見ない記法ばかりだろ。まあ、魔法に愛された森の民の、その末裔である僕だからできる方法だよ」
ふん、と胸を張る。先ほどまでならその動きに合わせてたゆんと揺れたはずの胸は、今は巻き付けた包帯の下でおとなしくしてくれている。少し苦しいが、自由にしているよりよっぽど痛みはなかった。
実のところ、シャニがこの魔法のことがわからない、というのも無理はないことだった。魔法が隆盛を誇ったのは今となっては昔の話だ。まだ世界に妖精がいて、魔王がいた。そんな、いわばお伽話の時代に使われたのが魔法だった。
人の手に余るものとされた魔法が歴史の中に消え、万人が容易に扱える魔術が魔導の主流になって久しい。学院でも魔導史の一環として魔法について学びはするが、専攻している物好きは世界的に見てもほとんどいない。でも、だからこそルクレは魔法が好きだった。同年代で、おそらく自分が最も魔法に親しんでいると言えるほどに。
不安はある。だから、魔術ではなく魔法を選んだのだ。749回の繰り返しの中で、ルクレはずっと魔法について学んできた。短い人生だって積み重なれば魔導師に匹敵するだろう。とかく魔法の再現という分野において、今の時代に自分の右に出る者はいない。その自負がルクレの揺らぎそうな心を支えてくれる。
描いた陣の中央に立ってルクレはすっと背筋を伸ばした。
魔法を使うとき、畏れてはいけない。疑ってはいけない。揺らいではいけない。
魔術は規則によって成る技術だが、魔法はただ祈りによって引き寄せられる奇蹟だ。真摯な祈りだけが、世界を動かすちからに届く。
≪りり るる りり る≫
妖精たちがかつて木々の間でうたったという言葉たち。軽やかで踊るような音色を紡ぐ。魔力を流し込んだ陣が、ルクレの
畏れてはいけない。疑ってはいけない。揺らいではいけない。
まっすぐに、ただ祈るのだ。
≪母なる森よ嗚呼お恨み申し上げます
褪せた
父なる森よ嗚呼お慕い申し上げます
私はそれでも
歌うように言葉を紡ぎながら、世界を呪う。
大丈夫だ、自分にならできる。だってルクレはかつて、失われた勇者の剣さえもこの世に甦らせてみせたのだ。この程度の魔法を行使できないわけがない。
そう言い聞かせることで、自身を、心を奮い立たせる。
畏れてはいけない。疑ってはいけない。揺らいではいけない。
≪揺れるみなもに映る木々のように
震える朝露にひかめく花のように
私もまたゆがんでひずんで
世界に溶けてしまいたいのです≫
ばちばちと足元から雷鳴じみた音が鳴る。ルクレの鼻先を何かが焦げる嫌な臭いがかすめた。焔の気配に死への恐怖がさっと蘇って、思わず足がすくむ。
それでも揺らいではいけない。ルクレはぐっと体に、腹にちからを込めた。
シャニが見ているのだ。他でもないあの男が。
なら、無様はさらせない。
絶対に!
≪嗚呼どうか私を抱きしめてください
──ルゥレルゥの波打つ水鏡≫
詠唱に呼応するように光の奔流が立ち昇って、ルクレの藍色の髪を揺らす。気づけば焦げ臭さは遠く、代わりにまるで深い森の中にいるような木々のにおいがあたりを包んでいた。不思議に穏やかな心地の中、ルクレはまばゆい光の向こうになにかの声が聞こえた気がして耳を澄ます。
──のろわれたこ。
その声を、真意を追いかけようとして。
雷鳴と光がふっと止んだ。ささやきもまた、どこか遠くへ消えている。
自分の視界は変わらない。先ほどまでと何一つ。
「……どう? 変わった、かな?」
「ああ。ああ! 凄いな。いつものレティだ」
シャニの反応に、ほっと安堵の息が漏れた。どうやらうまくいったらしい。
足元に目をやれば、かなりの魔力が流れたせいでかシーツはところどころに焼け焦げてひどい有様だった。道理で焦げ臭いわけだ。陣が壊れてしまわなかったのが奇跡だとさえ思う。
「それ、ちなみにどれくらいもつんだ?」
「ん? 学院にいる間は永続だけど」
シャニの当然の問いかけになんでもないことのように答える。実際、なんでもないことだ。そうなるように計算して陣を組んだのだから。
「はぁ!? そんな使い方して負担は」
「ないよ、土地から魔力を吸い上げてるんだ。発動には僕の魔力を使ったけど、維持は土地の魔力がしてくれる。この隅っこの陣はそのためのやつなんだよ」
ルクレはシーツの左隅に描いた陣を指さした。正円がふたつ重なった、形式通りの魔術陣だ。内側に描かれた式だってたいして難しいものではない。学院に入学して、最初の方で習う魔術陣の応用だった。
「土地の魔力を使うって、学院にばれないのか?」
「ばれないね、見覚えないの? これ、授業でも使ってるやつの応用なんだよ。学院で魔術の実習をするのに、生徒の魔力で賄わせてたら体調不良者が出るに決まってるだろ。たいていの生徒は体も魔力も未熟なんだぜ? 魔力の量も質もまちまちだ。最悪死人が出ておかしくない」
そこまで言って、少し過剰表現だったかなとルクレは独り言ちた。たいていの場合、どんな大それた魔術や魔法を行使しても学生が命を落とすようなところまで行くことはない。そうなる前に、大抵力尽きて気を失うことになるからだ。
「ま、3年の授業でそこは詳しく教えられることになるんじゃない? つまり、僕らの体が出来上がって、社会に出る前に。要するに、これはそれまでの安全装置なんだよ。術者の魔力が3割くらい残るように、不足を土地から吸い上げる魔術でね。学院で複数の陣を使うときに絶対入ってるし、入れるように教わるから、生徒が何かの弾みで身の丈にあわない魔導に手を出しても命の保障がされるってわけ」
「そうだったのか。ああ、それで外より楽に魔術が使えるんだな」
「そういうこと。まぁ同じような陣を300人以上の生徒が毎日のように使ってるんだから、その中から僕ひとりを見つけ出すなんてできっこないでしょ?」
そこまで説明すれば、シャニにも理解できたのだろう。なるほど、とうなずきながら陣を真剣に見つめている。
ルクレもまた、銀の指輪に目を落としていた。
魔法の核は魔法陣ではなく指輪だから、魔法陣から離れても問題はない。魔力は土地が賄ってくれるようになった。たいていの解析魔術は惑乱魔法でごまかせるだろう。当面の問題はこれで解決するはずだ。
「──あ、そうだ」
ぽんとひとつ手を打って、ルクレは机に駆け寄り引き出しからインクを取り出した。蓋をくるくると開けて人差し指をインクに浸す。白い指先と花びらのような爪がすっと藍色に染まったのを確認してから、またシャニの方へと足を向けた。
大事なことを忘れていた。とても大事なことだったのに。
とりあえずの不安がなくなったその足取りは軽い。ひらひらとシャツの裾がゆらめく。椅子を使ってもいいと許した覚えはまったくなかったが、シャニが座っていてくれて助かった、と思った。だって今の身長差だと顔に手を伸ばすのも一苦労だ。
日に焼けたシャニの額にすっと藍色に染まった指をあてる。
「何かあった時の為に、おまえにかけた分は解いておくから」
うっ、とシャニが露骨に嫌がるのがまたおもしろい。ふふ、とルクレは笑った。
まぁ嫌だろうなとは思う。たいして思い入れもない相手にまだ協力させられるとわかった上に、その相手が女なのだから。
理由は聞いたことがないが、こいつはどうにも女というものがそんなに得意でないらしい。将来的に女なんて選り取り見取りになるというのに。ばかなやつ。
──そんな馬鹿なやつの親友でいたかったあの日の自分もまた、同じだけ愚かしかったのだろうか。
解呪の紋をシャニの額に描きながら、ルクレはそんなことをぼんやりと考えていた。